第三十二話 違和感
フリート君たちを見送った後、私たちは重い体を引き摺るようにして丘を登り始めた。
珍しくドラコちゃんも「おんぶ」などとは言わず、黙ってついてくる。
疲れきった両足を励ましながら、ひたすら登る。
目指すは丘の頂上。今回の騒動の始まりであり、終わりでもある場所。
勇者様と魔王様の決戦の地――。
本来なら私が戻ってくる必要なんてないのかもしれない。
私の出来る範囲で怪我人を助け、やるべきことは全てやった。あとは街に戻ってもよかったんじゃないかなと思う。
にもかかわらず、私は強くこの騒動の顛末を見届けなくてはいけないという気持ちに襲われた。
理由は単純だ。
だって勇者様が勝つにしろ、魔王様が勇者様を退けるにしろ、こんな騒ぎは他人からしたら大迷惑にも甚だしいわけで。私としては「あんたたちのおかげでどれだけ多くの人が迷惑を被ったかよく考えてみろー!」と一喝せずにはいられないのだ。
そしてその後に私は多くの人たちに謝らなければならない。
こんな騒ぎを起こす原因を作ってごめんなさい、と。
みんなを騙していてごめんなさい、と。
しばらくすると頂上が見えてきた。
火傷と気絶から回復した多くの冒険者たちが、頂上に集結している。
とりあえず多くの人が助かったことに、まずはホッと胸を撫で下ろす。
それにドラコちゃんの一撃以来、これといった戦闘音は聞こえてこない。きっとまだ戦闘は再開していないのだろう。もしかしたら勇者様もあんなことを言いながら、ミズハさんに諭されてみんなを助ける手伝いをしたのかもしれない。
だったらいいなと思いつつ、自分の強さに溺れ、怪我人なんか見向きもしない先ほどの勇者様の姿も思い出されて、私はまたなんとも言いようのない気持ちに襲われた。
「あ、キィちゃん……」
集まっていた冒険者の山をかきわけて中に割って入ろうとする私たちを、ミズハさんが見つけて声をかけてくれた。
すると冒険者の人たちがすぅっと私たちを通す道を作ってくれる。
ありがたい……んだけど、なんだか周りの異様な様子に、戸惑う気持ちのほうが強かった。
「ありがとう、キィちゃん。おかげでみんな助かったよ……」
「え? あ、はい、どうも……」
おまけにミズハさんまで、明らかに無理矢理作った笑顔だったりするし。こんなにも多くの人が助かったんだ。普段のミズハさんなら「キィちゃん、ありがとー!」と私を抱きしめたりするはずなのに。一体どうしたというのだろう?
てか、ホント、みんなも一体なんなの、これ?
私は改めて周りを見渡す。
集まった冒険者の人たちの中には、私がさっき火傷薬で治してあげた人も何人かいたし、ミズハさんが最初に駆け寄った鎧姿の剣士もいた。
だけど、みんな眉間に皺を寄せ、憮然とした表情を浮かべている。とても命を助けられて喜んでいる様子はなく、むしろ怒っているようにしか見えない。
一体何に怒っているのだろう、と彼らの視線の先を辿ってみると……。
「わっはっはっ。魔王、近い、近いぞ、貴様の最期がなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「……」
絶好調の勇者様と、魔王様の戦闘が、とっくの昔に再開されていた。
勇者様の攻撃はさらに鋭さを増しているようで、ダメージにはならないものの、かすり斬られた魔王様の金髪が風に舞う。
対して魔王様はどこか心ここにあらずといった様子で、勇者様の猛攻の前に佇んでいた。
戦闘音が聞こえてこなかったのは、勇者様の攻撃が例の如くまったく当たらず、魔王様も一切反撃をしていないからだ。全く事情を知らない人からすれば、勇者様の猛攻も及ばず、かと言って魔王様も成す術なしで攻撃をかわすだけの膠着状態に見えるだろう。
ただ、勇者様のパーソナルスキルを知っている人からすれば、今、着実に勝利に近付いているのは勇者様だと分かるはずだ。だから
「凄い! スゴイ!! すごいよ、ハヅキ君!! これ、絶対、魔王に勝っちゃうよ!」
と、いつものミズハさんならはしゃいでもおかしくない。
でも、ミズハさんも、他の冒険者たちも、みんな浮かない顔付きで戦闘をただ眺めている。
どこかおかしい。でも、何がおかしいのか分からなくて、どうにも居心地が悪い。そんな時だった。
「……勇者よ」
久しぶりに口を開いた魔王様が
「どうにも先ほどから皆に睨まれている様に思うのだが、余の気のせいであろうか?」
まったくもってひどいボケをかましてきた!
