第七話 そしてこれが私の魔王様っ
「おおっ、魔王様!」
魔王様の登場に、部屋の中から歓喜の声が沸く。
私はそーと後ろから部屋の中を覗きこんだ。
扉からは想像できなかったけれど、中はかなり広い空間だった。魔王様と死闘――というか、私がただ逃げ回っていただけだけど――を繰り広げた入口の大広間並みにある。中心には大きな焚き火があり、大勢の魔物がそれを囲んでいた。
豚面で全身汗まみれのオーク。筋肉隆々でヘルメットをかぶったホブゴブリン。ガーゴイルは身に付けた作業用パンツにトンカチやレンチをぶら下げ、スケルトンは工事用シャベルにもたれていて、他にも多種多様な魔物が揃っている。冒険者なら、扉を開けた途端に一目散で逃げ出したくなる数だった。
それら様々な魔物が一同に魔王の名を呼ぶと、次々と床に伏して深々と頭を垂れていく。
かくして全ての魔物が平伏し、物音一つ起こす事さえ躊躇うような静けさに部屋が満たされると、魔王様は毅然とした態度で言い放たれた。
「皆ご苦労である。此度の遠征の目的であるダンジョン主の発見の報告、しかと受け取った。大儀であったな」
ははーという声と同時に、先ほどの魔王様登場以上の歓声が部屋を満たした。
魔王様の為にがんばりやした!
魔王様、久しぶりにやっちゃってください!
そんな魔物のはしゃぐ様を、魔王様はなんとも嬉しそうに目を細めて眺める。
やっぱり魔王様は優しい人だと改めて思った。
「時に魔王様、その人間の娘っ子は一体なんですかい?」
たまたま私と目が合ったワーウルフの質問に、沸きあがった歓声が一気に沈静化し、部屋にいる全ての魔物が私を睨みつける。
「うむ、なかなか面白い能力の持ち主でな。余の奴隷として傍に置く事にした」
魔王様の言葉に、おおーっと魔物たちから驚きの声があがる。
「しかし、魔王様。大丈夫ですかい、人間なんぞを傍に置くなんて? いつ寝首を刈られるか分かったもんじゃないですか?」
「うむ、もっともな意見だ。しかし、こやつに関してはその心配もない」
魔王様は懐から私のステイタスカードを取り出すと、皆に見えるよう掲げる。
「神の奴らめ、面白いものを造ったものよ。これはな、神々が人間の力を束縛し、支配する為に造ったものだ」
ほおーっと感心する魔物たちの声を「えええっー!?」と、私の驚愕の叫びがかき消した。
「ちょ、ちょっと、何ですか、それ? 神様が人間を支配するためって? 私、そんなの聞いた事ないですよぅ?」
「それはそうだろう。相手に悟られずに支配するというのは、神の十八番だからな」
さも当たり前かのように話す魔王様に、魔物たちも皆そろってうんうんと頷く。
「そもそも考えてもみるがよい。カードに自分の能力が数値化され、さらには成長ポイントなる数値を入力すれば、たちまち身体に影響を及ぼすなんて技術、この世界の住人に作り出せるわけがなかろう? こんなものが作れるのは、我らをモルモットとしか見ておらぬ神以外おらんよ」
私の頭の中で既存概念が、魔王様がおっしゃられるところの真実と掴み合いのバトルを始める。
魔王様の言葉には納得させるだけのものがあった。でも、物心ついてからずっと疑いさえ持たなかった常識を根本から否定するのはさすがに躊躇われた。
「まぁ、信じる信じないはキィ自身に任せるとしよう」
苦悶する私から再び仲間の魔物達に目線を移す魔王様。
「しかし、事実としてこのカードには人間を拘束する強力な力が備え付けられておる。そのひとつを利用して、余はキィを奴隷としたのだ。こいつがある以上、キィが余を裏切り、寝首を刈るなどという反逆は絶対行えぬから皆安心するがよい」
へへぇと頭を下げる魔物たちに満足した魔王様はマントを高々と翻す。
そして傍らでまだ悩んでいる私にもマントをかぶせると、そっと体を引き寄せた。
「それではこれより余とキィはダンジョンの主であるドラゴンの説得に向かう。まぁ、十中八九戦闘になるであろうが、汝らは余の勝利を信じ、勝利の宴の準備をせよ!」
魔物たちのオウという返事が部屋に鳴り響いた。
仲間になってわかったのだけれど、魔物というのは、あれで存外に働き者揃いらしい。
魔王様の掛け声からものの数分と経たない間に、あれだけ居た魔物たちがすっかり出払って、部屋には私と魔王様だけが残された。
「さて、余たちもそろそろ行かねばなるまいのだが……」
魔王様は困ったように私を見つめる。
「キィよ、いい加減震えて抱きつくのをやめてくれないだろうか?」
私は魔王様を見上げながら、「無理デス」とばかりにぷるぷると顔を横に振った。
だってね、この魔王様、さっき何て言ったと思う?
