第三十一ノ夢 言葉を遮って
無言。いや、異様なほどの威圧感と警戒心、そして嫌悪感。まるで毒のように空間中に散布された負の感情、徐々に体を蝕んでいく不気味な感覚が、支配される感覚が毒でなければなんだというのだろうか。それら全ての狂気が自分に向けられているわけではないはずなのに、和夜は首筋に刃を当てられたような危機感を抱く。自分の目の前に『暴食』と『色欲』がまるで寄り添うように立っているからだろうか。『色欲』の隣を陣取る棺の中、小柄な少女ともいうべき女性が今にも動き出して来そうなほどに繊細な姿をしているからだろうか。二人の瞳が疑心暗鬼と狂喜、偽りに染まっているからだろうか。もはや、この空間さえが正しいと和夜の脳が誤作動を起こしてしまいそうになるほど、殺伐としていた。
ーーその理由は、数十分前にまで遡る……
ラディアがフジに殺されて何日かそれとも何時間か。左足の微かな痛みに顔をしかめながら和夜は明石とフジと共に広間に赴いていた。悪神と契約している代償か、傷の治りが結構早く、それほど早く儀式という殺し合いを制しろと言っているようで和夜は苦笑を漏らしたのは、フジが容赦なくラディアにトドメを刺した時だった。そして、和夜は『傲慢』と結託することを正式に決めた。同じ武器を使っているから、という安易な理由からではなく、違和感をフジに持っていたからという理由の方が和夜には大きかった。その違和感を和夜は明らかにしたいとも思ったし、なにより、明石といる時と同じように安心できたことも大きかった。明石は「和夜の好きにしたら良いよ」と背中を押してくれ、フジは結託が嬉しいのか、和夜が結託のけの字を言った途端に淡々とした口調を殴り捨てて喜ぶほどだった。そんなにまで一人が心細かったのか、それとも『嫉妬』が欲しかったのか。暗闇を怖れていることから和夜は前者ではないかと考えている。ということはアダムの提案を蹴ると云うことだ。だが、あのアダムのことだ。なんとなく、『強欲』がいなくなり『傲慢』が和夜と明石の近くにいることから全てを察してくれそうでもある。アダムは、『憤怒』は和夜にとって警戒すべき相手であり、いまだに味方だと信じたい相手だ。明石のアダムを語る口調からあまり彼と彼に付き従うラスを敵に回すべきではない。それは、エル帝国出身であろう『暴食』の女性も同じ事。棺を愛でていた『色欲』の男性はよく分からないが、警戒するに越したことはない。
和夜はテーブルの下でピンッと左足を伸ばしたついでに走った微かな痛みに顔を小さく歪める。和夜の異変に気づいたフジが心配そうな気配を醸し出しながら食事の手を止める。広間にて和夜達は普段通り食事を摂っていた。和夜は和食、明石は甘ったるい匂いが漂うパンケーキ、そしてフジは肉じゃがを中心にした定食だ。種類と言うか内容的には和夜とフジは同じように見えるが、和夜はどちらかというと鮭、フジはお袋の味代表と言った感じだ。フジは相変わらず、結託となってもフードを外すことはなかった。偽名を本名に直すこともしなかった。性別も多分女性ということしか声からは分からず、これも正確なーーフジから申告された情報ではない。恐らく、知られたくないことがあるのだろうと和夜も明石も気にしていなかったが、何処か心の中では敵だと思われている気がして和夜は少し悲しかった。そんなことや色々考えていたら足を伸ばしてしまい、痛みを感じてしまったわけだが。自業自得だ。ちなみに和夜と明石は隣同士、フジは二人の向かい側に座っている。
「和、大丈夫……?」
「大方色々考えすぎて、でしょーんーおいしぃー」
「明石、的確な正解ありがと」
心配するフジを横目に頬を乙女のように染めて明石がクリームたっぷりのパンケーキを頬張れば、フジの鋭い眼差しが飛ぶ。フジが立ち上がり今にも明石を殴りそうな気迫というか気配に、和夜は苦笑を交えながらフジを座らせる。フジに大丈夫だと笑えば、フジは少々納得がいっていない様子で箸を持つ。フジは分かりやすいほど明石を目の敵にしている。けれど、殺し合いに関しては敵と味方をきちんと選別しているため、原因がわからず些か気味が悪い。和夜ははぁと軽く息を吐くとお椀を手に取った。味噌汁の良い匂いが落ち着かない和夜の心中を察してか落ち着かせてくれる。ズズッと一気に茶色の液体と四角にカットされた豆腐を胃に流し込む。喉を仄かに暖かい感覚が通り抜けていく。殺し合いがない、その一瞬だけでとても安心できた。
「(まぁ、ラディアは例外か)」
冤罪をかけて自らの派閥に加えようと喧嘩を売ってきたラディアに関しては、なんとなく殺し合いを経て広間で強硬に及んだ理由がわかる気がする。和夜はもう此処にはいない二人を敵でありながらも考え、味噌汁を啜った。
三人が食事を終えた頃。明石がフジが残していた漬物に目をつけ身を乗り出して貰おうとすれば、フジはパンケーキに漬物という明石の奇妙な組み合わせに驚愕したらしく、無言で漬物が入った器を渡す。少しだけぎこちないやり取りに和夜が笑みを溢したちょうどその時、ヌルッとした濁ったような匂いというか気配がした。言い様がない匂い、けれど臭くはない。頑張って表せば、甘い匂いと甘い匂いにちょっとの辛さをスパイスとして入れたような……とにかく形容し難い匂いという気配に漬物を食べようとしていた明石も呆れていたフジも首を傾げる。
「ねぇ、ちょっと、良いぃ?」
間延びした、ゆったりとしつつも何処か粘着質な声色。ガキガキとなにを擦り付け、刻む微かな音。それら二つの音を持つのは広間にいる中でひとりしか思い当たらない。睨めあげるように和夜が声と音がした方を向けば、そこにいたのは美丈夫と称されるほど美形の男性で。だが男性の顔の左半分を覆う蠍の痣が彼の美しさに影を落としている。影を落とされた男性の美貌は美から妖艶と進化し、独特の色気を醸し出している。蠍の証こそ、彼を表す悪神の所業。そして、彼が愛おしむガラス張りの棺には少女と言えるほどの年頃の女性がちょこんとまるで人形のように収まり、扉が開くのを待っている。胸の前で組まれた小さな両手は殺し合いを与えた神サマに哀れな子羊としての祈りを捧げているかのように、何処か神聖で憐れが募った。突然の『色欲』の登場に和夜は愚か明石とフジも警戒を強める。広間には案の定、アダムやラス、『暴食』もいるが、何故こっちに?
