第二ノ夢 通達
二人が宿泊する宿屋は『朝日を望む亭』と呼ばれている。その宿屋の一階を占める食堂はメニューのバリエーションが豊富であり、料理を楽しむだけでも最高のおもてなしだ。もっとも此処は何度も言うがホテルではなく冒険者や旅人、または所持金が少ない駆け出しの商人向けの宿屋である。食堂は朝から賑わっており、中には昨夜から飲んだくれていたのだろう者達もいる。
「……よく朝から食べられるな……」
そう和夜は味噌汁が入ったお椀を手に呟いた。目の前にはこれでもかと言うほどのクリームやアイス、チョコレートが乗ったパンケーキを美味しそうに頬張る明石がいる。まるでデザートのような容量のパンケーキに和夜が苦言とでも言おうか、呟きを漏らせば明石は和夜が食べたくて言ったと思ったらしく、パンケーキの欠片をフォークに差し、彼の前に差し出した。それを和夜は「いい」と遠慮し、味噌汁を啜る。ほんのりと暖かい、母親を思い出させる味付けがされているのは宿屋の女将が成せる技の一つだろう。
「そう言うなら和夜もでしょ?飽きない?毎朝和食って」
「俺のルーティンだからな」
モグモグと頬についたクリームを指先で拭い食べる明石に和夜はそう答え、焼き鮭に箸を入れる。それに明石も納得したのかパンケーキを頬張る。ちなみに和夜が焼き鮭定食、明石がクリームパンケーキセットである。テーブルの上で色々違う料理が面と向かって対面しているにも関わらず、上手い具合に調和しているのは二人の長年の付き合いが影響しているのだろう。
「このあとどうする?」
「食糧とか、日用品調達しよう。売れるものは売らないとな」
「ボク、リンゴ欲しい!」
「あったら買おう」
やったー!と嬉そうに微笑む明石に和夜も嬉しくなり微笑む。が、二人がつく席に宿屋の従業員が近づいているのを横目に捉えてしまい、和夜はため息を付きながら箸を置いた。彼が苛立っているなど露知らず、従業員は二人の前に来ると礼儀正しいお辞儀をしたあと、淡々とした口調で言った。
「碧藤様、今朝方お手紙が届きました。こちらに置いておきます」
「ありがとー!」
ため息をついたまま、苛立ったかのように顔を上げない和夜の代わりに明石が礼を言い、手紙を受け取る。長方形の薄緑色の便箋で手触りは少しザラザラしている。明石がなにげなく手紙を裏返せば、中央に大きく紅いインクで藤の華が刻印されている。明石は目元に包帯をまいているためその刻印は見えないが、なんとなく他の五感ならぬ四感で分かる。明石は顔を上げない和夜の頭をペシッと手紙で叩くと俯く彼の目の前に刻印を見えるように差し出す。のろのろと何処か投げやりな、緩慢な動作で和夜は手紙を受け取る。そして刻印を見て「はぁあ」と苛立ったような呆れたような声を吐き出した。
「何度来たって俺は戻らないし行かないって言ってるのに……紅藤は……」
「しょうがないじゃん。和夜、碧藤の唯一の血族だし」
めんどくさそうな表情の和夜とは裏腹に明石はケラケラと笑ってパンケーキを頬張った。
和夜は大和国と呼ばれる国の、結構高貴な生まれである。『四華武』と呼ばれる武芸ーー戦いを主とする一族の菊・桜・梅・藤のうちの藤を司る一族だ。当主は亡くなった父親だったが、化け物で親族含め碧藤家は和夜を残して全滅。惨殺の中からかろうじて生き残った次期当主・和夜も幼いということと精神的ショックが大きいという理由により、碧藤家及び藤を担うのは困難と判断され、碧藤家は事実上の断絶。だが分家もなかったため藤は新人を雇うこととなり、その後任が和夜に催促を繰り返す紅藤家である。碧藤家当主が受け継ぐ着物と家宝は和夜が引き継いだが、役割は全て紅藤家に移行。事実上、和夜は次期当主の座を明け渡したと云うことでもあり、既に約十年が経過している。
「和夜、そろそろ当主の座を貰えるようになる年齢でしょ?だからじゃない?」
「他の三家に見栄張りたいってか」
