第十ノ夢 化け物という観察について
「へぇ、アイツ結構やるじゃねぇか」
ガスマスクの下から男性は化け物と戦う和夜を見下ろし、呟いた。白衣のポケットにソレがあることをポケットの上から確認すると男性は確認した指をクルッと回す。途端にその指、手中には万年筆が現れる。まるで魔法だ。だが今やこんな化け物や神が仕組んだという殺し合いが起こっているのだ。男性がしたことはただの魔法の真似事以下でしかない。男性は万年筆をくるくると指の上で回すと片手に持っていたバインダーに挟まれた紙ーー書類にその切っ先を走らせる。
「実験四十三。効果は微弱ながら効いている模様……」
カリカリと紙の上を万年筆が走る音が戦闘音と白煙の中、響き渡る。男性は眼下で繰り広げられる戦闘を一瞥し、後頭部に手を回す。そうしてガスマスクの留め金を外し、顔からガスマスクを剥ぎ取った。途端に白煙の中に充満する微かな刺激臭が鼻と目を刺激するが男性はさほどきにした様子もなく、額に伝う汗を袖口で拭った。肌に触れる刺激臭が火傷に覆われた男性の顔を刺激する。剥ぎ取ったガスマスクの留め金に腕を通してぶらさげると男性は手摺に万年筆を持った腕をつき、頬杖をつきバインダーはその平らになった縁の上に置いた。白煙の中、縦横無尽に駆け回り、二体の化け物を翻弄させる和夜はまるで流星のようであり男性の実験意欲を擽る。化け物の攻撃を軽々とかわす和夜の身のこなしは数日では決して身に付くはずがなく、長年体に叩き込まれてきたことを物語っている。そしてあの剣筋、あれは殺すことに躊躇を持つ者の筋だ。化け物という格好の餌食であり犠牲があるからこそ振るえると云っても良いほどの剣筋には男性が感じ取れない以上の殺気が込められている。
「……あれほどの身体能力が、あれば……」
銀色の瞳がまるで猫のように細められる。それはさながら月。そして獲物を狙う肉食獣の瞳だった。パキッと男性の手元で微かな音と振動がした。なんだと男性が見れば、どう力を入れすぎたのか、頬杖をつく手に手に収まっていた万年筆がポッキリと真っ二つに折れていた。それに男性は苛立ちげに舌打ちをかますと万年筆の残骸を後方に放り投げる。そうしてバインダーに挟んでいる紙を一枚捲り、別の書類を出す。書類の題名にはただ一言『不老不死』の文字があった。
「あれほどの身体能力があれば、不老不死の実験に大いに役立つ……被験体、か」
首から下げた黒百合のネックレスを指先で弄りながら、男性は笑う。醜悪で何処までも無邪気な笑みを浮かべながら。
「久しぶりに狩るかぁ」
男性は黒いショートヘアで首元に髪の切っ先が当たるのが嫌なのか短いポニーテールのようにして髪をまとめており、瞳は銀色。顔の左半分から首元までを覆う痛々しい火傷の痕をなぞるように首元からは黒百合の花を模したネックレスが左右に揺れ動いている。簡素なワイシャツに黒のズボン、そしてニーハイブーツをはき、それらを丈の長い白衣で覆い隠している。男性の名はロイ・チェイサーと云う。科学者だ。彼はバインダーを脇に挟め、腕に通したガスマスクを抜き取る。
「せいぜい抗えよ、青年」
そうして、ガスマスクを眼下へと放り投げた。カァン……と鈍い音が螺旋階段の方から響けば、それは彼にとっての実験の始まりだった。
……*……
