第一ノ夢 朝日
「和夜っ!」
「!?」
目の前に迫った紅い忌まわしい色から悲鳴にも似た声が現実へと意識を引き戻してくれた。バッとその声に青年は勢いよく跳ね起きる。自分の知らぬ間に息は荒く、額からは嫌な汗が吹き出ている。今の季節は夏ではないと言うのに藤鼠色の髪先が汗で頬に張り付いていて気分が悪い。それはきっと、悪夢を見たせいなのだろう。いつもそうだ。青年は荒い息をどうにか整えようとするが返って咳き込んでしまい、サイドテーブルの水に手を伸ばす。その手に誰かが水の入ったコップを優しく手渡し、握らせる。嗚呼、さすが分かっている。それがこんな状況なのに嬉しかった。青年は有り難くその水を受け取ると咳を落ち着かせて、水を一気に飲み干した。生ぬるい感覚が喉を伝い、頭をクリアにしていく。ふと青年が窓を見ればカーテン越しに外が明るいのが分かる。
「和夜、大丈夫?」
アルトの声が青年の耳の鼓膜を震わせた。青年はコップをサイドテーブルに置きながら声の主に向き直る。ベッドに起き上がった青年の左側に立つ目元に包帯を巻いた中性的な人物。少女のように見えて少年のように見えるその人物は青年の左側のベッドでぐっすりと眠っていたはずだったが、どうやら自分の唸り声で起こしてしまったらしい。なんとも申し訳ない。
「嗚呼、俺は大丈夫。起こしたか?」
「うーん、起こしたって言うよりもボクが起きたら和夜が魘されてたから……また、アレ?」
ベッドのシーツをすっぽりと頭から被り、まるでヴェールのようにした人物の言葉に青年は微かに震えていた肩を抱いた。それだけでなにを見たか人物には容易に想像出来た。青年は布団代わりにしていた自らの胸元にある瑠璃色の着物を手繰り寄せ、顔に押し付ける。布団代わりであり大切なもの。そんな着物に汗や悪夢の末に掘り出された涙が滲みることも厭わずに。
「嗚呼……やっぱり煩かったか……うん、久しぶりに見た……」
「大丈夫?お医者さんに見てもらう?」
「医者にかかるほどじゃないから」
「ホントに?」
不安そうに、心配そうに表情を歪める人物の目が開かれることはない。けれども声色は確かに彼を心配していた。青年はポンッと人物の頭に手をシーツ越しに撫でるように置くと着物から顔をあげ、言う。
「大丈夫だよ。ありがとう明石」
「いいえ~もう一回寝る?まだ五時半くらいだけど」
人物は安心したように笑い、サイドテーブルの時計を指差す。古ぼけていながらも正確に時を刻む時計は人物の言う通り、午前五時半過ぎを指し示している。二度寝するには遅い気もするし、起きるには早い気がする。嗚呼、でも、体中を覆う汗が気持ち悪い。青年は着物を手にベッドの縁に腰掛けながら、人物とは反対側の方から立ち上がる。
「いや、もう一回シャワーでも浴びてくる。汗で気持ち悪い」
「ふふ、そうだね~いっつも和夜、悪夢見ると汗まみれだもんね~」
「うるさい」
ケラケラとシーツを揺らしてからかってくる人物を手で追い払いつつ、青年は浴室へと歩を進める。ペタペタと音が鳴ると先程まで見ていた悪夢を思い出してしまい、何処か気が滅入ってしまうが背後から聞こえる楽しげな鼻歌が忌まわしい気分を払拭してくれる。無意識なのだろうが、青年にとってはなんとも有り難かった。
「タンクに水残ってたかな」
「昨日ご飯の時、足しに来てたからあと一回分はあると思うよー」
「明石は?」
「ボクは良いー!」
了解、と青年はベッドの上で跳ねて遊ぶ人物ーー親友に手を振り、人物が笑顔で手を振り返すのを横目に浴室の扉を閉めた。浴室の洗面台に着物を置き、少しだけ薄汚れた鏡を覗き込む。そこには藤鼠色のショートヘアにもみあげが少しだけ長く、蜂蜜色の瞳をした青年が映っていた。右耳には髪色と同じ藤鼠色の房飾り、首には銀のプレートがついたネックレスをしている。黒のタートルネックで袖がなくタンクトップになっているものを着、濃い青のズボン。くるぶし辺りは大きいからか少しダボダボだ。青年は、碧藤和夜は鏡に映る具合の悪そうな自分を見て鼻で嗤う。
「具合の悪そうな顔。もうすぐ、父さんが言ってた年齢だと云うのに」
