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狼の女王  作者: 夕霧沙織
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四章 古代遺跡



 ―――あの茶色の髪の女性がいた。

『おかえりなさいディーさん。お客さんですよ』

『ただいま。あれ、巫女さん?』

『お邪魔してます。あなたも天、あいけない!?』彼女はまず隠し事ができない事を自覚すべきなのではないだろうか?

『ああ、うん。エカリーナの所へは行ったのか?』

『うん……でも、その……波長が独特って言われて』

『ああ、言われてみればそうだな。で、俺の所に来たんだ』

 彼女は肩を落とす。

『ここで駄目だったら巫女失格だよね……』会う人会う人に秘密を喋りそうになっている時点で既にアウトな気がする。院の先生とやらはもっと口を酸っぱくして注意するべきだったと思う。

『大丈夫。俺両極な奴多いし、多分合うの見つかるよ』

『そう?』

『ああ。巫女さん素直だしさ、俺は好きだぜ』

『そ、そうかな』ほっぺを指先で掻く。『院の先生にもそれよく言われたよ、取り柄だって』

 彼は青年の方を向いて、『クレオ、先にクランとボビーにシャワー使っててもらって。俺は巫女さんの検査するからさ』

『分かりました。クランさん、こちらにどうぞ』

『うん』

 連れられて長い廊下を案内される。

『二人で暮らしてるの?』外から見た通り大家族でも余裕な広さ。

『はい。昔はディーさんの知り合いの御夫婦がいたそうですが、数年前に馬車の転落事故でお亡くなりになったそうです。生前は御両親のようによくしてもらったらしいです』

 親の顔は覚えていない。兄の話では私が生まれてしばらくの後、虚無の病で相次いで死んだらしい。この宇宙ではよくある話だ。

 突き当たりの一室で彼の足が止まる。

『ここがバスルームです。タオルと着替えは籠の中に』

『クゥン?』

 私の足元に鼻を擦り寄せるコリー。長毛から水がぽたぽたしている。

『あ、駄目だってボビー!クランさんが先です。あなたは後で僕が洗うから少し待ってて』

『いいよ別に飼い主だし。ボビー、一緒に入ろう』

『え!?』

『キュゥン!』



 冬の温い日差しが先日から購読し始めたシャバム新聞を読む私と、横で毛糸のボールを投げるお婆さんと戯れるボビーを寒さから遠ざける。

「ふぅん……」

 眠っていた間に世の中も十年分は変わっていた。以前に比べて宇宙船の便数が若干増えているし、流行っている物も当然の事ながら違う。勿論流行なんて追うタイプではないけど。

「お婆さんが私ぐらいの時は、確か普通の機械の宇宙船しか無かったんだよね?」

「そうだねぇ……あの、魔術機械だったかね?お婆ちゃんはほとんど乗った事無いんだけど、昔のより速いらしいねえ」毛糸玉を咥えてきたコリーの頭を撫で撫で。「ボビーちゃんは本当に賢い子だねえ」

「うん。ワープできるし、遠い星に行くのも結構速いよ」

「お婆ちゃんがこの国に来た少し後で制度が色々変わってねえ。戸籍の手続きなんかは若い頃よりずっと簡単な物さ。昔は書類一枚受理させるのに駐在所で半日並ぶ事もあったのにねえ」懐かしむように目を細める。

「そう言っているクランちゃんもずっと昔から生きているんだろう?」

「うん。今の方がいい。ボビーを貨物室に入れなくていいし」

「そうなのかい?」

「犬用の服を着て、ちゃんとリードさえしていれば一般客室に乗れるよ」リードは面倒臭くていつもした振りだけど。ボビーは首輪から着けないといけないから二倍手間なんだよね。

「クゥン……」

 服が窮屈なのを思い出して耳を垂れ下げる。と、それがピクッと動く。


 ガチャッ。


「女王陛下、全部送ってきたぜ」

「御苦労様。今日は注文来てなかったから、このまま休んでていいよ。あ、そうだ」

 懐から封筒を三つ取り出し、レイの名前の分を渡す。

「はい、お給料」

「お、サンキュー……ほー、結構入れてある。こんなに貰っていいのか?」紙幣を数えながら尋ねてくる。

「レイは毎日麓と往復して労働時間が長いからその分上乗せしてる」

「ああ、そっか。あれぐらいなら全然構わないんだけどな」封筒をポケットへ捻じ込む。

「そうだ、お前の提案通り明後日から麓へは皆と交代で行く事になったよ。明日は確か我が国の遺跡探索をするんだったな、女王陛下」

「うん」

 純粋な好奇心が大半だが、一応考古学的な価値があるのか調べるのが目的。セミアには数日前から書庫で関連した本を読んでおくよう言ってある。あの子は一度読んだ内容はまず忘れないので検証には必要不可欠だ。

