第十五ノ夢 二人という敵について
ぶっちゃけてしまえば、ロイの実験室は部屋の一部を改造しただけなのでとても狭い。実験をするためだけの部屋なのだから仕方ないのだが。明石は自らの背後で和夜がロイを蹴り飛ばして扉の向こう側に消えていったのを気配で感じ取ると、向かっていた方向を転換し、手術台を蹴り上げ、上空へ飛ぶ。恐らくこの実験室に来るまで扉を気配で認知していたので和夜と明石が使っている部屋と構造は同じはずだ。明石は天井に足をつけ、もう一人のロイーー能力で現れた透明な敵を見下ろす。敵も天井に張り付く明石に向かって飛ぼうとしているがそれよりも先に明石は天井を勢いよく蹴り、跳躍し扇を左手首に切りつける。体が透明ではあるものの痛みはあるのか、敵はあるかわからない顔を歪める。明石は片手を床につけ、その場で踊るように足を敵に投げ出し回す。その攻撃に敵は一旦交代しかけたが、一歩後退したところで無造作に明石の右足を掴み固定すると左手の刃物を振り下ろした。
「はぁ!?」
空を切る音に気付き、明石は慌てて足首を捻って回避するが、少し遅かったようでズボンとニーハイブーツのちょっとした隙間に刃物の切っ先が撫でるように通りすぎていく。微かだが結構な痛みに明石は表情を歪ませ、体を捻って敵から距離を取る。片膝をついた状態で右足の傷を扇を持ち替え、右の指先で確認する。嗚呼、これなら大丈夫だ。ニヤリと包帯の下、明石の唇が妖艶に弧を描いた。その瞬間、敵は刃物を明石の頭上から振り下ろす。振り下ろしながら軌道から追撃を読ませないためか右へ左へと刃物の舵を取る敵。空を切る音が乱雑に合唱を奏で、明石の意識を刈り取るように蠢く……はずはない。明石は気配で敵の一撃が自分の首筋を狙っているものと読み取り、しゃがんだ状態のまま左へと重心を寄せてスライド。右足になるべく負担をかけないように移動する案の定、敵の攻撃は勢い余って床に直撃し、カァン!と甲高い音を立てる。低姿勢になった所へ明石が回し蹴りを頭部に向かって放ち、敵を吹っ飛ばす。だが、敵もそこまで馬鹿ではないらしく、吹っ飛んだ勢いを床に足をつけて減速させて消し、一気に跳躍。空中で足を投げ出し、着地しておらず体勢が整っていない明石の懐へ侵入し殴るように刃物を振り上げる。その一撃を明石は不安定な体勢ながら紙一重でかわし、ちょうどよく足元にあった敵の膝を足場にして上空へ飛び、後方に一回転しながら体勢を整える。一回転する動作はまるで白鳥のように美しく、祝福を携えた天使のような軽やかでいて何処か神々しさがあった。だがその意味を敵は理解するはずもないし、明石の仮面の裏は天使のように可愛らしいものではない。体勢を今のところ崩している明石に敵の攻撃が迫るがそれらを明石は扇で丁寧に受け流していく。そうして敵に背中を向けるように着地し、振り返り様に扇を振った。敵の刃物も振り切られ、二人ーー能力を一人と数えて良いものか分からないがーーの武器が火花を伴って交差する。対格差のせいか、それとも体勢のせいか、グググッと明石が劣勢となり押されてしまう。それに敵は好機としか捉えることはできなくて嬉々として明石に刃物を押し付けていく。しかし、
「ふふっ」
圧倒的に不利だと言うのに明石は軽快に嗤う。敵が怪訝そうに明石を見下ろした途端、明石から漏れ出る殺気に気がついた。その殺気から逃れ、棚にでもあった注射器を使おうと敵はロイ染みた似たような頭脳を回転させる。けれど所詮紛い物であることを明石の方がよく分かっている。だからこそ、敵が明石を押し退け、棚に追撃を取りに飛び込もうとした時、瞬時に反応出来たのだ。
