第四十一話 勇者様の過去
「えーと、なになに」
強張り、言葉もなくただ金属板の画面を眺めるミズハさんをよそに、イサミさんは文章に目を通す。
「……なんだ、これ? 今さら何言ってやがるんだ、こいつ」
心底呆れましたとばかりに肩をすくめると、イサミさんは金属板を元の鞄の中にしまった。
「おい、行こうぜ、瑞葉。どうせお前にも同じメールが届いてたんだろ? 相手することないって。どうせ」
「イサミン、ごめん」
イサミさんの言葉を遮るように、ミズハさんが声を絞り出す。
搾り出す、ホントにそんな表現が相応しい感じだった。
でも、すぐにいつもの口調に戻って
「あのね、ちょっとキィちゃんを連れて行きたいところがあるの。だから先に行っておいてくれるかにゃあ?」
と明るく振る舞った。
「は? なんだそれ? サボリか? サボるつもりなのか? 生徒会長のくせに?」
「サボらないし、遅刻もしないって。ただ、ちょっと寄りたいところがあるだけ」
ミズハさんが金属板から手を放す。
私の世界がゆらゆらと揺れた。
「ふーん、まぁ、いいや。じゃあマジで遅刻すんなよ? 遅刻した時は風紀委員であるオレ様のケツキックでぶっ飛ばすから、覚悟しとけ」
あはは、それはマジでヤだから頑張るとミズハさん。
でも、駆け出すイサミさんを笑顔で見送った後に吐き出された息は――
今まで以上に重く沈んだものだった。
イサミさんと別れ、人の流れに反するように歩いてミズハさんが向かった先は、少し開けた場所だった。
道は石のようなもので舗装されているものの、そこは地面がむき出しで、なにやらよく分からないものが色々と置いてある。
そのうちのひとつ、ブランコって言うらしい宙吊りの木の板にミズハさんは腰掛けると溜息をひとつ。白い息が一瞬私の視界を覆った。
「おいおい話すつもりだったんだけどね、波月君のこと」
「あの、ミナト・ハヅキって人はやっぱり?」
「そう、ハヅキ君。キィちゃんにとっては、勇者様、だね」
想像はしていたから驚きはしなかった。むしろミズハさんがこっちの世界の人間だったのだから、勇者様だってそうに違いないわけで、なのにそんなことを今の今まで全く考えなかった自分の方こそ驚きだった。
……まぁ、単純にあまり思い出したくなかったのかもしれないけれど。
「実は私たちって幼馴染だったんだ。ただ……」
ミズハさんが唇をすこし噛み締める。
「ちょっと色々あってね……聞いてくれる、キィちゃん?」
ミズハさんの胸の上で、私はコクンと頷いた。
子供の頃、勇者様はミズハさんにとって本当の勇者だったらしい。
ワンパクだけど優しくて、強引だけど頼り甲斐がある。まぁ、無理矢理裏山の探検に付き合わされた挙句、野犬に襲われた時は泣きそうになったけれどとミズハさんは苦笑いをするも、でも自分の身を挺して野犬から必死に守ってくれた勇者様は本当に格好良かったんだとすぐにちょっと照れた表情になって話してくれた。
そんな行動力溢れる勇者様を周りの子供たちも慕い、気付けば常に集団の先頭に立ってみんなを導く姿に、ミズハさんは憧れを抱いたそうだ。
「ホント、あの頃はハヅキ君みたいになりたくて、いつも真似ばっかりしてたんだ」
ミズハさんの今みたいな社交的な性格は、この時に作られたという。本来は人見知りする、引っ込み思案な子だったんだよと言われて驚いた。
「ただ、成長していくにつれて価値観って変わっていくんだよね」
いつまでも子供のままの勇者様に対して、周りはゆっくり大人としての価値観を見出していく。勇者様が遊びの中心にいるのは変わらないけれど、「塾があるから」「習いごとを始めたんだ」と少しずつ人が離れ始める……。