「行くのはクランと俺と、セミアお嬢ちゃんと」


 ガチャッ。


「皆さん、クッキーは如何ですか?」

 黒髪長身の青年が大きなバスケットを抱えて入ってくる。その少し後ろに、口の中でボリボリ音をさせながら『遺跡博物館巡り年鑑』を黙読する妹。

「アス、セミアの世話御苦労様。あなたが作ったの?」

「いえ、リリアさんのお手伝いで皆さんに配って回っているんです。どうぞ」

 バスケット山盛りに色々な形のクッキーが入っている。大まかにプレーン、チョコチップ、黒胡麻の三種類。

「あーあ、またこんなに焼いちまって。手伝いもほどほどにしろよアス。いいように使われてるぞ完璧に」

「?」

「アス、チョコもう一枚頂戴」

「あ、はい」本を持っていない手にクッキーを渡す。「美味しいですか?」

「少し焼き過ぎ。味はまあまあじゃない?」

 一つ摘んでみる。普通に美味しかった。

「もう大体配り終わったでしょ?ここでお茶飲んで休もうよ」

「でもリリアさん、まだ焼いていましたよ?」

「保存が利くもの、直ぐに食べなくったって大丈夫。あー、それより私喉乾いた。さっきからクッキーばっかり、飲み物」

「紅茶ならあるけど」

「お姉ちゃんお願い」

「二人は?」

「もらおうか」

「女王様に淹れてもらえるなんて光栄です」

 伏せてあったカップを三つ並べ、ポットに残った紅茶を入れる。内一つにはこの前買ってきたプラスチック製の蓋と洗えば何度でも使えるストローを付けた。 

「どうぞ」

「サンキュー」

「ありがとうございます」

 三人は私達と同じようにベタッと絨毯に座った。

「アス、疲れてるんじゃない?朝はずっと中庭の草むしりしていたし」

「?いえ、何ともありません。刑務作業はしっかりやらないといけません。クオルの囚人は僕一人だけですし」

 その物騒な名称を教えた当のバーモン氏から、働かせ過ぎじゃないかと毎日のように苦情が来ているのだが。それこそ顔を合わせる度、挨拶代わりに。

「刑務所では作業の時間はずっと拘束服を着て、他の人達の行き帰りを扉の窓から覗くだけでした。今は皆さんのために働けて嬉しいです」

「変わってる」妹に視線をやって「私ならセミアと結託して徹底的に仮病するのに」

 ぷっ。その場にいた皆が一斉に吹き出した。

「女王様の方がよっぽど変わってます」

「全くだ」

「でもいいアイデアかも。アス、しばらくそれでリリアの用事サボろうよ」

「駄目ですよセミアさん」慣れた口調で嗜める。

 彼はこの城で現在只一人の衛兵だ。仕事はこの城内の雑用。掃除、庭木や畑の世話、細々とした用事を朝からバーモン氏が迎えに来る夕方まで行っている。とは言え二人が住んでいるのは城の離れ、三度の食事も私達と一緒。ちなみにバーモン氏は現在街の廃墟の撤去作業中。

「えー私疲れたー!焼いたなら自分で配ればいいのに。もう歩き回ってヘトヘト!一歩も動けない!!」唇を尖らせて不平不満をぶちまける。

「そ、そんなに疲れていたんですか……?気付かなくて済みません。帰りは肩車します」

「私はアスのお医者さんなんだからもっと労わってよ」

「は、はい!」

 真実駄々を捏ねているのか、それとも振りか。妹は私の想像以上の知能犯、全部演技と言う事も有り得る。

 クッキーを同時に摘み、白い仮面の奥と視線が合う。子供のお守も大変なのよ、どっちが面倒見ているのか分かりゃしない、と言わんばかりの目をしていた。

「アス、体調は大丈夫?明日は遺跡に行く日だけど」

「はい。クランベリー女王のお役に立てるよう精一杯努力します」

 妹が傍に付いているせいか、あれ以来暴発は一度も無い。予防措置として飲み物には蓋とストロー、止むを得ず水に触れる場合は目を瞑る、洗濯や食器洗いはリリアかバーモン氏がやっている。