ドラゴンと戦うって、しれって言ったんだよ。
しかも自分ひとりじゃなく、あろうことか私まで巻き込んで!
ドラゴン、それはこれまた魔王と同じく、人間なんかには手に負えない伝説上の生き物。翼を羽ばたかせるだけで人は軽く吹き飛び、口から火を放てばあたり一面火の海と化すとまで言われている。
確かにこのダンジョンに来たのは、ドラゴンを退治するのが目的でしたヨ。だけど、そんな大物が街から一日二日ほどしか離れていないダンジョンに存在するなんて、これっぽっちも信じてはいなかった。せいぜいワイバーンが棲みついたぐらいでしょ、だったら何とかなるなるって感じだったんだ。まぁ、繰り返すけど、私は戦闘では何の役にも立たないけれどさ。
でも、ダンジョンには何故か魔王様がいたわけで。
おまけにその魔王様が戦うなんて言う以上、ドラゴンもまた本当にここにいるのだろう。
はっきり言って私がドラゴンと戦うなんて自殺行為以外の何物でもなくて、さっきからプルプル震えるのも仕方のないことだよね、うんうん。
なのに魔王様はちっとも分かってくれなくて、軽く溜息をつくのだった。
「分からんな。余と戦った時はあれほど堂々としておったのに。どうして相手がドラゴンだとこうも震えるのだ?」
「だって、魔王様と戦った時は、途中まで相手が魔王だなんて思ってもいなかったんだもん!」
いきなり魔王と相対するなんて知っていたら、いくら私たちでもこのダンジョンには近付かなかっただろう。あのバカ勇者様でも、それぐらいの分別は出来るはずだ。
「そもそもどうして魔王様ともあろう方がダンジョン入ってすぐの大広間にいたりしたんですか? 普通、ボスはダンジョンの最奥にいるものでしょう?」
「仕方なかろう。このダンジョンは余のものではなく、なにより余は方向音痴なのだ」
「はい?」
「なんせ己の城の中ですら頻繁に道に迷うほどでな。いざ、ドラゴンを仲間にするべく遠征したのは良いが、そんな余にダンジョン探索なんぞさせられん、ヤツの居場所が分かるまで動かないでくれと部下達が言うので、仕方なく入り口の門番に回されたわけだ」
門番に回されたって魔王様、ちょっとナサケナイ。
「しかし、なかなかどうして、余が門番を務めるというのは存外にナイスアイデアでな。なんせお前達人間どもは無闇に魔族を殺しまくる。しかし、余が門番だと部下達に手出しも出来ぬし、これぞ適材適所と言うのではなかろうかと思っていたところだ」
おまけにドヤ顔で話し始めるし。魔王様の天職が門番ってどうよ?
「まぁ、しかし。ドラゴンが見つかった今となっては門番生活も終わりではあるがな。おおっ!?」
ごおおおおおおおおおおっ!
魔王様のセリフに呼応するかのごとく、ダンジョンに例の轟音が響き渡り、洞窟全体が揺れてぱらぱらと天井から小さな石粒が落ちてくる。
「くっくっく、ヤツめ、余との邂逅に興奮を鎮められぬと見える」
「え? それはどういう……」
意味が分からないと頭を傾げていると、さらに激しく洞窟が揺れた。私は思わず抱きつく腕に力を込める。
そして魔王様の胸の中で、私は確かに聞いた。
洞窟全体を震わせるほど、圧倒的な質量を持った獰猛な雄叫びを。
「え、ウソ? これって地震じゃなくて、もしかして……」
「うむ。ドラゴンの咆哮だ。おおかた我らへの威嚇であろう」
しれっと答える魔王様。
自分の正体を明かした時といい、ドラゴンと戦うと宣言した時といい、どうしてこの人はトンデモナイ事をさらっと言ってのけるのだろう。さすがは魔王様、器が違う。
でも、私は単なる人間なわけで。しかも勇者様に無理矢理連れまわされただけのメイドなわけで。さらに言うなら、得物は『はたき』なわけで!
地震だとばっかり思っていた地響きが実はドラゴンの雄叫びだと知って、私はさらに震えが止まらなくなってしまった。
「あわわわ、無理。絶対ムリですよぉ~。こんな叫び声一つで洞窟全体を震えさせる相手なんて、どう考えても勝てっこないじゃないですかぁ」
「ほう、それはどうしてだ?」
「アリンコは人間に勝てないでしょー! そりゃあ魔王様はいいでしょうよ。強いし、きっとドラゴンと対等に戦えるんでしょ? でも、私は普通の人間です。普通の人間なんて、ドラゴンの前ではアリンコと同じようなものじゃないですか。ぷちっと踏み潰されて死んじゃうよぉ」
ぶっちゃけ、泣き言だと思う。だけど私だって死にたくないんだもん。いくらみっともなくても、必死になるってもんだ。
「ふむ、なるほど」
私の必死の抵抗が伝わったのか、魔王様は興味深そうに頷く。そして
「ところでキィよ、一つ質問がある。人間は馬鹿なのか?」
って、いきなりなんだ、その質問は?
