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スクランブルエッグを朝食に  作者: 中倉三利
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空模様

第一部 完

 「穂高、これで良かったのかな?」


 「お前が決めたことだろ?お前が自信を持たなくてどうするんだよ。」


 「でも」


 「やるべきじゃなかったって?だがあの夜『別れよう』と口にした瞬間、こうなる事は予想できただろう?それに、電話の対応はお前が最低だったからだ。」


 「それについては返す言葉もない。」


 「なーんで正直に話しちゃうかねぇ。他に好きな女ができたとか言えば、向こうも諦めが付いただろうに。」


 「そんな、彼女を悲しませるような」


 「違うね。何を言おうが、別れると切り出したら彼女が悲しむのは分かりきっていたことだ。お前はただ、自分の考えをぶつけたかっただけだろ。結婚はしない。デートも面倒くさいから俺からは誘わない。仕事の邪魔をするな。」


 「うるさいな。」


 「何だよ、事実だろ?」


 「合っているから腹が立つんだ。でも、それだけじゃない。俺は塔子の笑顔を見ることも好きだったんだ。」


 「だが、本心は仕事の息抜きとして。あの女と楽しむ雰囲気を楽しんでるのさ。」


 「心を読むな!」


 「そんな怒るなよ。俺とお前の中じゃないか。」


 「気持ち悪い。穂高の顔で話しかけんな。あいつはそんな言い方しない。」


 「ははは、仕方ないだろ。こいつはお前が憧れる存在。成功者。おまえが持ってないものを持っているやつ。コンプレックス。」


 「黙れって言ってるだろ!」


 「じゃあこいつの顔で話してやろうか?」


 「塔子の顔はやめてくれ。」


 「じゃあこれ。」


 「美雪はもっと嫌だ。」


 「しょうがない。あんたの顔にしてやるよ。」


 「自分と話すなんて、気味が悪い。」


 「なーに、気にすんな。所詮は対話形式で自分の考えを整理しているだけ。さあ、朝だぞ。起きる時間だ。あの女がやって来るぞ。」


 「起きたくない。」


 「子供みたいに駄々をこねるなよ。」


 「大体、会って何をすればいいんだ。」


 「簡単なことさ。当分はこれで暮らせと金を渡し、新しい部屋が見つかればお前の荷物を送る。それでおしまい。」


 「手切れ金かよ。」


 「最後まで面倒を見なければならないという罪悪感さ。」


 「胸糞悪い。」


 「俺はお前なんだぜ?俺が考えたことは、お前が考えたことでもある。」


 「それにしたって表現が直接的すぎる。」


 「お前は外的要因に気を取られているからなあ。その場の空気、立場、話し相手、その他諸々。色んなものが邪魔をして、気持ちってものをより複雑にしている。だが本質はもっとシンプルさ。プラスかマイナスか。ただこれだけ。あの女ことが嫌い(マイナス)なだけ。」


 「塔子のことは愛している!」


 「いいや?愛しているところもある、さ。総合的に判断して、あの女は必要ない、すなわちマイナスな要因と判断したのさ。」


 「…くそ。」


 「俺はお前なんだ。自分自身に対してムキになるなよ。…それに、マイナスな要因だと判断したのは、今現在において、だ。」


 「どういう意味だよ。」


 「現在、仕事の方にバランスが傾いているが、いつかはあの女を思い出すときが来るかもしれない。そのときあの女を求め、つまりプラスな要因として必要とするのさ。ま、こんなふざけたことを言う男の鞘に戻ろうとする女、いないと思うがなあ!」


 「本当に腹が立つ!」


 「ははは、お前の考えだろう?さて、そろそろ消えるとするか。またな、俺。」

 