「そう言ってもらえると助かるよ」

 クッキーはまだまだバスケットに山と残っている。全部食べたら夕食が入らなくなりそう。

「いいねえ、お婆ちゃんも脚が丈夫なら一緒に行きたいねえ」

「この国に昔からいる婆さんなら何か分かるかもな。ま、何か土産に拾ってきてやるよ」

 そうだ、忘れてた。封筒を取り出す。

「二人共、初お給料」

「わぁい!ありがとお姉ちゃん!大好き!!」

 本を持っていない手で引ったくり中身を確認する妹。

「ふんふん、まぁ入れてくれてるね。これならあれとあれと……」早くも使い道、要するに買う本の算段を始めだす。

 逆に衛兵は手を引っ込めて困った顔。「女王様、僕にはこれを受け取る資格はありません」

「じゃあ私の気紛れ。バーモン氏に内緒で何でも買えばいいよ」

「要りません。刑務官さんに渡しておいて下さい」

 ふーむ、予想通りの反応。

「なら私に頂戴よアス。治療費って事で」

「セミア、それはもう給料の中に入ってるよ。だからって世話代とか養育費とか言わないでよね?保母さんじゃあるまいし」

 真っ赤な舌を出して、ベー。

「ケチ。いいじゃん本人が要らないって言ってるのに」

 私が贈りたいの。大体他の人間が開けたらバレるじゃないか、一人だけ多いってのが。

「女王命令でも受け取れない?」

「少なくとも、プルーブルーの刑務所では囚人は給金を貰いませんでした。それに頂いた所で僕には使い道がありません」

「なら今度皆で買い物に行こうよ。持って来た服だけでクオルの冬を越すのは心許無い」

 顔を向け「レイもそう思うでしょ?」彼は一瞬間を置いた。

「あ、ああそうだな。けど」

「ね?バーモン氏には言っておいてあげるから」

本人が要らないって言い張るなら俺が……うだうだ言っているレイを横目に、半ば強引に封筒を押し付ける。

「わ、分かりました……では買い物に行くまで預かっておきます」

 そうそう、初めから素直に受け取ってくれればいいのだ。



 あれから神は三日間昏々と眠り続け、四日目の朝にようやく薄目を開けられた。

「イスラフィール……」

「はい、大父神様」

 休養を取ったとは言え容態は芳しくない。私と共に二、三時間の執務を行い、体力を付けるため水晶宮を一時間で一周し、後は再び薬で眠る毎日。回復の兆しがあっても油断はならない。これまで何度となく悪夢は主を苛み苦しめ衰弱させている。

「クランは元気にやっているかな」

 彼女の名前を聞くのは闇に精神を侵食されて以来、十数日振りだ。

「一度見て来てくれないか?」

「しかし大父神様……」

 下界に降りている間、前のようにもしもの事がないとも言い切れない。

 主は儚く笑う。

「大丈夫だ、今度の薬はよく効いている。傍にいなくても平気だ」

「ですが」

「クランの事はお前に一任しているだろう?」

 私は首を横に振る。

「まだ……彼女が降りて一月も経っていません」

「何がきっかけで思い出さないとも限らない。あの子はこちらの想像よりも、遥かに聡い」

 不安なのだ、主は。唯一の肉親が手の内を逃れ、対峙する事が。

 主の憂いは払わなければならない。

「了解しました。大父神様の御心のままに」



「絶対駄目だ」城に帰ってきたバーモン氏は開口一番そう言った。

「刑務官さん……」

 二人は玄関の前、城中にいる私は死角の位置だ。

(予想通り、上手くいっていない)

「でも女王陛下は僕に付いて来るよう仰られたんです。今こうして充実した生活を送れるのも全部彼女のお陰、僕にできる事なら何でも協力したいのです」

 褒められるのに慣れてなくて鼻の辺りがムズムズしてくる。

 対してバーモン氏は渋面を浮かべ溜息を吐いた。

「……確かに、女王の配慮でお前が人並みに暮らせるようになったのは認めよう。プルーブルーでいた頃に比べれば雲泥の差だ。しかし、だからと言って前人未到の遺跡探索など認められない。もしもの事があったら……私はお前に怪我をして欲しくない。まして死んで欲しくもない」

「まさか刑務官さんは、女王様やレイさんは死んでもいいと?」

 ブンブン。

「そんな訳ないだろう。ただお前は彼等と違って素人だ、何かあった時どうする?」

「大袈裟ね、おじさん」

 空間を裂いて舞い降りた仮面の少女はけらけら笑いながら青年の手を握る。

「狼さんも入らない所だもの、怖い怪物がいるかもしれないね、アス?遺跡を守る番人よ。どんなのがいい?毛むじゃくらで人間をぺろりと一飲みしちゃうようなの?ギザギザの大剣で身体をバラバラにしちゃうのかな?」

 妹の手が白く輝き、古風な槍が姿を現す。

「舞ってみせてあげたら騎士様?あの時みたいに」吸い込まれるように彼の手が槍を手にし、構えた。瞳にあるのは、ただ静かな光。


 ヒュン!ヒュンヒュン!


