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スクランブルエッグを朝食に  作者: 中倉三利
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塔子と由紀子

 彼が家を出て、私の仕事が始まる。朝食で汚れた皿を洗い、洗濯機を回す。洗濯の間に掃除をし、ゴミを出す。ちょうど洗濯が終わり、ベランダで干す。マンションの最上階に位置するこの部屋は、ゴミ出しや買い物は大変だが、景色は抜群に良い。洗濯物を干し終え、一息つきながら外の景色を眺めるこの瞬間が、私は大好きだ。

 昼まで時間はたっぷりある。今日は友人の由紀子とランチの予定がある。それまでゆっくり本を読みながら時間を潰す。由紀子は、高校の頃からの友人だ。卒業と同時に就職し、大学に進学した私とは時間が合わなくなり、一時期疎遠になっていたが、結婚し専業主婦になってから、再び会うようになっていた。会話の中身は殆ど夫に対する愚痴だが、私はそれが羨ましくて堪らない。彼女は愚痴を言っているが、その本心では「こんなにも夫に愛されてる私をどう思う?」と自慢しているのだ。賢人より収入も少なく、ルックスも大したことないし、趣味のセンスもぱっとしない。明らかにランクが下の男だが、それでも羨ましい。由紀子に会うたび、結婚の素晴らしさを感じる。


「で、まだプロポーズされないんだ。」


 パスタを食べ終えた私達は、デザートをつまみながらいつもの話題に落ち着く。


「私、そんなに優良物件じゃない?彼につり合ってないのかな。」


「そんなことないよ。塔子は高校でミスコンに選ばれて、仕事は大手会社の受付嬢。掃除も洗濯も大好き人間じゃん。」


「仕事はもう辞めてるけどね。」


「それは最高の男を手に入れたからじゃん!甘いマスク、趣味のフットサルで鍛えた抜群のプロポーション、若くしてガッポガッポ稼いでて、住んでるところはマンションの最上階。もう漫画かってくらい高スペックだよ!ねえ、顔だけでもうちの旦那と交換しない?」


「何馬鹿なこと言ってんのよ。いいじゃない。由紀子の旦那、あなたの事すっごく愛してるんだから。浮気とかの心配ないでしょ。」


「えっへへー。あいつが浮気したら、東京湾に沈めて深海魚のエサにするって脅してるからねー!」


「はいはい。」


「でも、お互いいい男、いい女同士なんだから、すぐに結婚するもんだと思ってたけど、そんなにトントン拍子で話は進まないのね。」


「そうね。たまに結婚についての話題が上がるけど、特にこれと言って盛り上がらないし。」


「結婚願望がないんじゃない?聞いてみれば。私と結婚したいと思わないのって。」


「そんな直接的に聞けるわけないじゃない。もしそれで無いって言われたらどうするの。気まずすぎるわ。」


「それもそうねぇ。じゃあきっと記念日にプロポーズしようとしてるんじゃない?サプライズで指輪とか渡しそうじゃん?彼。」


「そうかなぁ。」


「だーいじょうぶ。そんなに心配にならなくても、塔子ほどの女を世の中放っとかないって。例え彼がプロポーズしてくれなくても、違う男がすぐ出来るから。」


「そういう考え無しに発言するの本当にやめてちょうだい。」


「はいはい、気をつけまーす。」


 軽口を叩く由紀子を一睨みするが、あっけらかんとする彼女を見ると、何も言う気が起きなくなる。彼は本当に私を愛してくれているのか、不安になっていたからだ。もしも、結婚する気がないと言われたらどうしよう。

 


 いくら時間があるとは言え、主婦にも仕事は山積みだ。帰ってやる事がある、と由紀子は言い、私達は店を後にすることにした。自転車で来ていた由紀子は駅の駐輪場に向かうので、私もついて行くことにした。二人で他愛もない話をしながら目的地に着くと、「げっ」と由紀子が声を出した。前方にはドミノ倒しのように倒れた沢山の自転車が見えた。


「あーあ、最悪。全く誰よ!こんなふうにしたのは!」


 

「由紀子のは?」

 

「奥から四番目の青いやつ。」

 

