第16話:後悔しますよ、スクラさん。
スクラは先ほどよりもはるかにプレッシャーを感じていた。肌がひりひりとするような、鋭いものだった。それは、明らかにスクラに向かってきている。
プレッシャーを放つ張本人は笑顔でいるのだが、決して目が笑う事が無い。そこから感じるのは、恐怖。
「……か、返して欲しくば、結界を解け」
「それは、出来ない。だけれども、私の愛しき者は返してもらうっ!」
キンッ
スクラが感じたのは、手の痺れだった。
先ほどまで握っていた剣の感覚がどこにもない。その手は空を掴んでいるばかりだった。彼の横側に風が通り抜けて行った。
「……危ないなー」
マースリーの剣によって弾き飛ばされたスクラの剣はガイアラスの手の内に収まった。それをガイアラスは弄ぶと、スクラに目を向けた。
魔王と雖も、その強さに驚愕してしまっている。それがガイアラスからでも見て取れた。
マースリーの腕の中にはアンドレスタがしっかり抱えられており、ハイマットの横にさっと降り立つと、マースリーは微笑みかけた。目もしっかりと笑っている。
「アンドレスタ、無事か?」
「……ありがとう、マースリー」
一国の姫と一国の王子が見つめ合う、そんな輝かしい光景ではあるが、姫の姿をしているのはアンドレスタである。
「……アンドレスタ様、ご無事で何よりでございます」
とても違和感があるはずなのに、それを感じない事にハイマットは何とも言えないものがあった。慣れと言うものかもしれないと、彼は1人、慣れの恐ろしさを感じていた。
(魔王たるもの、こんなところで終わって堪るものか。ママの為にもなんとかせねばっ)
スクラの周りには黒い力が集まってきていた。黒の国にあふれている魔力が集まっているのだ。魔王は自由自在にその魔力を集める事が出来る。つまり、彼の魔力は底なしなのだ。
そんな様子に気が付いたマースリーはすぐに戦闘態勢に入る。
「ハイマット、アンドレスタを頼んだ」
「かしこまりました」
アンドレスタをハイマットに預けたマースリーは、2人を背に庇うようにスクラの前へ出た。マースリーは魔王のその力を感じ取っていた。何か、他の4人とは違うものを感じていたのだ。
「解き放つ、我が力……っ」
凝縮された、魔力。密度が濃く、強い力を感じ、マースリーは身構える。
「……海より深き母への愛!!」
(とんだ、マザコンですね!)
ハイマットは感づいていた。スクラは確かに他とは違う力を持っているのではないかと。それは当たっていたのだった。母親に深い愛を持つのは別に構わないとハイマットは思うのだが、行き過ぎるのはどうかとも思う。
「素晴らしい愛だな」
「そこですかっ!?」
ハイマットは息を吐いて、頭を抱えた。どうも、ここに居る人物は自分と違った感覚を持っているようだ。特に、マースリーとはなかなか同じ意見にならないな、と思うハイマットだった。
「呑気に喋っている場合か?」
スクラが笑いながら言うと、瞬時に突風が巻き起こり、全てを吹き飛ばそうとした。ガラス窓は割れ、破片が飛び散っていく。
マースリーはその中、踏ん張り、アンドレスタへの影響を減らそうとしていた。ハイマットも吹き飛ばされないようにしっかりとアンドレスタを支えつつ、自らを支えていた。
「もう、勘弁してよね」
ガイアラスはため息を吐くと、仕方がなく、プロクシュテンのもとに駆け寄り、彼が飛ばされないようにしていた。
マースリーに倒され、身動きが取れないプロクシュテンは苦笑いした。
マースリーの強さに驚愕していたが、そこは魔王、体勢を立て直すのが早かった。彼のそんな恐れのなさは深い母親への愛情からきているものなのかもしれない。
「帰すわけにはいかない。結界は私が解く」
スクラの芯のある声に、マースリーとハイマットはその決心の硬さを感じ取る。
「何故、こんな事をする!? 人間を征服して何になる?」
巻き起こる風が強くなる。
耐えかねて、マースリーが剣を振るおうとしたが、今までいなかったものが現れる気配がした。
「人間の征服など、興味ない。私は色鮮やかな世界をこの目で見たいだけ」
今までなかった、凛と澄んだ声が轟音の中から聞こえた。轟音の中でもはっきりと浮かび上がるように聞こえる。
「ど、どうしてこちらに……!」
「騒がしいから何事かと思ったぞ、スクラ」
荒れ狂っていた、部屋が静まり、強風から解放された。
マースリーたちが見たのは長く、艶やかな黒髪と赤い瞳が印象的な女性だった。容姿からして魔族のものであり、纏う雰囲気も艶やかだった。
「この者たちが……。よくもまぁ、ここまで」
目を細め、じっくりと観察したその魔族はふっと笑うとマースリーの前へ歩み出た。
「私はサタリナよ。初めまして」
「……マースリー・エルドレイアと申します」
「そう。……結界、解かねば、貴女の命も危ういのよ。まさか、このまま帰れるとでも思っているのかしら?」
鋭い棘の様な空気で、マースリーは気圧されそうになった。それでも、まっすぐとサタリナの目を見ていると、サタリナは面白そうに鼻で笑った。
「勇敢な人間だこと」
「……先ほど仰っていた事を詳しく聞きたいのですが?」
表面上だけでも笑っていたサタリナがその笑みをなくした。
「人間ごときに、話して何になる? 魔族の事など分かろうともしなかった人間に」
「……あなたも、私たちの事を分かろうとしていませんね。私たちをそうだと決めつけていらっしゃるのですか?」
アンドレスタは静かにサタリナに話しかけた。姫の姿で震えていたが、今はしっかりと背筋が伸び、サタリナの瞳を見ている。
隣にいたハイマットは、少し驚いてしまう。それと同時に何か嬉しさを感じた。
「彼女、マースリーはその様な人ではないのですよ?」
アンドレスタは連れ去られ、怖い思いをしていたのだが、サタリナの言葉がマースリー同様気になっていたのだ。それに、婚約者であるマースリーの強さと優しさを知っている彼にとって、その様に決めつけられてしまう事はどうしても納得できないのだ。
「……勇敢で、変わった人間だこと」
サタリナはぽつり、ぽつりと話し始めた。