第4話「double」
気分屋はやぶさ7ごう、最近筆がノリノリ
「先生……?」
「おっ、やっと私も消える時が来たか。」
そう言う藤岡医師の顔はちょっと嬉しそうだった。
「まったく、このタイミングですか」
「はっは、本当だ、せめて君の治療は完遂したかったよ。」
「まあ、電気は通ってますし、今日の感じなら頑張れば腕は動きそうです」
「そうか、そしたら、本当に最初だけ厳しいけど、この階にある車椅子までなんとか行ってくれ。」
「えっ?」
「事務室まで移動する手立てを見つけてくれ、そうすれば大丈夫だ」
「えっちょっ」
「では、健闘を祈る」
そう言って、呆気なく藤岡医師は消え、書き置きが残った。
数少ない残った人間だっただけに、少し寂寥感が押し寄せる。
「はぁ~っ、一人になっちまった……」
しばらく俺は、手の届く所に置いていた本を読んで過ごしていた。
しかし、俺は孤独以上に生命維持に必要なことに気がついた。
食事である。
藤岡医師のいないもとでは、食べ物を得られない。治療する前に餓死する。
「やべえ、腹減った……」
とはいえ、脚がギプスで固定され、骨折も複数箇所渡っているこの体では歩けやしない。
そう、歩けはしないのだが、藤岡医師は示唆していた。
ある程度動ける腕及び上半身で、俺はまずベッドの横に掛け布団を下ろしてクッションにし、ベッドから降りた。そして横向きに降りたまま、ほふく前進で床を這う。
「痛った」
力のほとんどは上半身にかかっているとはいえ、硬い床に接触し擦るだけで脚やその他下半身が痛む。
それでも、進まなければならない。
飯にありつくのは当然だが、俺はそれ以上のことが、この病室を出ることで得られる気がした。
やっとの思いで病室から出、廊下に出る。右を見ると、車椅子の持ち手部分らしきものが複数壁から突き出ている。あれか、と、俺は速を増してほふく前進で向かう。
たどり着くと、それは予想通り、車椅子だった。なんとか引っ張りだし、廊下の手すりも活用して、ほぼ腕力と重力で車椅子に座る。腰骨が若干痛むが、ここに関しては打撲なので問題ではない。それよりも、事務室に行くことだ。
俺は、フロアマップを参照して、エレベーターで1階へ下りた。
エレベーターから事務室はさほど遠くなかったが、不慣れな車椅子ゆえに動きが鈍い。
事務室に入ると、俺の目にまず入ったのは、積み重ねられた膨大な量の本だった。医療用の本だろうか、やはり"こう見えても医者"なのだと感ぜられる。
近づいて見ると、その本の山の横に、手紙があった。
俺の名前が書いてある。
恐る恐る開いてみると、そこには(恐らく)藤岡医師の字で文が書かれていた。
『 拝啓 結城大河くん
これを君が読んでいるということは、私は消え、君は私の言うとおり車椅子に乗り事務室までたどり着いたということだろう。』
「計画してあったのかよ……」
『 君は今のままでは死んでしまう。短期的な話をしても、人類がどんどん消える中、君がいるうちに食糧を提供できる術が極めて少なくなるからだ。』
確かにそうだ。仮に俺の病室に電話があったとして、ピザや弁当を頼もうと思っても、人員がいない可能性が高い。今やデリバリーにも、飲食店にも、縋ることはできない。
『そこで、その本の山の脇にあるタブレットを取ってほしい。』
見るとそこには、ipad pro 11とおぼしき大きめのタブレットと、カード2枚が見えた。
『タブレットと、それから私のクレジットカードとマイナンバーカードだ。細かいことは直接話したい。
では、映像で会おう。
敬具 藤岡悠紀夫』
「おいおい、藤岡先生、自分が消えることを計算に入れて準備してたのかよ……」
俺はすぐにipadに書き置きのメールアドレスを入力し、クレジットカードを登録し、回線を繋げた。
見るとそこには、待ちくたびれている、といった具合に木の下で本を読んでいる藤岡医師の姿があった。
「あの、先生?」
『ん?声がする。これは中継が通ったという認識で良いのかな、大河くん?』
「ああ、よかった、こっちの声聞こえますね、元気ですか、先生?」
『病人にそれを言われたら、医者失格だ。』
諧謔じみたことを言う余裕はあるようだ。
少し胸を撫で下ろすと、藤岡医師は続けた。
『さて、では本題に移ろう。まず火急の話として、君の話をしよう。』
「……はい。」
『君はこれから数日病院生活を送り、その怪我を治し、生きていくだろう。』
「はい。」
