シャーロット・出会い
幼い頃の私は、視野の狭い愚かな小娘でした。
私は多くのことを学び、そして人よりも早く身につけました。人からは神童だなんて言われたことまであります。だからでしょう。幼い私が勘違いをして、増長してしまったのは。
世界の中心は私でした。頂点は私でした。この世界は私のためにあると、本気で考えていたと思います。今思い返すだけでも恥ずべき考えです。
そんな私を変えて、救ってくれたのは、平民の女の子でした。
私が五歳の頃。我が儘放題だった私を、お父様が屋敷の外へと連れ出してくれました。決して街の住人に何かを言ったりしないようにと、何度も何度も言い含められていました。
このお出かけは、私がお父様にお願いしたものです。お父様はよく街へと出かけて、美味しいパンを買ってきてくれていました。そのパンを作っている人を見て、そして褒めてやろうと思ったのです。
お父様と一緒に馬車に乗り、セバスを御者役として街へと出かけます。
その頃の私はあまり屋敷の外に出ず、出たとしても他家の子とのお茶会に出席する程度のものでした。そのため、外の景色は初めて見るものが多く、はしゃいでいたのを覚えています。お父様もなんだか優しい笑顔でした。
そうしてしばらく馬車の外の景色を楽しんで、たどり着いた店は小さな家でした。
「ここですか?」
「うむ。店主も客も平民だが、異物は我らの方だ。余計な問題を起こさぬように」
「分かっております」
「…………」
その時のお父様はかなり微妙な、複雑な表情をしていました。言葉にするのなら、本当に分かっているのかと聞きたいような顔でした。
気持ちは分かります。その時の私は、平民を人として捉えていたかも怪しいところでした。
その家の中に入ると、香ばしい匂いが鼻をくすぐりました。焼きたてのパンの匂いというものなのでしょう。食欲をそそられる香りだったと覚えています。いえ、覚えているというか、今でもよく嗅いでいるだけですけどね。
店主も、客も、みすぼらしい服装でした。それを見た私は、鼻で笑っていたと思います。
パンしか価値のない店だと、もう帰りたいと思っていた時です。
その子が、視界に入りました。
客たちに、声をかけてパンを渡していました。これお勧めです、すごく美味しいですと笑顔で渡しています。その女の子に声をかけられた客は、笑いながらパンを受け取って、そのまま買っているのです。
その子が、私を見ました。何故か目を輝かせて、こちらに走ってきました。
「こんにちは!」
元気な、けれど不思議と心地良い声でした。私も戸惑いながら返事をします。
「ええ……。こんにちは」
「すごい! かわいい! お姫様みたい!」
「そ、そう……?」
「うん!」
満面の笑顔。私は、何を言っていいのか、分からなくなっていました。
「同い年かな? 同い年だよね? どっちでもいいけど! このパン美味しいよ! 食べて!」
「え、で、でも……」
「だいじょーぶ! お金はいいよ! 同い年だし! お父さんもきっと許してくれるから! だめなら逃げたらいいし!」
元気な声なので、周囲にも当然聞こえています。客たちは楽しそうに笑って、そして店主は仕方ないなと苦笑いでした。
けれど、止められなかったのは事実です。私は女の子から受け取ったパンを、まだまだ熱いそのパンを、口に入れました。
「…………。美味しい……」
「んふふー! でしょ!」
女の子はパンがたくさん載ったお盆を棚に置くと、私の両手を取りました。突然のことに驚く私に、その子が言います。
「わたし、シャル!」
「え……。あ、名前? シャーロットよ」
「ふむふむ。じゃあシャーリーちゃん!」
無礼な、と心の片隅で思いましたが、その火は大きくなることなく消えました。
「シャーリーちゃん、また来てね? 絶対だよ?」
