第二十四話 マンモス亭の夜(前篇)
今後、勇者様にどうやって接するのか?
さっきまでそんな事を考えていたけれど、待ち合わせ場所である『マンモス亭』に急ぐ私の胸のうちはとうに決まっていた。
とにかく一発殴りつける。
それで怒られたって構うもんか。勇者様はそれぐらい、私に対してひどいことをやった。
だって私に相談もせずに、素材を売り払うのではなく、それで武器と鎧の製造依頼を出しちゃったんだもん。
ギルドの規定により、冒険で得られた素材や宝物は換金金額の十分の一を従者に支払うことになっている。でも、あの超高級素材を換金することなく、勇者様が私の取り分である百三十万エーンなんて大金を持っているとは到底思えない。私が貰えるはずだったお金を返せ。
私はふくれっ面をしながら、大通りをずんずんと歩く。日が沈んですっかり暗くなったものの、マンモス亭の辺りはお店の窓から溢れる優しい炎の光でぼうと浮かび上がっていた。
マンモス亭は私が知る限り、ニーデンドディエスで一番安く飲み食いが出来る酒場だ。それゆえにいつもお客さんでごった返していて、今日もまた満員御礼の繁盛ぶりだった。
ただ、いつも以上に盛り上がっていると言うのなら、その理由は間違いなく、旅芸人という触れ込みでゴチになっている魔王様とドラコちゃんによるものだろう。
「おお、キィ、こっちだ」
勇者様を探してきょろきょろと眺める私を、魔王様が自分を探していると錯覚したのだろう、片手を大きく上げて手招きする。
「ま、じゃなくて、パトさん、うちの勇者様見かけ……って、なんですか、コレっ?」
魔王様のつくテーブルを埋め尽くす空のグラスやジョッキの数々に、私はぎょっとする。一体どれだけ飲んでるんですか? てか、これだけ飲んで素面って魔王様スゴイ……。
「旦那、次はコイツだ。『ストーンコールド』、その名の通り、石化率五十パーセント、凍結率三十パーセントのヤバい奴だぜ」
しかも、もうテーブルにはグラスの置き場なんてないのに、まだ飲み物が振る舞われてくるし……って、オイ!?
「石化とか、凍結とかって、なんて危ない物を飲んでるんですかっ!?」
私、知ってる。これってギャンブルカクテルとか言うヤツだ。
普段は携帯用の小瓶に入っていて、ボス戦の前とか、あと今のレベルでは危険な場所で経験値稼ぎをする時に飲むものらしい。上手くいけば攻撃力とか、防御力が一時的に跳ね上がるけど、代わりに下手すれば深刻なステイタス異常に見舞われるとか。当然、失敗した時の為の回復剤も常備しておかなければ使えないもので、うちのケチな勇者様は「そんなのは邪道だ」とか言ってたのを覚えている。
でも、石化とか凍結って相当に危ないヤツだぞ、これ。ゴチとはいえ、こんなのを飲まされてはたまったもんじゃない。
「ほう、なかなか美味そうではあるな。では、遠慮なく」
ところが魔王様、グラスを受け取るなり躊躇なく一気に飲んじゃった。
えええええ? ちょっと、魔王様、さっきの人の話、聞いてた?
「……どうでい、旦那?」
「ふむ」
魔王様の周りに集まった人々が、その反応をじっと見守る。
「しつこくない甘みと渋みに加えて爽やかな喉越しが実に素晴らしい。これも美味であるな」
おおおおおおお、と声が上がった。
それはもちろん、魔王様に何ら変化がないことに対するものだけれど、その感情は様々だった。例えば私は何事もなくてよかったと安堵によるものだし、単純に魔王様の運の強さに驚いている人もいれば、驚きを通り越して呆れ返っている人もいる。そして
「ちくしょう。これでもダメかい!?」
ギャンブルカクテルを魔王様に差し出した髭面のガタイのいいおっちゃんは、顔を顰めて地団駄を踏んだ。
「アニキィ、もう諦めましょうや。この御仁、ステイタス異常への耐性がハンパないっすよ」
「ふざけんない。どう考えてもこの賭け、オレっちの方に有利なんだ。ここまできて諦めるなんて冗談じゃねぇぞ」
ん? 賭け? 奢りじゃないの?
私の不思議そうな表情を察してか、魔王様はグラスのひとつを指差す。
見ると、中には緑色に発光している大きな魔法石。ああ、これはかなりのお宝だ。
なんとなく事情は分かった。
きっと最初は普通にご馳走になっていた魔王様だけど、ギャンブルカクテルも飲んでみたくなったのだろう。でも、それらは基本的に普通のお酒よりも遥かに高価だから、奢ってもらえるようなものじゃない。そこで賭けという手段に出たのだろうけれど……絶対にコレ危険だよっ。
事実、相手側はかなりエキサイトしていた。
「いくら耐性があるって言っても、せいぜい三十パーセントぐらいしか上げることが出来ねぇんだ。ここまでは単にヤツの運が良かっただけ。次であの魔法石はオレっちのもんでい」
「次って、もうあらかたギャンブルカクテルは試したじゃねぇですか?」
「ふん、まだ『ヘブンズドア』があるじゃねーか」
「『ヘブンズドア』って……アニキ、あんなのを飲ませるつもりですかい?」
いくらなんでもアレはヤバすぎですって、と髭面を止めようとする下っ端さん。
うん、名前からして危険な香りがぷんぷんするよね。
さすがにこれはそろそろ撤退時期ですよ、魔王様?
「うむ、名前から察するに自分の命を賭したカクテルのようであるな。面白い、それも戴くとしよう」
ナンデスト?
「おう、さすがは旦那だぁ。断わっておくが、何かあってもオレっちは責任取れねぇって条件は変わらねぇぜ?」
「言うまでもない。もちろん、それで結構だ」
全く物怖じしない魔王様に、髭面がニヤリと笑うとカウンターに向かった。まだお供の下っ端がなんとか説得しようと試みているけど、遠目から見ても成功しそうにないのが分かる。
だったら私が魔王様を説得するしかない。
「もう、一体何やってるんですか? こんなアホな勝負をして」
「アホとは酷い言い草であるな。余はせっかくの機会であるから様々な酒を楽しもうとしておるだけであるのに」
「それで石化しちゃったり、死んじゃったりしたらアホ以外の何者でもありませんよっ!」
ほら、今のうちに逃げますよ、と私は魔王様を席から立たせようとする。
でも、魔王様は涼しげな表情で席に座ったまま、私の頭に手を掛けるとぐいっと私の耳をその口元に寄せた。
「余は魔王ぞ。ステイタス異常や即死なぞ無効に決まっておる」
あ、納得。
この夜、マンモス亭は開店以来初となる、アルコール及び食材が底を尽きるという事態に陥る。その原因となったうわばみの長身痩躯の男と、大喰らいのドラゴンハーフの女の子は、やがてニーデンドディエスはおろか世界中で話題となるのだけれど、それはもう少し後の話だ。
読んでいただいてありがとうございます。
今回はちょっと短めでごめんなさい。マンモス亭での話を一話にまとめることもできたのですが、ちょっと長すぎたのでやむを得ず二つに分けることにしました。
まぁ、お詫びとして次回は真ヒロインを出すのでご容赦を(キィ「えっ!?」)
次回は10月23日水曜日、12:00に更新予定です。
よろしくお願いします。