第四十三ノ夢 愛って
「待ってください」
緊迫した空間に響き渡ったその声は何処か震えているようだった。声の主は、ずっと傍観を決め込んでいた管理者だった。管理者は対峙する彼らをヴェールの下から観察し、胸元にあの古びた本を抱き締めながらリーラとローズを見定める。今さら殺し合いに干渉するとでも言うのか?そう和夜は考えたが、管理者自身が「干渉せずとも殺し合え」的なことを言っていた事を思い出し、違うと軽くかぶりを振った。すると、管理者の視線は和夜達三人から完全に外れた。
「君たちが殺し合いで死ぬ……いえ、安らかな死は訪れません」
「はぁ?なに言ってんの?オマエだろぉ?殺し合えって言ったのは!」
ローズの腰を掴み、彼女を守るように自らの方へ引き寄せながらリーラが言う。リーラの瞳には管理者への殺意が宿り、水面が彼の怒りを露にするように輝いている。憤慨するリーラとは裏腹にローズは何処か怯えたような歓喜するような、複雑な表情を浮かべてリーラの胸元に頬擦りをしている。
「ええ、ですが、君たちは、『色欲』は規則を犯した。神の仮領域であるこの場に化け物を侵入させ、殺し合い以外で死を与えようとした」
広間でリーラに冤罪を着せられたあの時が和夜の脳裏に甦る。そういえば、管理者は此処へ来る時もそんなことを言っていた。それほどまでに儀式が大事か。哀れ、それこそお人形さんではないか。隣で困惑の表情を浮かべ、しまいには和夜の服を掴んでしまったフジに和夜の視線が動く。突然の状況に驚いているようだが、それは怯えとも違っている。明石は分かっていたというような、憤慨するのを押さえているようなよく分からない表情で唇を噛み締めている。所詮、神は俺達の命をなんとも思っていないし簡単に殺す。心の底でどす黒いなにかが沸き上がったのは殺意でしかない。
「またあり得ない状況で毒ーー恐らく気化した水銀を食事に振りかけ、殺し合い以外で殺そうとした……神々が望む儀式を害そうとした。これは歴とした罪です。よって、『色欲』リーラ・トイズ・ローズ、君には此処で処罰として死んでもらいます」
リーラを指差し、管理者が声高らかに彼に言い放つ。まるで有罪を突きつけるように、ギロチンに繋がれた細い縄を切れと処刑人に命令するように。
「君は悪神・『色欲』と意識が同化していた。それはある意味悲劇とも言えるでしょう。だからこそ、殺し合いの終了を早めようとした。そこは同情でもしましょう。ですが、処罰は処罰です」
「……なに言ってるかさっぱりなんだけどぉ?」
管理者の淡々とした物言いにリーラが紅い螺旋を描く右腕を懸命に動かし、頭をかく。左半分を覆う蠍が管理者を睨むように歪んだ。
「オマエは結局オレらを殺したいだけだろぉ。大義名分っていうカミサマのお言葉でさぁ?」
「……そう、ですが、ですがこれは決定じっ」
「嗚呼、なんだっけぇ?オレの故郷でもそんな話あったなぁ」
管理者の否定と決定事項である自由に生きる権利の否定を遮り、リーラはクスクスと微笑む。美丈夫な彼が優しく微笑めば、もし此処に多くの生娘がいたならば全員が顔を真っ赤に染め失神してしまうだろう。それほどまでに彼の笑みは美しく繊細であり、毒を孕んでいた。
「『神託によって人々を断罪した聖女』。神託だからって罪もない人々を断罪し処刑した、神の名を借りた偽善者。神託なんてなかったのに。なぁ、知ってる?本当にカミサマがいるかなんて関係ない。オレらが此処で殺し合えって言われてローズとの愛を願ったのは何故だと思う?なぁ、ただオレらは自らの意志で殺し合ってんだよぉ。水銀?処罰?同化?どれも関係ない!オレはただローズとひとつになっただけ、それ以下でもそれ以上でもない」
