婚約事件
魔力測定から半年。夏も過ぎ、少し肌寒くなってきた頃、その事件は突然、私の家に降りかかった。そう、それはあまりにも突然の出来事。
「婚約しました」
「え」
シャーリーと王子がパン屋さんに来たんだけど、挨拶もそこそこにシャーリーからそんな報告を受けてしまった。さすがにびっくりだよ。いきなりすぎるよ。確かに入学前に婚約していたはずなんだから、そろそろかなとは思ってたんだけど。
「えっと……。一応聞くけど、二人が、ですか?」
王子に聞いてみる。頷かれた。いや、経緯が知りたいんだけど。
「王家から、アレイラス公爵家に打診したんだ」
なんとうか、普通だね。シャーリーは公爵家だから家格も問題ないだろうし、アレイラス公爵家にとってもきっと喜ばしい出来事のはず。
私としても一安心だ。このまま婚約しなかったらどうしようかと思ってたところだったからね。私もようやく平和な時間が……。
「打診、したんだけどね……」
へいわなじかん……。
「アレイラス公爵は受け入れてくれたのだけどね……」
へいわ……いやなよかん……。
「保留させていただきました」
「なんで!? いや本当になんで!?」
まさかの保留! しかも公爵家側が! いいの? それっていいの!? いやそもそもとして、なんで? 断る要素なんてかけらもないよね!?
いや待て落ち着け私。慌てるにはまだ早い。そう、保留。保留だからね。うん。シャーリーの報告も婚約しました、だったし、断るつもりはないってことだと思う。
でもなんで保留?
シャーリーに視線で問いかければ、すぐに答えてくれた。
「殿下と婚約するということは、私は王妃になる、ということです」
「うん」
「つまり、そのための教育も受けないといけない、ということになります」
「だね」
「面倒です」
「おい」
未だかつて、王妃教育が面倒だからと婚約を保留にした人がいただろうか。いやいない。はず。少なくともこの国の歴史上ではいないはずだ。いや、いても歴史に残さないだろうから、実際は分からないけど。
王子を見ると、なんだか少し遠い目をしていた。なんというか、お疲れ様です、と言いたい。
「あの、シャル。勘違いしていません? 私は別に、その教育が嫌だと言ってるわけじゃないんです」
「あ、そうなの?」
「はい。その教育が始まると、自分の時間を作ることも難しくなってしまいますから……」
シャーリーが、私の手を取った。
「私は、もう少し、シャルと一緒にいたいんです」
えっと。うん。その。かわいい。いや違うそうじゃなくて。
嬉しいのは嬉しい。いや、だめだって分かってるけど、やっぱりそう言われると、嬉しい。うん。頬がにやけちゃう。えへへ……。
でもだめだ待て私。落ち着いて考えろ。つまり、これは。
王子よりも私を取った、ということでは?
意味わからんです。私にそんな趣味はねーです。どうにかしやがってください王子様。
助けを求めて王子を見ると、王子は困ったように笑いながら肩をすくめた。
「まあ、少し思うところはあるけどね。けれど、せっかくの学園生活を息苦しく過ごしてほしくない、とも思うんだ。だから、学園の卒業までは待とうと思う」
なるほど。寛大だなあ。そんなのいいから、さっさともらってくれないかなあ。
まあ、これに関してはもう決定されたことだろうし、私が言うこともないよね。微妙に流れがおかしい気もするけど、まだ大丈夫のはずだ。
「ですが、その、教育は最低限受けることになりまして」
「そうなの?」
「はい。その、一人では寂しいので、一緒にどうですか……?」
ちょっと何を言っているのかよくわからんです。
正気なの? 王妃教育だよ? そんなに何人にも教えるようなことじゃないよね? さすがにだめだよねこれ。王子、ここは男らしく、ずばっと決めてください。
王子を見る。目を逸らされた。役立たずである。
「使えない王子だなあ……」
「うう……」
思わず声に出すと、王子が苦しそうに呻いた。おっと、ついつい本音が。
「シャル、だめですよ。そんな本当のことを言うなんて」
「うぐ……」
これはひどい。こんなにべたな追い打ちを見ることになるなんて。
でも、ちょっと言い過ぎかも、と不安になってきた。いやだって、普通に不敬だよねこれ。護衛の兵士さんから王様の耳に入ろうものなら、ちょっとまずいのでは。
兵士さんを見る。目が合ってしまった。ずっとこっちを見てたらしい。うん。これはやばい。
そう思ってたんだけど。
「ご安心ください。嘘偽りを並べているならともかく、真実を口にした程度で罰することなど陛下はいたしませんよ」
