第三十六話 魔王様と私たちの世界
「さて、喉も潤ったところで話を訊こうではないか。ミズハよ、これはどういうことなのだ?」
戻ってきた魔王様が紅茶の入ったカップを啜りながら、窓の向こうのミズハさんに問いかける。地面に座りっぱなしなのはどうも心もとないという理由で持ち込んだ椅子に座り、同じく運んできたテーブルには熱々の紅茶が入ったポットと、山盛りのスコーン。朝まで生討論も万全の準備ぶりだった(
いや、もう朝だけどというツッコミはいらない)。
「うーん、その前に私こそ訊いていいかな? 魔王さんってさ、どこまで知っているの? ……その、貴方たちの世界とか、私たちのこととか」
「余はお前たちが別の世界からやってきたということぐらいしか分からぬ。しかも、それも単なる推測だ」
「推測って、それ自体が信じられないよ……」
ミズハさんが嘆息する。
「普通、そんな推測なんて出来るわけないもん。だって、貴方たちは」
「お前たちに作られたのであろう?」
「えええええええ?」
しれっと答える魔王様に、もう何が明かされても驚くもんかと思っていた私もあっさりと驚いた。時間にしてわずか一分。早すぎだ、私。
「なに、そんなに驚くことではなかろう? そもそもキィたちも、自分たちを作った存在として神を信仰しておるではないか。その神と同じ世界からミズハたちはやってきたのだから、こやつらが余たちを作り出したと言っても過言ではあるまい」
それはそうだけど……。
私はチラリと例の窓を見る。
……神聖であるはずの神様がホモォだなんて、あまり考えたくなかった。
「まぁ、正確には私たちと同じ世界に住む人が作っただけで、私は何もやってないんだけどね……でも、そんなことに気付いちゃうなんてスゴイなぁ」
「ふむ。お褒めいただき恐悦至極、と言いたいところなのだが、実は違うのだ」
魔王様が胸ポケットから礼の究極魔導書を取り出す。
「ほんの数ヶ月前のことである。余のもとに一人の魔導士が現れたのだ。白いローブに身を包み、ローブの奥にかすかに見える肌も透き通るように白く、言葉すらも無色透明という表現が相応しいほどに澄み切っていた」
魔王様の回想話が始まった。
これは長くなりそうだ。
「そやつが何者か、余にも分からぬ。最初から傍に控えていたかのように、唐突に現れたのだ。おまけにわずかながらも驚愕する余を尻目に、そやつは一冊の本を胸元から取り出した」
それがコレだ、と魔王様はテーブルに置いた魔導書を指差す。
なるほど、と私は神妙に頷きながら、同じくテーブルに置かれたスコーンに手を伸ばした。
バシンと叩かれる私の右手。
恨めしそうに見上げる私を無視して、魔王様は話を続けた。
「そして余に『この魔導書にも載っておらぬ、世界の真実を知るがよい』とだけ語り、そやつは現れた時と同じように、まるで存在してなかったかのように消え去った。今思い出しても不思議極まりない奴であった」
魔王様を完全に手玉に取るような人がいるなんて信じられなかった。
その人ならば、きっとこの状態でもスコーンを手にするのが可能なんだろう。羨ましい話だ。
「しかし、それにしてもおかしな話であろう? この世の全てを記した魔導書を読み、世界の理を手に収めよというのではなく、魔導書にすら載ってはおらぬ世界の真実とやらを知れと言うのであるからな。まったく雲を掴むような話である」
くっくっくと嗤う魔王様。
ぐーぐーと鳴る私のお腹。
ええ、ホント、実はお腹が減ってたまらないんですヨ。ひとつぐらい食べさせてくださいよ。
「とにもかくにもまずは魔導書を読まぬことには始まらぬ。余は昼夜を問わず、しばらく読書に没頭した。内容はなかなか興味深いものであった。おそらくこれは、世界を安全に巡るため歴代の冒険者たちが知り得た情報を纏めたものなのであろう。どこぞの町にはどのようなハプニングが起きやすい、どの地方にはどのようなモンスターが出没する、この武器を作るにはどのような素材が必要で、どこで手に入るのか等々、細かく調べられておった。おまけに」
一息ついて魔王様は、スコーンをひとつ手に取る。
おおっ、ついにブレイクタイムきたー!
私もつられてスコーンに手をやって……また、叩かれた! なんでだ!?
