表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

七幕:病院にて



 鬱陶しい梅雨の季節が始まった。雨が馬鹿みたいに大量に降る。いや、最早流れ落ちてくるの領域だ。不機嫌を丸出しにした分厚い灰色の雲は、青い稲光を色々なところで発生させている。瞬時に青白く光り、何秒かするとゴロゴロという音とともに、大きく地面を揺らす。僕はその差は何秒かと数えて、どのくらいの距離の場所に落ちたのだろうと計算する生産性のない遊びをしていた。あ、今のは近い。

「退屈だ……」

ツンとにおうのは消毒液の匂い。真っ白い壁と床。今僕がベッドの上に横になっていないのが唯一の救いだった。そうなっていたら暇すぎて気がどうにかなっているに違いない。お爺さんの枯れた枝のように細い腕、妙齢の女性の窪んだ目元。病院にいるというだけで、そこに居る人々が不健康そうに見えるのはどうしてだろう。僕はソファに座って、自分の名前が呼ばれるのを静かに待つ。病院という場であるため、いつもは暇を潰すために使うスマートフォンも使えない。

ああ困ったものだなあ、と不自然に腫れた自身の左手を眺めた。原因はついさっき遭ってしまった交通事故。軽自動車と自転車の接触事故であったが、僕自身はうまく受け身が取れたため、咄嗟に着いてしまった左手以外のケガはない。当初は捻挫だろうと思い放置しようと思ったのだが、軽自動車の運転手さんが泣きそうな顔で「最初は大丈夫と思っていても後から痛くなるものなんです!」と近くの総合病院へ行くことを勧めてきたので、渋々病院まで乗せられてきた。そしてその運転手さんの予想は的中して徐々に痛み出したのである。幸運にも利き手の右手ではないので、勉強には支障は出なさそうではあったが。

ああまだ名前が呼ばれない。そろそろ雷の落ちた場所とここまでの距離を計測することにも飽きてきた。雨は収まる気配がない。帰りはどうしようか、なんて考えていた時だった。

「――わあすごい! 体が嘘みたいに軽いし、自分の足で歩いたのって何年ぶりだろ。んー、こんなことが出来るならこの体も悪くないかも!」

 なんだこの煩い声は。少し幼さを残した高い声が突如聞こえて僕は思わず苛々した。ここは病院なんだぞ、周りの人だってきっと迷惑してる、と声のする方へ顔を向ければ誰ひとり気にした様子をしていなかった。どうしてだ、とここ最近ぐっと視力が落ちてしまったような目で声の持ち主を凝らし見た。

 黒いセミロングの髪の毛に、ぱっちりとした瞳、鼻筋はすっと通っている。天真爛漫そうににっこりと微笑んでおり、足は不器用なスキップを踏んでいた。しかしその身軽そうな体を包むのは薄青の病院着。よく見れば、それから伸びる手足は細かった。

 ずっと僕が睨んでいたせいもあるのだろう。彼女は僕の視線に気が付き、こちらにこれまた嬉しそうに向かってくる。

「第一発見者、はっけーん! ねえ聞いて、私死んじゃったみたいなの!」

 その瞬間、ピンポーンとベルが鳴り、若い看護師さんの「如月 春日さん、五番の診療室までお越しください、繰り返します――」という声が聞こえてきた。



**



「なあ、いい加減僕に付きまとうのはやめてくれないか?」

 結局、骨に少しばかりひびが入っているだけだった。安静にしていればものの一か月もかからずに完治するらしいということを聞いてほっとした自分が居たが、何よりも気にかかるのはこいつの存在である。僕が診療を受けている間もずっと付いてきたのだ。もう勘弁してほしい。

「だってあなた以外に見える人がいないんだもの。つまらないのよ」

 ぶう、と頬を膨らませた彼女は幼く見える。

 待合室で父の帰りを待つのが耐えられなくなった僕は、病院一階にあるコンビニの前の長椅子に座っていた。多くの人が行き交うそこで一人で話なんて続けてみろ、おかしいと思われて最悪精神科の受診を勧められそうだ。ちょっとした危機感を抱いた僕は鞄から取り出したスマートフォンを耳に添える。これで周りからは通話をしているように見えるはずだ。もちろん本当に通話をしているわけではない。

「さっさと帰ればいいだろう。早いうちに天に帰れ」

「嫌よ。私、小さい頃から体が弱くて入退院を繰り返してきたの。今思い返せば、学校で友達を作ったような記憶もないし、外に出かけたこともない。私は人並みの人生を歩みたかった。普通に学校に通って、就職をして結婚をして年を取っていくの。でもそれが叶わなかった」

「どうすんだよ。僕にくっついてても意味ないだろ」

 そこで彼女がニヤリと笑った。そのいたずらっ子がするような笑みに僕の背筋がぞっとする。背中に冷たい汗がつっと流れて、僕の人生史上、最高に嫌な感じがした。

「意味ならあるよ。私があなたに憑いて、疑似的に人生を楽しめばいいの。あなたと一緒に私も成長していく。すっごい名案だと思わない? 私が与えられてばかりだと申し訳ないから、私があなたの目になってあげる。幽霊が近くに居たら教えてあげるよ。今まで幽霊と人間の区別が最初に付かなくて苦労してきたでしょ? だから私が察知したらあなたに伝えるようにするから。よし、交渉成立! 私の名前は菅井(すがい) 小夜(さよ)。小夜って呼んで。よろしくね春日くん」

 ふざけるな。これ以上僕の心労を増やすんじゃない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