四足歩行の化け物の爪をかわし、和夜は刀を横に振った。その攻撃は上手く逃げられなかった化け物の足元を捕え、横転させる。そして容赦なく刀を上段から振り下ろし、足を切断。地響きのような、金切り音が図書室という空間に反響する。耳元で行われた大音量の悲鳴に鼓膜が痛み、和夜はたまらず片耳を手で押さえた。押さえたまま振り下ろした刀を振り回し、化け物の腹に亀裂を入れる。連続で与えられる痛みに化け物にどうにか逃げようとするが、和夜は逃がさず、化け物の懐に一気に侵入すると下から殴るように刀を振り上げた。四足歩行の化け物の顔と上半身が真ん中から真っ二つに裂かれ、化け物の残骸が左右に分かれて落ちていく。人間とは違う別の色をした血が図書室の床を染め上げていく。それはまるで海のようであり、地獄の海を表しているかのようだった。和夜は一体化け物を倒し、少し安心したように軽く息をつく。まだ周囲は白煙に飲まれており、男性ーーロイが作ったであろう実験の成果である薬品はまだ消える気配はない。袖口でもう一度鼻と口を覆うと和夜は小さく化け物に聞こえないように咳き込む。化け物の種類や生態についてはまだ不可解なことも多いが、残った二足歩行の化け物が空気の振動を感知して動くものの可能性もある。だって、一瞬ではあったが、残りの一体には顔がなかったのを確認しているのだから。だとしたらあの化け物が和夜もしくはロイを見つけ出す方法は聴覚か嗅覚しかない。とその時、空を切る音が響いた。
「っ!?」
和夜は咄嗟にしゃがみこむとその頭上を二本の筋が凄まじい速さで通りすぎていく。白煙を利用、もしくは白煙というか灰色の煙に紛れる効果に耐性が出来たのか化け物が近くまで来ている。しかも背後に。和夜は慌ててその場で跳躍し、一直線に逃げると案の定、数秒前まで彼がいた場所に刃物が振り下ろされる。ガッと床と床を包むカーペットごと抉っていく凄まじい攻撃に和夜の顔から血の気が引いていく。トンッと片手を冷たい床につき、中腰になっていた体を上げながら灰色の煙に紛れる化け物を睨み付ける。人型を少しだけした、両腕が一本に繋がり巨大な鋏の形をした化け物が白煙の中からゆっくりと姿を現す。やはり和夜の記憶通り、顔が歪んでおり目元と思わしきものは一切存在していない。ちなみに鼻らしきものもないため、その分なのか耳が尖っており聴覚の役割を果たしている。すると化け物は微かな着物と着物の擦れる音を察知し、和夜に向かって跳躍し、目にも止まらぬ速さで一気に迫り、刃物なのか鋏なのかよくわからない武器を上段に振り上げた。それを和夜は不安定な体勢で受け止めるべきではないと察し、一歩後退すると刀を横に構えた。次の瞬間、ガッ!と和夜の目の前で火花が散った。勢いよく振り下ろされた刃物が重すぎて和夜をまるで頭から押さえつけるように圧力をかけてくる。それを歯を食い縛って耐えると刃物を大きく弾き、お返しだと言わんばかりに化け物の懐に侵入する。しかし化け物も聴覚で和夜の位置を特定したらしく、ステップを踏んで左側へ避け、刃物を振り回す。図らずも同時に振られた攻撃は相手に届くことなく接戦を招く。耳元で甲高い音が響けば、その音は衝撃波と風圧となって和夜と化け物を襲う。凄まじい衝撃波に足に力を入れ耐える。がやはり威力が凄まじく腕が衝撃で震える。これ以上、化け物の攻撃をまともに受け続けていたら腕がもたないしキリがない。となれば、
「よっ、と」
片足を軽く上げ、化け物の腹に足を振り回せば、化け物の攻撃が一時的に緩み逃げ道が生まれる。すかさず和夜はその逃げ道を利用し、化け物と距離を取り体勢を立て直す。灰色の煙が和夜と化け物の距離感を狂わせる。と、化け物が煙を薙ぎ払おうと刃物を振る。腕が先程の攻撃で痺れ、瞬時に和夜は動けなかった。しかし、体を揺らし、一撃を避ける。ピッと耳元というか左頬の辺りで生暖かいものが滴るのを感じ、完璧に避けられていなかったことを和夜に否応なしに教えてくる。それに苛立ちげに舌打ちを溢し、和夜は体勢を低くして左へスライドするように動く。少しの物音も化け物の驚異的な聴覚に入ってしまえば、もう後戻りは出来ない。トンッと横にずれた和夜の左足の指先になにか固いものが当たった。なんだと左手を伸ばせば、上からバラバラッと騒音を奏でながら本が和夜の頭の上に落ちてくる。