「世界の真実とやらに近付くヒントも巧妙に隠されておってな。先の、神が世界や余やキィたち人間を作ったという推測もそこからであるが……ミズハよ、単刀直入に尋ねるが、我らの世界、残された時間はあとどのくらいなのだ?」
「うわぁ。そんなことまで知ってるの!?」
「否。そんなことしか知らないのだ。だが、全ての疑問はそこから始まった。冒険者たちがある期間内に余を排除出来ぬのであれば、神は速やかに世界を消滅させるつもりだと知ってから、な」
うええええええ?
魔王様に叩かれた手がじんじんと痛んだけど、それどころじゃなかった。
「え、それってつまり、誰かが魔王様を倒さないと、神様が世界を勝手に壊しちゃうってことですか?」
「左様。しかも余の推測が正しければ、もうほとんど時間がないはずなのだ。ミズハよ、どうなのだ? お前なら知っておろう」
「えっとね、実は明日……なんだけど……」
明日!? そんな!
「あ、ていうか、そっちの世界で言うなら、えーと、だいたい十日ぐらいかな?」
はい? 意味がわかんないヨ。
「なるほど。こちらの世界と我らの世界では、時間の流れが違っているのだな」
だけど魔王様はあっさりミズハさんの話を理解してしまった。
「およそ我らの世界での一日が、こちらでは四時間といったところか。ふむ、道理で冒険者たちが数日一睡もせず戦い続けたかと思えば、何日も眠ったりしたわけだ」
魔王様が何度もなるほどと頷く。
「……って、いやいやいや、そんなことよりも! どうして神様は世界を消しちゃうんですか?」
ミズハさんによれば、彼女の世界に住む人が私たちや私たちの世界を作ったらしい。なのに、今度は勝手に世界を消しちゃうとか。一体何考えてんだよ!?
「うむ、そこである。どうして神は世界を消滅させるのか? 同時にそれは、なにゆえ神は『魔王を討て』と世界に号令をかけるのか、という疑問でもある」
さっきまでの納得顔から一転して、頭を傾げる魔王様。うーん、魔王様って頭いいのに、時々こちらが「なんで?」って思うことで悩んだりするなぁ。神様が魔王様を倒そうとするなんて決まってるでしょ。だって
「そりゃあ魔王様が魔王だからでしょ?」
「それがどうして神に倒される理由になる?」
「いや、だから魔王様は」
「余は確かに魔族の王である。が、単に魔族を率いているだけのことだ。世界に混沌をもたらすつもりなどまるでないのだぞ。なのにどうして敵視される? なにゆえに世界征服を目論んでいるなどと噂を立てられねばならぬのだ?」
え? 世界征服を企んでないの?
つい眼を見開いて見つめる私に、魔王様は神妙な面持ちで頷く。
「そうなのだ。こちらにそんな意思は全くないにもかかわらず、余は世界に混沌をもたらす悪魔だと言われ続けておる。迷惑も甚だしい話だ。だが、どうして神は余を悪者に仕立て上げるのだ? しかも誰も余を倒せぬ場合、世界を消滅させるなどと……とても創造主のやることとは思えぬ」
はぁぁぁぁぁぁ、なるほどぉぉ。確かにそれは疑問だ。
魔王様を倒せなかったら世界終了……とんでもない話だけど、魔王様が世界征服を目論んでいて、誰もその野望を阻止できずに世界が地獄と化すのを見てられないとかだったら、まだ分かる。
いや、世界を、それどころか魔王様すらも作り上げた神様だったら、普通はどうにでも出来るんじゃないのとは思うけど。
ところが魔王様は世界を征服するつもりなんてこれっぽっちもなくて、神様に煽られた世界中の人から一方的に因縁をふっかけられているだけだった。
おまけにそんな人畜無害な魔王様を誰も倒せなければ、世界を勝手に終わらせちゃうという……ホント、何考えてんだよ、神様っ!?
と、嘆いても仕方がない。こんな時はちょっと頭に養分を取り入れ、よく考えて……うわん、またスコーンに伸ばした手を魔王様に叩かれたぁ。
「だが、神の意志を推察すると、意外なところから世界の真相が見えてきた。それはかつて世界中で猛威を奮い、勢いこそ失ったものの、今もなお感染者が跋扈する奇病……」
勇者病!?
意外な言葉が出てきた。
でも、そういえば魔王様は、勇者病とは神様が取り憑く病気だって言ってたっけ。
「この奇病にかかった者は、老若男女問わず冒険へと赴き、余を倒さんと欲すという。言うならば神が持つ余への悪意を、世界にばら撒き広める種とも呼ぶべき存在だ。しかも調べれば調べるほど、世界は勇者病患者に破格の待遇を与えていた」
「破格の待遇? うーんと、まぁ、たしかに普通の人の家に押し入って、箪笥を勝手に漁っても怒られないですけど?」
あと、お皿に盛られているスコーンに手を伸ばしても……って、イタイ!
