第四十四ノ夢 破壊行為の定例会議
香ばしい匂いが鼻腔を擽っていく。甘く優しい香りは嗅いだ者の尖った神経をほぐし、眉間のシワをなくしていくほどの香ばしさ。まるで故郷にいるかのような暖かな香りに誰もが匂いの元凶を探ろうとするーーだろう。もっともこの場にいるのは、悲惨な現場にいるのは三人だけだが。円を描くように作られたある一室。そこは広間でもなければ、生活区域でもない。真っ白な壁には等間隔で風景画が飾られているが、所々に大きな傷が亀裂となって走り、風景画を引き裂く。焦げ茶に塗られた床には大きな爪痕が残り、なかにはクレーターのように抉られてしまった場所も存在する。まるで台風が過ぎ去った後のような現状の部屋の中央には猫足の丸いテーブルが置かれている。鉄で編まれた繊細な装飾は美しく、その装飾を汚さぬためかテーブルの上には透明なガラスが敷かれている。ガラスの上にあるのは、先程から香ばしい匂いを漂わせるティーポットと、湯気をあげるティーカップ。数は二つあり、一方にはスプーンが添えられている。そのティーカップの前にはそれぞれ、同じく猫足の優美な椅子に腰かけた人物がいた。スプーンが添えられているティーカップの方にはアダムがおり、彼の傍らにはラスが無表情で佇んでいる。アダムは足を組ながら、ラスがミルクを入れ、混ぜてくれた紅茶を手に取り、一口飲む。飲みながらカップの縁越しに相手を見やった。彼の反対側に座るのは『暴食』の女性だ。テーブルの上に鞭を置かずに腰に装着し、優雅な姿勢で紅茶を楽しんでいる。敵か味方か分からない状況で武器をテーブルの上に置くという愚行をしない彼女にアダムは本の少しだけ笑みを浮かべた。
突如として現れた化け物を思う存分倒し終わったアダムとラスの前に女性が現れたのは本の数分前。アダム達と同じように化け物と争っていたようだが、息が乱れることもなく怪我をすることもなく、見つけた二人を爛々とした獣の眼差しで見ていた。その眼差しは今は鳴りを潜めているが、アダムは嫌いではなかった、一応。『色欲』や和夜達、管理者が現れないことでどちらかーーおそらく『色欲』が処罰されているのだろうと考えたアダムは女性に話し合いを持ちかけた。もちろん、結託とか共犯ではない。多分彼女は『強欲』との共犯関係を反故にしている。ならば、もう一度組もうだなんて誘うのはリスクが高すぎた。そうこうして、この荒れに荒れた部屋で戦闘後のティータイムと洒落来んでいるわけだ。
「で、改めて私になんの用なんだい?」
ん?とティーカップをソーサーに置き、テーブルに両肘をついて頬杖をついたまま女性が聞く。アダムは紅茶を半分まで飲み干すとティーカップをラスに手渡す。手渡されたラスは当たり前のように左手で受け取り、右手でティーポットを持つ。『色欲』がなんらかの方法で毒らしきものを混入させ体調不良を引き起こさせた事件が今朝方ーー時間が分からないので正確ではないがーーあったが、もはや『色欲』がいなければそれほど恐怖はない。荒れたこの場所に彼らが来ることさえ予知していたというならば、それこそあり得ない。だからこそ、彼らは安心して紅茶を楽しんでいたわけだ。
「エル帝国のところは化け物を兵器で殺してしまおうという考えだったね。犠牲を払ってでも平和のためならば、それもやむ無し、と」
「……へぇ、よく分かっているじゃないか」
テーブルの下で足を組み、アダムに挑戦的な視線を向ける女性。そんな女性にアダムはラスから新たに足されたティーカップを受け取りながら続ける。
「エル帝国の言い分はもっともだと僕は思うよ。突如現れた化け物に蹂躙される前にトドメを刺すのは当然じゃない?早急な対応が求められているのに、化け物に襲われている者にまで本当に手が回ると思っているのかな?」
「嗚呼、その通りさ。帝国の兵器を使うのも並大抵のことが必要さ。住民の避難なんて、こっちだってやっている。報告を受けて準備している間に化け物はそれを嘲笑うように来るだろう?だったら、要らない者を餌にして足止めし、兵器を使えば良いじゃないか」
女性の言葉にアダムは表情を変えることはしなかった。女性は服装と襟の勲章からエル帝国に属していることは分かっているが、正確な所属は分からない。だが、アダムは女性の「要らない者」という台詞に彼女がおそらく此処だろうという所属を導き出していた。
