《猫も殺す》
週末の丑三つ時。しこたま飲んで上機嫌な俺は、調子外れな鼻歌を唄っていた。
心地好い酩酊感に酔いしれ、満月に照らされながら、ふらりふらりと夜風を味わう。
にゃあん
不意に聞こえた鳴き声に周囲を見回すが、声の主は見当たらない。その代わりに道端の草むらの向こう、金網越しに見える溜め池の畔でちらつく光が目に入る。
「んんー?」
目を凝らすが何をしているのか判然としない。探し物だろうか? わざわざこんな夜更けに?
まぁ、世の中にはそういう奴も居るんだろうと鼻歌を再開し、自宅に辿り着いた所で意識を手放した。
翌日、いや同日の昼過ぎ。湯船で目覚めた俺は、何故に衣服を着たまま風呂で寝ていたのかと、すっかり湯冷めした身体をシャワーで温めながら記憶を手繰るが、帰宅後の行動は一向に思いだせなかった。
なにはともあれ、溺れなかったのは僥倖だ。
「頭が痛い……」
風邪を引いたのか、単なる二日酔いか。頭痛に苛まれながら着替えをすませ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを一気飲みしてテレビを点ける。平面世界では、猫を溺愛していることで有名なニュースキャスターが、今朝早くに犬の散歩をしていた老人が、溜め池の畔で溺死体を発見したと告げていた。
「溺死ねぇ、ってこれ、すぐそこじゃんか」
遺体は高校二年生の女生徒で、死亡推定時刻は午前零時から午前四時の間。外傷はなく、着衣の乱れなど争った形跡も見られないことから、事故が疑われているが、現場は簡易ながら手摺や柵も設置されていて、それほど足場が悪いということもない。さらに岸辺付近は深い所でも水深が80Cmしかないことに加え、水面から岸までの高低差も15Cm程度なため高校生が溺れるとも思えず、自殺の可能性も視野に入れて捜査が行われているらしかった。
「確かに、街灯が少ないったって、溺れられるような場所じゃないからなぁ」
呟いて、帰ってくる途中に池の畔で何者かを見た事を思い出す。もしあれが件の少女であったのなら、声をかけていれば止められたのではと考えてしまい、頭を振って罪悪感を振り払う。
そこでもう一つ思い出す。あの時、懐中電灯かなにかの光が見えていた。月明りもあって真っ暗闇という訳でもなかったのに、果たして池に落ちたりするだろうか? それとも、俺が見たのは別人?
キャスターの話はまだ続いており、驚いたことに、あの池での溺死者はこの五年で15人もいるのだとか。近隣住民の間では呪われているとの声も上がっていて、埋め立てて欲しいと市長に嘆願書まで出されているらしかった。
今のアパートに越してきて一年経つが、あの溜め池がそんな場所とは全く知らなかった。どころか人気がなくて、自然に囲まれた憩いの場所とまで思っていたのだ。今更ながら、近所付合いの重要性を考えさせられる話だった。
過去の死者も、争った痕跡や事故らしい形跡もなかったが、遺族や知人の証言などから自殺とは考えられず、その結果ほとんどが事故死として処理されているらしい。当然、市も手摺や柵、注意を促す看板などを設置しているが、さして効果は出ていないようだ。
「今後は近づかないようにしておくか」
この時は、そんなものだった。
結局、女子高生は事故死として処理され、気味の悪い溜め池も近々埋め立てられる事が決まった。
後日に溜め池について軽く検索した所、多少のバラ付きがあるもののおよそ四ヶ月に一人は死人が出ていた。いずれも深夜におきていて、老若男女を問わず溺死。それが5年も続いているのだから、近隣住人はさぞ気味の悪いことだろう。心霊スポットにも挙げられており、初めの溺死者が仲間を求めているという説や、元は合戦場だった場所で怨念がこもっている説、一部では初めの死者よりさらに一月前に溺死した黒猫の呪い説や、住処を追われ池に潜んでいた怪生物の逆襲説なども書かれていて、いろいろと考えるものだと関心させられるほどだった。
そうして別段変った事もなく、一月ほど経ったある日。
この日も仕事仲間としこたま飲んで、上機嫌に夜道を歩いていると、
にゃあん
どこからか聞こえる覚えのある鳴き声。
「んー?」
見回すが街灯の照らす範囲に姿は見えない。鳴き方から察するに猫なのは間違いないだろうが、なんとなく興味が沸きどんな奴なのかと薄闇に目を凝らす。