 演舞は力強く、かつ流麗。一分の隙も無い、完璧な集中の極致。

「何だこれは……本当にアスが、こんな……」

 大勢を一人で圧倒したのも頷ける。統率も無い狂人の衆ではこの動きに触れる事さえできないだろう。

「これなら怪物にも勝てそうじゃない、おじさん?」

「いや、しかし……」

 集中は深く研ぎ澄まされ、会話どころか二人がいる事すら見えていないようだ。どこで習ったんだろう。

「ならおじさん相手してみれば?刑務官は強くないとなれないんでしょ?武器は何?出してあげる」

「私が……いや、アスに手を上げるなど」

「心配しなくても手を上げる前に弾かれちゃうよ。ふふ、それともお姉ちゃんがやってみる?」

 妹が真っ直ぐこちらを見た。仕方無く出て行く。

「クランベリー女王、これはその」

「お姉ちゃんの武器は舞剣だよね。弾き飛ばされるのだけ注意していれば怪我はしないね」

「アスはいいの?」

 知り合いを相手にするなんて彼にとっては酷く苦痛では?

「いいよ。いつもは私の夢と練習しているけど、全然相手にならないもん。やっぱり訓練はそれなりに歯応えが無いと。あとこの国で強い人は……あ、お兄ちゃん!」

 叫んだ方向を見ると、運悪く巡回から戻って来るレイの姿。

「ねえねえお兄ちゃん!ちょっとこっち来て!楽しい遊びしようよ!」

「な、何だ?」

 近寄ってきた彼は舞う槍使いに驚き、「これも治療か?」疑問を口にした。

「うん。今からアスとお姉ちゃんが勝負するの。でもお姉ちゃん一人だと直ぐ負けちゃうだろうから、お兄ちゃんと足したらギリギリ五分かなと思って」

「まだやるって言ってない」しかも負けるって。

「へー、面白そうだな。俺も最近人と訓練してないし、相手に取って不足無し」

「本気?」

「刑務所の連中を叩き伏せた力、早目に確認しておいて損は無いだろ?それに俺も男だ、誰かさんを守るぐらいは強くならないと」

「ワッンワッンワッン!」

 レイに向かってボビーが急に激しく鳴き出した。お腹が空いて気が立っている?

 妹が槍を振るい続ける青年の背後からフワリ、と背中に飛び移り、耳元で二言三言囁いた。途端、生き物の如く動いていた槍が地面に落ちる。

「……あ、セミアさん……?」

「凄い集中力だね。外で喋ってても全然気付いてなかったもん」

「?あ、クランベリー女王。レイさんも、いつの間に」槍を拾い、土埃を掃う。

「今日はお姉ちゃんとお兄ちゃんが訓練に付き合ってくれるんだって。今まで練習してた弓兵も騎士も弱かったけど、多分今日はイーブンの勝負ができると思うよ」

「お二人と、ですか?分かりました、よろしくお願いします」

 深呼吸して再び槍を構える。

「手加減はしてあげてね」完全に上から目線で妹が言う。

「はい。お二人共、いつでも掛かって来て下さい」

「ほ、本当に大丈夫なんだろうな。アス、無理はするなよ」

「刑務官さん、もう少し離れていて下さい。手元が狂って当ててしまうかもしれません」おろおろするバーモン氏に義息が注意する。

 こちらも舞剣とサバイバルナイフ、魔弓を構える。

「ガルルル……!」

「おい犬っころ。アスには負けてもお前には絶対負けないぞ」

 姿勢を低くしていたボビーはガウッガウッと今まで聞いた事が無い下品な吠え方でレイを威嚇する。あれ、この二人仲が良かったんじゃなかったの?

「剣を受けている間に攻撃して。ボビーはレイの援護」

「了解」

「クゥンクゥン!」不服そうに眉根を顰めて鳴く。

「?どうしたの?」さっきから様子がおかしい。「どこか具合悪い?お腹痛いの?」

「クラン、こいつのはそんなんじゃねえよ」

「じゃあ何?」

「そりゃ……多分目障りな奴がちょろちょろしているのが気に喰わないのさ」

「レイが?………どうして?よく一緒に遊んでいるのに」

 彼は困った顔をして頭をボリボリ掻く。「いや、それとこれとは別問題だろ……」

「ねえ!お喋りしてないで始めようよ!」妹が大声で叫び、会話は中断された。「それとも怖気づいたの?」

 両手の剣を回転させて振り具合を確かめる。

「まさか。ごめんね、待たせて」

「いいえ。女王のお好きな時にどうぞ」いつものように微笑む。「僕は準備ができるまで待っています」

 改めて確認。全く隙が見当たらない。こんな相手にどうやって最初の一撃を打ち込む?