ううっ、普通はこんなふうに叩かれたりはしないんだよぅ。
「そんなことではない。よく考えてみるのだ、キィよ。勇者病患者とその従者に与えられるステイタスカードの有り得ない性能、経験値とレベルアップに加えスキルの勝手に取得できるシステム、まるで冒険者に倒されるのが目的であるかのように、無限に蘇ってくるモンスターたち……どれも患者たちの成長意欲を促す内容になっていると思わぬか?」
「は、はぁ」
つい気の抜けた返事になってしまったのは、なにもスコーンをいつまで経っても食べられないからじゃない。
魔王様がなにを言いたいのかよく分からなかったからだ。
いや、言ってこと自体は分かるよ。
勇者病患者は神様に取り憑かれているのは、なんとなく理屈があっているように思うもん。
で、神様は何故かは知らないけど魔王様を倒そうとしていて、そのため自分たちに都合の良いように世界を改竄しているって話でしょ? それってつまり
「勇者病患者は、神様が魔王様を倒すために送り込んだ使徒ってことですか?」
まぁ、そういうことだよね。
だけど、問題なのはそんなことじゃなくて、神様がなんで魔王様を倒そうとしていて、どうして世界を終わらせようとしているのかってことじゃ……。
私が言うのもなんだけど、魔王様ってどうにも話が遠回り臭い。
「否、使徒という言葉に囚われては疑問が残るぞ、キィ」
「疑問……あ、えっと、私はさっきから疑問ばっかなんですけど」
例えばさっきからどうしてそう執拗に、スコーンを手に取ろうとするのを阻止されるのかな、とか。
「何故なら勇者病患者が純粋に神の使徒であれば、その命を果たさんと一心不乱に余を倒さんとするものであろう。それに神とて直接余と戦いはせずとも、余を倒すべく使徒たちの指揮をとるものではなかろうか。だが、過去の戦いを振り返ってみるに、冒険者たちの足並みはまるで揃ってはいなかった。誰も彼も、オレが倒す、私に任せろと、私利私欲を剥き出しにして余に立ち向かってきた。もちろん、数人の徒党を組んで余に立ち向かうものは多かったが、必勝を期して軍団を率いてきたのは……ブリューナク・ノブナガという男だけであった」
ブリューナク・ノブナガ……十年前、魔王様との大決戦において大将を務めた人だ。当時、その圧倒的なカリスマによって五千とも、八千とも言われる大勢の冒険者を束ねあげた。もっとも大決戦では早い段階で討死してしまったと聞いているけど……。
「ノブナガさん……」
ミズハさんが悲しみとも、喜びとも取れるような複雑な表情で、その名を呟いた。
「しかし、軍団もブリューナク・ノブナガが存命のうちは連携が取れてはいたものの、きゃつが余に致命的な一撃を与えて命を散らした後は……誰もが余を討つ好機とばかりに、それまでの見事な統率も忘れて好き勝手に攻撃を始めたのだ。ミズハもその光景は覚えておろう?」
え? ミズハさんも大決戦に参加してたの?
ちょっと意外だった。だって大決戦は十年前の話で、でも、窓の向こうにいるミズハさんは私と変わらないような年齢で……って、ああそうか、そう言えば時間の流れが違うんだった。確かこっちの世界での一日が私たちの世界での六日間にあたるわけで、となると十年前っていうのは……。
うはぁ、計算めんどくさい。
「うん。思い出したくもないぐらい嫌な光景だったよ。ノブナガさんの捨て身の攻撃は、最初から計画通りだったんだ。あの人は本当に魔王攻略を目指していたから。自分が魔王を倒せなくても、自らが犠牲になることで誰かが倒せる道を進めるなら、それでいいって人だったから。なのに、みんなは……」
ミズハさんの言葉からは、ノブナガって人への尊敬がとても感じられた。それだけにノブナガの想いをみんなが裏切ったのは辛かったんだろう。言葉を詰まらせたミズハさんはとても悔しそうだった。
「だから私は二度と同じ間違いを繰り返さないよう、集めた仲間との結束を高めていたつもりだったんだけどね。……でも、やっぱり無理だったよ」
勇者様の一騎打ちモードが解除された途端、連携もなにもあったものじゃなく、我武者羅に魔王様に飛び掛っていった冒険者たちを思い出す。でも、あれって……。
自嘲気味に笑うミズハさんに、私は声をかけずにはいられなかった。
