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スクランブルエッグを朝食に  作者: 中倉三利
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住処と洞穴

 身体が痛い。慣れないネットカフェの狭い空間は、容易に塔子の身体を痛めつけ、満足に眠ることを許さなかった。職無し、家無し、頼るところも無し。精神的な苦痛に加えて、身体の痛み。早急に対策を取ることが必要だった。

 住まいを探すためにパソコンと向き合う。家賃が安いところに超したことはない。働いていた頃にそこそこ貯金していてよかった。だが、貯金もすぐに尽きるのが目に見えている。最低限の出費で抑えなくては。


 「都心では家賃の安いところなんてないよね…。」


 そもそも都心で暮らす必要などないのだ。仕事は無いし、引っ越しの荷物も無い。この際、家賃の安い郊外に行くのもありかもしれない。でも、全く行ったことのないところで一人暮らしは何かと不安が大きい。治安も良さそうな、住心地の良い…。


 「あっ。」


 一つ候補を見つけた。何度か由紀子と食事に訪れたことがあるし、明るく清潔な街だった。

 すぐにその街で一番安い家賃の部屋を確認する。その中で一番条件のいい部屋を見つけたので、すぐに管理会社に電話をかけた。その日の内に入居したいと申し出ると、すんなり要求が通ったので安心した。

 電車に乗り込み、目的地へと向かう。雑多な駅前の商店街を抜け、閑静な住宅街を進むと目指すべき場所はあった。

 1Kの築25年のアパート。前の住人の物なのか、小さな冷蔵庫と古めかしい洗濯機がある以外、何もなかった。お世辞にも綺麗とは言えないが、今の塔子には十分な住まいだった。

 管理会社の担当が、細かな注意点を述べ、必要な書類を渡してきた。いくつかのサインをし終え、塔子は新たな住処を手に入れた。

 カーテンは何色にしよう。まずは布団が無くては。それよりもお隣さんにご挨拶?

 新しい生活に胸が弾む。私だけの空間。私だけの時間。誰のことも気にしないで生活が出来る。

 別に賢人との生活に不満が溜まっていたわけではなかったが、改めて自分の好きなようにして良いと言われれば、誰だってウキウキするものだろう。

 とにかく、布団とカーテンだけでも確保せねば。

 浮かれた足で近所の大型ディスカウントストアへ向かう。必要な物を買い揃えた頃には、夕方になっていた。


 「全部運んでもらえるのはやっぱり楽だなぁ。」


 ディスカウントストアの店員に頼み込み、必要な物は全て郵送してもらった。帰り道にコンビニで弁当を買い、久しぶりの一人飯を満喫するべくお酒も買った。

 家に着けば、辺りは夕食のいい匂いが漂う。子供たちの笑い声が聞こえ、暖かな団欒の雰囲気が感じ取れる。

 ふと、賢人のことが気になった。連絡は未だにない。こちらから連絡するべきだろうか。でも、何を言えばいいか分からない。ただ一言「さよなら」と言えばそれで終わりなのだが、今まで過ごした時間を思うと、そんな簡単に終わらせて良いものなのかわからなくなった。

 何も書かれていないテキストボックスを睨みつける。外は日が沈み始めたのか、どんどんと暗くなっていく。仄白く光る液晶が、塔子の顔を青白く染める。

 やめた。何も浮かばないや。

 諦めてスマホを放り投げ、大の字に寝転がる。まだビニールを開けていない布団が、くしゃりと音を立てる。

 どうして彼は連絡してこないのだろう。いくら何でも心配をかける言葉や、居場所を聞くことぐらいあるだろう。


 「俺達、別れよう。」


 結局、その言葉の本意を確かめずに出て行ってしまった。私の何が問題だったのだろう。他に良い人が出来たのだろうか。

 考えれば考えるほど、涙が出てきた。冷静になってようやく、彼の事が好きなのだと思い知った。

 会いたい。でも怖い。せめて声だけでも聞こうかしら。でも何を話せば。

 電話する勇気も、真相を確かめる覚悟も、何も持っていない。彼の事が好きという気持ちも、実はまやかしなんじゃないかと思う。

 勢いで家を出てしまった事を、今更後悔してしまった。それでも、あの夜感じた恐ろしい感覚は間違っていない気がする。あの場所には私の居場所はなくて、収まりのいい所を探さなくてはならないという使命感。


 「…電話しよう。」


 言葉にしてしまえば、さっきまでのウダウダは綺麗に無くなっていた。何を悩んでいたのだろう。話すことなんていくらでもあるじゃないか。

 スマホを手に取り、彼の電話番号を入れる。その時、バイブレーションとともに見慣れた文字が画面に映り、慌ててスマホを手放す。


 「賢人から、電話だ。」


 同じタイミングで電話をするなんて。

 ドキドキと心音がはっきりと聞こえる。ひと呼吸置いて、通話ボタンを押す。


 「…もしもし?」


 「…よう。」


 「うん。どうしたの?」


 何がどうしたの?だ。相手は心配してかけてきたに決まってるだろう。


 「帰ったら、家に居なくて、ちょっと空けるだけかと思ってたけど、帰ってこないから、何してんだろうって思って。」


 「…ごめんなさい。何も言わなくて。」


 「いや、俺の方こそごめん。」


 会話が途切れる。さっきまで電話をしたかったのに、いざ電話してみると何を話したらいいのか全く分からない。


 「今、どこにいるの?」


 「…由紀子の家よ。」


 咄嗟に嘘をついてしまった。新しく部屋を借りたと言ってしまうと、もう後戻り出来なくなると思ってしまったからだ。


 「そうか…。」


 賢人は何も話さない。塔子の頭の中が真っ白になる。

 何を話せば。何を伝えれば。そうだ、好きだって言うんだ。冷静になって、やっぱり好きだって気がついたって言えばいいんだ。でも、冷静になってって?私が冷静になると言うことは、彼も冷静になったと考えていい。もしも好きだと言っても、彼の気持ちが決まっていたら?あの言葉は勢いで言ってしまったことではなくて、本当にそう思っていたとしたら?私だけ辛い思いをすることになってしまったら?

 たった二文字の言葉が口から出てこない。喉奥にベッタリと張り付いて、頑なに剥がれようとしない。ありもしない異物を取り除こうと咳き込みたいが、この静寂を壊してしまうのが怖かった。時が動き始めるのが怖かった。彼の本当の気持ちを知るのが怖かった。


 「…あ、明日帰るから」


 「俺さ」


 静かで、だが気持ちのこもってる声がスマホから身体の中に入ってくる。


 「別れようって言ったけど」


 身体の中はまるで深い洞穴みたいで。


 「本気…だから。」


 彼の言葉が、わんわんと反響して行く気がした。

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