「行くよ」

 二つの剣が同時に飛ぶ。一つは真正面、もう一つは放物線を描いて斜め後ろから。


 カンッ!


 正面の剣は身体を最低限捻って避け、後ろは剣先に石突きを当てて落下させた。

「喰らえっ!」

 魔力の五月雨矢が右から降り注ぐ。さらに左からボビーが飛び掛かった。

 腰を低くし、槍を高速回転させて矢を弾き落とす。まだ空中にあった剣を飛んで靴で捕まえ、さらに長い脚でボビーの鼻先に蹴りを放った。

「ギャウンッ!」

 飛び退いたがダメージは無いようだ。単に吃驚しただけらしい。

「行け!!」

 もう一度剣に魔力を与え、軌道に乗せて上から突き刺そうとする。

「だぁっ!!」

「ガウッ!!」

 二人が同時に別の方向から襲い掛かる。

(怯んだ瞬間に足元の剣を動かせば……いくら何でも真下からの攻撃には無防備なはず)

 三人が重なった。剣に力を送る、が。

「ギャンッ!」

「ぐっ!」

 ボビーがズザザッ、と倒れたまま地面を滑る。その反対側に吹き飛ばされて蹲るレイ。バタフライナイフが空中を回転し彼の前に落ちた。

 青年は人差指と中指で私の剣を軽く掴んでいた。脚の位置は全く動いてなく、剣も当然脚の下。

「あれれ、まさかの完封勝利?」セミアが彼の横に立つ。「あ、でも腕怪我してる!すごーい!お姉ちゃん達、初めてアスに傷付けられたんだよ!」

 近付いて私も見てみる。確かに槍を持った方の手の甲に引っ掻き傷があり血が流れ出していた。

「大丈夫?」

「クゥン」

 身体を起こしたボビーは肩の辺りの動きが若干ぎこちない。

「柄で打ったので少し麻痺しているのでしょう。じきに治ると思います」

「痛ってて……」

「レイも大丈夫?」

 こちらはよろよろと鳩尾の辺りを押さえている。

「だ、大丈夫ですかレイさん?吃驚して手加減できなくて」

「え?レイ、立てる?手当てするから城へ戻ろう」

「僕が負ぶります」

「いや、自分で歩く。肩だけ貸してくれ」

「はい」

 レイの部屋に行くまでの間に、蒼白かった顔に段々赤みが戻ってきた。


 ガチャ。


「よいしょ」

 一般男子らしい適度に乱雑な部屋。脱ぎっ放しの寝巻きが椅子に掛かっている。衛兵の手を借りてぐしゃぐしゃのシーツが掛かったベッドに寝かせた。

「ボタン開けるよ」服に手を掛けようとした瞬間、怪我人とは思えない俊敏さでベッドの端に飛び退いた。まるで気付かずに蛇に触ったリスだ。

「?どうしたの」

「お、お前が診るのか??」

「うん。治療できるの私しかいないでしょ。一応一通りの経験はある」

「俺は男だぞ」

「心の性別はともかく、見れば分かるよそれぐらい。今言う事?」

 そう言うと見る見るレイの顔が赤くなる。

「内臓損傷起こしていたら大変だから早く脱いで。アス、打ったのは鳩尾の辺り?」

「はい。済みません僕が至らないせいで」

「気にしなくていいよ。こっちこそ余り訓練の役に立てなくてごめんなさい。修行が足りないね、まだまだ」

「いえ……」

 頭がぐらり、としたかと思うと、ベッドの隅に突っ伏す。重くて持ち上がらないようだ。

「少し……疲れたみたいです。部屋まで戻らないと……」

「手当てが終わったら一緒に行こう。ほら、レイ。アスを待たせるつもり?」

「うう……わ、分かった」

 渋々シャツのボタンを外し、顔を正面から背けたまま肌蹴た。

「ああ、ここ。痣ができているね」

 青黒い打ち痕。どうやら心配していた内出血は無さそうだ。顔色ももう普通に戻っている。ただの打撲だ。

「癒しの光を」

 右手に出した光をそっと傷に当てる。見る間に肌が正常な白さに戻っていく。

「はい、終わり。もう服着ていいよ」

 そう言うと、彼はこっちを向いて顔を赤くさせたり青くさせたりした。心なしか非難がましい目をしている。

「アス、待たせたね。立てる?」

「うぅ……はい」

 ふらふらになりながら何とか自力で壁に寄り掛かり立ち上がった。

「レイ、夕食は?」

「自分で食べに行く」