「ダメだよぉ~?」
まるでおちょくるように、弄ぶように明石が敵の背後に回り込み、首根っこを扇を引っ掻いた。そうすれば普通血が噴き出るが能力であるためか噴き出ず、血が本当に出たかのように明石に掻き切られた首元を後ろ手で押さえてしまえばもう追撃は望めない。振り返り様に振られた敵からの一線を軽やかなステップでかわし、お返しとばかりに扇を振り切る。体を捻っていたためか、それとも首元を押さえていたせいか敵の反応は鈍く胸元に扇が突き刺さる。そのまま横にスライドさせれば、敵の胸元に痛々しい切り傷が刻まれる。声にならない悲鳴を上げる敵から明石は距離を取るべく、その場で片足を軸に回転し痛みの中もがきながら刃物を振るう敵の攻撃からも逃げる。トントンッとステップを踏みながら敵から距離を取り、背後に回り込むと弄ぶように敵の膝に一撃加え、膝から崩れ落ちさせる。前のめりに崩れ落ちた敵を背後から見下ろし、明石はクスクスと嘲笑う。敵は最期の力を振り絞ったと言わんばかりの力で少し遠くにあった棚に駆け寄ると液体に満たされた瓶を奪う。それを明石は何気なく眺めていた。どうせ敵にこれ以上の抵抗は出来やしない。だって、既に一蹴りで明石はこちらを振り返った敵の目の前に迫っていたのだから。空洞になった瞳が驚愕を示すように大きく見開かれる。首元を押さえていた片手に持った瓶目掛けて明石は足を振り上げ、勢いよく敵の手元から瓶を弾き、茫然とする敵の左手に扇を振り切る。二の腕から消えた敵の腕に明石は口元を歪めて満足そうに嗤い、扇を閉じると勢いよく腹に突き刺した。薄い肉も骨も食い込んで、反対側に見せびらかすように消えていく扇。体中を駆け巡る痛みに敵が息も絶え絶えに後ろによろめけば、先程明石が蹴り上げた瓶が頭に落ちてくる。ガチャンと音をあげて瓶が割れ、中身がジュウウウと肉を焼く音と共に吐き出される。嫌な刺激臭に明石が鼻をしかめれば、敵は透明な頭、顔、体を否応なく焼かれて力尽きる。あまりにも一瞬の死に様だったので明石はシュッと手首を振って新たに扇を出すと焼けて液体と化した敵を切っ先でツンツンとつつく。危険がないと確認すると、ピョン!とウサギのように立ち上がり開け放たれた扉に向かって駆け出した。
……*……
狭い実験室で戦っても良かったが、そうすればロイの左手に収まる注射器が和夜を貫く可能性が高くなり、他の薬品に手をつける可能性もあった。だからこそ和夜はロイを蹴り飛ばして違う部屋へと押し出した。薬品というか色んな臭いが充満していた実験室から一歩外に出るとそこは少し大きめのベッドが置かれたメインの部屋だった。和夜がいる反対側の壁には扉があり、恐らくあちらがバスルームだろう。とすると今出てきた方が使用用途が分からない左側の扉なのだろう。そう心の中で一人納得して和夜はロイを見る。和夜に蹴り飛ばされたせいか、ポニーテールの結び目が微かにほどけ、髪が乱れている。そうして左手にあったはずの注射器が消えていた。いや、正確には消えたわけではなく床に転がっていた。蹴り飛ばされた衝撃で手中から落ちたらしい。二人の視線が交差したのは一瞬だった。二人一斉に転がる注射器に向かって飛び出し、我先に注射器をーー中に含まれたもしかすると勝利へと導くかもしれない薬品を求めて手を伸ばす。だが和夜はまたあの薬品で身動きが取れなくなり、まるで自分の体ではなくなるような感覚に指先が強張り、注射器を拾うのを拒絶する。あとちょっとという距離で動きを数秒だけ止めた和夜をロイは下から睨め上げながら笑い、注射器に手を伸ばした。しかしロイの指先が注射器を掠めた瞬間、注射器はその場から忽然と姿を消していた。ロイが注射器を掴む寸前、和夜が注射器を蹴ったのだ。注射器はフローリングの床を滑り、ベッド下の僅かな隙間に消えていった。それを目にし、和夜は安堵の表情を、ロイは悔しげな表情を両者色合いの違う感情を示す。
