第二十六話 ミズハさんの理由と世界の実情
それからしばらくの間、ニーデンドディエスの街は三つの噂で持ちきりだった。
ひとつはマンモス亭に現れた大喰らいの女の子と、どんな危険なギャンブルカクテルすらも平然と飲みつくす男の話。
ただし、こちらは概ね街の人々に好意的に受け止められた。やはり旅芸人という設定が良かったらしい。ドラコちゃんは子供たちに頼まれると気前よく火を噴いたし、魔王様もちょっとした会話の中にさりげなくセンスのよい手品を入れるなどして、街の人々を驚かせ喜ばせた。
おかげでドラコちゃんに至っては可愛らしい容貌もあって、最近ではちょっとした街のマスコットだ。散歩するだけであちらこちらから新鮮な果実やら焼いた肉の串刺しやらを貰ってきて、「この街の人は親切なのじゃ」とご満悦だ。
対してもうひとつの噂である「レベル99の勇者が現れた」という話は、勇者様の普段の行いもあってどうにも芳しくない。
なんであいつが?
一体どうやって?
てか、あいつ、レベル99になったからと言って世界を救うようなヤツじゃないよな?
結局、魔王に怯える日々は続くのか、と悲嘆にくれるニーデンドディエスの人々。
本当のところ、魔王様とは何度も戦っているのだけれど、そんなのはもちろん誰も知らない。
そしてレベル99になっても魔王様にはキズひとつ付けられないという厳しい現実も……。
最終的にこの噂は、同じレベル99になるのだったら、ミズハみたいに人望のある冒険者になって欲しかった、いや、今からでも遅くない、どうやってレベル99にまで登りつめたのかをミズハさんや力のある冒険者に打ち明けて、少しでも世界の平和に向けて協力すべきだという内容に落ち着いた。
でも、当の勇者様は現在、そんな状況にはない。
大変だったのだ。
ミズハさんの執拗なアタックを避けることで。
これが今、街でもっともホットな第三の噂。
「ミズハがお馬鹿で自己中で我儘な勇者に結婚する勢いで迫っている」というヤツである。
ミズハさんのアタックはそりゃあもう、傍で見ていてもとんでもない勢いだった。
勇者様がどこに行ってもつきまとうのはもちろんのこと、家の中にも持ち前のフレンドリーさで当たり前のように侵入し、食事時には「はい、ハヅキ君、あーんして」とご飯を食べさせようとするわ、勇者様がお風呂に入れば「お背中お流ししましょー」と水着姿で乱入。しまいにはベッドの中にも侵略してくるわで四六時中ひたすらミズハさんのターンだった。
そんなアタックを仕掛けるたびに「ねぇ、一緒に冒険しよ」と迫ってくるミズハさんに対して、うちのおバカな勇者様は日頃の減らず口もどこへやら、ただただあたふたするばかり。
そしてどうやら「おバカ」だけでなく「ヘタレ」も本格的に勇者様の称号に付け加えるべきかどうか検討をし始めた頃。
勇者様は「ミズハに俺と冒険するのは諦めろと説得しておけ」と私に命令し、きっちりと鍵をかけて自室に引き篭もられてしまわれた。
おバカでヘタレ、通称「バカタレ」の称号を私が勇者様に授けた瞬間だった。
「で、そのバカタレなハヅキ君がお隠れあそばされてすでに五日、と」
居間のテーブルに座り、私の淹れた紅茶を優雅にすすりながらミズハさんは軽く溜息をついた。
「その間、一度も部屋から出てこないんですよねぇ。だからこれってやっぱり……」
ミズハさんが神妙な面持ちで頷く。
「死んだかな?」
「寝てるだけですよっ!」
勝手に殺さない!
