第三話 勇者様退場っ!
「うわあああああ! なんなんだ、あいつ! 全然攻撃出来ねぇぞ!?」
勇者様の大剣による一撃で、戦闘の火蓋が切って落とされたのはちょうど一分前のこと。
引き摺られていた私はもはや戦闘回避は不可能と諦めると、勇者様から離れて近くの岩陰に隠れて事の成り行きを見守る。情けないけど、いつもの事なので気にしない。
それはともかく、勇者様、大きく振りかぶって渾身の一撃。
ボス、それをあっさり避けた!
でも、ここで「ちゃんと狙えよ、なにやってんのっ!?」と、うろたえるのは素人の浅はかさ。勇者様の場合は、これが当たり前なのだ。
勇者様のパーソナルスキル・一撃必殺。
名前の如く一撃のもとに敵を屠り去るという、世界で唯一勇者様だけが持っているこのスキル。効能だけ聞けば誰もがスゴイと感嘆する。
が、発動条件を聞いた途端、誰もがげんなりするのは仕方がないことだろう。
なんせこれ、攻撃が当たるまで、ひたすら敵にかわされたり、防御されたりするのだ。そしてその度に攻撃力が上がり、敵を仕留めるレベルまで攻撃力が溜まって初めて発動する、つまりは敵をぺしぺしとこまめにダメージを与えるのと結局やっていることは変わらないわけで、やはり世の中、美味い話はそうあるものではないと実感させられる。
だから今回も攻撃がかわされるのはいつものこと。ともかく敵に当たるまで剣を振り続ければいいのだけれど……。でも、ギダンさんも言っていたように、問題は一体何回攻撃をすれば当たるようになるか、だ。
ぶっちゃけ戦闘の途中で勇者様がへばってしまう事もままある。それに今回はそもそも攻撃が当たる前に、勇者様がボスの攻撃を喰らって死んじゃう事だって考えられるだろう。
しかし、こうして戦闘が始まってしまったからには仕方がない。勇者様には根性で粘り強く攻撃をしてもらうしかない。
と思っていたのだけれど、その考えが甘いことを私たちはすぐに思い知らされることになった。
「うおおおおお、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイーーーーー!!」
ボスの放つ炎弾の連射に、勇者様は悲鳴をあげながら逃げまくっている。
勇者様の初太刀をかわしたボスが、わずかな攻防で勇者様のスキル特性を見抜いたのだろうか。これまたボスキャラらしく瞬間移動で勇者様と距離を開けると、ひたすら炎弾を打ち込んできた。勇者様は攻撃をするどころか、近付くことすら出来ない。
「あわわわ、勇者様、ガンバレー!」
「テキトーな応援なんぞいらん。それよりも打開策を考えろーっ!」
岩陰から顔を出して応援する私に、ごもっともな要望が寄せられる。
でも、一体どうすればいいんだよう? ボスの魔力が切れるまで逃げまくるという手もあるけど、それではただでさえ空振りで浪費する勇者様のスタミナがさらに削られることになる。
だったら、ボスの攻撃を少しでも止める事は出来ないだろうか。
そうだ、例えば別の何かで気を逸らして隙を作れば、勇者様が攻撃するチャンスも生まれるかもしれない。
私は岩陰から飛び出した。
ちょっと恥かしいけれど、生き残るためだ。やるしかない。
「ヘーイ、そこのイケメンのお兄さーん!」
私は街の片隅で見かける色っぽいお姉さんを思い出して、出来る限り艶のある声でボスに呼びかけてみた。
そして両腕を胸の下で組み、おっぱいを持ち上げる。姿勢はボスに対して左四十五度。首を少し傾げて、男を誘うような挑発的な目つき。仕上げにまるでチェリーを楽しむかのように、左から右にかけて上唇を舌で舐めあげる。
「よかったら私と遊んでかなーい!?」
うら若き乙女の放つ魅惑の一撃。
効果は絶大で、ぴたっとボスの攻撃が止まった!
やたっ! 勇者様、今こそ攻撃をっ!
……って、勇者様?