とどめはいりましたー! のってきたよこの兵士さん! しかもわざわざ真実の部分を強調してたし! いいなあこの兵士さん。私好きだよ、そういう人。
「兵士さん。パンをどうぞ。プレゼントです」
「おや。これはどうも。いただきます」
紙袋に入ったパンをお一つ進呈。それを見ていたシャーリーがなんだか物欲しそうな顔をしていたので、仕方ないのでシャーリーにもあげましょう。
「はい、シャーリーにはこっち。いつものやつ」
「ありがとうございます」
シャーリーにはそのまま渡します。だってこの子、すぐに食べるから。
公爵家のご令嬢が買ったものをその場で食べるってどうなんだろうって思うけど、それだけ信頼されてるってことだよね。はは、重い。
ちなみにシャーリーにあげたのは私の練習作。昔の話をちょっとだけ聞いた時から、毎日少しだけ作ってる。最近は少しまともになってきたと思う。
「ん……。腕を上げましたね、シャル」
「でしょ? そろそろお父さんを越えていると思うのですよ」
「へえ……」
「あ、ごめんなさい冗談です」
楽しく話していたらお父さんの不機嫌そうな声が聞こえてきた。まさか聞こえているとは。
「殿下もどうぞ。自信作です」
「あ、ああ……。いただくよ……」
ようやく元気になってきた王子にもお裾分け。ん? え、食べるの? いや毒味とか必要なんじゃ……。いや、いいけどね。
「うん。なるほど。美味しい」
「えっへん」
「でも、うん。やっぱりまだお父上のパンの方が美味し……」
「は? 殿下、私の娘が作ったパンを馬鹿にすると?」
「え、いや、そんなつもりは……」
何故かお父さんが怒ってる。とりあえずあれだ。めんどくさいぞこの父親。
「お父さんお父さん」
「うん。なんだい、シャル」
「ちょっとめんどくさいので黙りやがってください」
「…………」
あ、膝を突いた。お母さんが腹を抱えている。よし、放っておこう。
「シャル、あんまりそんなことを言ってはだめだと思います」
「えー。でもさあ、普段は大好きだけど、たまに変な人にならない? それがとっても鬱陶しい」
「それはまあ、とても分かります」
「やめてあげてくれないかな二人とも」
王子が止めてきたので、この話はここまでです。
おや、兵士さんには思い当たることがあるのか、頬を引きつらせてる。さては娘がいますね? 気をつけないといつの間にか嫌われてる、なんてことになりかねないよ。
「ところでシャル。教育の件についてですけど」
「くっ……!」
ちくしょう忘れてもらえなかった!
あー、あー、どうしようかな、どうしたらいいのかな。シャーリーには気にしなさそうだけど、あまりよろしくないと思うんだよね。絶対に周囲が何か言ってくるよ。貴族社会は魑魅魍魎の巣窟だろうし。
「ちみもうりょう?」
「んー……。お腹真っ黒の人たちばかりってこと」
「なるほど、その通りです」
「…………」
王子がとっても複雑な表情をされてます。でも否定はしてこないから、王子も同じことは思ってるってことかな。
「それでしたら、例えば、見学だけとか……」
「むう……」
その辺りが落としどころかな……。嫌で押し通すことはできるけど、シャーリーの悲しそうな顔は見たくないし。かといって本格的に参加したら色々と巻き込まれそうだし。
「まあ……。見学だけなら」
「はい。ありがとうございます、シャル」
にっこり笑顔のシャーリー。この程度で喜んでくれるなら、まあいいかな。うん。
「すまないね、シャル。この埋め合わせはいつか必ず」
「はいはい。期待しないで待っておきます」
「君、いつの間にか遠慮がなくなってきたね……」
「戻しましょうか?」
「いや……。そっちの方が私としても話しやすいかな」
そう言って、笑う王子様。さすが王子、笑顔が格好良いね。まあ私には意味がないけどね!
とりあえず、私は見学ということで話はまとまりました。よかったよかった。
「ところでシャル」
みんなが帰った後、お父さんがぽつりと言いました。
「なあに?」
「いつの間にか、なかなか妙な立ち位置になってるね。公爵家のご令嬢と王子のお友達。正直、胃が痛い。お願いだから学園で変なことしないようにね?」
ははは何を言っているのか、そんなお友達だなんてはははいやいやははは。
「本当に気をつけるようにね、シャル」
…………。
がっこう、いきたくないよぅ……。
壁|w・)とりあえず、婚約しました。
そして王妃教育に巻き込まれました。理不尽。
次話は『入学』、ついにシャルにも平民の友達ができる……かも!
一週間以内にがんばる。努力するだけさ!
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。