情けない……そう自分に対して小言が言えないのはきっと、和夜がこの世界の異変から家族全てを奪われた被害者だからだろう。
今から約十年前。突如として世界は混乱と恐怖に陥れられた。人間でも獣でもない異形な化け物が現れ、人を殺戮し始めたのだ。各国は互いに化け物の原因を擦り付け合い、あわや戦争が勃発する騒ぎになった。だが戦争をしている場合ではないと各国は国独自の対抗策を開始。それでも突然の化け物に戦力を持たない者達が敵うはずもなく、世界から国から一つ、また一つと命と村が、国が消えて行った。そうして世界は緩やかに衰退を始め、世界を創造したという神に願いを込めたが神の返答ーー神託はもたらされることなく、世界は独自の方法で化け物に抗うことを余儀なくされた。まぁ化け物が現れたお陰か否や、以前までは不可能だった国境越えが易々と出来てしまえるようになったことは不幸中の幸いだろう。国も、世界で生き残った数国も出入りする人数なんぞ気にしてはいられないのが正解であり現状だろう。それを利用して和夜は親友である明石と旅をしている。十年前に奪われた家族の復讐と云うわけでもなく、ただただ旅をしていた。まるで逃げるように。
「(なにから?)」
それさえも分からぬままに。
和夜はシャワーを浴びてすっきりした後、浴室の隅に設置されたタンクの蓋を開け、中を見る。するとタンクの半分ほどまで水がなくなっておりシャワーだけで良かったと和夜は安心する。そうしてタンクトップの上に瑠璃色で袖口や裾に藤の花が描かれた普通の着物よりも丈が短い着物を着、帯を締める。靴はベッドの足元に置いて来てしまったためあとで履こうと浴室から出ると親友である人物、明石がベッドの上で丁寧にシーツを畳んでいるところだった。白緑色の長髪で首根っこ辺りでバレッタで一纏めにしており、目元に包帯を巻いている。黒が多めの緑色の軍服を身に纏い、下は半ズボン。靴は同じ色のニーハイブーツだが、今は履いておらずベッドの側に転がっている。ちなみに和夜は黒い靴だ。明石は和夜に気づくと「お帰りー」と笑顔で手を振り、靴を履く。そんな明石のところへ和夜は歩み寄り、自身も靴を履くとサイドテーブル上の時計を見る。時刻は先程から少し経って六時を示そうとしている。二人が泊まっているのは良質なホテルではなく宿屋なため、朝食は食堂で頼めば出してくれるだろう。その理由としては昼夜問わず宿屋には冒険者と呼ばれる、化け物を討伐することで収入を得る者達も多く宿泊しているためだ。異変である化け物に脅かされた現状では戦力を持つ者は重要であれど各国全体では全てに対応など出来やしないのだ。その一つが冒険者であり和夜達のような旅人だった。まぁ国によっては冒険者を勝手に化け物を討伐してくれる掃除屋とか専門家の一つと捉えていたりと認識は異なる。
「明石、早いけど朝食にしようか」
「うん良いよーボク、お腹空いちゃった!」
ピョンピョンとベッドの上で再度跳び跳ねて言う明石に和夜は苦笑にも似た含み笑いを浮かべる。
「そりゃあ、それだけ跳ねて遊んでいればなぁ。防音に対応してない部屋なんだから、隣人に迷惑かけるなよ」
「むっ。それは和夜もでしょ!」
頬を膨らませて抗議する明石に笑い返しながらサイドテーブルに置いてある貴重品類の所持品を手に取り、しまう。ふとサイドテーブルに立て掛けている刀に目が止まった。悪夢にもよく出てくる家宝の刀。亡き父親の言い付けを破ってしまいつつも一族としての形見となってしまった物であり、今の和夜の片腕。和夜は刀を奪うように取り上げ、腰に紐で吊るす。と明石を振り返る。明石も準備が出来たようで「早く行こう!」と和夜を急かしてくる。それにまた和夜はクスリと微笑み、ふと妹を思い出した。明石のように明るくて元気だった妹。いつも和夜のあとに着いて回って遊んでいた。だが、もういない。悪夢を、家族を失った日の夢を見たせいかいつも以上になんだか感情的だ。和夜は自分に苦笑を漏らすと既に扉を開けて廊下に出ている明石を追って部屋を出た。
投稿する間に気になって昔の作品を色々訂正したら、終わりそうにないことに気づきました。ヤーメタッ(棒)直したいのはたくさんありますが……ってなんの話だ。