愛おしそうにローズの髪に口付けをリーラが落とせば、その妖艶な雰囲気に当てられたのかフジが和夜の背後に隠れる。フジの様子を和夜はさほど気にすることもなく、明石を見た。明石も和夜が言いたいことが分かっているようで彼を見上げてくる。二人の視線が合致すればそれは、強固な絆。そう、リーラの言うことは至極単純であり真実だ。ただ自分達は死にたくないから殺し合いをしているだけ。管理者が言った権利を奪うために。その副産物がロイの不老不死実験やラディアの欲深さだっただけで、誰もが悪神のように動いていた。己の欲のために。それこそ悪神にとりつかれた宿り主だ。嗚呼、それが真の愛だとでも云うのか。和夜はフッと自らを、ひいては自分達の命のために殺した二人を思い自嘲した。誰にも分かるはずがない、この苦痛も管理者への苦悩も。ただただ吐き出し殺し合い、生きたいだけ。ただそれだけで自分達は神への、ひいては世界への生け贄とされた。その怒りは全て『憤怒』であるアダムの悲願、「化け物を殲滅させる」という未来に表されているように和夜には思えた。
管理者はリーラの言い分にヴェールを鬱陶しげに揺らした。「そんなこと知ったことか」と軽蔑しているような、謝罪を込めた複雑な真っ黒な色が相反する白いヴェールの中から現れる。その色は確かに決意を決めていた。
「それでも、此処は神聖な儀式の場。その神聖な場を汚し、唯一無二のルールを破った。君たちには処罰しかあり得ないんですよ」
「っはぁ、面倒くさぁ。でも、オマエにオレのローズは殺させない。代わりに死んでくれ」
リーラの殺意が管理者を貫く。管理者が彼から放たれる、和夜達が経験していたであろう恐怖に思わず一歩後方に足が引いてしまう。自分を処罰すると言っておきながらその怯え様にリーラは管理者を鼻で笑った。
「ハハッ?管理者と名乗るわりには怖がってるなんて、結構腰抜けだなぁ?なぁ、カミサマのお人形さん?」
ケラケラと笑いながらローズの腰から手を離し、ナイフを持ち直すリーラ。そんな彼から漏れる色気と殺気が混ざった異様なオーラが水に支配されたこの場に反響し、同じように支配していく。どうやらリーラは先に管理者を始末するようだ。もし仮に管理者を殺した場合はどうなるのか、興味がないわけではないが逃げられるはずもない。確かに管理者はリーラの見立て通り、戦いに慣れていないように見えるが、明石が前と云うように何度も経験はしているはずだ。その証拠に一歩足が引かれたあとは微動だにせずにリーラとローズを見ている、これが最終宣告だと云うように。もう退きはしない。断罪の時を返すと云うように。
「(……変だ)」
一触即発な状況に和夜は些か違和感を持つ。何故、何故嗚呼もリーラが管理者に事実でありルールを破ったからと理由で断罪されようとしているのに、ローズは彼の胸元に顔を伏せたまま動かない?もしや新たな作戦かとも考えたが、多分違う。リーラを愛したがゆえに同化まで果たしてしまったローズが愛しい人が断罪されているにも関わらず、なにもしないなんてあり得るのか?意識が同化しているならば、リーラの怒りはローズのもの。なのに彼女は動かない。云うならば、糸が切れてしまった操り人形のよう。そこで和夜はハッとし、もう一度二人の足元を見た。水面は揺れていなかった、リーラのところだけ。嗚呼、つまり。誰かが扉をこじ開けるように水面が大きく揺れる。それはきっと、誰かの『色欲』で。和夜が明石の肩を優しく叩くと明石は「なに?」と和夜を見上げる。和夜がリーラとローズを顎で指し示せば、明石は「えっ」と異変に気づき驚く。明石の態度で和夜は察した。嗚呼、やっぱり。でも、自分にそれを止める権利なんてあるのか?