 ゆっくりと目を開ける。一人きりで眠るベッドが、こんなにも広いんだと改めて感じる。どんよりとした灰色の空が、賢人の気持ちをさらに重くさせた。

 トイレのために立ち上がり、行きがけに冷蔵庫のオレンジジュースを直接口にする。紙パックから流れるジュースを零さないように慎重に。

 午前10時。朝食にするには遅すぎるし、昼食にするには早すぎる。大人しく昼まで待とうかと考えたが、このあとのことを考えると何か口にしたほうが良いと判断した。

 何かないかと冷蔵庫を開ける。塔子が買っていた食材たちが、調理されるのを待っている。


 「結局、飯だけは上手じゃなかったな。」


 たまごを二つ取り出し、ボールに割り入れチャカチャカと溶きほぐす。白身と黄身が混じった卵液は、フワフワと泡を立てている。

 バターをひいたフライパンが温まったことを確認して流し込んだ。じゅわっと音を立てて黄金色の液体が固まり始める。こうしてキッチンに立つのも久し振りだ。

 ちゃっちゃと混ぜ合わせ形を整えていく。黄金色の木の葉を作ろうとしたが、久し振りだったためか、火を通しすぎた。結局きれいな形にならず、火の入りすぎたスクランブルエッグが完成した。皿に盛り付ける労力と、洗い物が増えることを考え、そのままケチャップをかけて口に運んだ。

 味気ない。塩胡椒でも入れればよかった。

 それでも、温かい食事をすることで、胃は多少だが満足感を得てくれた。

 空になったフライパンを流しに置き、水をためてベランダへ出た。起きたときより雲が重く広がっているように感じた。

 ポケットから煙草を取り出し、火を灯す。ゆっくりと煙を吸い込むが、肺は異常事態を察して慌てて侵入者を排除しようと咳き込ませた。

 料理も、煙草も、一人で眠ることも、何もかも久し振りだった。

 インターホンが静かすぎる部屋に鳴り響く。塔子が来たようだ。

 

 至って普通な顔をして、彼女を向かい入れた。上手く顔を作れているだろうか。普通を意識すると、返って不自然になるように思える。


 「何か飲む?」


 「ううん、大丈夫。」


 テーブルを挟んで向かい合って座り、話し始めるタイミングを伺った。やはり自分のだけでもコーヒーを入れればよかった。沈黙が辛い。


 「私、新しく部屋を借りたの。」


 先に言葉を発したのは塔子だった。


 「よく由紀子とランチに行く街なの。」


 「そうなんだ。いいところ?」


 「うん。綺麗だし、治安もいいよ。」


 彼女がすでに新しい住処を手に入れている事に一安心した。


 「荷物はどうしようか。送るけど。」


 「服だけ貰うわ。後は好きにして。」


 淡々と決められていく物たちの行く末。こんなふうに簡単に済めばよいのだが。


 「これ。」


 茶色い封筒を彼女に渡す。中身は十万円が入っている。


 「なにこれ?」


 「当分の生活費。」


 という名の慰謝料のようなものだ。手切れ金とも思われるかもしれない。だが、そのような品の無い金にしたくなかった。


 「…ありがとう。」


 彼女はすんなりと受け取った。変に理由を聞かなくてありがたかった。


 「じゃあこれで。」


 「うん。」


 別れの言葉にドラマティックなものなんていらない。そんなの思い出すたびに辛くなるだけだ。


 「鍵、返さなきゃね。」


 「うん。」


 ポケットから取り出された小さな鍵が、音もなく手渡される。


 「…ありがとう、色々。楽しかったよ。」


 「俺の方こそ、楽しかった。」


 扉が開かれる。湿っぽい風が通り抜ける。


 「さよなら。」


 扉が閉じていく。好きな人を隠していく。涙一つ見せずに、機敏な態度で、かっこよく去っていく。最後まで、出来た女で。

 湿っぽい風が止んだ。一つ大きく息を吐く。これでお終い。

 賢人はただ、立ち尽くすしかなかった。冷たい鍵に熱が移るほど、強く拳を握りながら。

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