「余は多くの人間と戦ってきた。だが、満足できる戦いとなったのはほんのわずかしかない。何故だか分かるか?」
私は涙目で頭を左右に振る。
魔王様は私から視線を外し、どこか昔話をするかのように言葉を紡いでいく。
「奴らのほとんどが戦闘中だというのに、絶望に飲み込まれたからだ。華麗な剣技で余を苦しめた者が突如半狂乱になって剣を振り回す無様な姿を晒し、百戦錬磨であろう魔法使いが当たるはずもない魔法を連発し、中には呆然と立ち尽くす者、やってられるかと諦めの言葉を吐くだけの者もいた。皆、最初は勇ましく余に挑んできたにも関わらず、だ」
私は魔王様の横顔を見ていた。表情はなんとも複雑で読み取れなかった。
「人間は愚かだ。自らを高める鍛錬にはどの種族をもはるかに凌駕する忍耐力と情熱を持つのに、何故かここぞという時に己が身に付けた力を信じる事が出来ない。自ら流した汗と、内に宿した想いを、最後の最後に自分自身で裏切る。哀しくも愚かだとは思わないか、キィよ」
私は黙って聞いていた。
魔王様の言いたい事は分かる。おそらく魔王様の圧倒的な力を前に、多くの勇者様が恐怖にかられて、本当の力を発揮できないまま敗れ去ったのだろう。そんな人間の姿に失望し、愚かで情けない奴らだと魔王様が思うのも、人間として悔しいけれど頷ける。
でも、分からないのは、人間を愚弄する言葉を紡ぐ魔王様がどこか寂しそうに見える事だった。
人間を「臆病風に吹かれる馬鹿な存在よのぅ」と嗤うのならば分かる。
だけど、時折見せる表情は嘲りではなくて失望で、それが何故だか私の気持ちを揺さぶった。
「で、でも、中には最後まで立派に戦った人だっていたんですよね?」
「うむ、いたな」
「その人たちも愚かだと思うんですか、魔王様は?」
「いや、そやつらは尊敬に値する。よくぞ肉体を鍛え上げ、研鑽の果てに様々な技を習得し、最後まで屈せぬ精神までも見事磨き上げたと賛辞を送ろう」
「で、ですよねっ!」
「だが!」
魔王様が私を見つめる。蒼玉のような瞳には、さっきと同じ色合いが濃く滲んでいた。
「ようやく出会えたと思った強敵が、実のところ単なるアリと変わらないと知った時の失望は計り知れぬ」
私は再び黙り込んで、魔王様を見つめた。
瞳に浮かぶ失望、その意味、私の気持ちを揺さぶるわけが、やっと分かった。
「キィよ、汝に問う。お前は我が強敵か? それともアリか?」
俯きそうになる私。でも、魔王様が許さない。細い指が私の顎を持ち上げる。だったら目線を外そう……と思ったけど、何故か魔王様の瞳から目が離せられなかった。
「わ、わたしは……」
口を開いたものの、なかなか続きが出てこなかった。
頭の中でふたりの私が激しく自己主張している。
私は魔王様に相応しい強敵?
うん、そう答えたらきっと魔王様は喜ぶだろう。どうやらそんな強敵が出てくるのを待ち侘びていたようだから。
でも、そうしたらきっとドラゴンと戦わなきゃいけない事になるんだろうなぁ。
余の強敵であるお前なら、ドラゴンぐらい容易い相手だとかなんとか言われて。
だけど、私はアリですって答えたら、魔王様はきっと失望すると思う。
おかしいかもしれないけれど、まだ出会って数時間しか経ってなくて、一度は殺されそうになった相手なのに、私はいつの間にか魔王様に嫌われたくないと思っていた。
だって私は嬉しかったんだ。
私の話をあんなに親身になって聞いてくれた事。
そして何より私を認めてくれている事。
勇者様に面白半分で成長させられて、戦闘ではまったく役立たずだった私。
でも魔王様との戦いで私が培ってきた能力が発揮され、そんな私を魔王様はあろう事か強敵と認めてくれた。
私が魔王様の強敵? そんな馬鹿な、と思いつつも悪い気はしない。いや、とんでもない過剰評価だと思うよ? 絶対何か勘違いしてると思うよ、私だって。
でも、嬉しいんだ。
誰かに、自分を認められる事は、とても。
だから覆すのはとても怖い。
魔王様を失望させて、つまらないヤツだと蔑まれて、挙句の果てには「ならばアリならアリらしく、余の野望の礎になるがよい」とか言われて無理矢理ドラゴンと戦わされて……。
……ってアレ?