「分かった。――今日はゆっくり身体を休めて。明日は朝食終わったら直ぐ出掛ける」

「了解、女王陛下様」

 部屋を出て、アスを下で時々支えながら廊下を歩く。

「そうだ、こっちの傷も治療しないと」

 既に血は止まっているが傷の入り方が深い。痛みも相当だろう。

「いえ。これぐらいなら自然に治ります」

「その傷はレイが?」ボビーの爪とは明らかに形が違う。

「はい。初打でナイフを落としたのですが、まさか素手のまま飛び掛かってくるとは思わなくて。次の一撃を外して、掴み掛られた時に引っ掻かれたみたいです」

「馬鹿、訓練でそこまで必死になるなんて」

「そうですか?レイさんの徒手空拳、僕はとても参考になりましたよ。槍は懐に入られると攻撃しづらいのもよく分かりました。都合がよければまた付き合ってほしいと思います」

「そう」それは徒手空拳ではなくただ突っ込んでいっただけだろうけど、指摘した所で彼が評価を下げるとも思えない。

「勝負はレイさんの勝ちですね」

「勝負?……ああ」

 もしかして犬との勝負のために頑張ったの?男の沽券って奴?何てアホらしい。

「でも結局勝ったのはあなたでしょ?凄かったよ、実際」

「そんな……あれはただ身体が勝手に動いただけで」

「次は私が勝つけどね」

 彼は呆気に取られた後、ふふっと口を手で隠しながら笑った。「それは楽しみです」

「御褒美は何がいい?」

「え?いや、そんな……僕は物が欲しくてやったのでは」

「女王命令よ。言わないなら私が適当に決める」

「また命令ですか。困りました、欲しい物なんて本当にありません」

「専用の槍なんてどう?何時までもセミアに頼んで出してもらうって訳にもいかないでしょ?」

 提案に彼は表情を綻ばせた。

「そう……ですね。それがいいです」

「じゃあ明日の出発前までに準備しておくね」倉庫に何本か良さそうなのを既に発見済みだ。軽く磨けば充分使用できる。

「クゥン!」

 玄関からボビーが尻尾を振って走ってくる。良かった、全速力できるぐらいには回復したようだ。首筋を撫でると甘えた声で鳴いた。



 湿気を含んだひんやりとした空気が肌に触れる。

「王、ここから先は儂も踏み入った事が無い」

 賢狼は石畳の上で立ち止まってそう告げた。

「うん。フィジス、道案内ありがとう」

 私の肩の上に浮かんだ光の球に照らされて毛並みが銀色に艶めく。

「儂は地上に戻るが、危険なようならすぐさま戻ってくるのだぞ?侵入者用の罠が仕掛けられていないとも限らない」

「ありがとうございます賢狼様。女王様は必ずお守りします」

「いってきまーす!」

「行ってくる」

「ああ、くれぐれも気を付けて」


 ピチャン……。


 鍾乳石から落ちる水滴の音と、私達が意外にしっかり残っている石の階段を降りる足音、槍の石突きが当たる音だけが響き渡る。

「随分深そう……昼までに最奥まで行けるかな」

「クゥン」

 隣のボビーが前を警戒しながら半歩先を歩く。

「セミア、どう?何か分かる?」

「洞穴と階段見てお姉ちゃんは出自が分かるの?人為的な痕跡が無いと幾ら私でも無理」

 目を凝らしてはいるが妹の探す文化的痕跡、刻まれた文字や紋章、住居らしき物はまだ見つからない。

 階段の横に広がっている巨大な穴の底は光の魔力が完全には届いていない。降りれば最底まで行けるのだろうが、私にイスラみたいな翼は無い。

 やっと階段が終わり、真っ直ぐ伸びた通路とその左右に小部屋が幾つも現れた。その一つ一つを四人で順番に調べる。多くはもぬけの殻だったが、一つの部屋に使っていたと思われる衣服や装飾、剣や槍などの武器が放置されていた。

「…………」

 妹はそれらを持ち上げたり引っ繰り返したりして仔細に検分する。

「どう?」

「……ここに人がいたのは宇宙のごく初期みたい。少なくとも宇宙暦二百年より前。この服を着ていたのは神父……ううん、司祭クラスだね。裏地に十字が縫い込んであるし、そっちのアクセサリーは今でも使われている信仰道具」