グシャッと手紙を和夜は忌々しげに握り潰した。確かに一族が化け物に皆殺しにされなければ碧藤家長子である和夜が意志の確認の末、当主となっていた。『四華武』は戦争が多く勃発していた時代、当主が戦死し不在となるのを防ぐため、齢十九から二十の間に当主を決定し公表する。ちなみに武芸は一族ごとに異なるが平均年齢十歳頃から見極めの末、鍛練が始まる。故に和夜は考慮されたと言っても良い。また今は時代が時代で状況が状況のため、当主が早い段階で変わることは前時代よりは減ったとは言えある。おそらく紅藤家が狙っているのは戦力ではない。他三家との繋がりだ。約十年間、藤を担ってきたとは言え、彼らはある意味幸運の末になったとも言える。そのことを一番よく分かっており、実力は十年で証明されてはいるが、尚且つ他三家との繋がりが欲しいのだろう。十年との月日よりも何十年と切磋琢磨し背を預けあって来た碧藤家の方が繋がりが強いのは明白。その溝を「和夜がもうすぐで当主になったかもしれない年齢」を手土産に埋めたいのだろう。
「十年間ずっと催促の手紙されてれば嫌でも相手の思考は分かる」
「他の三家に連絡はしたの?」
明石の問いに和夜はグシャッと握り潰した手紙をテーブルに投げ捨てると白米が乗ったお椀と持ち替える。鮭を切り崩し、一欠片を白米の上に乗せて和夜は質問に答える。
「嗚呼。幼馴染が何人かいるからな。それ経由で言っては貰っているんだが……新参者だからか空気が読めない」
「大変だ~」
飲み物をストローで飲み干し明石が苦笑を漏らせば、「そうだろ」と和夜も苦笑する。その幼馴染達にもあの時は苦労を掛けたと和夜は思い出しつつ、咀嚼する。
家族を全員一斉に失ったあの時、齢九歳であった和夜の精神的ショックは誰にも理解されない以上に大きかった。幼馴染で一緒に遊んでいた彼らの声も届かないほど自らの殻にこもり、全てが敵に思えた。実際、なにもわからない、まだ武芸を教わらず戦場という道を見ていない子供達は純粋無垢だっただろうが大人達は定かではない。全てが敵に見えた。誰も彼もが化け物のように自分を食い荒らして行く。全てを奪っていく。そう思えてならなかった。ただただ、当主に受け継がれる着物にくるまり、家宝の守り刀を抱えて過ごしていた。けれど何故か明石だけは大丈夫だった。突然現れた和夜と同い年の子供。他三家の誰が派遣したとも分からない、ただ迷い混んだだけの子供。それでも猜疑心に固められていた和夜にとっては一筋の光だった。その光を無意識のうちに和夜は取っていた。今でも何故かは理解出来ないが、明石がいなければ自分は廃人にでもなっていただろう。そして、こうして旅もしていなかった。
和夜は目の前で三枚目のパンケーキを美味しそうに頬張る明石を見て優しく、穏やかに微笑む。
「お代わりは?」
「ん、あ、四枚目ってこと?食べるぅ!」
はーい!と嬉しそうに手を上げて従業員を呼ぶ明石に和夜は笑いを溢しながら鮭を口に運んだ。
三十分たっぷりと朝食を堪能した二人は一度部屋に戻り、物を持ってから買い物にでかけることにした。まだ六時半を過ぎた辺りだが朝早くからやっている商店街というかそういうのが宿屋の近くにあるため、今行けばちょうど良い時間帯だろう。お腹一杯にまでパンケーキを食べてご満悦でスキップを踏みながら明石が食堂をあとにして行く。その後を追い、立ち上がった和夜の目に手紙が入る。鬱陶しい催促だが一応見ておくかと封を切る……案の定、内容は「もう少しで本来当主となるはずだったんだから帰ってこい」という催促だった。帰ってこいと云うよりも来てくれと言った方が正しいか。紅藤は和夜の後継人でも保護者でもないのだが。
「……読むんじゃなかった……」
はぁ、と自らの行いを悔いながら和夜は手紙をテーブル上に放り投げ、歩き始める。テーブルの上の手紙の存在に気づいた別の従業員が「あのっ!」と戸惑い気味に彼に声をかける。どうやら和夜が手紙を置き忘れていると勘違いしたらしい。それに和夜は顔だけを背後に向け、言う。
「嗚呼、棄てておいてくれ。その手紙、必要ないから」
「はぁ……畏まりました」
従業員はちょっと困った表情をして承諾してくれた。がそれを和夜は確認することなく、「早くー!」と食堂の入り口で急かす明石のもとへと歩いて行った。その背後で紅い藤を指の腹で撫でる怪しい人影に気づかないまま、全てが始まる。
今日は此処までにします!次回は来週です!
……いやー明石は、よく朝から食べられるなぁ……