「ありがとぉ」
「は?」
「オマエ……キミらでしょお?あのうざったい女始末してくれたの」
美丈夫の口から語られる絶え間ない殺気と、酒気を帯びているような、聞く者全てを魅了するような声にラディアを討った本人であるフジが背筋を伸ばす。フジの様子に男性はにっこりと大きな蠍の痣というよりも模様を歪めて笑う。
「冤罪かけられるとかぁ?堪ったもんじゃなかったし、ねぇローズ」
「……悪意は、ダメ」
男性はフジの、自分と同じ被害者という立場に笑みを浮かべると傍らの棺を撫でる。なんのためにこちらに接触してきたのか、和夜は分からず、視線で明石を探った。和夜の気配に気づいた明石は、「わかんない」と小さく肩を竦める。その様子を視界に納め、和夜は手元にあった水が入ったコップを一気に飲み干して前振りとする。カツンと音をわざと立てて、さも「よくも邪魔してくれたな?」と悪態をつくかの如く、男性に言う。
「で、なに用だ?」
「嗚呼!ごめんねぇ邪魔しちゃって」
明らかに邪魔したと思ってもいない口調である。
「『暴食』片付けるの手伝って欲しいなーって」
「?!はぁ?!フツー目の前にいるのに言う?!キミおかしいんじゃないの?!」
極々当たり前だと言わんばかりに男性は言いながら空いていたフジの隣の席に座る。此処には『暴食』もいて食事後のティータイムを過ごしているというのに、この男性には緊張感も警戒心もないのか。それとも、そういう作戦なのか?チラリと和夜はおっかなびっくりで『暴食』の女性を覗き見る。すると彼女は真っ赤な瞳のなかに爛々とした狂喜を孕ませながら、紅茶が入ったカップを口元に添えていた。明らかにこちらの話に注目しつつも、今すぐに殺し合いをする気はないらしい。少しだけ、彼女に感謝の念を送っていく。男性は和夜と明石の多少の危機感を抱いている様子を気にも止めず、フジへ身を寄せるようにして話す。もちろん、その間も傍らの棺を手放すことはしない。
「だって『強欲』と手ぇ組んで、さっさと手ぇ離した奴でしょ?先に殺っとかなくちゃぁ……ねぇ。そうでしょ、ローズ」
「……和の、敵、いらない……?」
「貴方は貴方で変な解釈しようとすんな」
なにやら男性と意見というか、同じなにかを感じ取ったらしく、フジがフンッと鼻息荒く言えば、すかさず和夜が釘を刺す。本当に『色欲』はなにしに来たんだ?和夜が怪訝そうに男性を睨んだ、その時、
「そう、それを遮ってまで、欲しいんだよなぁ」
ポツリと男性が呟いた。けれどその呟きは次に起きた現象によって掻き消されてしまった。ガシャン!と響き渡った甲高い音。その音の出所は片や和夜の近く、片や和夜から離れた場所。和夜の目の前では男性を含む三人がテーブルに苦痛の表情で突っ伏していた。苦しそうに痙攣し、吐き気を催すのか口元を押さえ。和夜がアダムと女性の方を見れば、彼らもラスを除いて同じように腹を押さえ苦悶の表情を浮かべている。和夜とラスーー恐らくラスは食事をしていないからだろうーーだけがなにも起きていない異様な光景。突然、なにが起きたというのか。和夜もどうすれば良いのか困惑し、明石に戸惑い気味に手を伸ばし背中を擦る。
「め、明石……大丈夫か?」
「……わか、んない……体が、蝕ま、れて……」
明石の震える手が和夜の袖を掴む。体が蝕まれている。なるほど、明石の表現は包帯で遮られている分、的確だ。つまり、突如として体に異変が起きたと云うことになる。その時、鈍い音を立てて男性が棺にすがりつくようにして椅子から転げ落ちた。額から垂れる汗が彼の妖艶さに拍車をかける。額から垂れた汗が棺にまるで涙のように流れる。ガチャン!と音を立てて『暴食』の女性が皿を床に撒き散らしながら立ち上がる。その足取りは何処か覚束ない。彼女の獣を宿す目はこの状況を引き起こした張本人を殺さんばかりに探している。一体全体誰が……
「……嗚呼……やっぱり……毒を盛ったのはぁ……オマエか」
毒、その言葉に和夜の脳裏にアダムとの邂逅時言われた言葉が踊るように立ち上がった。
新しい話です!次回は来週です!




