第十六ノ夢 不老不死という失敗について
左腕を伝う血が渦を巻いて、螺旋を描いて落ちていく。手首にまで伝った血の跡はロイの首筋を狙うように切っ先を向けている。自分の下で余裕綽々と、余裕ぶった表情を浮かべるロイに和夜は彼が自分の心中が手にとるように分かっているのだと実感する。相手の心臓を奪ったかのように笑う、維持悪い笑みがロイの顔に張り付き、まるで仮面のよう。ロイの顔スレスレを通りすぎた刀が微かに震え、和夜に生きるために殺せと迫ってくる。それは覚悟が決まっていないからなのか、それとも別のなにかなのか。
「和夜!大丈夫?」
「嗚呼、俺は大丈夫だ」
実験室から顔を覗かせてこちらに駆け寄ってくる明石に声を返しながら和夜は先程弾いた刃物を一瞥する。刃物はロイの手が届かないところへ弾かれており、ロイが刃物を手にするには和夜をどうにしかしなければならない。相手の攻撃手段は潰した。ロイにとっては万事休すだ。だが彼はやはり余裕ぶった表情で笑うのだ。
「はっ、惜しいもんだなぁ」
「なに言っているんだ?貴方は、負けた」
「負けた?なに言ってんだぁ?俺さえ殺せないくせに」
グサリ、とロイの言葉が和夜の心を抉り突き刺していく。ギュッと和夜が左手に添えたロイの首筋を掴めば、ドクドクと血が通う感触が手のひらに伝わってくる。それはさしずめ生きている証拠であって、化け物にも人間にも変わらず備えられた機能だった。嗚呼、そう、いつもそうであるはずなのに。躊躇えば躊躇ってしまう悪夢。
「俺は殺すのに躊躇しない。実験はある意味殺戮だ。殺戮はヒトを癒すんだ」
「違う」
「違わないさ。実験をすれば癒される。ミーヴァが求めたように、世界が望んだ結果だと主張するように!それはお前も同じだ!生きることを殺し合いとした時点でな!」
ハハハッ!とロイが笑う。和夜を追い込むように言葉の刃で突き刺していく。嗚呼、そうだ。俺は生きることを殺し合いの理由とした。けれど、それがなんだ?それの何処が悪い?嗚呼、ようやっと……いや、正確に理解できた気がする。俺はきっと失うのが怖かったんだ。だから、殺せないと思っていた。でも。
明石が和夜に近づき、代わりにとでも云うようにロイの首筋に扇の切っ先を当てる。それに和夜は大丈夫だと明石に顎を軽く振って引っ込めるように促せば、明石はちょっとだけ不安そうに、それでいて嬉しそうに頬を綻ばせる。ギュッと再びロイの首筋を和夜が掴めば、ヒュッと空気がロイの口元から口笛を吹いたかのような音が漏れる。能力のもう一人もいなければ、形勢逆転を狙うものもなくなった。真剣な、けれど何処か憂いを孕んだ瞳で和夜はロイを見下ろせばロイは和夜にもう精神的揺さぶりが効かないと理解したらしく、チッと舌打ちをかました。
「で、俺達の勝ちなわけだが、どうする?」
「和夜、殺した方が今後のためだよ?」
「分かってる。でも、コイツが持つ薬は俺達にとって脅威となると同時に形勢逆転の一手でもある」
「……そっか、キミ不老不死目指してるくらいだもんね」
和夜の考えに明石がロイの顔を覗き込みながら言う。和夜も明石もロイには振り回され、実験台にされたわけだが逆に云えば彼の知識を利用すれば今後の殺し合いを有利に進めることが出来る。話し合いで解決なんて夢のまた夢ではあるが、殺し合いという毒を制すれば殺し合いを制することも出来る。もっともロイが負けたからと言ってそう簡単に二人に協力してくれるはずもない。
「でも不老不死なんて出来るわけなくない?だって、この殺し合いは神サマの企画だよ?神サマにでもなるつもり?」
ケタケタと悪神の名の通り、明石が口角を三日月のように歪めて笑えば、ロイが舌打ちをかます。
「それはお前の方だぜ?ガキが」
「っ!ボク、ガキじゃないもん!」
