第三十五ノ夢 騒然騒動は決まって
「はぁ?」
扉を開けた瞬間、和夜はあまりのことに呆気に取られ、すっとんきょうな声を上げてしまった。自分達がいるのは部屋が集中した生活区域。なのだが、そこは悲惨な状況となっていた。中心の軸になっている太い柱には何本もの鋭い切り傷が入り、床や天井にまで抉ったような跡が続いている。部屋の扉、二部屋ほど同じように切り刻まれており、周囲には扉の残骸が散乱している。残骸から見るに恐らく熊と狐のようだが、よくわからない。まるで嵐が通り過ぎたかのような惨劇に和夜は後ろにいる二人に声をかけるのも忘れて、一歩足を踏み出した。すると足元に僅かな段差があることに気がついた。部屋の前に段差があるはずがない。和夜が足元を一瞥するとそこにも抉ったような跡があった。どうやらまだ殺し合いで死んでいない犠牲の部屋は不思議な力で守られているようで、無傷のようだ。嗚呼、だからあの二部屋は扉が破壊されていたのかと和夜が納得しているとーーガチャン。
「!?」
なにかを踏みつける音がした。咄嗟に我に返り、和夜は刀の柄を握る。音がした方向を探るべく音に意識を集中する。なにが起きたか分からない現状で警戒心を発しながら周囲を見渡す。すると、再びガチャンと音がした。今度は近く。それも、和夜の左側から。抜刀するつもりで和夜は左を振り返る。和夜と明石が使っている部屋の左隣は『怠惰』であったロイの部屋だ。研究室のために部屋を改造しただけあって、薬品で爆発しないか些か不安に思っているわけだが、今は気にしている場合ではない。半分以上破壊され、見るも無惨な姿になった扉の向こう側、まるで顔を覗かせるようにして口元を真っ赤に染め上げた馬がいた。いや、馬ではない。強靭な刃を生やし、下半身が蜘蛛となった世にも恐ろしい化け物だった。化け物の登場に和夜は息を飲んだ。驚愕と混乱と、そして脳裏にちらついた悪夢の恐怖に体が拒否反応を起こす。
「(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!!)」
胃から逆流してきそうになるなにかを口元を抑え、懸命に堪えながら和夜は自らを叱責する。化け物の口についているのは血じゃない。恐らく、ロイの実験用品のなにか。実験のコレクションには紅い液体のものも含まれていた。だから、違う。逆流してきそうなものを押し殺し、うるさい心臓を落ち着かせ冷静になると途端に疑問が沸いてくる。何処から化け物が現れた?ロイの時も、図書室の時もそうだった。突然化け物が現れた。確かに化け物は突然現れるものだが、神聖(笑)な儀式というのに化け物が現れるのは矛盾していないか?明らかに可笑しい。そこまで瞬時に考えて和夜はもう一度化け物を見る。他に化け物の気配はないが、他にいないとも限らない。と、化け物の殺気が和夜に向いた。額部分に縦に三つ並んだ瞳が一斉に和夜を見つめ、不気味な音を立てながら破壊された部屋から出てくる。このまま戦っても良いが、他にいないとも限らずまた部屋に明石とフジがいるのに戦うのも部が悪い。どうする?和夜が熟考している間にも化け物は一歩また一歩と部屋から姿を現している。
「和夜どうかし」
「!出るな明石!」
和夜の背後から顔を出した明石に化け物の殺気が矛先を変えた。瞬時に気づいた和夜は抉られた床を蹴り、背後を振り返ると明石を抱き抱えるようにして隠し、部屋に飛び込んだ。明石なら和夜の指示にすぐに反応し行動してくれることも分かっていたが、体が先に動いていた。二人が部屋に飛び込んだ瞬間、数秒前まで和夜がいた場所を鋭いナイフのように尖った爪が切り裂く。空間を切ったと言わんばかりにグアンと空気が揺れ、鼓膜を破壊しようと超音波が襲い来る。和夜は明石を抱き抱えたまま部屋の中で体勢を整えると驚愕するフジの手を取って扉から一気に距離を取る。そして、自分の肩に明石の頭を埋めるように置いていた自らの手を外す。「ぷはっ」と少し紅くなった頬で明石が顔をあげる。力強く抱き締めすぎたらしいが、明石が無事で和夜はホッと胸を撫で下ろした。
「っびっくりしたぁ」
「悪い明石。でも」
「うん、さっきのはボクが悪いね。ありがと和夜」
にっこりと大丈夫と笑う明石に和夜の脳裏でちらついた悪夢が消えていく。和夜も笑い返し、フジも含めて扉の方を振り返れば、ブンブンッ!となにかを振るう音が聞こえてくる。
「一体どういう?」
「わからん。だが、突然化け物がいた」
「此処……入れるっけ?」
フジのもっとな疑問は誰にも分からない。だって、突然のことだったから。もしかすると、フジが直前に見たという棺の女性が関係している可能性もなきにしもあらずだが、確認していないので真相は分からない。
「籠城するにも食糧ないし、万事休すしかないじゃん!」
「私の、部屋……」
「行けないからね!?この状況じゃあ!」
フジの何処か抜けた提案に明石が扇をパシンッと閉じて勢いよくフジに噛みつく。明石の食って掛かる物言いにフジは文句を言いたそうだったが、明石の云うことが合っていると分かっているらしく、刀の柄を両手で握る。その間にも先程の化け物が近づいてきているらしく、刃物を振るう音がする。部屋の主が死んでいない部屋は先程和夜が見た不思議な力で守られているのだろうが、それも確実とは到底言えない。かくなる上は……