「どこだー? 出てこいよーい」
呼びかけたり舌を鳴らしたりしてみるが、たまに鳴き声を返すだけで、声の主は一向に姿を現さない。
月明かりの下、一向に姿を見せない声を、躍起になって追いかけ草木の影へ影へと進んで行くと、いつからか猫の鳴き声すら聞こえなくなっていた。当然の結果として現在地がわからず、辺りを見回すと草木の隙間から錆の浮いた金網と、磨かれた鏡のような水面が見えている。いつの間にかあの溜め池の畔まで来てしまっていたらしい。
道から外れ付近に街灯もない水面の中央には、金色に輝くサークルが浮かんでいる。足元の水面はただただ真っ黒で、見ていると水面下に何かが潜んでいてるような、引き込まれてしまいそうな薄気味悪さを感じた。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。
そんな言葉を思い出した俺は、寒気に身震いしがら後退る。
「……とっとと帰ろう」
振り返り、草の少ない方へ進もうとしたが、金網の下を横切って浅い川が陸路を分断していたので、仕方なく来た道を引き返す。来た道と言っても実際には道などなく、金網に沿うように草木をかき分けて歩いていく。
まったく、猫なんかに構わなければこんな所に来ることもなかったのに。
嫌な気分を散らすため帰ったら飲み直すぞと、一人月夜に誓ったのだった。
目が覚める。馴染みの頭痛に顔をしかめながら、ペットボトルの水を飲み干す。
「ん? なんだこりゃ?」
リビングのテーブルに出しっぱなしになっていた平皿には、ケチャップで「かゆい うま」の文字が殴り書きされていた。うーむ、意味がわからん。思い出そうとしても、例によって目的の記憶は手繰り寄せられない。
「軽く飲み直してから、ツマミを作ろうとした辺りまでは覚えてるんだけどなぁ。何を作ったんだっけか?」
首を捻りながらテレビをつけると、今日はクラゲをこよなく愛している変人寄りなニュースキャスターが映っていた。昨夜、中国からと思われる密漁船が、海上保安庁の巡視艇から逃げる途中で流木か何かと衝突して転覆し、乗員6名の内4名は助かったが2名が潮に流されて行方不明らしい。まぁ、自業自得ってやつだな。
他には、政治家の贈賄に中高生の自殺、アイドルの電撃結婚に人気バンドの30周年ライブ、高齢者の操作ミスによる自動車事故に黙殺されるであろう抗議デモ活動、相変わらず今日も日本は平和だ。いや、こんなニュースが常態化していることを平和だと言える俺の頭こそが平和なのか。麻痺しているのか、あるいはさせられているのか。
何だか色々とやる気か無くなった俺は、湯を沸かしインスタント拉麺を腹に収めると、ベッドに潜り込んで夢の中へと逃げ込んだのだった。
夜半に目を覚ますと、忘れていた平皿のメッセージを洗い流し、何故か無性に食いたくなった青ネギと紅生姜を求めて牛丼屋へ。
腹が膨れると、ビニール袋をぶら下げ、コンビニで買ったワンカップを片手に空を見上げる。綺麗な満月が浮かんでいた。
「そういや、明日は遅番だったか」
携帯で予定を確認すると、満月の下を目的もなくぶらぶらと歩きいてゆく。
にゃあん
どこかで猫の鳴き声がするが相変わらず姿は見えない。裂きイカを噛みながら、月見酒とでも洒落込もうと考えていたら、気付くとあの溜め池に来てしまっていた。
「まっ、いいか」
雲もなく明るかったせいか、昨夜の薄気味悪さも忘れてベンチに陣取ると、望月を眺めながら酒を呷って雰囲気を味わう。
「っぷはぁー! 絶景かな絶景かな」
景色のお陰か、大して飲んでもいないのに、良い感じの酩酊感に包まれる。
上機嫌でハミングしていると、視界の隅を光が横切った。反射的に目で追うと、正体は月明りを映した黒猫の瞳だった。
「もしかして、お前か?」
にゃあん
一声鳴くと、猫は足下でちょこんと座り、じっとこちらを見つめている。
しかし、手を伸ばすと素早く手の届かない位置まで下がり、再び座ってじっとこちらを見つめて来る。その視線の先は俺の手元。
「あぁ、これか」
猫にイカって大丈夫だったかとちょっと考えてから、死にゃあしねぇだろうと放ってやるが、匂いを嗅いだだけで溶けるように夜闇に消えてしまった。
「ちっ、愛想のねぇやつだな」
先ほど猫の目に反射する光をみたせいか、ふと思い出す。あの夜、ライトの光が見えた場所。あそこに道などあっただろうか?