「そして私たちが中学に入った頃、大きな転機が訪れたの」
中学生になったミズハさんたち(よく分からないけれど、ミズハさんの世界では大人になる為の施設があるそうで、中学ってのはそのひとつだそうだ。このあとも色々と私の知らない言葉が次々と出てきたのだけれど、その度に話の腰を折るのは申し訳ないのであえてツッコミはいれないことにした)は大きな講堂に集められ、そこで驚きの人物に出会う。
勇者様の、二つ歳が離れたお兄さんだった。
そもそも勇者様のお兄さんを、この時までミズハさんはあんまり覚えていないらしい。子供の頃は普通に遊んだこともあったらしいけど、勇者様の影に隠れてというか、目立つ人ではなかったそうで、気が付けばグループから姿を消していた。
勇者様が「兄ちゃんはサッカークラブに入って、そっちで忙しいから遊べないって」と言っていたのを辛うじて覚えているぐらいで、当時はふーんそうなんだぐらいに思ったそうだ。
それぐらい影の薄かった勇者様のお兄さん。ところが生徒会長となり、新入生歓迎の挨拶を大勢の人の前で堂々と話すお兄さんは、ミズハさんの知っている人とは全くの別人に成長していた。落ち着きがあって、それでいて情熱的で、さらにユーモアもあって周りを爆笑させる。
「その、すごく格好良かったんだ。私たちと二歳しか変わらないのに、ああ、すごい大人だなぁって。私、つい夢中になっちゃって……」
だから壇上のお兄さんに憧れの眼差しを送るミズハさんを、勇者様が面白くなさそうに見つめるのに気がつけなかった。
「中学生になって、大人の階段を登り始めて、けれど大人になるってどういうことか分からなくて。そんな時に突然現われた、自分たちよりもずっと大人な存在にすごく憧れたの。……だけど、それまで一緒にいてくれたハヅキ君の気持ちもちゃんと考えなきゃいけなかったんだ」
ミズハさんが悔やむように、この時を境に勇者様との関係は大きく変わってしまった。
生徒会に入ったミズハさんは以前のように自由な時間が取れなくなって、放課後に勇者様と遊ぶ機会が激減した。さらにそれまで勇者様とミズハさんのふたりだけだった登校にお兄さんが加わる。最初のうちはまだ三人揃って登校していたものの、基本的に会話の内容が生徒会のことだったこともあって、やがて勇者様はふたりに距離を置くようになってしまった。
その距離は一年後、勇者様のお兄さんが中学を卒業した頃には埋めがたいまでになっていて、結局お兄さんがいなくなっても一緒に登校することはしばらくなかったそうだ。
「やっぱり寂しかったよ。でも、私も生徒会の仕事で忙しかったし、ハヅキ君も新しい友達との付き合いがあって……」
と、ミズハさんが言い澱む。どうやらこのあたりは色々とわだかまりがあるらしい。とにかく、いつかじっくり話し合いたいと思いながらも、なかなかそんな機会もないまま、時間は流れ……。
「そして、ハヅキ君は突然、私たちの聖域に乗り込んできたの」
中学二年の初夏。
新しい生徒会長募集の告知に、勇者様が立候補してきたのだった。
勇者様のお兄さんが生徒会長を勤めていた時は、会長自らが自由な校風を目標に、時代に合わない古い制度の廃止や生徒主体の行事内容などを訴えて、次々と成立させていった。
対してその次に選ばれた生徒会長は、そこそこの人望はあるものの、先代ほどの旗振りは出来なかった。
新風と停滞。そのふたつを体験してきた三年生が、再度新しい風を期待するのは当然だろう。
