アッシュ王子
シャーリーは私の胃に穴を空けたいのだろうか。シャルは訝しんだ。なんて。
せっせとパンを並べていたら、今日もシャーリーが訪ねてきた。暇なの? しかも今日はお連れさんが一緒です。
この国の人ならみんな知ってるその人は、アッシュ王子殿下。それはもう、仲むつまじくお手々を繋いでパン屋さんに入ってきました。リア充爆発しろ。
いや待て私。シャーリーと王子がくっつくなら万々歳じゃないか。私の知らないところでいつの間にか親交があったんだね。よかった。安心して学園に通えるよ。
「シャル!」
王子の手を振り解いて駆け寄ってくるシャーリー。いやいや、えー……。
シャーリー気付いて。王子様、ものすごく寂しそうな顔してるよ! ほら、振り返って! 今すぐ! はやく!
「こんにちは、シャル!」
にこにこ嬉しそうな顔で挨拶されちゃいました。なんだろう、犬の尻尾が幻視できる。
「こんにちは、シャーリー」
ちなみに、魔力測定の日に呼び捨てで呼ぶようにと言われました。愛称でも不敬とか言われそうなのに、呼び捨て。だめって言ったら泣きそうになったからこっちが折れたけどね……。
「ごめんなさい、シャル。殿下がシャルに会ってみたいらしくて」
「はあ……」
王子を見る。王子はどこか遠くを見るような目をしていた。私の視線に気が付いて、慌てて咳払いをして姿勢を正す。
「初めまして、シャル。私はアッシュだ。……まあ、詳しい説明はいらないかな?」
「はい。大丈夫です」
シャーリーと似通った金の髪に柔和な笑顔。みんな知ってる。私も知ってる。優秀な王子だと評判だ。
お話ではその優秀な王子がシャーリーを裏切ってヒロインに惚れ込んだんだけど。はっきり言ってクソだよね。ゆうしゅうかっこわらい。
「それにしても……」
王子がじろじろと私を見てくる。頭のてっぺんからつまさきまで。なんだよう。
「シャーロット。この子のどこをそんなに気に入ったの?」
「殿下。例え殿下でもシャルを馬鹿にするなら怒ります」
「あ、はい。ごめんなさい」
こわい! こわいよシャーリー! 目が据わってる! 人を殺せそうな眼力ってほんとにあるんだ……!
いや違うそうじゃない。なんでシャーリーはそんなに威圧感たっぷりなの? 婚約者じゃないの? もっと仲良くしようよ。
「ごめんなさい、シャル。嫌な思いをさせちゃいました」
謝る相手が違うんじゃないかなあ!?
私の引きつった表情をどう解釈したのか、シャーリーが頭を撫でてくる。怖くない、怖くない、と。怖いのはお前だよ。
あ、でも、いい気持ち。こう、ぽかぽかしてくる。もっと撫でてもいいよ!
「ああ……。これがシャーロットの言っていた……。本当に、なんというか、ふにゃふにゃだな」
「でしょう? シャルはこれがかわいいんです」
何だろう。馬鹿にされた気がする。でもシャーリーの撫で方はとても気持ちいい。なんだかこう、安心できる。ママって言いたくなるね!
「ママー」
だから言ってみた。
「…………」
「あー……。シャーロット?」
「失礼、この子もらってもいいですか?」
「何言ってるんだ!? 落ち着け、戻ってこい!」
シャーリーが壊れた。まあいつものことなので気にしないでおこう。
「で、ご用件は?」
「君はいきなり素に戻るね……」
「話が進みそうにないので」
「そ、そっか。いや、特に用はないんだけどね。シャーロットが君のことをとても楽しそうに話すから、会ってみたくなっただけだよ」
なるほどなるほど。そんなくだらない理由で国の次期トップが街に来るなよ、と言いたい。さすがに無礼すぎる気がするので言わないけど。
「お二人はどういった関係ですか? 婚約者、とか」
私の知識は、この二人が未来では婚約者になってることを知ってるけど、それがいつからなのかは知らない。今はどうなんだろう? 私とシャーリーが十歳なので、王子は十一歳のはずだ。貴族なら、別に遅くはないはず。
「ああ、それは……」
「私が殿下の婚約者? 面白い冗談ですね、シャル。あり得ませんよ」
「…………」
しゃありいいい! なんてこと言っちゃうのかなこの子は!
ああ、王子、元気出して! きっとこれは言葉の綾とか、そんなやつです!