私は咄嗟に考えを巡らし、出てきた答えに「ハメられた」と驚きや呆れが入り混じった表情で魔王様を見つめ返す。
でも、魔王様の琥珀色の瞳は、純粋な輝きでもって私を映し出しているだけだった。
「私は、自分のことをアリンコだと思ってました」
心臓がバクバク言って飛び出しそうになるのをぐっと堪え、心を決めて言葉を搾り出した。
魔王様の瞳の色が少し濃くなったような気がした。
「だって私、本当はただのメイドです。勇者様に無理矢理連れまわされているだけで、戦闘でも何の役にも立たなくて、魔王様の攻撃を避けられたのだってホントただの偶然と言うか、超ラッキーが確変大当たりって言うか」
ああっ、確変大当たりってなんだよぅ、私ィ。
いつものノリになりそうなのを我慢して、再びシリアスに戻る。
「だから、魔王様の強敵なんて器じゃないと思ってます。でも、魔王様がそう思ってくれるのは純粋に嬉しいし、魔王様が信じてくれるのなら私……」
魔王様は変わらず、真剣な表情で私の瞳を覗き込んでいた。
会話の間、魔王様はずっとこうだった。私が「ハメられた!」と感じて、表情を崩した時も、まったく変わらなかった。
だから私は、魔王様がただ質問の答えのみを待っているんだと分かってしまった。行き着く所が同じ質問に追い込んでしてやったり、なんて私の邪推以外の何物でもない。純粋に私が魔王様の求める人材に相応しいか否かを見極める、でも、出来る事ならば共に歩みたい、そんな魔王様の感情が瞳の奥に揺らいでいた。
だから、私は……
「こんな私でもアリンコじゃない、魔王様が信頼してくれるキィ・ハレスプールとして頑張れるような気がします」
きっぱり言った。
言ってやった。
いや、言ってしまった?
でも、いいんだ。私は本当の自分の気持ちを話しただけ。魔王様の真剣な表情に、私も真面目に答えなきゃいけないと思ったから話しただけだ。
「そうか。ならば、改めて余は我が奴隷にして強敵、強敵にして盟友であるキィに願い頼む」
魔王様が一瞬嬉しそうに目尻を下げた後、再び真面目な表情に戻って言葉を紡ぐ。
「余は、己の野望の為にドラゴンを配下にせねばならぬ。実体とはいまだ相見えぬ故に力量は推し量れぬが、お前の助力があれば、余の魔力で屈する事が出来よう。お前は余の奴隷であるが、同時に仲間でもある。ドラゴン退治は危険ではあるものの、決してお前を殺させはせぬと我が名誉に賭けて誓おう。だからどうか、今一度勇気を持って、余を助けてはくれぬであろうか?」
どうか頼むと魔王様は頭を下げた。
やっぱり、魔王様は不思議な方だ。
世界を手中にするほどの力を持つのに、私なんかに頭を下げる。
これまでの私は命令されるだけで、頭を下げて頼まれた事なんてない。
あれをやれ。これをやれ。つべこべ言うな早くやれ。それが当たり前だった。
勇者様と冒険に出た時だって、私はなんとか回避しようともっともらしい理由を並べたけれど、聞き入れてもらえるとはこれっぽっちも思ってもいなかった。所詮、私は命令される身分の者。いくら「無理です」と正論を並べたとしても、命令されたら逆らえなかった。
そして命令を下す者は、私たちがそういう人種である事を知っているのだ。どんな無理難題でも、命令に背く事はない。だから、お願いなんて受け叶えてくれるかどうか分からない事を試すよりも、命令をした方が早いのだ。
命令しかしない人間と、頭を下げてお願いする魔王様。
ただメイドだからとこき使う人間と、私を信頼してくれる魔王様
神様陰謀説といい、私が今まで見ていたモノは、どこかの狂った誰かが描いた歪んだ世界だったのかもしれない。
「……が、ないなぁ」
私はポツリとつぶやく。
魔王様は首をかしげて、聴き取れないとゼスチャーした。
「しょうがないなぁ。分かりましたよ、手伝いますよ。でも、本当に私、STR3なんですからね、期待しないでくださいよ」
私は魔王様の胸に頭を押し付けた。そうすれば、まだかすかに残る震えも止まるような気がしたからだ。
魔王様は私に気を配ってくれたのだろうか、私が離れるまで何もせず、ただ「そうか、礼を言う」と再び頭を下げるのだった。