なんで敵に攻撃をしないで、私のほうにずんずん歩いてくるんですかっ!?
「キィ! 真面目にやれ!!」
ガントレットを装着した拳でガツンと私の脳天に一撃。
「痛いっ! ひどい、何するんですかぁ!?」
「それはこちらのセリフだ。なんだ今のはっ? どういうつもりだ、貴様!?」
「どういうつもりって、勇者様がボスの攻撃に何も出来ないから、私のお色気でボスの気を引いて隙を作ろうとしたんじゃないですかっ。事実、ボスの攻撃が止まったでしょ? さっさと攻撃してきてくださいよっ!」
私ははたかれた頭をさすりながら、涙目で勇者様に訴える。
勇者様はそんな私を睨むと、一転振り返って、ボスに声をかけた。
「おーい、お前。さっきのこいつの行動でムラムラっと来たか? 正直に答えろ!」
ボスは苦笑を浮かべると、片手で「ないない」とゼスチャーした。
ボスのくせに「ないない」ってアンタ……
「ほら、見ろ! むしろ呆れ返っておるではないかっ。勇者様に恥をかかせるな、このバカ!」
また拳を振り上げる勇者様。私は咄嗟に頭を両手でガードして縮こまった。
てか、なんで怒られているの、私。頑張ったのに、これじゃあ恥のかき損じゃないかっ。
なんだか無性に腹が立ってきた。
「だったらどーすればいいんですかっ。勇者様も考えてくださいよっ!」
お馬鹿な勇者様に、このピンチを切り抜ける良い方法があるなんて思えない。けれど、言わずにはいられなかった。
「ふん、仕方あるまい。愚かな駄メイドを助けてやるのも、勇者様の役目だからな」
ウソ? なんかアイデアがあるんだ?
てか、誰が駄メイドだ、誰がっ。
「いいか、よく見ていろ」
勇者様は私に背を向け、そして不意に左手のガントレットを外した。その意味は私には判らない。でも、勇者様は何かをやってくれる。そんな期待感が私の中で高まって行く。私からは見えないけれど、きっとたまに見せる鋭い眼光がボスを睨みつけているに違いない。こう見えてもやる時にはやる。どんな不利な状況でも奇跡を起こしてみせる。それが勇者様の、勇者様たる由縁だ。
「行くぞ!」
「はい!」
勇者様の呼びかけに私は元気よく答える。
「こうだ!」
突如として勇者様の姿勢が中腰になる。お尻を私のほうへ突き出し、それはあたかも得物を狙う豹の如し。そして私を振り返り、立てた左手の親指を甘噛みした。
「これが雌豹のポーズだ!」
「……」
「いいか、お前のその発育途上なおっぱいで男を誘惑するなど百年早い。それよりもお前は尻! その柔らかく、みずみずしくて張りのある桃尻こそが一番の武器なのだ。そしてそれを最大限に活かす事が出来るのがこの雌豹のポーズである!」
……こんなヤツに少しでも期待した私がバカだったヨ。私のしらけぶりをよそに、ご主人様はさらにエキサイトしていく。ああ、バカだなぁ、とことんバカだなぁ。こんな時に一体何を考えてるんだろうなぁと思っていると、不意に視界の片隅で、忘れられていた存在が静かに動きだしていた。
「ちょ、ちょっと、勇者様?」
「だからこの時はやや尻を持ち上げ気味にして……なんだ、キイ? 質問なら後にしろ」
「いや、質問なんてないから。それよりも、あの、ボスキャラが近付いてきてるんですけど」
「なんだとーっ!?」
お尻を私のほうに突き出したまま、慌てて正面を向くご主人様。
まだ距離はあるものの、確かにボスキャラは近付いてきていた。
「なんだ、まだあんなところじゃないか。慌てさせやがって。それでは講義を続けるぞ」
「続けなくていいよぅ。てか、どこまでアホなんだーっ、あんたはっ!」
私たちがやいのやいのとやっている間も、確実に距離を縮めてきているボスキャラ。やがて私たちの耳に、不思議な響きを持った呪文の詠唱がかすかに聞こえてきた。