「アレはミズハさんのせいじゃないですよ。だって、そもそもはみんなが苦しんでいるのに助けもしないで、それどころか一騎打ちモードなんてものまで設定して魔王様を格好良く倒そうとした、うちのバカタレ勇者様がみんなを刺激したというか……」
ホント、あの人が全部台無しにしたんです。ゴメンなさい。
「ううん、本当にみんなが世界を救うつもりだったら、協力しないとダメなんだよ。それを私たちは大決戦の時に知った。私が集めた仲間の中には、大決戦に参加した人も少なからずいたんだよ。なのにあんなことになっちゃうなんて……」
ハァと大きく溜息をつくミズハさんの姿が一瞬、言葉を奪われても叫び続けた、私がよく知っているミズハさんの姿と重なった。頑張って一人ひとり説得して集めた仲間だったのに、ああいう形で裏切られるなんて、そりゃあ気持ちも落ち込んで当然だろう。
なにか励ましの声でもかけてあげたかった。
でも、私の代わりに口を開いた魔王様から出た言葉は
「つまり、それだけお前たちにとって一千万が魅力的だということなのであろう?」
ミズハさんに同情するわけでもなく、神の使徒となって世界を救うとか大層な話でもなく、えらく世俗的なゲスいものだった。
一千万……ああっ、勇者様がつい口走ったアレかぁ。
「余を倒せば、こちらの世界で一千万という大金が手に入る。そういう仕組みなのではないか?」
「え? あ……うーん、と」
落ち込んでいたミズハさんがビクっと体全体を震わせたかと思うと、困惑したように口元に指を当てる。でも、すぐに諦めたように再び肩を落とすと、しょんぼりとした様子で
「まさか、魔王さんにこんなことを知られるとは思ってもいなかったよぅ。はい、その通りです、ホントごめんなさい」
と頭を下げた。
「はへ? ミズハさんが謝る必要なんてないんじゃ」
「いいや、そういうものとはいえ、余に謝罪は必要であろう」
そういうもの? そういうものとは?
「なんせこやつらは世界を救うために戦っていたのではない。余を倒し、大金を手に入れるのが目的で戦っておったのだ」
「……んー?」
イマイチよく分からなかった。
本来なら世界を救うために、魔王様を倒そうとするのが正しい姿だ。でも、実際は魔王様を倒すことが目的で、世界を救うのはそのオマケみたいなものだった。冒険者を正義の味方だと信じていたら悲しい事実ではあるけれど、でも、だからと言ってミズハさんが謝ることなんてないんじゃないかな?
ましてやなんで魔王様に謝罪しなくちゃならないの?
「むぅ、キィの反応が薄いな。では、こう言えば分かりやすいか……この世界はミズハたちが余を倒す遊戯を楽しむために作られたのだ、と」
「ああ、それなら分かりやす……って、ええっ?」
なんだそりゃ? ますます意味が分からない。
魔王様を倒すのを楽しむ世界って……なんでそんな世界が必要なのさ?
「つまり我らの世界はこやつらが楽しむために用意された狩猟場なのだ。そして余はそこに放たれた最高の獲物ってところであろう」
そんなことを、しれっと答える魔王様が信じられない。
私たちの世界をミズハさんたちが作り上げたというだけでも驚きなのに、目的がそんな理由だったなんて……。酷いにもほどがある。
信じられない。信じたくなかった。
でも、ミズハさんが魔王様に頭を下げる理由が他に見つからないのも事実だった。
「信じたくないという表情をしておるな。だが、かように推測を重ねれば、神が世界を滅ぼそうとするのも理解できるのだ。考えてもみるがよい。いくら膨大な賞金がかけられていたとしても、どうあがいても倒せぬ獲物など興ざめも甚だしいであろう? 余の討伐に絶望し、狩人がいなくなってしまった狩猟場に価値などないのだ」
なるほど。
十年前の大決戦での大敗北以来、勇者病は沈静化した。おかげでめっきり冒険者の数は減ったし、さらに本気で魔王討伐を考えている人なんてほんの一握りだ。
停滞した世界は、どこか終末の黄昏を予感させた。
でも、だからって
「誰も魔王を倒せないと諦めてしまっては、遊戯として成立しない。だから神は世界を滅ぼすのだ」
そんなの、あんまりだった。
読んでくれてありがとうございます。
……なんだかごちゃごちゃしてしまったorz
二章の終わりあたりから、どうにもスッキリと上手く出来ません。自分の未熟さを痛感する次第です。ごめんなさい。
次回は11月20日水曜日、12:00の更新予定です。
お付き合いいただけると嬉しいです。