What is this thing called Love?
「いらっしゃいませ。」
「塔子、来たよー。」
「由紀子、いらっしゃい。」
慣れた手つきでおしぼりを渡す。塔子はあれからすぐに竹口が経営するバー『Take two』にアルバイトを始めた。馴れない接客には苦労したが、アットホームなお客さんと竹口のフォローのおかげか、一ヶ月経った頃にはすっかりバーテンダーが様になるようになっていた。
「でもまだお酒の種類も覚えきれてないし、作れるのはビールとソフトドリンクだけ。」
「十分じゃない。あとはマスターが頑張ればいいんだから。」
「人使いが荒いねえ由紀子ちゃんは。」
実際、オーダーの殆どは竹口が作っている。手助けできるように何か覚えたいと竹口には言うが、「塔子ちゃんはそのままでいい。そのままがいい」とビールの注ぎ方くらいしか教えてくれなかった。家でも同じコーヒーを飲みたいと伝えたので何とかコーヒーの入れ方は教えてくれたが、お酒はまだだった。信用されていないのか、あるいは塔子の腕が悪すぎるのか。
「こんばんは。」
「いらっしゃいませ。」
「今日はまだ誰も来とらんのですか。」
常連のピアニストである長谷川だ。彼は二年前に地元を離れ就職でこの街に来た。まだ方言が抜けきっておらず、と言うか本人は抜く気がさらさら無いようで、酔った彼の話はたまに通訳を要する。
「ハセくん一番乗りです。」
「じゃあのんびり飲みながら待ちます。」
スコッチのロック。彼がいつも頼む。一人で酒を飲むとき、彼は決まってスマートフォンを睨みつけ、何かをしている。気難しそうな顔をしている彼を見ると、つい何をしているのか気になってしまう。後ろを通るたびにちらっと覗いてみるものの、上手く隠され確認できない。
「あんまりジロジロ見るもんじゃないよ。」
「竹口さんも気になっているんでしょ?」
竹口と二人きりのとき、長谷川のスマホの中身について話したことがあったが、彼は決まって「プライベートだから」と言う。
今日もタバコを煙らせながら、液晶画面をじっと見つめ、思い出したように何か作業をしている。
(誰かにメールだろうか。それとも検索しているだけ?)
気になり始めるとつい見てしまう。彼の真剣な顔を。
「塔子、さっきから何チラチラ見てるの?」
由紀子の指摘に慌てて対応する。
「別に?何も見てないよ。」
「見てたよ。」
「塔子ちゃん、ハセに夢中なの〜。」
竹口が茶化してくる。こうなると調子に乗るのが由紀子だ。
「ええー!塔子いつの間に!」
「ちょ、違います!」
長谷川の様子を見ると、大して驚いたような表情を見せず、じっとこちらを見つめていた。
「塔子さん、俺のこと気になっとるんですか?」
「違うってば!」
「すんませんけど、俺、年上は好みじゃないですけぇ。」
「だから!」
慌てて否定しても、却って不自然になってしまう。そんな塔子に由紀子は遠慮なしに茶々を入れる。まったく、本当にこの手のからかいが好きなんだから。
「でも塔子、そろそろ新しい恋愛始めないの?」
「始めないの?って、そう簡単に言わないでよ。社会人なんてただでさえ出会いが無いんだから。」
「街コン!」
「そんなお金はありません。」
「相席屋!」
「行ったことないし、怖い。」
「マッチングアプリ?」
「見ず知らずの人とお話とか続けられる気がしないわ。」
恋愛は当分いい。正直なところそれが本音だ。そもそも、アラサーのフリーターに貰い手があるのだろうか。
「塔子ちゃん、大丈夫だよ。このお店はそこそこいい男がやってくるから。ハセみたいなね。」
「僕はそこそこなんすか。上玉だと勝手に思っとりました。」
竹口が冗談で場を紛らわす。彼のおかげで余計なことを考えなくて済む。今はただ、この空間を大切にしたい。気のいいマスターがいて、素敵なお客様がいて、心弾む音楽に満たされているこの空間を。