そもそもミズハさんのモーレツアタックが勇者様を自害、じゃなかった、自室へ追い込んだのだから、そんな不謹慎な事を言っちゃダメですってば。
「勇者病の人って時々すんごく眠るじゃないですか。ミズハさんだってそうでしょ?」
「うん、まぁちゃんと寝ないとさすがの私たちも死んじゃうもんね」
あと幾ら若くてもお肌に悪いしと、ミズハさんが付け加える。へぇ、そうなんだと詳しく話を聞くと、夜更かしや徹夜は新陳代謝を促す成長ホルモンの分泌を抑えてしまうそうで、その結果として肌荒れやニキビなどを引き起こすそうだ。
ううっ、そんなの、初めて知ったゾ。これからは冒険中でも夜間はキャンプを張って、しっかり睡眠をとることにしようそうしよう。
「ふぅ。まぁ、寝るのはいいんだけどね。それにしてもハヅキ君もあんなに私を避けなくてもいいよぬー?」
ミズハさんが飲み干したカップを傍に置くと、テーブルにぐてーと上半身を投げ出す。その姿はまるでナマケモノのそれだ。とても世に何千人もいると言われるミズハさんのファンには見せられない。特にテーブルに押しつけられて、柔らかそうにうにゃりと変形している二つの膨らみを野郎どもに見せるわけにはいかない。
「それは無理というものであろう。あんなに積極的に攻めては、勇者みたいな輩にはむしろ逆効果であろうに」
ふと、魔王様が珍しく私たちの会話に入ってきた。普段は同じテーブルにつきながらも、我関せずと静かに紅茶を啜ったり、本を読んでいることが多いのに……。
やっぱりアレかな、魔王様も目の前でいい感じに押しつぶされている膨らみが気になるのかもしれない。ホント、男ってのはしょーもない生き物だ。
「そうなのかな? でも、ハヅキ君ってえっちぃのが好きじゃない?」
ミズハさんがテーブルに倒れこみながら、顔だけ魔王様に向ける。
あまり魔王様とは親交がないはずなのに、全く物怖じしないのがミズハさんらしい。
まぁ、ミズハさんにとって魔王様は単なる旅芸人だからだろうけど。
「勇者とは短い付き合いではあるが、あやつの性格はある程度把握しておる。見栄っ張り、自己中心的、エロいなどなど色々あるが、根っこの部分はそれらとは少し異なるものだ。おぬしも実は薄々気付いているのではないか?」
魔王様がなんだか難しいことを言う。
勇者様の性格の根っこって、それこそバカタレだと思うんだけど、違うのかな?
「へぇ、パトさんってハヅキ君のことよく見てるんだねー」
でも、ミズハさんは魔王様の言葉に関心を持ったみたい。ぐてっと投げ出していた上体を起こすと、ずずいとテーブル越しに魔王様に急接近した。
「だったらどうしたらハヅキ君が私とパーティを組んでくれるか、教えてくれないかにゃ?」
「ふむ。ならばこちらもひとつ問おう。どうしてお主は勇者とそんなにパーティを組みたがるのだ? 聞けばヤツがレベル99になる前にも執拗にパーティ結成を催促していたと聞いているが?」
「むぅ、質問に質問で返すのは失礼だよ?」
「その質問に答えるのに必要な解であるから問うておる。胸の谷間は存分に堪能させていただいたから、席に戻ってよく考えて答えよ」
魔王様がミズハさんを押し戻す。当のミズハさんは「別に減るもんじゃないからいいのに」と不満顔を浮かべつつも、素直に自分の席に戻った。
「んー、パーティを組みたい理由かぁ」
ミズハさんは眉の間に深い皺を寄せて、うーんと唸る。でも、椅子に深く座り、両足をぶらぶらさせるその姿はリラックスそのものだ。
「ほら、私ってこんな性格だから、ひとりじゃ寂しいんだよ。だからひとりぼっちにならないよう、出来る限り多くの人と冒険をして繋がりを作っておきたいんだ」
なははと照れ笑いするミズハさん。
普通の人ならちょっと恥ずかしがって、なかなか言えない理由だと思う。
でも、ミズハさんはそんなこともはっきりと話してしまう。
こういう表と裏がないところがミズハさんの魅力だ。。
「なるほど。繋がり、か。しかし、キィから聞いた話によると、今ではお主とパーティを組みたがるシンパはかなりいるそうではないか。今さらそこに勇者を加えなくても、お主の目的は達成されているのではないか?」
「むぅ、シンパってヤな言い方するね。仲間と言って欲しいな」
「仲間、か。しかし、正確には『戦える仲間』ではないのか? 勇者を執拗に誘うのも、ヤツがお主たちにとっては戦力になるからのように思えるのだが?」
魔王様の冷ややかな言葉と視線が、ミズハさんの表情を俄かに強張らせる。
ミズハさんの足はすでに床についていた。
「ち、ちょっと魔、じゃなかったパトさん。そんな言い方したら、まるでミズハさんが何かきなくさいことを企んで、勇者様とパーティを組みたがっているみたいじゃないですか!?」
やり取りを黙って見ていられなくなって、思わず横から口を挟む。
ミズハさんはそんな人じゃないよ、魔王様!
「うむ。まさにそれが問題なのだ」
「問題、って……」
しれっと答える魔王様に私は思わず絶句……しなかった!