明石を挑発するロイに明石がまんまと乗ってしまい、怒りを露にすれば、和夜が「落ち着け」と明石を宥める。おそらくロイはこう言いたいのだろう。「不老不死だけが神ではない」と。
「不老不死は国に、ひいては世界の悲願だ。老いもせず死にもしない。永遠を生きる紛い者になりたいんだよ人間サマは。その一つが神であり、封印された悪神なんだろう?」
「っ、ふざけたこと言うねぇ?」
ハハハッと悪戯っ子のように笑った明石の口元がピクリと痙攣する。そう、不老不死は神様に封印された悪神でもあっても、人間でもある。けれど、きっとロイは気づいていない。自分が求めている先が失敗だと言うことを。ロイの右手から広がる血に和夜の顔が鏡のようにうつりこむ。彼は不老不死に執着している。ミーヴァという愛しい人を求めて。ならば、薬の在りかを吐かせ、処分もしくは利用する方が良い。ロイは話し合いに応じない。分かっていたことだ。此処はもはや生死しか答えのない戦場。迷い事は捨てろ。
「吐け。作った薬と所持してる薬の在りか全部。明石」
「うん、必要なさそうなのはバスタブに全部入れちゃうね」
「頼む」
和夜の指示を正確に読み取り、明石が中腰になる。薬、実験道具を先に片付けた方がこちらにとっては身のためだ。だがそんな考えとは裏腹にロイはやはり余裕綽々と笑っていた。それが勘に触ったのは決心を逆撫でされたからか、この不利な状況で余裕ぶっていることへの疑問か、和夜は両方であろうと模索する。
「(なにか形勢逆転の一手がある……)」
ロイが余裕綽々なのは形勢逆転を狙うなにかがあるからに他ならない。だが麻酔薬が入った注射器はベッドの下の隙間にあるし、刃物も一本は遠くへもう一本は実験室に突き刺さったままだ。なら、なにに形勢逆転の狙いを定めている?右手はおそらく使い物にならないし、一歩間違えれば、和夜の手がロイの首を絞め、呼吸を遮断してしまう。また明石も近くにいるため容易に動こうとすれば、明石の扇が突き刺さるのは簡単に分かる。その状態で動こうとする馬鹿はいないはずだ。もしや『怠惰』の能力を使う気なのだろうか。明石が相手取った敵だが、そのあとどうなったかは和夜には分からない。明石がこちらに来ているのだからすぐには発動出来ないと考えて良い。それともアダムのような共犯者か協力者が何処かに潜んでいるとでも云うのか?そう思い、和夜が明石を見ると明石は和夜の熟考を邪魔しないように扇を閉じたり開いたりしている。気配に人一倍敏感な明石が反応しないということは他に人はいないということに他ならない。気配を察知出来ないように、殺気を隠している可能性もあるがもしそれが悪神を使役するはめになった代償なら『怠惰』のように明石が分かるはずだ。それにロイは実験が出来れば良いというような節がある。そんな彼が和夜という実験台ーー被験体を目の前に協力者を手中に入れるだろうか?運が悪ければ、協力者が一石二鳥となる可能性もある。そんなことを彼が許すはずもないし、ましてや二人で実験などはロイの性格ーー表から見た性格では到底あり得ないだろう。ミーヴァという人物に捧げているくらいだ。もし協力者がいるなら「邪魔」とか云いそうなものである。
と、その時、和夜はロイのしている黒百合のネックレスに目が行った。誰かの形見なのかしきりに愛撫していたネックレス。ふと、和夜の脳裏に明石の言葉が甦った。「宿るモノを持つことで契約とされる」。ロイが肌身離さず着けている、持っている黒百合のネックレス。悪神・『怠惰』の能力は証を示す熊。明石が宿っているとされる守り刀で和夜が契約したと言うことは、
「(ロイの使役するはめになっている『怠惰』はもしかして……っ!)」
黒百合のネックレスに宿っている?