かつての英雄の弟に期待した三年生の支持は大きく、見事勇者様は生徒会長選挙に当選した。
「最初はね、生徒会でも期待する人は多かったよ。私たちの代のほとんどがハヅキ君のお兄さんに憧れて生徒会に入ったぐらいだしね。……でも」
生徒会はすぐに自分たちがとんでもないリーダーを招き入れたことを知る。
そもそも生徒会は、生徒会長をはじめとする役員と、その補佐で構成されているらしい。補佐は一年ほどそれぞれの役員の元で働き、知識と経験を身につけた彼らの多くが新生徒会の発足時に役員に昇格する。
確かに何にも知らない人を新たに選出するよりも、ずっと効率がいい方法だと思う。
でも、勇者様は就任早々、いきなりこの取り決めを無視した。
名目では「より自由な風を巻き起こすため」とあったものの、明らかに勇者様が各仕事のことなど無視して、自分の友達だけで役員を固めようという魂胆がミエミエだった。
これに対してもちろん生徒会は反発。生徒会長の職権乱用による無謀な人事だと生徒たちに訴えたが、生徒会もこの一年間でこれといった実績を挙げられなかったという弱点もあり、「あえて全く何も知らない人のほうが自由な発想がでてくるのかも」と、民意は勇者様を支持した。
結局、従来の生徒会からは副生徒会長にミズハさんが就任しただけで、他の人たちはそのまま補佐役を続けることになった。
暗雲漂う船出となった新生徒会。不安は的中し、ただ生徒会室でだべっているだけで仕事もせず、そのくせやたらと偉そうな役員に、生徒会の補佐役たちはすっかりやる気をなくして次々と辞めていった。
それでも生徒会がなんとか運営できていたのは、すべて生徒会長である勇者様の頑張りだとミズハさんは言う。
意外なことに。
勇者様はお兄さんに負けず劣らず優秀で、精力的で、献身的だったそうだ。
多くの人が辞め、役員も働かない生徒会の中で、ミズハさんの協力を得て様々な仕事をこなしていく勇者様は本当に頼もしかったらしい。
しかもどんなに忙しくても一切嫌な顔をせず、むしろ以前のように生き生きとした笑顔を見せる勇者様に、ミズハさんはかつて自分が憧れた頃の輝きを見たような気がした。
気が付けば朝の通学も以前と同じようにふたりで登校し、大変ではあるけれども放課後の生徒会活動はふたりにとって楽しい時間の共有となっていった。もちろん、このままではいけない。自分たちが引退する来年の夏までに補佐役を育て上げ、次の生徒会の土台作りをしなくてはいけない。
だけど、それもアテがあった。
生徒会最大の大仕事である学園祭がそれだ。
ミズハさんが言う学園祭とは、秋の感謝祭みたいなものらしい。
ただ、基本的には演劇とか、展示とか地味なものだそうで。勇者様のお兄さんの働きで二年前からようやく夜のキャンプファイアーが認められたのだとか。
それでも出店がないのは寂しい限りだ。
が、今回は違う。学園祭の会議で役員たちが出店とかライブとか好き勝手発言したものを、勇者様が学校側と粘り強く、何度も修正案を出して交渉した結果、ついに許しが出たんだ。
それを聞いて普段は何のやる気もみせない役員たちも乗り気になって、学園祭の準備だけは精力的に手伝ってくれたそうだ。
かくして学校全体も、従来よりもずっとワクワクする祭に胸を高鳴らせながら、成功を目指して一丸となっていった。
そんな光景に、学園祭が大いに盛り上がれば、きっと新しく生徒会に入りたいって人も現われるに違いないとミズハさんは自信を持っていた。
「でもね。ダメだったんだ」
「ダメって、何がですか?」
「学園祭ね……失敗しちゃったの」
私の入っている金属板をぎゅっとミズハさんが握り締める。