「シャーリー」
「はい?」
「あほ」
「え」
私からそんなことを言われるとは思わなかったのか、シャーリーは固まってしまった。とりあえずそんなシャーリーは放って置いて、王子を手招きして店の隅へ。あ、護衛の兵士さん、一緒に来てもいいですよ。
「えっと、どうしたのかな?」
「あのですね。殿下はシャーリーのことが好きなんですか?」
「あー……」
王子が一瞬だけ視線を泳がせたけれど、すぐに諦めたようにため息をついた。
「分かりやすいかな?」
「ええ、まあ」
「あはは……。悪いね。君の親友を奪おうとしてる私は邪魔だよね」
「いえ、別に」
あ、王子も固まった。ふむ。どうやら認識のすりあわせが必要なようだ。
「あのですね、殿下」
「うん」
「私は、平民です。ただのパン屋さんの娘です。……ところで貴族様が来ている間はお客様がまったく来ないのです。どうしてくれるんですか。ほら、お父さん、貴族相手だから何も言わないだけで、額に青筋浮かんでます。怖いです」
王子がちらっとカウンターを見て、お父さんを見て、顔を青ざめさせた。気付くのが遅い。
「う……。す、すまない。あとでたくさん買うよ……。うん。続けて」
「はい。で、シャーリーは公爵家のご令嬢です」
「うん」
「私、かなり変な立場になってるの、分かります? 同じ平民なのに他の皆さんからは腫れ物のように扱われて、たまに見かける貴族の方も愛想笑いでそそくさって帰っていくんですよ」
「あー……。うん。うん。なるほど、そうなるよね……」
「ぶっちゃけ、シャーリーが来るの、迷惑です。できれば関わり合いになりたくないのです」
「えー……」
王子が笑顔を引きつらせてシャーリーへと振り返る。シャーリーはまだ再起動できていない。兵士さんも慣れたもので、小声でいつ我に返るか予想しあっているほどだ。つまりはいつものことってやつです。
「それ、シャーリーには?」
「言えるわけないでしょう。迷惑ですけど、その、なんというか……。悲しませたいわけじゃ、ないんです。笑顔でいてほしいんです。幸せになってほしいんです」
「君、なんというか、不器用というか、ひねくれてるというか……」
「ほっといてください」
そんなこと、自分でもよく分かっている。
いや、私だって、最初は友達になるのもいいかなって思ったよ? すごく良い子だから。かわいい大事な友達だと思ってる。
でも、だからこそ、遠ざけないといけない。何が原因で嫉妬して私を恨むか分からないもの。友達だからこそ、反転した時が怖い。
いや待て。それ考えると今この状況もまずいのでは……? いや、まだ、婚約していないから、大丈夫のはず。せーふ。
「なので、是非殿下にはシャーリーの心を射止めてもらいたいです。協力なら惜しみませんから」
「そっか……。うん。ありがとう、シャル。君と知り合えて、本当に良かったよ」
がしっと握手。ちょっとした協力関係だ。王子には是非とも頑張ってもらいたい。というよりも、婚約してもらわないとスタートラインにすら立てないんだからね。本当、頑張って欲しい。
握手していると、シャーリーが復帰してきた。はっと我に返って、こちらへと走ってくる。
「殿下! 何をしているんですか!」
何故か引きはがされて、私はシャーリーの背中に隠された。いや、なんで?
「ああ、気が付いたんだね、シャーロット。シャルから今の生活がどうとか、そんな話を聞いていただけだよ。間違っても、君の親友に手を出したりはしないさ」
「そうですか……。信じておきます」
「あはは……。道はけわしいな……」
いや本当に。警戒心むき出しだけど、これ本当に婚約できるの? 私は今からとっても不安です。
「それよりも、シャーロット。先にシャルに伝えておかなくていいのかい?」
「あ! そうでした!」
え、なに、何の話? いやちょっと待って、とても、とっても、嫌な予感がするのですが。
「シャル!」
「はい……?」
「明日から、週に三日ほど、私の家でお勉強をしましょう。礼儀作法を含めて、貴族と一緒にいても恥ずかしくないようにしてあげます!」
「…………。はい?」
「はい! そういうことです! ではまた明日、お昼の鐘の後に来ますね! 準備があるので、今日は帰ります!」
そう言って、シャーリーが足早にお店を出て行った。もちろんちゃんとパンを買うのも忘れない。
王子を見る。王子も私を見る。そして王子はそっと目を逸らした。
「その、なんだ……。えっと……。うん。すまない」
「いえ……。いえ。いいです。はい」
「本当に、すまない。できるだけ、その、手を尽くすよ」
パンをたくさん買って帰っていく王子たち。ああ、もう、この場で叫びたい。大声で叫びたい。どうしてこうなった……!
「シャル。お友達の家に行くんだね。明日は気をつけて行くんだよ?」
にこにこ笑顔のお父さん。いいよいいよ、私が頑張ればいいだけの話だよ……。
とりあえず、私は決めた。逃げよう。
壁|w・)ついに登場、アッシュ王子。振り回される苦労人ポジションです。
優秀(笑)な王子だからきっと大丈夫……。
次話は『公爵邸』。約束された逃走失敗。
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ではでは。