「突破するか」
「何処まで突破するの?和夜」
「とりあえず目視出来る化け物が倒せそうな場所までだな。生活区域だと、被害がどうあっても出る」
「あー……確かに」
扉を開けて見えた部分だけでもわかる惨劇に明石が肩を竦める。此処から化け物が倒せそうな広い場所までは近いし、なんなら生活区域の先、廊下で戦ったって良い。此処の廊下は結構広めだ。だからこそラディアの狐も通れたとも言う。とりあえず、そういうことで結論がついた。三人で顔を見合せ、頷き合いタイミングを見計らう。化け物の殺気と空を切る音が近づいてくる。だが、次の瞬間、空を切る音が突然止んだ。化け物が勝手に消滅するはずもない。なにか起きた?和夜は明石とフジを振り返り、なにか起きたことを示すと二人も同意見らしく、三人は揃って扉から顔だけを出した。和夜、明石、フジの順に顔を出せば、トーテムポールみたいになる。三人が覗いた先に化け物はいた。いたが、和夜達よりも気になる存在がいるらしく殺気と視線はそちらに釘付けになっている。そこには化け物と対峙したアダムとラスがいた。
「いつの間に……?」
「ボクらと同じで部屋にいたんじゃないかな……ねぇ和夜」
フジの疑問にさっさと答え、明石が和夜に声をかける。多分、和夜と明石が考えていることは同じだろう。その証拠に明石が和夜を見上げることはない。和夜の視線の下で明石の白緑色の髪を束ねるバレッタが踊った。
「あの子ら、使おっか」
淡々と、そう淡々と告げられた言葉にフジが息を飲んだ。まるで「殺さないで」と言わんばかりに。フジのその様子に和夜はフジに『憤怒』であるアダムから共犯を持ちかけられていたことを話していなかったと思い立ったが、後の祭りだ。しかも明石は「使う」と言っただけで共犯のことは言っていないし、それにアダムは恐らく三人の関係も知っていて保留なのだ。だからこそ、互いの理念に則って使わせてもらう。
アダムは言っていた。「化け物を殲滅させる」と。和夜と同じように化け物を憎み忌み嫌うアダムという、全てを見据えているかのような不思議な少年とその従者。殲滅させると断言しているくらいだ。儀式という不思議な空間に突如現れた化け物でさえ逃しはしないだろう、目の前にいる限り。そしてそれは和夜達も同じこと。生きているからには、生きるからには利用させてもらう。
真剣な、何処までも見通すように蜂蜜色の瞳を細め、和夜は云う。
「嗚呼、 そうしよう。アダムが化け物に攻撃したらすぐに行こう」
「りょーかい!」
「えと、あ……うん」
アダムとラスを利用することに心が痛むのか、単純に共犯について言っていなかったことが不足なのか、フジの口調は歯切れが悪い。だが、今は和夜と共犯だからとでも云うのか、すぐに機嫌はよくなる。何処までも子供らしくて無邪気なフジを横目に和夜は一瞬、過去を思い出しかけ……やめた。なんだか、今思い出す場合ではないが、思い出してもいけない気がした。心中に渦巻いた違和感さえも。邪念を振り払い、アダムとラスを見ると、アダムは此処からでも分かるほど狂喜に顔を歪ませた笑みを作っており、まるで『暴食』の女性を連想させる。服装が黒を基調としているせいか、狂喜的な笑みと合わさって悪魔に見える。一方ラスはいつもの無表情で前で両手をお行儀よく揃えている。和夜は痛んでいたはずの左足を軽く振るう。痛みはもはやない。それにやっぱりと苦笑が漏れるのは、もう決まってしまったからだろうか。
「ラぁース、殺って」
「はい、我が主」
ユラリとラスがアダムの声に応じて右腕を広げる。まるで翼のように広げられた右腕は白い手袋に覆われていて、雪のようだ。と、次の瞬間、化け物が悲鳴を上げた。蜘蛛の足になった下半身が半分消失していた。一瞬の出来事でなにがなんだか分からなかったが、どうやらラスが右腕から武器を放出し、化け物の足を切り裂いたようだ。袖口か手袋に武器を隠してあったのか。だとしてもどうやって放出したのか気になるが、今はそれどころではない。痛みにもがく化け物にアダムが「ハハハッ!」と心底愉しそうに笑いながら跳躍し、ラスもそれにメイド服の裾をチョコンと優雅に摘まんで続く。化け物の視線が完全にアダムとラスを捉えた。
「今だ」
和夜の掛け声と共に一斉に、生活区域の出入りである道の一つ、広間へ向かう道へと駆ける。走り出したフジの背を明石が急かして押す。その道にも化け物が刻んだ痕がそこらかしこに残っており、彼らの行く手を塞いでいる。他にも化け物がいることが確定した。何処から現れるか分からない化け物に警戒を向けながら和夜達は生活区域を横切り、広間の方へ向かった。走っている時、チラリと和夜が背後を振り返るとアダムと目が合ったーー気がした。
「……さて、今回はどんな罪が繰り広げられるのかなぁ?ねぇ、ラス?」
「……さぁ、どうでしょうね、アダム?」
次回は来週となります!三月も終わりますねぇ……早いわぁ……