「失敗って、そんな……。一体何があったんです?」
「うん。実はね」
ミズハさんの手がかすかに震えていた。
ことの発端は学園祭前日の夜。
とあるクラスの女の子が血色を変えて、生徒会室に飛び込んできた。
「ちょっと、今さらうちの焼き鳥が許可出来ないってどういうことよ!?」
「え?」
どういうこともなにも、そんな話はミズハさんも勇者様も全く聞いていなかった。
ここまで来てのいきなりのダメ出しで頭に血が上る女の子をなんとか落ち着かせ話を聞いてみると、どうやら生徒会役員のひとりが明日の準備に追われるクラスを訪れて「保健所の許可が下りなかったから、明日の出店は認められない」と通告してきたらしい。
本番を控えて興奮する心に、突然冷や水をぶっかけられたようだったとミズハさんは振り返るけれど、むしろそれは悪夢の始まりにすぎなかった。
次から次へと生徒会室に怒鳴り込んでくる生徒たち。みんな、明日の学園祭で飲食の出店を予定していたクラスの代表たちだった。
訳が分からなくてパニックになりかけながらも、ミズハさんはなんとか真相が分かるまで落ち着いてほしいとみんなをなだめた。全部ウソであってほしい。性質の悪い冗談であってほしい。何度も願った。
だけど保健所への許可申請を担当した役員に、電話で事情を確認していた勇者様からの報告は最悪のものだった。
「なんてこった。あいつ、保健所になにひとつ申請してなかったらしい……」
取り返しの付かない失態に容赦なく浴びせられる罵詈雑言は、深夜にまで及んだ。
そして当日。
本来なら至る所で威勢のいい客引きの声が響き渡るはずだった校舎は静まりかえっていた。準備だけで放置された出店の数々は、本当に寂しい光景だったそうだ。
それでもまだ学園祭の、もうひとつの目玉である野外ライブには、多くの生徒が集まってくれた。昨日のショックから完全に立ち直るのはもちろん無理だけれども、せめて野外ライブは成功させようと意気込むには余りある熱量に、ふたりは救われたように感じた。
「そう、この時はまだ、あんなことになるとは思ってもいなかったんだ……」
最初の三組目までは順調に行っていた。
演奏はどれも褒められたものではなく、ミスも多かったけれど、それでも学園祭を少しでも盛り上げようとノリまくって、観衆もまたそんな雰囲気を存分に楽しんでいた。
だけど四組目……役員のひとりが他校に口を利いてゲスト出演してもらったグループが全てを無茶苦茶にした。
「おい、てめぇら! なんつーダサい演奏してんだ、あぁ? せっかく俺たちがこんなショボイ中学まで来てやったっつーのによ、サイテーの音聞かされて、マジ、ムカつくわ!」
最初はそういう過激なマイクパフォーマンスなんだと思った。
ところが用意したアンプを蹴り飛ばし、レンタルのドラムセットを観客めがけてぶん投げるに至っては、笑って許される事態をとっくに通り越していた。
慌てて止めに入る勇者様。が、相手は話に応じるどころか、問答無用で勇者様を殴り飛ばす。横っ面に強烈な一撃を喰らい、吹き飛ばされた勇者様は床に頭をぶつけてあっさり気を失った。
続いてステージ脇に控えていた出演予定者たちも飛び出し、また腕力に自信のある生徒たちもステージに登っての大乱闘が始まった。ステージに張られていた幕はたちまちずたぼろになり、セットもめちゃくちゃ。そして足場を組み、ステージを上部から照らす照明を設置した櫓が傾き、
「きゃああああああああ!」
あろうことか観客席に横倒しになって、逃げ遅れた生徒たちが下敷きになってしまった。