 神の光を映す聖鏡、人々に正しい道を指し示す祝福の幼木、闇を見抜く神の眼を模した水晶球。効力はさておき、確かに教会で見かけるアイテムばかりだ。

「そっちの武器も聖職者が使う物だね、十字が彫ってある」

「ではこの遺跡は教会なのですか?」

「かもしれない。定住するのが困難な場所に何故か神様の祭壇があって、それを祀ってた形跡が認められた話も何回か見た事あるし。となると……このまま降りて行けば祭壇を見つけられる可能性は充分あるね。お祈りしておけば何か御利益があるかも、ねお姉ちゃん?」

「そうね」直接言いに行った方が即効性はあるとは言わない。最近はイスラも来ないけど、元気にしているだろうか?

「服があるのに死体は無いんだね――下着で逃げたとか?」

「え?」妹は困惑の声を上げた。「ま、まさかぁ……きっと普段着で出掛けたんだよ、うん」

「そう」だったら面白いと思ったのに。

「?」

 気のせいか……?今人の声みたいなのが聞こえたような。

「ボビー、何か聞こえない?」

「……クゥン」もこもこの首を横に振る。

「何だ、空耳か」人の数倍の聴力を持つ犬が聞いていないなら、本当に誰もいないのだろう。

「どうした?」

「声がした気がしたんだけど」

「私達の声が反響したんじゃない?結構深い洞穴だから遅れてきたのかも」

「ああ、成程」

 一通り部屋を調べて、さらに下へ続く階段を降り始める。

「ところでクラン質問していいか?その、お前の事とか、神様の兄さんの事、まだ俺達全然聞かされてないからさ」

「いいよ、答えられる範囲なら」

「え!女王様は大父神様のご血縁なのですか!?」

 そうか、彼には説明してなかったか。

「一応は」

「成程。だからそんなにも御聡明でお優しいんですね」照れ臭いなぁ。

「別に関係無いと思うよ。で、何が知りたいの?天地創造とか力とかは創世記や聖書に書いてある通りだけど」

「兄さんはどうやって神様になったんだ?何か特別な才能があったとか」

「さあ?人一倍勉強家だったからじゃない。リーダーシップあったし。性格的にも非の打ち所が無かったね、昔から」

「私はあんまり好きじゃない、あの人。お屋敷で一番つまらなかったもん」妹は口を尖らせてむぅ、と唸る。

「あれ、そう?ルウお姉ちゃんも反応薄い方だと思うけど」

「ルウお姉ちゃんは面白いよ。私達とは別の物が見えるの。私こっそり教えてもらったんだ」

「何を?」

 尋ねると妹は意地悪そうに微笑み、「だぁめ。ルウお姉ちゃんと内緒にするって約束したの」

「でもどうしてセミアに?」

「ええっとね……悪魔のご本を読んでたら詳しいのかって訊かれて、物語の中の悪魔なら知ってたから、色々教えてあげたの。あ、その後にもう一個質問されたんだ……ついでに天使についても教えてって」

「悪魔と、天使?」

「あれ?違うなぁ。天使“人”についてだ。そうそう、私訊き返したもん、四天使様の事?って。そしたらそれとは違う、もっと力の強い天使人と言う種族は知らないのって」

 四天使よりも強い天使……エカリーナとか?

「私分からなくて、大父神のお爺ちゃんに訊いてみたらって言ったの、長生きで何でも知っているから。そしたら、訊いた事を絶対他人に言わない代わりにどの本にも載ってない物の事教えてくれたの」

「それで何を聞いたの?」

「秘密。でも確かに偽り無しに聞いた事も無い物だったよ」

「私にも教えてくれない?」

「駄目」

 天使はともかく、お姉ちゃんは悪魔の何を知りたかったんだろう。

 ふとレイの方を見ると当然チンプンカンプンな様子。アスも困った顔をしている。

「ごめん内輪話して。お兄ちゃんは誰より努力して神様になった、と思う。次の質問は?」

「あ、ああ。クランは普段はそのお兄さんと一緒に住んでいるのか?」

「住んではいないよ。下界の毒が回った時に浄化しに休んでいるだけ」

「毒?」

「女王様、毒とは一体」

「この宇宙全体に微量に存在する有害な物らしいよ。私はそれを蓄積しやすい体質で、下界に数年留まって一定量に達すると、ある日突然身体に毒が回って意識が無くなるの。大父神の力でも取り除くのは無理らしくて、清浄な水晶宮で時間を掛けて抜け出ていくのを待つしか治療法は無い。数年か、中々抜けなかったら十数年」