何故かは分かりませんが、この子にとても気に入られてしまったようでした。その子の笑顔は見ていて気持ちのいい、心からの笑顔でした。
私は、家族以外で、何の打算もない心からの笑顔というものを、初めて見たのです。
だから、気付きました。気付いてしまいました。
今まで私にすり寄ってきていた人たちの笑顔が、とても空虚なものだったということに。無理矢理貼り付けただけの仮面だったということに。
「また来てねー!」
気付けば私は、元気良く手を振る女の子に、少しだけ恥ずかしいとは思いつつも、振り返しながら帰っていました。
屋敷に帰った私は、お父様にお願いをしました。
またあそこに行きたい、と。あの子と友達になりたい、と。
「ふむ……。分かっているのかい、シャーロット。あの子は、平民だ。我々とは住む世界が違う」
「はい……」
「残念だが、今のままの君を連れて行くことはできないよ。もう少し、平民のことを知らなくてはね」
「分かりました」
その日から、私は平民のことを教わるようになりました。彼らの生活を知り、どういった人が何をしてこの国を支えているのかを学びました。
そうしてから、ようやく。この国は貴族が支えているのではなく、平民も含めて全ての人がいてこその国だと気付いたのです。
あの子と、シャルと出会うことがなければ、きっと私は愚かな考えに囚われたまま破滅してしまったことでしょう。あの子に自覚はないでしょうけど、それでも私は感謝しているのです。
街に行く許可が下りたのは、つまりシャルともう一度会うことができたのは、初めて会った時から一年後のことでした。
さすがにもう忘れられているだろう、と思っていたのですが。
「あ、シャーリーちゃん! おひさしぶりだね!」
あの時と何も変わらない、屈託のない笑顔。覚えていてくれたことが、この上なく嬉しい。
「あの……」
名前を呼ぼうとして、けれどこんな私が名前を呼んでいいのか分からなくて、中途半端なものになってしまいました。
シャルは、きょとんと首を傾げていましたが、やがてにっこりと笑いかけてくれたのです。
「うん! なあに?」
「その……。一緒に、遊びませんか? 街を案内してほしいなって……」
そう言ってみると、シャルは目をぱちぱちと瞬かせた後、
「いいよ!」
あっさりと、そう言ってくれました。
それ以来、私は二日と置かず、必ずシャルへと会いに行っています。貴族の子と会うのはとても疲れるものですが、あの子とだけは何の気負いもなく楽しむことができました。それが、どれほど貴重で大事なものなのか、その時は気付いていませんでした。
シャルと一緒に遊び始めて一年と少し。私は変わり者だと言われるようになりました。
公爵家の令嬢が平民の子供と毎日のように過ごしているのですから、それも当然のことだと思います。ですが、後悔はありません。媚びへつらいながら陰口を言うような人よりも、シャルのように親愛を抱いてくれる人のようが、一緒にいて心地良いですから。
けれど、そんな噂もシャルの耳に届いてしまったのでしょう。その頃から、シャルの表情にはこちらを気遣うような色が混ざり始めました。それが悲しくもあり、けれど心配してくれていることが嬉しくもあり。こんな私はおかしいのでしょうか?
そうして、ほんの少しだけ変わりつつも、根本は変わらない関係を続けていたのですが、ある日シャルから三日ほど会えないと言われてしまいました。貴族絡みの付き合いで私から言うことはあっても、シャルから言われたのは初めてで、動揺してしまったのを覚えています。
「あの……。私、何か嫌われるようなこと、しました?」
「なんでそうなるかなあ。私にも秘密の用事があるのです。期待して待て!」
「え? あ、はい。分かりました?」
シャルはいつも元気いっぱいなのですが、たまによく分からないことを口走ります。何なのでしょう?