「いい加減にしてください! そんなの、パトさんの勝手な推測じゃないですかっ。ミズハさんはそんな悪いことを企む人じゃありません。ミズハさんは他の冒険者たちが見放した勇者様を、一緒に冒険しようと誘ってくれるいい人なんですっ!」
頭に血がのぼって、私は一気に捲し立てる。
「ちょ、キィちゃん。落ち着いて。私は別に」
「止めないで下さい、ミズハさん! 私が今からパトさんにそれは勘違いだってことを思い知らしめて、はうっ!」
いきなり額に鋭い痛みが走った。
それが魔王様のデコピンだと理解するのにそれほど時間はかからなかった。
でも、
「勘違いしているのはお前ではないか、キィ」
怒って抗議する前に、魔王様が私を嗜める。
ナヌ? 私が一体何を勘違いしていると?
「ミズハが悪いことを企んでいるなどと言ってはおらぬ。私が問題だと言ったのは、ミズハがまるで何か良からぬことを企んでいるかのように、我らに真の目的を隠して冒険者一人ひとりを勧誘しなくてはいけない、この世界の現状そのものなのだ」
……なんだかイマイチよく分からなかった。
ただ、ミズハさんを悪く言っているわけではないことだけは辛うじて分かった。
あと、ついでに私が勘違いしていたということも……でも、それは魔王様の言い方にも問題が!
「ミズハ、お主、魔王討伐を考えておるな」
思わせぶりな話し方をする魔王様に食ってかかろうとしたのに、出鼻を挫かれた。
しかも強烈に。
「そのために仲間を、とりわけ勇者を必要としているのであろう?」
魔王様の瞳に、緊張した面持ちのミズハさんが映る。
今さら私が口を挟む余地はどこにもなかった。
「んーと、パトさん。やっぱりあなたも勘違いしてるよ?」
それでもミズハさんはいつもの調子で話し始める。
「私たち冒険者最大の目的は魔王を倒すことなの。だから仲間を集める必要なんてないよ。だって、その時がくれば私たちは自然とみんなで魔王を討つべく戦場に赴くんだもん。私も。もちろんハヅキ君も」
ミズハさんが紅茶を飲もうとカップを手に取る。
だけど、中身は既に飲み干してしまっていた。
ミズハさんはお代わりを注ごうとカップを持って立ち上がる。
「それはかつての世界の話であろう? 今のこの世界に魔王を倒そうと本気で考えている冒険者は、おそらく三割もおるまい」
がちゃん、と。
魔王様の言葉に続いて、ミズハさんが落としたカップの割れる音が響いた。
「も、もうー。ちゃんと人の話を聞かなくちゃダメだよ? 私たち冒険者は魔王を倒すのが」
「しかし、その魔王にまるで歯が立たないとお前たちは知ってしまった。夜空に瞬く星に幾ら手を伸ばしても届かないように、何をしても魔王を倒せぬと理解してしまったお前たちはその手を伸ばすのを諦めてしまった」
「あ、諦めてないよ!」
「おぬしはそうであろう。しかし、諦めてしまった冒険者が大勢いるのも事実だ。それは十年前の大戦による敗北を機に、多くの者が勇者病から解放されたという事実が物語っている」
「! パトさん、あなたどうしてそれを?」
「冒険者でもない私が知っているのか、と? なに、簡単な推測にすぎぬ。勇者病とは魔王を倒す意志が生まれることで発病し、その意志が失われれば完治するのではないか、と。もっともそれでは現在もなお発病しつつも、既に魔王を倒す意志を失った冒険者たちが闊歩する現状を説明することが出来ぬので正確には違うのであろうが、な」
ちらりと魔王様が私を見る。
その様子に何かを伺うような素振りを感じたけれど、一体何を求められているのやらさっぱり分からない。
「まぁ、そこは今言及すべきところではないから話を戻すとするが、ミズハが秘密裏に仲間を集めざるを得ないぐらいに、今の冒険者たちの多くが本来の目的である魔王討伐を諦めているのではないのか?」
「……」
今度は魔王様の質問に押し黙るミズハさんが私をちらっと横目で見る。
ふたりしてどうして私をそんなに意識しているのだろう。もう、なんか変な感じだ。
それに変な感じと言えば。
「あの、ひとつ質問なんですけど、どうしてミズハさんはみんなに秘密で魔王討伐の仲間を集めていたんです? 冒険者は魔王討伐が目的なんだから、堂々と募集をかければいいじゃないですか?」
「ふむ、なかなか良い質問だ、キィ。その答えはミズハ自ら語ってもらおう」
うわい、褒められたって、誰が喜ぶかーっ。
魔王様、完全に嫌な役をミズハさんに押し付けましたね?