その後、ミズハさんが覚えているのは、けたたましいサイレンと共に回転する赤色灯の、まるで血のような色だけだそうだ。
当然、学園祭は中止になった。
飲食店は出店することすら出来ず、野外ライブは多数の怪我人を出し、体育館で予定されていた演劇部の出し物なども全てキャンセルされた。もちろん、グラウンドの中央に設置されたキャンプファイアーも点火されることは無く、翌日の午後に業者が撤収に来るまで放置されたその姿を見るたびに、生徒たちはなんともいえない空しさを募らせるのだった。
大失敗に終わった学園祭。
もちろん、非難の矛先が生徒会長である勇者様に向かうのは当然のことで。
勇者様がどれほど頑張って学園祭の準備を進めてきたかを知っている人は決して少なくなかったけれど、今回の失敗の原因を作った役員たちを選出したのも勇者様だったわけで、非難はかわせそうもなかった。
さらに今回の騒動にまつわる、ある噂が流れて風向きは完全に逆風になった。
「噂ってなんだったんです?」
「ホント、それがすっごくつまらないものでね」
思い出すだけでも腹が立つとばかりに打ち明けてくれたミズハさんの話は、確かにゲスな噂だった。
単純に要約すれば、全てはミズハさんを独り占めしたいという勇者様の独占欲が引き鉄だった、というもの。
まず勇者様は邪魔な生徒会の補佐役たちを排除するべく、酷い役員人事を敢行。結果、やる気を失って補佐役が次々と生徒会を辞める。やがて役員たちも飽きて生徒会室には顔を見せないようになり、勇者様はミズハさんとふたりきりで仕事ができるようになる。とてもひとりでは捌ききれない仕事が残るものの、それとてミズハさんと一緒に仕事が出来る良い口実となり、事実、勇者様はどんな仕事でもミズハさんとなら嬉々としてこなしていた。
ただ、そんな勇者様の策略を、役員に選出された仲間たちが面白くないと感じるのも当たり前と言えば当たり前だろう。
しかもそのうちのひとりが近々親の都合で転校が決まり、どんなひどいことでもやらかせる状況が生まれる。
その彼が保健所の申請ですべてウソをつくという泥を被ることで、他の役員たちも勇者様にひとあわ吹かせようと一致団結し、今回の大失敗を引き起こした、ということらしい。
あくまで噂であって、本当かどうかは分からない。
でも、役員のうちのひとり、例の保健所問題の生徒がほどなくして転校し、子供の頃からの勇者様とミズハさんの仲を知っている人たちが過去の関係などを語ったこともあって、全ては生徒会長の自業自得、そんなものに自分たちは巻き込まれたんだと生徒たちの怒りは完全に勇者様に向けられた。
瞬く間に生徒会長解任を求める運動が生徒たちの間で広まり、罷免に必要な署名はすぐに集まったという。
かくして生徒会は崩壊し、勇者様は学校に行かず家に閉じこもるようになってしまったそうだ。
「すべては去年の秋の話ね。それから何回か家に行ったんだけど、ハヅキ君、会ってくれなくて。私は全然、あんな噂なんて信じてないし、ただまた一緒に学校に行きたいだけなのに……」
目を伏せるミズハさん。どうしようもない悲しみが私にも伝わってきた。
「でも、その一ヶ月後くらいかな。ハヅキ君のお兄さんから、私に連絡があったの」
「ああっ、そうだ、お兄さんがいましたねっ。ミズハさんとは会ってくれなくても、同じ家に住むお兄さんと顔を合わさずに生活できるわけがないもん。お兄さんから話をしてもらえれば!」
「あ、ううん、それはダメ。だってハヅキ君、私が生徒会に入ってからお兄さんとはギクシャクしてたから」
ううっ、もう、勇者様ったらホント器がちっちゃい!