とりあえず三日間、私は自宅で勉強や各種お稽古、あと大きな、かつとても面倒な用事を終わらせて、私はシャルに会いに来ました。
「いらっしゃーい! そしてあげるー!」
いきなりそう言われてから渡されたのは、焼きたてのパンです。ちょっと、どころかかなり焦げていました。
「あの、これは……?」
「パンです。私が焼きました。私自ら! シャーリーちゃんのために! 焼いたのだ!」
えへん、と胸を張るシャルがとても可愛らしくて。
けれどそれ以上に、渡された少し焦げたパンは、とても輝いて見えました。
「でも、ごめんね。ちょっと失敗して焦げちゃったの。これでも練習よりはましなんだけどね……」
どうやら三日間会えないというのは、このための練習をしていたようです。
「私が初めて焼いたパンはシャーリーちゃんに食べてほしかったの。あ、練習は例外です。さすがに炭の塊を上げようとは思わなかったからね。あははー。……いやなんで泣くの!?」
言われて、ようやく気付きました。私はいつの間にか、泣いていました。
私だって、プレゼントはもらいます。昨日は誕生日だったので、多くの『お友達』から色々なものをもらいました。ですが、そんなものよりも、シャルからもらったこれは、とても価値のあるものに見えたのです。
シャルが、私のために作ってくれた。それだけで、とても嬉しくて。
「ありがとうございます、シャル……」
私がお礼を言うと、シャルは目をぱちぱちと瞬かせて、次ににっこり笑いました。
「んふふー。ようやく名前を呼んでくれたね」
「え?」
「ん? 無意識だったのかな? 私のこと、名前で呼んでくれたことなかったんだよ。実は嫌われてるのかと思ってたんだよ」
「そんなことありません!」
思わず、大きな声が出ていました。すぐに口を閉じて、目を逸らします。シャルはそんな私をにこにこ楽しそうに見ていました。
「うん。知ってる。でも、やっぱり友達なら名前を呼び合わないとだめだと思うからね。これは私なりの挑戦だったのだ! 私の大勝利だー!」
わーい、と両手を上げてシャルが喜びを表現します。私もなんだか楽しくなって、自然と笑顔になっていました。
「まあ、ともかく! 食べて食べて! 冷めないうちに!」
シャルに促されて、ほかほかのパンをかじります。ほんのり甘くて、柔らかくて。
「とても、美味しいです」
「良かった!」
けれど。
「ちょっと苦いです」
「ですよねー」
次はがんばる、とシャルは笑っていました。
「よし! シャーリーちゃん! 実は私、ずっと聞きたかったことがあるの!」
「はい。何でしょうか?」
「シャーリーちゃんってどこのお家? 貴族なのは分かるんだけどね。聞いたことなかったなって」
そう言えば、私も名前しか言っていませんでした。パンを食べ終えてから、名前を告げました。
「失礼しました。改めまして、シャーロット・フォン・アレイラスです」
アレイラスを名乗ることに抵抗がなかった、とは言いません。けれど、シャルなら大丈夫だろうと思いました。その結果は、シャルは目を丸くして、
「なんと」
シャルは、ちょっと頬を引きつらせていました。
「まじかー……。シャーリーちゃんが、そうなのかー……」
「えっと……。シャル?」
「あー……。なんでもない! なんでもないの! あっはっは!」
それは、アレイラスを恐れているというよりは、別の理由のことのようでした。けれど、まあ、いいのです。その後も、シャルは私と遊んでくれましたから。
シャルの微妙に変わった態度の理由を聞いたのは、大人になってからで。
「くだらないですね」
「あははー」
その頃には、ただの笑い話になっていました。
シャル「ちゃうねん。まさか公爵家のご令嬢が来るとはおもわなかってん。同名の、男爵令嬢あたりかな、と思っててん。私は無実を主張します!」
壁|w・)シャルとシャーリーの出会いのお話でした。
以下、裏話。
公爵「シャルちゃん。実はもうすぐ、シャーロットの誕生日なんだ」
シャル「そうなの? いつ? ……ふむふむ。よし分かった! ありがとうおじちゃん!」
公爵「うん」
こんなやり取りがあったのです。
ちなみにシャーリーが言っていたとても面倒な用事というのは、誕生日会のことでした。
次話は『婚約事件』、まあただの婚約しました報告なお話。
一週間以内にがんばる。予定は未定さ!
誤字脱字の報告、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。