みんなに睨まれているって、そりゃあーた
「魔王様があんなことをしたからに決まってるでしょ!」
戦闘中のところ申し訳ないけれど、ツッコミを入れずにはいられない。
「あんなこと、とは?」
「ドラ……ドラゴンを召還して、みんなに酷いことをしたじゃないですか!」
あやうくドラコちゃんと言いそうになって、私は慌てて言い直す。すでに気付いている人もいるだろうけど、だからといって私の口から明らかにする必要なんてない。
さっきからずっと俯いているドラコちゃんの様子を見て、その気持ちはますます強くなった。おそらくあの攻撃もドラコちゃんの意思じゃない。魔王様に召還されて、反抗することも出来ずに放ってしまったんだ、きっと。
「ふむ。確かに。だが、ならば問おう。余が憎ければ、普通は襲いかかってくるものではないのか? しかるに、いくら待てども誰も余と勇者の戦いに入っては来ぬ。何故だ?」
……あ!
魔王様の言葉に、私は小さく声をあげた。
先ほどの魔王様の発言がただのボケじゃなかったから、じゃない。ようやく気になっていた状況の異常さがはっきりしたからだ。
そうだ。なんでみんな見ているだけなの?
どうして魔王様に襲いかからないの?
酷いことをされた上に、そもそも魔王様は人間の宿敵だ。ここぞとばかりに総攻撃を仕掛けてもおかしくない。
いや、おかしくないどころか、ミズハさんなんて絶対、勇者様の手助けに入りたがるはずだよね。なのにどうして?
ミズハさんの様子をそっと覗き見する。
ミズハさんは、もどかしいとばかりにかすかに拳を強く握りしめていた。
「はっ、何を言い出すかと思えばそんなことかっ!」
ところが勇者様は私や魔王様の疑問を鼻で笑い飛ばす。
どうやら勇者様には明確な答えを導き出せるらしい。
教えてください、勇者様っ!
「奴らはな、今、戦闘どころじゃねぇんだ。なんせ」
そしてやにわに頭の上で剣を水平に構え、精一杯格好つけた勇者様はニヒルな笑顔を浮かべてのたまうのだった。
「みんな酔っ払っちまってるんだからな、レベル99の俺様の妙技によ!」
…………。
……。
あー、うん、期待した私がバカだったヨ、勇者様っ!
「アホか! てめぇなんか早く殺られちまえ!」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
もちろん、当然の如く浴びせられる罵声、罵声、もひとつ罵声。
「うるせ、うるせ。お前たちはただそこで黙って見てればいいんだよ! 俺様が世界を救う瞬間を。魔王を倒し、お前たちみんなが羨むような名誉と、莫大な金を得るその時をな!」
苛立たしげに剣を振りまわす勇者様。うん、サムライにクラスチェンジした頃の重厚さが露とも感じられないっ。
「ともかく、魔王! 貴様はそろそろ死んでろ!」
それでも何とか威厳を取り戻そうと、勇者様は再度剣先を魔王様に向けて構えを取る。
が、
「ふむ、金か……。どうやら余の首に賞金がかけられておるのであろうが、参考までに訊いておきたい。一体幾らの値がついておるのだ?」
肝心の相手である魔王様はこんな調子で、勇者様の意気込みを見事にいなしてみせた。
「そんなもん、死んでいくてめぇが知る必要ねぇだろ?」
「そうツレないことを申すな。一体幾らの金をおぬしが得るのかを知らぬままでは、余も死んでも死にきれぬではないか」
……うーん、なんだか漫才みたいになってきたなぁ。
てか、あの魔王様が自分の死をほのめかすなんて信じられない。そりゃあ私だってかつては魔王様が死んじゃうと心配したこともあったよ。けど、レベル99の勇者様をかるく撃退する様子を何度も見せられては「魔王様を倒すなんて不可能なんじゃないかな」と思って当然じゃん? その魔王様が「死ぬ前に教えてくれ」だなんて、似合わないにもほどがある。
それにもうひとつ。気になることがある。
魔王様に懸けられているという賞金のことだ。
そんなの私、聞いたことない。自慢じゃないけど勇者様にこき使われて長い私は、ギルドに張り出されている賞金首モンスターをしっかり記憶している。でも、魔王様に賞金なんてかけられてなかった。魔王様どころか、ドラコちゃんも同様。どうやら魔王様やドラゴンなんてのは、賞金のかけようがないってことなんだろう。
もっとも、賞金はかけられていなくても「ドラゴンを倒しました」「魔王を倒しました」なんて実績だけで、お金儲けはいくらでも出来ちゃいそう。実績をウリにしての道場経営はもちろん、『私はこうして魔王を倒した』なんて自伝を出せばベストセラー間違いなしだもん。別に賞金がかけられてなくても、実にオイシイ……ってそういう話じゃないヨ、私。
と、とにかく魔王様に懸賞金なんてない。ただ、副次的にお金儲けが出来るだけだ。勇者様が「魔王を倒すことで莫大な金を得る」って言ったのもあながち間違いではないけど、魔王様が想像したような賞金の類じゃない。だから具体的な金額なんて言えるはずがないんだけど……。
「……一千万だ」
勇者様が吐き捨てるように答えた。
え、答えられるの、勇者様? てか、その数字、一体どういう計算で出てきたし? そもそもいくらざっくりと計算したとしても一千万はちょっと……。
「ほぉ。一千万エーンか。大層な値段ではあるが、さて」
魔王様が勇者様の握り締める剣を指差す。
「ソードフィッシュの角と同じ金額というのは、さすがに安すぎではないか、勇者よ?」
……ですよねぇ?