エル帝国は兵器を使う暴力的な思考を持つ一方、犯罪者には容赦しないことでも知られる。エル帝国出身者でなくともエル帝国内で罪を犯せば、軽くて爪剥ぎや薬を使用する拷問刑、重くて処刑に処させれる。ちなみに処刑にはいくつか罪状によって種類があり、重罪人に課せられることが多いのは火炙りだ。エル帝国は国民には柔軟で温厚だが、そんな国民を害したり罪を犯した者には容赦がなく、犯罪者に声を荒げる権利はないという過激な思考だ。「エル帝国で犯罪者になったら、生きては帰れないと思え」生き残った国や地域で言われていることだ。それほどまでに彼の国は過激で暴力的だ。また犯罪者には声を荒げる権利はないが、罪を認めある条件を満たした者に限り実験台という名目で生きることを許される。しかしこれも実質上の処刑に近く、実験台となった犯罪者の八割は半年以内に精神を病み、処刑という廃棄処分にされる。なお、国民はそのことをなんにも不思議に思ってもいないし、普通のことと思っている節があるため、常識がどこまでも通じない。それが過激な思考を増長させ、孤立させていることをエル帝国が理解しているのかどうか。
閑話休題。
女性の発言からアダムは彼女が研究機関もしくは刑務所所属の軍人だと考えていた。それが当たっているかは女性に聞けばいい話だが、彼女はアダムが考え込んでいることなぞ知らん顔で、賛成してくれたことが嬉しいらしく嬉々として話している。
「他の国もさっさと兵器を導入し、殺戮すれば良いものの、がんじ絡めになっているから対策が追い付かない。ヴィセル王国もそうさ。王位継承者争いなんてのに気を取られるから、半分もの領地が化け物に奪われるんだ……紅茶、もらえるかい?」
「我が主ではない方の命令を聞く必要性はありません」
「おやおや」
なくなったティーカップを女性がラスに差し出すが、彼女は冷たく女性を突き放した。「お前は我が主じゃないんだから、自分で淹れれば」と云う意図にアダムは謝罪をすることもなく、そうだねと柔らかく笑うのみ。それに女性もしょうがないとティーポットに手を伸ばし、自ら紅茶を注ぐ。薄茶色の水飛沫が四方八方に跳ね散る様を見届けながら、女性は続ける。
「他の場所も実験をしているのは分かりきっているのだから、さっさとその成果を使えば良い。もし失敗したとしてもそれで化け物が消えれば良いし、消えなくとも倒せるだけ減らせれば成功と云えるだろうに」
「それでも、世界はこれ以上の被害を減らしたいんだ。犠牲を最小にしつつ、敵を葬る……だからこその殺し合いという神のご意向が尊ばれる」
「確かに」
紅茶を飲みながらアダムが言えば、女性は「同意だ」とティーポットを置き、笑う。その笑みは自分こそが正義であり正解であることを疑っていない、何処までも美しいものだった。
「そういえば、兵器はどんなものかな?話しに聞いたことしかなくて」
「まぁ、我が帝国は他国に兵器は貸し出しなんてしていないからねぇ」
カタリ、とソーサーにティーカップを置き、女性が獲物を狙うような瞳をアダムに向ける。アダムは値定めする、見極めようとする瞳にローズ色の瞳を返す。挑戦が支配する空間に女性のピリピリとした空気を吹き飛ばすほどの明るい口調で説明し始める。
「我が帝国が扱う兵器は主に三種類あってね。そのうちのひとつなら情報漏洩しても良いだろう……旧式型兵器は生命体を感じ取り、その場所へと生命体を殺戮するための光線及び体内から殺す即効性の毒を放出する。だがこれでは確実に全てを葬ることは出来ないからね。反省点を生かしたのが残り二種類と云ったところさ」
「へぇ……それも研究の成果を利用した?」
「嗚呼。共和国と共に研究を以前、共同としていたからね。その時の研究結果を使ったってこちらの勝手、批難される謂れはない」
女性の言葉にアダムは「あそこか」と紅茶を飲み、瞳を伏せた。共和国とは世界の端に位置する国だ。周辺の崩壊もしくは崩壊寸前になった国々を吸収して生まれた国で、正確な名前はなく通称で共和国と呼ばれる。
「(確か『怠惰』だっけか……)」
図らずとも、いや図っているのか、生き残った国々の住人が揃っていることに気付き、 アダムは小さく笑う。カタリと女性がティーカップをソーサーに置く音がいように大きく響いたその時、
「で、欲しい情報は手に入ったかい?」
静かな声が響いた。
『暴食』登場。
次回は来週です!