「ーーねぇ、リーラ」
ようやっとローズがリーラの胸元から顔をあげた。顔を胸元に擦り付けるように押し付けていたせいか、頬は仄かに上気し恋する乙女そのものだ。瞳は火照ったように潤み、今にもとろけて落ちてきそうだ。ベビーピンクの髪は可憐な華の如く咲き誇っている。恋い焦がれて我慢が効かなくなった、悦に入る表情にリーラが愛おしげに微笑み、「ローズ」と名を呼ぼうと口を開く。だが、彼の口からローズという言葉が出ることはなかった。何故なら、
「っ……あ……?」
「愛してるわリーラ」
左胸に水で作られた鋭いナイフが突き刺さっていたのだから。水のナイフはローズが力をいれると優しくリーラの左胸に吸い込まれていく。そのたびに彼の口からは血が溢れ、ライラックの瞳は意味が分からないと、大きく見開かれている。まさかのことにフジが飛び出そうとすれば、それを和夜が腕を掴んで止める。止めた時、フジの口から小さく「華姫様……」とフジが知っているはずもない単語が聞こえた気がしたが、今はそんな場合ではないと和夜はかぶりを振って追い出す。するとローズは混乱するリーラの頬を左手で包む。
「な、なにを……」
「なにを?可笑しなことを云うのね管理者さんは」
紅く指先が濡れた左手でローズがリーラの頬をなぞれば、左頬に紅い一線が刻まれる。管理者の困惑に震える声にローズは左腕でリーラの後頭部を掴み、自らの肩に頭を埋めさせる。そして、極限まで見開かれた瞳で管理者を睨んだ。
「私はリーラを愛しているの。そんな彼を誰とも知らない管理者に殺されるくらいなら私が殺して、いたいけな神に逆らいましょう……彼は誰にも渡さない」
「同化していれば……何故……?」
愛しい愛しい人、貴方は何処にも行かないで。
ローズの熱烈で強烈で何処か歪んだ告白に管理者は目を丸くし、和夜と明石は息を飲み、フジは呆然とし、リーラは顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。
「確かに私と同化していればずっと一緒。でも、それじゃあリーラに触れられないし触れてもらえないでしょ?こうして、愛することも愛し合うことも出来ないわ。悪神は、そういうモノだもの。だから、だから、悪者を滅しようとする奴らから逆らうのよ。だから、私達が殺すの」
ローズが同化を解除した理由はただそれだけだった。同化した結果がどうなるのか和夜は分からないが、ローズの言い分から考えるに二人で悪神・『色欲』となるのだろう。そうなれば、今回のような珍しいことが起きない限り、愛し合う二人は二度と会うことはない。ローズにとってそれは耐えがたいもの。なら、同化を解除して処罰されるより先に……ということだろう。静かすぎたローズの感情はリーラへの愛情。ようやっと彼女の静かな怒りに和夜は納得し、震えた、恐怖で。
リーラはローズの告白に嬉しそうに瞳を細めると手持ちぶさたになっていた左手のナイフを躊躇することなく、ローズの左胸に突き刺した。突然のことに管理者が動こうとしたが、それよりも早く、リーラは青白くなっていく唇をローズの紅く染まった唇に押し付けた。悪神故にすぐには死なないらしいローズに口付けし、リーラはライラックの瞳を細めた。
「オレも、だ……ローズ……」
そう告げて、彼は瞳を閉じ、ローズの肩に寄りかかるようにして倒れ込んだ。すでに立っているのも限界なのだろう。もしくは右腕と左胸への攻撃と大量出血で息絶えたか。ローズは肩に顔を埋めるリーラを愛おしげに眺め、悪態をつきながらもこちらに駆け出す管理者を嘲笑う。どんなに手を伸ばしても届くはずはない。その事実はまるで和夜の悪夢を抉ってくるようで。嗚呼、だからこそあんなにもリーラは安らかな表情なのだろう。彼らが望んだ結末で、幸せなのだろう。
「……神サマだって処罰出来ない」
明石がポツリと呟けば、和夜は同意を示して頷いた。だって、殺し合いで死んだのだから。和夜と明石、フジの攻撃が致命傷を与え、ローズという人物が命を奪った。これが神のいう殺し合いでなくてなんと云う。我知らず、和夜の手は明石を労るように肩を叩いていた。明石も和夜の言いたいことが分かっているからこそ、その手を払うことはなかった。バシャンッと水が弾ける音がする。その音は管理者が走る音でもあって、ローズがリーラと共に膝をついた音でもあった。
「嗚呼……愛してるわ!」
ーーバシャンッ……静かに、そう静かにそれでいて空間に響き渡るように響く音。水に紅い色が混ざり、管理者の手は懺悔するように項垂れる。断罪ではなく、救いでもない、伸ばされた手は混ざり合う足元の色に飲まれていく。管理者の懺悔にも似た苦痛さえ、嘲笑う。管理者が見下ろす二人の、愛しそうに左手を絡め同じ紅い華を咲かせた亡骸を天国に導く、尊い神々しい光のように仄かなベビーブルーとベビーピンクの光が包み込んでいた。だが、その姿は管理者が影になって和夜達三人には見えなかった。いや、見えないふりをした。
『傲慢』『嫉妬』『**』『**』『**』『暴食』『憤怒』
残り四人
二人にとっての愛はこうだった。そういう選択もあります多分。この二人にとってはハッピーエンドでしょうが、管理者は違う。
次回は来週です!