注射器という形勢逆転の一手がなくなったロイは右手の刃物を下から殴るように和夜に振り上げる。首筋もしくは目を狙ったような風の如くの一線を和夜は後方に足を引いてかわし、お返しだと刀を振り回す。ロイも刃物の軌道を変えたために両者の刃が交差する。どちらかというと小回りが利くロイは刀に刃物の刃を当てて滑らせ、和夜の懐に潜り込もうとする。だがそれに気づかない和夜ではない。手首を捻って刀の角度を変え、ロイが懐に潜り込んでこないようにする。それに加えて足技を使い、ロイの手から刃物を弾こうとするが先にロイが後方に引き、和夜の一撃は空振りに終わる。一歩下がった状態で和夜に蹴りを放てば、少し動きが遅かった和夜の左腕に当たる。微かに当たっただけではあったがそれだけで和夜の重心はずれ、体勢を少しだけ崩してしまう。すかさずロイが刃物を振り回すがそれらを刀で受け流し、二歩下がる。下がった和夜の左腕をロイが紙一重の差で掴み軽く捻り上げた。刃物によって食い込まれ、刻まれた浅めではあるが体中を駆け巡る痛みに和夜は顔を歪ませる。掴まれた左腕を否応なく勢いよく振り払い、ロイと距離を取る。距離を取る際、ロイが刃物を無我夢中で振り、和夜の頬にかする。ロイと距離を取り、彼を睨み付けつつ様子を伺うと和夜は捻られた左腕を擦る。
「ったく、煩わしい」
「ハハッ、検証は出来るときにやらなきゃなぁ?」
ケラケラと嗤い、ロイが手首で刃物を弄ぶ。そんな彼を一瞥し、和夜が跳躍すればロイは手近にあったローテーブルを跳ね上げ刀を防ぐ。ロイに切りかかろうとしていた和夜は突然目の前に現れたローテーブルに気が動転してしまい、勢いよく刀を持った右腕でローテーブルを払い除けてしまう。案の定、右腕は微かな痛みを訴え始め、和夜は内心舌打ちをもらす。一瞬和夜の視界から消えたロイはその隙に彼の背後に回り込む。しかし和夜も回り込まれることに気付き、その場で方向転換を開始。背後に回り込んだロイの刃物と和夜の刀が交差する。耳元で甲高い音が鳴る。腕への僅かな痛みに和夜は目を配り、片手をゆっくりとロイの懐へやる。左手がなにも持っていないが彼の手は右手の刃物の柄へと添えられている。だからこそ和夜は懐に手をやり、ロイの服の襟を掴んだ。そのまま手首を捻り、刃物を刀から微かに浮かせるとクルッと手中で回転させ柄の頭の部分をロイの腹に突き刺す。腹への痛みにロイが刀を弾き、後退する。そこに和夜はすかさず刀を正常に持ち、斜めに一線。
「っ」
右肩から左脇腹にかけてロイの体に一線加われば、彼は痛みに顔を歪める。そこへ和夜は体勢を低くし足を刈った。痛みに抵抗力を失ったーーいや、欠いてしまったロイは意図も簡単に和夜に足を刈られ、後方に倒れ込んでしまう。すぐさま和夜は刀を振りロイの手中から刃物を弾き飛ばすとロイの首を掴みようにして押さえ込み、ガァン!と刀を彼の顔スレスレに振り下ろした。振り下ろした瞬間にロイの右手も貫き、床に縫い付ける。怖じけついている。そうロイは和夜の何処か苦しげな表情を見上げ、嘲笑った。自分の方が圧倒的に不利だと言うのに。
対決二人分です。そろそろ一章終わらせたい。……よし、終わらせます、今日で。