『……………その世界で。』
覚悟はしていた。
いわば未婚童貞のおっさんの思考で、ここまで来たら独り身だという諦めだ。
『当然、最悪のパターン、としてだ。この消滅、否、私の身からすれば、"転移"というのが適切かな、この現象が地球上の人類全てに降り注ぎきる確証はないし、君に訪れないとも言い切れない。だが……』
藤岡医師は一瞬言いよどむが、続ける。
『……だが、君は既に消えている。』
……………くん、大河くん、聞こえているか?』
「はっ」
今、思考が途絶えていたか?音も匂いも冷たさも空腹感も、全ての情報の侵入が失われていた。
しかし落ち着いて、その言葉は受け入れがたいものだ。なぜなら俺はここにいる。
「すいません」
『大丈夫だ、それよりも突然言って悪かった。』
「それよりも、俺はどう見てもここにいるじゃないですか。消えたなんて、どこにそんな」
『証拠はある』
そんな刑事ドラマみたいに言わなくても、と思うようなセリフを突きつけられた。
『その机の引き出しを開けたまえ。それが証拠だ。』
言われるまま引き出しを開ける。するとそこには、一つの書き置きがあった。
俺の名前だ。
『君は自分のマイナンバーをわかるかい?』
「………~~~~です」
『なんで覚えているんだ……まあともかく、なら話は早い。私は君のマイナンバーを知らないからできなかったが、その書き置きで書き置きに書かれた人物を見ようとして、誰が現れると思う?』
「それは……」
わからない。
わかりたくないとさえ言える。
きっとそれは自分に訪れた幸福と不幸の輻輳だ。
『横にもう一台タブレットがある。使うといい。』
恐る恐る、俺はタブレットに入力した。
今度の作業は、藤岡医師のそれよりも恐ろしい。暗い洞窟へ入り込んだような、暗黒のシュールレアリスムへの到達。それは瞬間だった。
唐突に、脳に鋭いノイズが走る。
「ぐっ、がっ、ああああああっ!!!」
『!?どうした大河くん!?』
過去どの時よりも激烈で、高音で、熱くて、遠い。
そしてそれはいつの間にか、二重音声になっているのが感じられた。
少し引いて、タブレットを覗くと、そこには、他でもない、俺の肉体が、病院の事務室でない場所にいる姿があった。
『お久しぶりです、大河くん』
「俺……なのか?」
『ええ、一般の定義として君が見ているのは結城大河です。』
「一般の定義?」
『はい。私は結城大河です。ですが、君とは同じであり、違うのです。』
同じであり、違う。
それはきっと───
『解離性同一性障害、か。』
「先生?」
『どちら様?』
『なあ、消えた方の結城大河くん、君は、交通事故に遭ったかい?』
『ええ。私は、運転手が消えて慣性で突っ込むトラックに轢かれました。しかし直前、私も光り、気づいたらこの世界にいました。』
「!?」
『やはりそうか。』
「おいちょっと待ってくれ、先生、あんたは、結城大河はあっちの人格が現れてる時に交通事故に遭って、人格だけ消えて、俺の肉体と俺の人格は記憶の無い交通事故の負傷を負って存在しているっていうのか?」
『……正直、そうでしか今の事態に説明がつかない。消えた結城大河くんの方を見て、確信が得られたぐらいだ。』
『あの、よろしいですか?私を"消えた方の結城大河"と呼ぶのは煩わしいので、私を結城、残ってる俺口調の方を"大河"と呼ぶのはいかがでしょう?』
『ん、ああ、そうだな。では結城くん、君は今、不自由している点はないのか?』
『ええ。元の世界で結城大河の体に現れていた時同様、不自由なく生活しています。強いて言えば、両親に会えていません。それだけが心残りです。』
「両親?お前、俺が交通事故に遭ったって言ってから数日経ってるけど、動向ないのか?」
『自分にお前呼ばわりされるのは変な気分ですね。』
「いや先に俺を君呼ばわりしたのそっちじゃねえか」
『ん、そうでしたね。はははっ、まあいいでしょう。』
地味にイライラする性格していやがる。
『正直、私は出た場所が悪かった。田んぼの畦道でした。どこかわからないし、場所を訊こうにもそもそもいる人は世界に詳しくない。だから、途方もなく旅している感じです。』
「そうか……」
『……まあいい。積もる話は後にしようや。ダブル結城大河くん、ひとまず状況整理は完了だ。次にプライオリティが高いのは、大河くんの空腹を満たすことだ。すまない。』
言われて、俺の腹が大きな音を立てて鳴った。
お腹すいた