魔王様を倒せば色々な方法でお金儲けが出来て、収入たるや、ざっと見積もっても一千万エーンは軽く凌駕するはずだ。だいたい、魔王様を倒して素材と同じ値段のはずが……。
「てか、なんで魔王様、ソードフィッシュの換金額を知ってるし!?」
気がつけばまたまた思わずツッコミを入れていた。
「ふむ。余にはこれがあるのでな」
と、懐からお馴染みの究極魔導書を取り出す魔王様。
「『第六章・素材の入手場所と入手方法、及び換金額について』に載っていたのだ」
なんて便利! ベストセラー間違いなしの『私はこうして魔王を倒した』よりも売れそうじゃないかっ。
「故にそのような高級素材をネコババしようとするキィを果たしてどうしたものかと一時は本気に頭を悩ませたものである」
「うわん、魔王様にもバレてたの!?」
これは恥ずかしい。恥ずかしすぎるっ。だから、こんな時は……
「で、でも、勇者様のどんぶり勘定も相当酷いですよねっ」
恥ずかしいので、矛先を勇者様に向けてやりましたよ、ええ!
「魔王様倒して一千万エーンぽっちなんて、あるわけないじゃないですよねー。私でもその五倍くらいは軽く稼げ」
「一千万エーンじゃねぇよ!」
憮然と。
勇者様が私の言葉を遮った。
「一千万は一千万でも、エーンじゃねぇんだよ」
はえ? なんだそりゃ? また勇者様ったら負けず嫌いでテキトーなことを……。
「エーンじゃない一千万か。それは興味深い」
だけど魔王様は、なぜか勇者様の言葉にのっかかる!
「魔王様、そんなの勇者様が口からでまかせを言ってるだけですってば」
「否。今の勇者の発言は」
魔王様がニヤリと嗤った。
「決して聞き捨てならぬ興味深いものであった」
やにわに魔王様は開いた掌を軽く掲げ、天に向ける。すると勇者様や魔王様の足元から、無数の、なにやら淡く光り輝くものが立ち昇り、ふんわりと空中を漂い始めた。
「なっ、なんだこれ?」
戸惑う勇者様をよそに、無数の光はゆっくりと勇者様を中心に回り始める。目を凝らしてよく見れば、光はとても細い線のようなものが発光しているようだった。ひとつひとつは白く輝くものの、次第に結合していくにつれて、光は金色を帯びていく。やがて金色の糸のようになって勇者様の周りをぐるぐると回転するに至り、ようやくその正体が分かった。
「あれは勇者様の攻撃で切り取られた、魔王様の髪の毛!?」
さすがは魔王様、そんなものまで利用するなんてスゴイ!
「アホか、そんなのはどうでもいいんだよ!」
感心する私とは裏腹に、勇者様は焦りまくって、なんとか状況を打開しようと必死にもがく。
バカタレな勇者様にアホ呼ばわりされるのは甚だ心外だったけれど、まぁ、言われてみればたしかにその通りだった(私がアホって意味ではない!)。
光の正体なんてどうでもいい。問題は魔王様が何をしようとしているかってことで。
勇者様を中心に数十センチ離れたところを、もはやロープのような厚さになって高速回転している魔王様の髪の毛は、勇者様ご自慢の高級素材の剣でも十分な間合いが取れず斬ることができない。
そして。
「勇者よ、ここからは余の番だな」
「ち、ちくしょう!」
魔王様が掲げた掌をぎゅっと握り締めると同時に、勇者様もまた光のロープによって拘束されたのだった。
読んでくれてありがとうございました。
とある方から「もしこれで人気が出ていたら、最近の展開は酷い目に遭ってたでー」と言われたのですが、そんな鬱展開の理由がそろそろ語られていきます。
それだけになかなか難しく、難産気味ですが、なんとか次回は11月11日月曜日、12:00に更新できたらと思います。
次回もよろしくお願いいたします。