事実、ミズハさんは額に指を当てて困った表情を浮かべているし。
ああ、なんだか私、トンデモナイ質問をしちゃったのかも……。
「ううーん。まぁ、でも、キィちゃんならいいか」
だけど、ミズハさんの苦悩する姿に申し訳ないことをしてしまったかもと自己嫌悪に苛まれる私を、しかし、救ってくれたのもやはりミズハさんだった。
「私たち冒険者は魔王を倒すのが役目。でも、それを諦めてしまっている人たちが大勢いるこの現状を、普通の人たちが知ったらどうなると思うかな? 魔王討伐を掲げて募集をかけてもほとんど応じる人がいなかったら? 十年前の大敗北で確かに私たちへの期待は地に堕ちてしまった。だけど、それでもやっぱりいつかは世界を救ってくれると信じてくれている人だってまだまだいっぱいいると思うの。そんな人たちを迂闊な私の行動で失望させてしまうわけにはいかないよね」
きゅっと唇を硬く結んで話すミズハさんの表情は真剣そのものだ。
「それに今度こそ魔王を倒さなくちゃいけない。なぜなら私たちにはもう……」
深刻そうに眉間に皺を寄せて話すミズハさんが、不意にハッとした表情を浮かべ、そしてなにやら照れたような苦笑いを浮かべた。
「えっと、少し話しすぎちゃったかな。まぁ、とにかくキィちゃんはこの話を他の人にしちゃダメだよ?」
そしてミズハさんの話はそこで終わってしまう。
話から考えるに、ミズハさんは二つのことを私たちに隠していた。
ひとつは冒険者の多くが既に魔王討伐を諦めてしまっている、ということ。
それを世間のみんなに知られてはマズいから、秘密裏に討伐仲間を集めていて、どういうわけかうちのバカタレ勇者様もその候補の一人ということらしかった。
私に話してもいいかなと判断してくれたのは、きっと、私も勇者様と一緒に旅をして長いから自然とそんな雰囲気を察していると思ってくれたからだろう。
うーん、うちの勇者様はなんせバカタレだから、常日頃から「俺より強いヤツなんてこの世にはいねぇって、ワハハハ」って感じで、当然、魔王様にも勝てると思っている(これまで全戦全敗していてもきっといつかは勝つと思っているはずだ。なんせバカだから)。
でも、世の勇者様と同じ冒険者の人たちが、勇者様と変わらず打倒魔王を掲げてるかと言えば、そうでもないのは確かに感じていた。
なんというか、覇気がないんだ。目的もなく、ただズルズルと冒険を続けているみたいで。中には四六時中酒場に入り浸って仲間と話してばかりの人もいるし、かつて私が子供の頃に見たような、血気盛んに魔物を狩る冒険者は少なくなった。
ミズハさんの言うように、今、声高々に魔王討伐を叫んでも、応じてくれる冒険者はあまりいないんじゃないかと思う。
そんな寂しい現状を、魔王の影に怯えながらも、いつか冒険者たちがその影を振り払ってくれると信じている人たちに見せたくないって気持ちは、私にも分かる気がする。
だけど、まだミズハさんは隠していることがある。
そう、ミズハさんが言いかけて途中でやめてしまった、「今度こそ魔王を倒さなきゃいけない理由」がそれだ。
一体何が「私たちにはもう……」なのだろう?
その直前の切羽詰った表情といい、心のどこかがざわめく。
「ミズハさん……あの、さっきの言葉の」
「キタ! 来た来た来た来た来たぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
意を決して口を開いた私。でも、それをあっさりと邪魔するのは、説明するまでもなく勇者様だ。
ミズハさんを避けて五日間も部屋に篭りっきりだったヘタレな勇者様が、まさかのハイテンション大声マックスで部屋から突然飛び出してきた。
もう、なんでこんなお呼びでない時に限ってでしゃばってくるのかな、この人はっ! 「来た来た来た」って、こっちは勇者様なんて呼んでないんだってば。
「あ、ハヅキ君!」
だけど、ミズハさんはなんだかホッとしたような、緊張がほぐれたような柔らかい笑顔を浮かべている。
まぁ、ミズキさんは勇者様が出てくるのを待っていたわけだから、その表情も分からなくはないけれど、多分笑顔の理由はそれだけじゃない。
「おう、ミズハ。聞こえてたぞ、なんでもお前、魔王討伐を企ててるらしいな」
でも、勇者様の一声に再びミズハさんの顔が凍りついた。
さすがは勇者様、空気を読めない子!
「わはははは、だが、残念! 魔王を殺るのはこの俺様だ!」
そして勇者様は声高々に宣言した。
「二時間後、街外れの丘に来い。面白いものを見せてやる!」
読んでいただき、ありがとうございました。
ちょっとえっちなおねーさんは好きですか? 僕は大好きです。
それでは次の更新は10月28日月曜日、12:00頃の予定です。
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