そう和夜が結論付き、刀の柄を握りしめた瞬間、ロイがニヤリと笑った。途端に和夜と明石の体を駆け上がったのは恐怖でもなく、悪寒という殺気。
「だから言ったろ?」
ロイの左手が和夜の目の前に嘲笑うようにぶら下がる。その手にあったのは首元から下がった黒百合のネックレスと同じ、黒百合を模したモノ。それをロイは和夜の腕に叩きつけるようにして自らの左胸に突き刺した。
「お前は馬鹿で、お人好しでしかないって」
「明石!」
「和夜ぁ!」
嘲笑うロイの声と共に和夜と明石が同時に悲鳴にも似た声をあげ、互いを庇い合う。刀を床に突き刺したまま、和夜は明石の腕を互いに取って飛び退いていた。明石が自分を背に隠そうと腕を引っ張る。その隙間、ロイの方を横目に見れば彼が突き刺したであろう左胸には美しくも禍々しい黒百合が一輪咲き誇っていた。そうして縫い付けられていたはずの右手は肩の辺りから消えており、代わりとでも云うように緑色の蔦がまるで意志を持っているかのように蠢いていた。その蔦は痣のように左胸の黒百合から派生しており、ロイの首筋や左目にまで迫り蠢いていた。
「アハ、は、ハ、はっ!まだ実験は終わってねぇぞぉ?」
歪なまでに変異した姿でロイが軽快に笑う。心から実験を狂喜的なまでに楽しみ求める姿はいっそ哀れだった。銀色の瞳はまるで刃のように濁り、愛しい者を盲目的に追い求める。和夜の刀の下には縫い付けたはずの右腕がそのままになっており、驚異的な力で腕を引きちぎったことが分かる。
「なにが起きてるの?!」
ロイから放たれる気配に明石が声を震わせる。和夜は一瞬の隙をついて刀を回収すると左腕の血の螺旋を拭った。そして、ふとロイの足元に先程見た黒百合を模したモノが転がっていることに和夜は気付き、咄嗟に左腕を見た。黒百合を突き刺されたと思ったがどうやら杞憂だったらしい。そのことにひとまずホッと胸を撫で下ろして、和夜は云う。
「多分、黒百合の入れ物の中身を自分に注射したんだ」
「えっ!?それでこうなったの!?」
「嗚呼、多分な。なにで出来たものかは知らないがおそらく薬の副産物による化け物化」
早口に告げた和夜が導き出した真実に明石の表情が曇る。ロイの状況は医者でなくとも手に取るように分かる。アレは失敗作で、狂愛の成れの果て。嗚呼、なんて哀れな宿り主サマ。薬の副産物、ロイが求めたのは不老不死。ならその副産物は誰に捧げられるべきか。不気味な旋律とでもいうような笑い声を上げるロイを一瞥し、和夜は深呼吸をする。
「黒百合」
「え?」
「黒百合を狙え。ネックレスの方でも左胸でもどっちでも良い。悪神は黒百合のネックレスに宿ってる」
えっ、と明石が和夜を見上げる。明石でも多少分からなかったことに気づいた彼に明石は何処か嬉しそうに微笑み、背を叩いた。大丈夫だよ、と暗に言われているような気がして和夜は苦笑を漏らした。二人でロイを睨み付け、そして、
「嗚呼、嗚呼、アア、ああ、嗚呼。ミーヴァ、ミーヴァ、ミーヴァ、ミーヴァ!!待っててくれ……今、完成させるから」
本当の殺し合いが始まった。
ロイにとっては失敗だけど失敗じゃないっていう矛盾。




