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スクランブルエッグを朝食に  作者: 中倉三利
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我儘と本音

「じゃあな。話聞いてくれてありがとう。」


「おう。まあ、なんだ、きっとうまくいくさ。お前も彼女もお互いのこと好きなんだろ?」


 穂高と別れ、駅へ向かう。結局、具体的な解決案は見当たらない。素直に言葉にすれば、きっと塔子は傷つく。それでもきっと、塔子は笑って俺の考えを汲んでくれる。笑顔の仮面の下に、傷ついた心を隠して。

 きゅうと心が締め付けられる思いがした。ずるい男だとは我ながら思う。結局は我儘なんだ。塔子の優しさに甘えて、自由に暮らしたがる我儘なガキみたいなもんだ。


「俺の考え…。」


 ボソリと車内で呟いても、周りの人は一瞥もくれない。ここにいる人にとって関係のない事だ。一人の男の呟きに、誰も関心なんて持ちはしない。当たり前のことではあるが、何故か寂しく感じた。誰もが皆自分のことしか考えない。

 俺も同じだな。所詮は他人に気を配れるほどの余裕はない。

 夜の街が窓ガラス越しに見える。美しく、喧騒的で、とても遠くにあるように感じる。叶うことのない夢のようだ。

 その風景をもっと見ようと体勢を変えると、電車はトンネルの中に入ったのか自分の顔しか見えなくなった。見慣れた顔はどこか他人じみていて、何か言いたそうな顔をしていた。

 



「ただいま。」


 暗い部屋に声を掛けても何も返ってこなかった。塔子はどうやらもう寝たらしい。賢人も早くベッドに潜りたかったが、汗でベタついた身体がそれを拒ませた。熱いシャワーを浴びてスッキリしようと、シャワールームに向かう。無造作に服を脱ぎ、ノズルを回す。身体が一瞬硬直するほどの冷たい水は、次第に温もりを帯びたお湯となり、身体の緊張をほぐしていく。不安も、悩みも、自身のくだらない考えも、水に流れていくように感じる。気が付けば、賢人の頭は、ただ心地良いという感情のみになった。

 ずっとこんな気持ちでいれたらいいのに。

 真っ白な頭にすうっと入り込んできた感情。

 ああ、これが俺の本心なんだ。ただ安寧を求め、心地良い環境を手放したくない。現状に満足し、これ以上もこれ以下も求めない。だから一歩を踏み出せない。変えたくない日々をただ求める。そんな永続的なことなんて有りはしないとわかっているのに。

 

「帰ったの?」


 扉越しに聞こえる塔子の声ではっとした。自分の時間を邪魔されたかのような感覚に陥り、少し苛つく。心地良かった瞬間は排水口にお湯と一緒に流れてしまった。

 

「ああ、起こしてごめんね。」

 

 そんな感情を表さないように、なるべく優しく言葉をかける。

 

「ううん、平気。トイレのついでだから。」


 嘘だ。ベッドルームで俺を待っていたが、痺れを切らして声を掛けに来たんだ。面倒くさい奴め。

 普段思いもしないことが頭に浮かぶ。どうしたんだ俺は。

 

「ねえ、今度の休みなんだけどさ、前に行った水族館に行こうよ。ちょうどイベントしてるみたいでさ、きっと楽しいと思うんだ。」


 嬉しそうに語る女の声に何故か腹が立つ。

 

「そのあとね、気になってるカフェがあるからそこにも行こうよ!」


 俺よりも自由で、俺よりも楽しそうで、俺よりも、気楽…。

 

「うるせぇよ。黙っててくれ!」


 気が付けば扉を開けて怒鳴っていた。普段見せない表情で女は狼狽える。

 

「え、あ、ごめん…。なんか、イライラしてて。」


 すぐに取り繕うが、もう遅い。女は何も言わず賢人から離れていった。さっきまで心地良かったシャワーの音がノイズのように感じる。何もかも上手くいかない。

 



 

「塔子。」


 呼び掛けても返事はない。暗いベッドルームに、自分しかいないようだった。

 

「さっきはごめん。俺」


「大丈夫。イライラしてたんでしょ。それなのに浮かれたこと言ってごめん。」


 こちらを見ずに塔子は応える。その言葉は、どこか他人行儀に感じる。

 

「ねえ塔子。こっち向いてよ。仲直りしたいんだ。」

 

「どうして?喧嘩なんかしてないわ。」

 

「そうだけど…。」


 言葉に詰まる。喧嘩はしていないから彼女の言葉は正しい。でも酷くつっぱっているように感じる。

 少しの無言のあと、塔子が言葉を発した。

 

「最近、あなたのことよくわからない。私の事を好きなのかもわからない。好きって言ってくれないし、綺麗だの可愛いだのも言ってくれない。私と外食することも減ったし、私の気持ちにも応えてくれない。」


 涙混じりの声が暗闇に響く。

 

「ねえ、私の事、ちゃんと考えてくれてる?」


 鋭い刃となって心に刺さる。この人は、俺の本心を見透かしているのかもしれない。俺の考えを汲んでくれるなんて甘い考えはすぐに消えた。

 

「塔子の考えってなんだよ。」


 わかっているくせに答えを求めた。これも甘えなのか。

 

「…私、賢人に求めすぎてるのかな。賢人に我儘言ってるのかな。」

 

「我儘な女だなんて思ったことないよ。」

 

「じゃあ面倒くさい女?」

 

「どうしてそんなこと言うんだよ。」


 面倒くさい。

 

「賢人、私と結婚したいって思ったことないでしょ。私が普段から結婚のこと匂わせてるのうんざりしてるんでしょ。」


 黙れよ。

 

「確かに賢人とそういうこときちんと話したことなかったし、匂わせて嫌な気持ちにさせていたかもしれないし。でも、私だって女としての幸せを求めるんだよ?」


 俺の幸せは?

 

「でも、賢人は絶対、その話をしようとしない。私の事、嫌いになったの?」


 崩れていくのを感じる。心地良い日々が、幸せな日々が、愛し合っていた日々が。

 

「ねえ、何か言ってよ。」

 

『はっきり自分の考えを言え!』


 穂高の言葉が重なる。電車で見た自分の顔を思い出す。

 

「これがおれの気持ちだろ?」


 本心はもう隠せない。

 

「塔子。」


 静かで、それでいて重みのある声が背中越しに聞こえる。

 ああ、どうして彼を責めるようなことを言ってしまったのだろう。後悔してももう遅い。

 

「俺達」


 それより先は言わないで。今言ったことなんて全部嘘なの。

 

「別れよう。」

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