 青いママチャリは、自転車たちに押さえつけられている。手前から一台一台、起こしていく他に取り出す方法が無さそうだ。

 

「手伝うよ。」

 

「ごめんねぇ。」


 二人で手分けして自転車を起こす。ざっと二十台はある。私達が懸命に自転車を起こす横を、人々は目もくれず歩いていく。

 

「全く!美しい女性が汗を流してると言うのに、誰一人として手伝おうとしない!」

 

「大声出さないの。人ってこんなもんよ。あなただって同じ境遇なら手伝わないでしょ。」

 

「私なら倒したときにきちんと直すもん!」


 ぶつくさ文句を言いながら、自転車を直す。すると、見知らぬ男性が立ち止まってこちらを見ていることに気がついた。彼は私と目が会うと、一瞬ビクッと体を硬直させてから、無言でこちらに近づき、何も言わずに手伝い始めた。

 

「すみません。ありがとうございます。」


 微笑みを浮かべ礼を言うと、男性は会釈だけして作業を黙々と続けた。

 男性の力もあってか、目的の自転車はすぐに手に入った。

 

「すみません。助かりました!」

 

「いいい、いえ。ぼ、ぼ、ぼ、僕も、じて、自転車、を、起こさなく、ちゃ、いけなかっ、…。」

 

 男性は吃りながら、黄色いロードバイクを指差した。彼の自転車は由紀子のすぐそばに置いてあったのだ。

 

「うわぁ!ロードバイクだ!かっこいいなぁ!」

 

 由紀子は子供のように大声で反応する。男性は緊張しているのか、どう反応していいのか分からないような顔をして笑っていた。

 

「これ、高かったんじゃないですか?ちょっと傷ついてますよ。」

 

 由紀子は男性の反応など気にも止めず、ガツガツと話し掛けていく。昔から彼女はこうなのだ。どのような相手であれ、無理矢理会話に加わらせようとする。悪い癖だ。

 

「き、き、傷は、大、大丈夫だと、お、思います。スプレーで、塗れば、めだ、めだ、目立た、ない、から。」


 汗を流して男性は喋る。その汗は自転車を起こすときに流したものではない。明らかに会話を苦手としている冷汗だ。


「由紀子、もう行こ。」


 私は男性が気の毒に思え、その場をすぐ後にしようとした。

 

「そうだね。ほんとにありがとうございました。」


 笑顔で男性と別れる。一度だけ振り返ると、男性はしゃがんでロードバイクの傷の部分を撫でていた。

 

「あの人、吃音症なのかしら。」

 

「ね、変な喋り方だったね。ロードバイクの話をしてから、やっちゃったって思っちゃったよ。」

 

「それどういう意味?」

 

「え?だって嫌じゃない?きちんと話せない人との会話なんて面白くも何ともないし。」

 

「酷いこと言うわね。」

 

「塔子だって、長引くと面倒だからすぐに帰ろうって言ったんじゃないの?」

 

「そういうわけじゃ…。」

 

「違うの?」

 

「いや、少しは思ったけど…。それよりも、あの人が喋るのが苦痛そうだったから。」

 

「まあ確かに、あんだけ気持ち悪い話し方だと、話し相手の反応なんか目に見えてるよね。彼、きっと子供の頃から悩んでるんでしょうね。」

 

 ズバズバと物を言うのも彼女の悪い癖だ。もう少し、時と場を考えて発言すればいいのにと思う。

 

「じゃあ私はここで。また愚痴聞いてよね!」

 

「私のも聞いてよね。」

 

「結婚したら聞いてあげる!じゃあね!」


 ママチャリを跨ぎ、由紀子は去っていった。結婚したら、か。大きな不安は私の心に深く根付き、ギチギチと締め付ける。結婚。人生において通過点の一つ。幸せの象徴。苦しかないと言われるリアル。彼は結婚願望があるのだろうか。思えば結婚に関する話題は何度かあったが、その度に彼が結婚したいと聞いたことはない。結婚の匂いを感じさせることで、重い女だと思われていないだろうか。自分のしてきた言動が、彼にとって重みになっているのではないか。一度出てきた不安は、そう簡単に払えない。私は駅前に立ち竦み、ただただ今までの行動について正解のない答え合わせを続けていた。

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