「うわっ!?なんで本がっ、て!?」
ドガドガッと頭上に落下してくる本の雨を腕で防ぐが、図書室に入った時から天井に向かって伸びる本棚を見てしまっているため本の雨が容易く終わるとは到底思えなかった。しかも結構な高さから本が落ちてくるのだ。正直、本の角が痛い。体中に散らばる痛みに和夜は苛立ちを隠さず、背後にあるであろう本棚を蹴る。大方、化け物との戦いの影響で本棚が壊れたのだろう。そう和夜が思った次の瞬間、シュッと和夜の真横を剣筋が通りすぎていった。そして一冊の本が釘刺しになり、ダァン!と空気を揺らして本棚に縫い付けられる。
「(……やばい)」
サァと和夜の額を流れたのは冷や汗かそれとも別か。頭上から落ちる本を薙ぎ払い、和夜は息を潜める。あの鋏が和夜の近くを通った以上、付近にいることは間違いない。息を殺し、反撃の機会を伺う。刀の柄を握り締め、刃物の行き先をじっと睨み付ける。ゆっくりと灰色の煙の中で動く銀色を目に入れた途端、和夜は刀を下から突き刺した。
ーーカァン……
静かに、けれども異様なほどに大きく響いた甲高い音。それはまるで水面に石を投げ込んで生まれたさざ波のよう。その音は当然、全てを聴覚に任せる化け物の耳にも入った。和夜の攻撃が微かに空振りに終わった途端、化け物は煙を掃きながら跳躍し音がした方向へと向かう。和夜も何処から音がしたのかといまだに落ちてくる本を薙ぎ払って探せば、螺旋階段に黒い物体を見つけた。それはロイがしていたガスマスクで。
「っ、まさか!」
勢いよく二階を見上げれば、ガスマスクの下の素顔を露にした男性ーーロイが螺旋階段をよじ登る化け物を見て驚愕し、顔を青ざめていた。どうやら脱いだガスマスクがうっかり手元から落下し、その音で化け物を自ら呼んでしまったらしい。化け物は音を荒げた張本人、ロイを狙って鋏を器用に使いながら螺旋階段の柵を破壊してよじ登っていく。ロイは殺し合いよりも実験と言っていただけあり、殺し合い、戦闘には向いていないようで腰を抜かして柵にもたれ掛かっている。
「くそっ!」
考える暇もなかった。壊れかけた手摺を掴み、引き寄せると和夜は腕の力を使って跳躍する。ロイを化け物に殺させれば一人減る。そんな風に考える暇もなかった。例えそれが偽善であっても。和夜が跳躍するとほぼ同時に化け物が二階に着地。腰が抜けへっぴり腰となったロイに詰め寄る。先程まで実験実験と威張っていた、和夜を邪魔とすら強気に言っていた様子が消え、ロイの顔には恐怖が張り付き、情けない「ヒィ」と云う声に変わる。青ざめ恐怖を覚えるその表情に和夜の脳裏で火花が散った。
「ヒ、ヒィ……!こっちに来るなぁ……!!」
「そこから動かないでくれ!」
二階に着地した和夜がそう叫ぶが、ロイは化け物に気を取られて気づいていない。チッとそれにまた舌打ちを溢し、和夜はガァン!と二階の柵を蹴り飛ばす。まるで悲鳴のような音が響けば、化け物は一瞬だけ和夜の方を振り返った。その瞬間、今がチャンスだとロイはへっぴり腰で床を這って後退し、和夜は化け物に向かって駆け出す。すると化け物が音を頼りに刃物を振り回し始め、柵付近の本棚が破壊され紙吹雪が舞う。それらを掻い潜りながら和夜は本棚を蹴り、跳躍する。シュッと目の前を横切る一線の上へ足をチョコンと乗せ、足場にして再び大きく跳躍。そして背を向ける化け物の背後に回り込んだ。
「だからお前は馬鹿で、お人好しでしかないんだ」
もう少しで今年が終わりますね……はやぁ。




