硝子
Ⅰ
夕闇の仄暗い光を反射して、硝子の鋭爪が空を切る。
掻き切るように弧を描いたそれは、幾度となく繰り返してみた動作。攻撃の予備動作から、軌道の端から端まで予測済み。
硝子の爪先は、予測した軌道をなぞるように過ぎていく。
だからこそ、避けるも、反撃も容易。
攻撃がこの身に迫る瞬間を狙って大きく身を屈め、頭上を鋭爪が過ぎると攻勢に転じた。
下方に配した剣の先を振り上げ、硝子の胴を捉える。刃は太刀筋の最中にある物すべてを断ち切って馳せ、一瞬の静寂ののち、からりと胴が地に落ちる音が鳴る。
「――今ので最後か」
敵の殲滅を確認し、一息をつく。
「にしても、今日は大量だな」
足下に転がる、無数の抜け殻たち。
硝子の外殻を有した怪物、シンデレラの成れの果て。
たったいま断ち切ったシンデレラも、硝子の外殻だけを残して死滅していく。
それはそれを、硝子の中から黒い霧が消えていくのを眺めつつ、抜き身の刀を納刀した。
「――な、なんだ、これは」
ふと耳に入る人の声。
もう何ヶ月も聞いていない人間の声がして、少々驚きながら目を向ける。
人は複数人いた。
彼等は白い衣服で統一されていて、そこに男女の区別はないように思われた。
「驚いたな。まだ生きている人間がいるなんて」
師匠の話じゃあ、人間はもう何百年ものあいだ絶滅の危機に瀕しているってことだったが。
どうやら、まだ踏み止まっているらしい。
「それはこっちの台詞だよ……まさか城壁の外に人がいたなんて。それに……これは、キミがやったのか?」
彼等の中から一人、細い目をした優男がまえに出てくる。
優男の視線の先には、足下のシンデレラの亡骸があった。
「あぁ、数が数だけに多少、時間が掛かったけどな」
計、十五匹を一度に相手をするのは、少々骨が折れる。
「これだけのシンデレラを、たった一人で? それは凄い。いったい、キミの魔法はどう言うものなんだい?」
「魔法? あぁ、いや、こいつは――」
言いかけた言葉を切って、腰に差した刀に手を掛ける。
「悪い、話はあとだ。どうも、まだ居やがったらしい」
「居るって――まさかッ、みんな! 周囲を警戒しろ!」
優男の声で警戒心が伝播し、ほかの者たちも臨戦態勢をとる。
夕闇に染まる荒廃した街並みが、シンデレラの居場所を隠す。朽ち果てた道路、崩れ落ちた建物の残骸、点在する瓦礫と硝子片。そのいずれにも目をこらし、警戒の糸を張り巡らせていく。
そして、糸が僅かに揺れた。
「――そこか」
いの一番に勘付いて、爪先をそちらに向けて地面を蹴る。
居場所がばれたと見るや否や、シンデレラも姿を現した。
振るわれる刀と鋭爪。交わった先で原形を保っていられたのは、硝子の外殻を断ったこの刃のほうだった。
「ふー」
外気に触れた先から、黒い霧が死滅していくのを確認しつつ、改めて刀を鞘に納める。
「――斬った、のか? いま」
「使ってなかったよな? 魔法」
「ありえるの? そんなこと」
振り返ってみると、目を丸くした人たちの視線に晒された。
そう言えば師匠が言っていたっけな。
シンデレラを生身で斬れるのは俺たちくらいだって。
それで驚いているのか。
「――キミはいったい、何者なんだ?」
「音間夜弦。何者かって話なら、いまは流浪だな。寝床も居場所も持ち合わせてない――あぁ、そうだ。これも何かの縁だと思って助けてくれないか?」
そう言ってすぐ、腹の虫が鳴る。
「なにか食い物を分けてくれるとありがたい」
Ⅱ
軽快に駆ける馬の蹄が、若い緑を踏み締める。
視界の端に流れていく幾本もの木々を眺めながら、分けてもらった食料を頬張った。
「しかし、夜弦には本当に驚いたよ。まさか魔法を使わずにシンデレラを討伐できる人間がいるなんて」
そう言って優男、イースラは隣に馬を並べた。
「そんな風に驚いてくれると剣客冥利に尽きるってなもんだ」
師匠以外の人間に、俺の剣技を認めてもらえたことが何より嬉しい。
「この剣があれば、その討伐隊? とやらに入れそうか?」
「勿論だよ。キミみたいな逸材を、総隊長も放ってはおかないはずだ。討伐隊に入れば、最低限の寝床と食事は保証されるから、安心して」
「そいつは願ったり叶ったりだ」
イースラが所属するという討伐隊とやらは、どうやら人間の生活圏を守るために造られた組織らしい。幾つかの隊長がいて、その上に総隊長がいる。総隊長に認められれば、晴れて俺も討伐隊の仲間入り。
ふかふかのベッドと暖かい食事に有り付けるという訳だ。
「しかし、まだ見えてこないな。その……なんだっけ? じょう、じょうかく……」
「城郭都市メルゥサ、だよ」
「そうそう、それそれ」
城郭都市メルゥサ。
話によれば都市の構造上、運よく生き残ることができた唯一の生活圏らしい。
元々は敵性勢力から都市を守るための城壁が、シンデレラの進行を妨げる良い盾となった。以降、シンデレラによって人類が絶滅の危機に瀕しても、メルゥサだけはなんとか持ち堪えていられるみたいだ。
「そろそろ森を抜ける。そうすれば直ぐに見えてくるよ」
その言葉の通り、すぐに森は途切れ城郭都市メルゥサの全貌が露わになる。
波打つ山々の地平線を背景に、周囲のすべてを排斥するように立つ城壁の輪。内側にはたしかな人の住む都市があり、赤色の屋根が窺えた。
「ここを下ればすぐだ。行こう」
「あぁ」
緩やかな下り坂を駆け抜け、残り僅かとなった帰路をいく。
そうして俺たちは城郭都市メルゥサに凱旋を果たしたのだった。