不器用と交錯
「私の事、嫌いになった?」
きっとあの人は、涙を流すまいと、必死に笑顔を作っている。
「…違う。」
「じゃあ、他に好きな人が出来た?」
声が震えてる。
「…違う。」
「わかんないよ。賢人が、何考えてるのか。」
我儘と嫉妬だよ。ただそれを伝えればいい。俺ための時間が欲しくて、時間があるお前が羨ましくて、お前のためにって考えてしまう自分が嫌で、二人が楽しめるようにって考えるお前にムカついて。
鼻をすする音が聴こえる。また、泣かせてしまった。この人を泣かせたくないって勝手に誓ったのに。今でもそう思うのに。
「俺さ。自由になりたいんだよ。今仕事がとても楽しくなって、とてもじゃないけど塔子の事を考えてあげられない。もちろん、デートの時はすごく楽しんでたけど、結局それも仕事みたいに思えちゃってさ。塔子を楽しませるためにデートをするんだって。普段、家事とかしてもらってるんだからって。で、最近塔子が結婚のこと匂わせて来てたからさ、俺も考えてみたんだけど。『結婚しなくちゃならない』って思っちゃったんだ。」
鼻をすする音しか聴こえない。
「おかしいよな。結婚って両者がしたいからするものなのに、俺はそれすら仕事のように思っちゃったんだ。塔子が結婚したがるから結婚しようって。塔子を養おうって。…俺のためにやる仕事が楽しかったのに、塔子のためにやる仕事に変わったら、俺は楽しく仕事できるのかなって考えちゃったんだよ。」
我儘だ。子供みたいだ。こんな我儘を正直に言えば、あの人はきっと怒るだろう。もっと上手く付き合わなければならないのに。
「…全部、私のためなの?」
彼女の次の言葉を待つ。彼女も察したのか、彼女の気持ちを言葉にする。
「はっきりと言えばよかったじゃない。今は仕事が楽しくなったから、そっちに集中したいって。」
「そんなこと言ったら、塔子悲しむじゃないか。」
「そりゃそうだけど、今ほど悲しむことは無かった!」
「でも俺はお前のために」
「また私のため!私そんなの願ってないし!」
彼女の語尾が荒くなる。
「大体、こっちだって色々我慢してたもの!そんなに家事は好きじゃなかったけど練習したし、家具も家電も私好みじゃない!」
「俺のために仕事辞めて同棲したって言うのかよ!」
「そうよ!」
「いーや、違うね。お前は結婚したいからそうしたんだ。同棲してふたり暮らしを当たり前にして、辞職して俺が養わなきゃって思わせて」
「最低!なんでそんな酷いこと言えるの!さっきもそう。デートが仕事みたいだって。楽しくないなら楽しくないって言えばいいじゃない!」
「楽しかったよ!息抜きにもなれたし!塔子が笑ってるところ見るの好きだし!」
「じゃあそう言ってよ!変なところ正直に言わないでよ!誤魔化してよ!私の事好きなら私を泣かせないでよ!」
荒い息が響く。こんなこと話すつもりじゃなかったのに。後には戻れない。
「…それでも俺は、お前よりも俺が好きだ。お前のための行為も、回り回って俺のための行為になると思ってやってる。だから、結婚しようとは言えなかったのかもな。」
「…賢人のメリットにならなかったから?」
「いや、この心地良い環境を壊したくなかったからだよ。」
もっと早く言えばよかった。そうしたら、上手くやれてたと思う。
「…明日、帰ってくるんだろ?」
「…うん。」
「…わかった。部屋で待ってるから。」
彼女からの言葉を待たずに通話をやめた。
「どうして上手く生きられないんだろう。」
誰も答えてくれない。誰も正解を教えてくれない。でも、俺が決めたことだから。俺が望んだことだから。俺が、俺のためにしたことだから。