「そういえば」
昨夜、猫を探して辿り着いた金網の辺り、あの近くだったんじゃないか?
好奇心が頭をもたげる。例の女子高生、その後の捜査でも進展がなく事故とされていたけど、もしかしたら何か見つかるかもしれない。それに来週には埋め立てられるらしいし、言うなれば最後のチャンスってやつだ。
果たして一体何のチャンスだと思わないでもなかったが、好奇心に負けて昨夜通ったルートを思い出しながら、再び草木をかき分けて進んで行く。何もなかったら帰ればいいだけだし、たまには童心に返って冒険をしてみるのもいいだろう。
遮る雲もない月光の下、目的の畔に辿り着く。
「しまった、灯りがない」
月明かりで見えなくもないが、はっきり見えなければ物探しは難しい。そもそも、探す物も分からないのだ。とりあえず、携帯の灯りで周囲を照らしてみるが案の定、光量が足りずさほど変わらなかった。
「そうだ」
携帯を撮影モードにしてフラッシュを焚いてみる。今度ははっきりと地面が見えたが、瞬間記憶でもない限り、そんな方法では無理がある。
「……帰るか」
面倒臭くなって振り返りかけたが、ふと思い付いて水面へ向けてフラッシュを焚く。
すると、予想が当たり何かが光を反射した。
「おお?」
一度見つけてしまえば、微かではあるが月の光を反射していて、闇そのもののような水面下に辛うじてその存在が確認出来る。そこは、手を伸ばせばぎりぎり届きそうな位置だった。
唾を飲み込み、膝をついてゆっくりと岸から身を乗り出し、その何かに向けて限界まで手を伸ばす。
風で微かに揺らめく闇にゆっくりと指が潜り込み、手首、前腕、肘と徐々に冷たいその身の内へと呑み込まれて行く。指先が何かに触れたと思った瞬間、俺はバランスを崩して顔面から闇中へと落下した。
もがき手足を伸ばすが、すぐそばにあるはずの岸にも水底にも触れられない。真っ暗な水中は何も見えず、パニックに陥りそうな自分をなんとかかみ殺すと目をつぶり、胎児のような体勢で全身の力を抜く。
そのまま数秒間、周囲の乱れが鎮まるのを待ち、浮き上がる感覚を得ると水面を目指す。
正面には波に歪む月が見える。その月を目指して必死に水をかく。
(なんで、なんであんなに水面が遠い。そんな水深ないはずなのに!)
苦しい……限界が近づいてくるが、ついに手が水面の月に触れ────。
一度だけ水音が響き、それきり辺りは静寂に包まれる。
にゃあん
空に輝く月だけが、夜の全てを知っている。
他者様の作品から着想して書かせてもらいました。
とりあえず、黒猫と暗闇に頼った感じ。
ホラーとして成立できているかしら?
タイトルはつまり好奇心。
タイトルに限らずネーミングセンスが欲しい(´・ω・`)
誤字脱字・感想・批判など頂けると舞い上がって喜びマス(n*´ω`*n)
以上、拙作を読んで頂き、有り難うございましたm(_ _)m