「あわわわ、なんかヤバそうですよぅ、勇者さまぁ」
「ええい、いい所なのに仕方がない。よし、それではキィよ、今教えた雌豹のポーズでヤツを誘惑するのだ」
「誰がするかっ、あんな恥かしいポーズ!」
さらにやりあおうとする私たちを尻目に、ボスは十メートルほど離れた場所でその歩みを止めた。そしてニヤリと笑うと
「夫婦漫才はあの世でやるがよい」
そう呟いて右手の掌にこれほどまでとは比べ物にならない大きさの炎弾を出現させた。
「くそう! 声までボスっぽいとは、どこまでもお約束なヤツめ!?」
炎弾ではなく声にツッコミを入れる勇者様は一見すると余裕があるように見えるかもしれない。
でも、
「ゆゆゆ勇者様? お願いですから、私の後ろに隠れるの、やめてくださーい!」
「なんだとー! 勇者様の大ピンチなんだぞ、身を挺して俺を守るのがお前の仕事だろうが!?」
偉そうな事を言いながらすかさず私の後ろに回りこんで、私を盾にするのは止めて欲しかった。
うう、この人、ホントに最低だぁ。男の人が女の子の後ろに隠れるだけでも世間的にはどうかと思われるのに、仮にもレベル69の勇者がレベル40のメイドの後ろに隠れるなんて、どう考えても勇者の取る行動じゃないよう。
「普段は何の役にも立たないのだから、こういう時こそしっかり働け!」
「ひどい! 私が戦闘で役に立たないのって、元を辿れば全部ご主人様のせいじゃないですかー」
私はじたばたと暴れて抵抗する。でも、ご主人様も必死で、がっちりと私の体を捕まえて離さなかった。
「てか、どさくさに紛れておっぱいを掴むなー、このエロバカぁ!」
「お前の貧相なおっぱいなどに興味は……いや、待て。そうだ、この手があったかっ!?」
むふふと笑い声をあげる勇者様。こういう笑い方をする時は得てしてトンデモナイ事を考えている証拠だ。
「キィ、そう言えばお前にはあのパーソナルスキルがあったんだったな」
「……えーと、どうしてここでそれが出てくるのか、私には全く意味が分からないんですけど、勇者様」
私はいやぁな汗をかきながら答える。
そう、勇者様の一撃必殺と同じように、私にもとあるパーソナルスキルが備わっている。と言っても、死ぬほどしょーもないヤツなんだけど。
「そうか、分からないか。でも、まぁ、分からなくともいい。敵の気さえ引ければ、それでいいのだ。その間に俺様は逃げられるのだからなっ!」
そう言うと勇者様は中腰になって、私のメイドスカートの裾に手を掛ける。
「させるか!」
私も咄嗟にスカートを押さえ込んで、勇者様の野望を必死になって阻止する。
そして、まさにその瞬間だった。
不意に洞窟の奥底から「ぐおお」や「ぐがが」とも聞こえる大音響が発せられたかと思うと、洞窟全体が激しく揺れた。
「うわわっ、地震?」
いきなりの事に動揺して、スカートを押させる手を離して頭を抱え、思わずしゃがみ込む私。そんな私の頭上すれすれを圧倒的な熱量を持った魔法の塊が通過していったのは、まさにしゃがみ込んだ直後の事だった。髪の毛の何本かが焼け縮れ、うなじに火傷をしたような痛みが走る。空気を震わせる轟音と、何かを強引に吹き飛ばすかのような激しい振動。だからまさにその瞬間は、それが発する轟音以外何も聞こえないはずなんだけど……。
ただ、私の後ろで勇者様が「ちょ、おま……」と言ったような気がした。
私を通り越した炎球が、壁にぶつかって爆音を発する。爆風で吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、私はなんとか後ろを振り返ることが出来た。
勇者様が、そこにいた。
相変わらず私のスカートの裾を握っている。
しかし、先ほどまでの力はボスの攻撃に被弾して吹き飛ばされた頭と共に消え失せていたのだった。