「でもね、そのハヅキ君が珍しくお兄さんにお願いしたんだって。『魔王様のゲーム』をやりたいからMTP、えっと、精神とパソコンを繋げる機械のことね、これを貸してくれって」
「へ?」
意外な展開で驚いた。『魔王様のゲーム』って私たちの世界のことでしょ? 遊んでいる状況じゃないと思うんだけど……。
私の戸惑いを察知したらしく、ミズハさんがクスリと笑う。
「うん、お兄さんもそんな現実逃避はどうだろうかと思ったって。でも、これはチャンスでもあったの。だって、私も『魔王様のゲーム』をやってたから」
「あ、そうか!」
こちらの世界で会ってもらえなくても、私たちの世界ならば会うことも出来るはず。そう考えたお兄さんはMTPを貸すだけでなく、自分が稼いだエーンの引継ぎも許可したそうだ。
「エーンの引継ぎって、それじゃあお兄さんも?」
「うん、『魔王様のゲーム』のプレイヤーだった。もう引退しちゃったけどね。でも、エーンの引継ぎを許可してくれたおかげで、私はハヅキ君をすぐに特定できたの」
「え? えーと?」
「『魔王様のゲーム』は別々のアカウントでも、譲渡側が許可すれば、エーンや装備などを別のアカウントに引継ぎが出来るんだ。ただし、問題行為防止のために譲渡内容は運営及び、譲渡側のフレンドに公開される……分かりやすく言えば、生前のAさんと仲が良かった友だちには『Aさんの遺産をBさんが引き継ぎましたよ』って感じでお知らせがくるんだよ」
しかもその受け取った側の名前だけでなく、どの街を拠点にしているか等も分かっちゃうらしい。名前と場所さえ分かれば、会いに行くのは簡単だ。
「と言っても、私も本名でプレイしてたから、いきなり本題に入ったら身バレしちゃうよね。そうなってゲームをやめられたら元も子もないからさ。だから、もともと初心者の経験値稼ぎとかもよく手伝っていたから、ハヅキ君にもそれと同じノリで近付こうと思ったんだけど……」
その先は言わなくても分かる。勇者様は頑なにミズハさんとパーティを組むのを拒んだのだろう。
「あ、実はちょっと違うんだ。ハヅキ君が『魔王様のゲーム』の世界に来た時は、ちょっとしたお祭でね。莫大な遺産を継続したハヅキ君のことはあっという間に世間が知るところになって、なんとか自分たちのパーティに取り込もうとみんな必死だったんだよ。おかげで私は全然近づけなかった」
まぁ、PKが出来ない『魔王様のゲーム』で大金持ちを狙うには一緒のパーティになって所持金をパーティ共有にするしかないから、ハイエナさん達は必死になるよねとミズキさんは語る。って、PKがなんのことなのかよく分からなかったけれど。
「でも、そんな人たちをみんな無視して、ハヅキ君は冒険者ギルドに向かったの。……そこでハヅキ君は何をしたと思う?」
「う? えーと、なんだろ? クエストの請け負い?」
「ぶー。はずれ。ハヅキ君ね、自分のお供にするからって、とあるメイドを冒険者にしてくれってお願いしたの」
「え? ああ、わたし?」
なんだ、私がまだ館付きのメイドだった頃の話だったのか。私はてっきりもう勇者様にこき使われてひーひー言っている頃の話だと思ってた。
「そう。ちなみにキィちゃん、傭兵を雇うわけでもなく、単なる普通の人を冒険者登録してお供にするのってどれくらいかかるか知ってる?」
知っている、はずがなかった。だって、そんなの興味なかったもん。
ただ言われてみれば、私みたいに傭兵でもなんでもないのに勇者病の人のお供をしているって人は会ったことがないような……
「はい、実はこんなにかかるんです」
「い、いちおく……ええっ!?」
多分馬鹿みたいに高いんだろうなぁ、驚かない、驚かないぞ、と自分に言い聞かせたつもりだったけれど、無理だった。腰が抜けそうになった。てか、ウソつきました、腰抜けてます、今。
「そんな大金を使ってまでお供にする人って、滅多にいなくてね。みんな驚いた」
そして気分を悪くしないでほしいんだけどと断りを入れた上で、当時の反応を教えてくれた。
「英雄ブリューナク・ノブナガの後継者がNPC愛好家なんて、この世界オワタ!」
読んでくれてありがとうございます。
重い話の回でした。ううっ、二章の終わりで重い話は懲りたのにぃぃぃ。
今回はあまり引き摺らないように注意します。
次回更新は12月2日月曜日、12:00の予定です。
よろしくお願いしますっ。