終章 別れと始まり
翌朝。
「では吾輩達は失礼させてもらうぞ。また機会があればあなたの手料理を食べに来たいものだ」
「……お褒めに預かり光栄です」仏頂面の姉さんはそう答えてさっさと城の中へ戻っていってしまった。幾ら仲が拗れても前夫が縄で引っ張られていくのを見るのは忍びないのだろう。
「ふむ。褒めたつもりだったのだが、すっかり嫌われたようだな」
「当たり前ですよ。大体先生のは褒め言葉に聞こえません」
那美が首を横に振ると、赤毛のショートカットが微かに揺れた。
「女王陛下とはできればもっと色々な話をしたいと思ったのだが残念至極だ」
「……また近い内に会えるんじゃない、変な所で」
考古学者は笑いを隠そうともせず、「それは素晴らしい、是非そうなって欲しいものだ!」
「先生、そろそろ山を降りましょう。宇宙船に乗れません」
「ああ、分かった。では行こうか」
縄を結んだ手錠を掛けられたおっさんは、「いや、少し待ってくれ」と制止の声を上げた。
「アス」いつも通り衛兵用の槍を持った彼を見て、全てを悟ったようだ。「決めたんだな」
「はい。僕は刑務官さんの無実を女王様に約束して頂きました。ここで罪を償いながら待っています」
「そうか……それがいい。困った事があればリリアを頼りなさい。あれは面倒見のいい女性だ、ダニーと同じぐらいお前を気に入っているようだからな」
驚いた。てっきりおっさんも姉さんを嫌っていると思っていたのに。
「セミアさん。治療は引き続きお願いします」
「分かってるよ」
「レイ君」
「は、はい!?」まさか俺にも声が掛かるとは。
「アスと仲良くしてやってくれ。この子と同性で近い年頃と言うと君ぐらいしか思い浮かばなくてな、勝手な願いだとは思うが」
「いやいや安心して下さい!俺達とっくに友達ですから」
「え……そうだったんですか、レイさん?僕はずっと皇太子と衛兵だと思っていました」
真面目な否定に軽く傷付く。
「女王陛下」
「気にする必要は無いよ、あなたは操られていただけ。嫌疑は絶対に晴らす、それまでしばらく耐えていて」
その時の彼女はどう表現すればいいのか。いつもと何も変わらないはずなのに神々しく、気高く美しい狼のような横顔をしていた。
「―――はい。仰せのままに」見惚れたままおっさんは呟いた。
「一通り挨拶は済んだかね?」
「はい」
「では行こうか、絶望と諦観の支配する牢獄へ」
はっ、とおっさんは鼻で笑った。「私が行くのはただの留置所だ。勘違いしてもらっては困るなベルイグ殿」
「そう大きな違いはあるまい。これから過ごす年月を考えれば留置所など光陰矢の如し」
「ほう。なら寂しくない。そんなにあっと言う間に出て来られるのならばな」
しばし視線を戦わせた後、口を開いたのは助手だった。
「良い年の大人同士、喧嘩は止めて下さい。早く山を降りますよ!」
「ああ、分かったよ那美君。頼むからそう大声で怒鳴らないでくれたまえ、鼓膜が壊れそうだ」
やれやれ、と綻ばせた口元に、不意に夢で視た表情がダブった。
(まさか……な)
もし振り解いていなかったら俺もおっさんと一緒に連れて行かれたのか……?眩暈がする程リアリティのある狂夢。
「うぅ……」
血だらけの彼女の残像がちらつく。結局見送りが終わるまで表面的な平静を保つので精一杯だった。
大きめのシャツとスカートに着替えてリビングに入ると、既に検査は終わったらしく茶髪の女性が帰る所だった。
『ディー、本当ありがとう。頑張って一人前の巫女にならなくちゃ』
『はは、俺はあんま巫女さんの事よく知らないけど、まあ困る事は無いと思うぜ』不思議な事に彼の服は既にほとんど乾いているようだった。まさか、体温で水分が蒸発?
女性は私に気付いて胸ポケットに入れた金色の羽根を誇らしげに見せた。
『見て見て!これで私も見習いだけど一応巫女になれたんだ。えへへ』
何と言えばいいのか、不可解な光景だった。
『ねえ、その』
『うん、何?』反応から服の裾を掴んでいる存在には全く気付いていないのは確実で、逆に恍けているなら表彰物の演技力。
『何でもない』指摘すると不都合かもと気を遣ってみた。
『そっか。じゃあ私帰るね。バイバイ、クラン、ディー』
うきうき気分の彼女と、彼女の後ろに付いた者とすれ違う。三歳ぐらいの少女は眼鏡の奥から私をじーっ、と観察したまま出て行った。
『クゥン』
ボビーも訝しげに鳴いた。
『ディー、今彼女の隣に誰かいたよね?』
『あれ、クラン見えた?おかしい、いやそうおかしくはないのかな』
彼は人差し指を立てて『皆には内緒だぞ』と囁いた。
『彼女にも?』
『自分で気付けないようじゃ一人前の巫女にはなれないさ。それにあの子すっごく!人見知りする性質なんだ。あの様子だと慣れるまでに結構掛かる』
『観察期間って所?』
するとディーは頭をポリポリ掻き『まぁ本当はあの子に自己紹介させれば早い話だったんだけどな。人の前に出るのも初めてでさ、呼びに行った時もすげー緊張してて、何時逃げられてもおかしくなかったなあれは』
『ふぅん』
『見かけたら声掛けてやってくれよ。知らない奴より話す気になるだろうしさ』