「なら療養中クランはずっとその水晶宮から出られないのか?」

「出られないよ。完全に解毒できるまでずっと眠っているもの」

 レイは首を傾げた。

「毒が入ったら普通重症になる前に初期症状が出るんじゃないのか?腹が痛くなったり発疹が出たり」

「……無いよ、前の日まで問題無く元気に過ごせる。以前お兄ちゃんに訊いた時は、毒と言っても物質ではなく、生き物が発する精神的な毒、ある種の悪意らしいよ」

「生き物って俺達も含まれてるのか?お、おい、早く溜まるならあんまり近付かない方がいいんじゃないのか?」

後ずさりかけるレイを片手で制す。「別に気を遣わなくていい。精神的な物なら多分何十メートル離れてても無駄」

「けど、何か対策はないのか。解毒剤とか」

「ねえお姉ちゃん。その悪意、どういう感情なのかな?」

「さあ。多分妬みとか憎悪とかそういう物じゃない?」

 妹は私の答えに首を傾げる。

「ふうん。どうして精神は正常なまま吸収できるんだろ?そんなマイナス感情を継続して取り込んでたら人格が変わるよ。でも変わらないんでしょ?精神の外に蓄積しているって事なのかな、精神的な毒なのに?」

 専門分野だからか、妹はかなり引っ掛かっている様子。

「夢は?悪意の影響なら変化があるはずだけど」

「私余り夢は視ない方だから」

「毒……毒かぁ、読んだ事無いなあ。ただ突然意識不明になったなら可能性は幾つかあるけど……帰ったら図書館で調べてみなくちゃ」勿論クオルにそんな施設は無い。妹が言っているのは“黄の星”シャバムの図書館だろう。あそこなら二十四時間開いている。

「セミアさん、一刻も早く女王様の病気の原因を突き止めましょう」

「あなたが気負う必要は無い」どうしていいか分からないから。「それにセミアは自分が知らない事だといつもこうなるの。単なる知識欲」

「誤解するような事言わないで。私だってちょっとは心配してるの」

「ちょっと、は。凄く真実味がある言葉ね」

 妹は仮面の奥で一瞬ニヤリと笑った。

「お姉ちゃん死なないで~」全く抑揚無く言う。

「……もしかして仲悪いのか、お前ら姉妹」

「妹がこれにしては良い方だと思うけど?」

「大事なお姉ちゃんを私は本当に心配しているんだよ。まあ、死んじゃったら遺品の物語はちゃんと管理してあげる」

「へえ、じゃあ相続の時のためにとびきりの香辛料を振り掛けておく事にする。セミア好きだものね」

「止めて!うう、折角忘れそうだったのにお姉ちゃんの馬鹿ぁっ!!」半泣きで怒る妹を前に私は思わず噴き出した。

「そうなんですかセミアさん?辛い料理……帰ったらリリアさんに言って作ってもらいましょうか」

「止めとけアス、こいつにそれはNGだ」

「は?」

「クゥン」

 垂れ下がった尾と耳を撫で撫で。

「大丈夫だよボビー。まだ降りて一ヶ月も経たないんだし」

(でも、最近はあれなりによく話すようになってるな)

 セミアはどうも他人の視線が大嫌いなようだ。現実の注目は書物よりよっぽど不躾でしかも感情を伴い、しかも大体第一声が彼女の奇異さに驚く物。仮面さえ取れば普通の本好きの少女で通るのに、何かの呪いかずっと外そうとしない。恐らく仮面は現実世界へのフィルターなのだろう。

 妹の隣で考え込む青年を見やる。

(想像した以上に好影響が出てる)

 口下手な社会的弱者の彼の面倒を四六時中見ているお陰で、他人と言葉を交わすようになってきた。狡猾な半面雄弁で物知りな妹、彼女自身も少しずつ強張りを解いていっている。一方、妹の庇護を受けてアスも自分への恐怖心を段々と薄れさせている。表情や言葉がややぎこちなくではあるが、城内の仕事は至って真面目にしてくれている。彼の働きで荒れ放題だった庭は綺麗になり、花壇らしき物がまだ何も生えていないもののそこここに作られている。

(でも、毒の話をしたのは失敗だったな)無闇に心配を掛けてしまった。

 ふと、降りている階段の遥か下の方で何か白い物が動いた。

「ねえあそこ、何か見えない?」

 私が指差した先を三人が見る。

「何だ?何も見えな」

「何かいます、あ……降りて行きました!暗くてもう見えません」

「二人共目が良いね。私見えなかったよ」

「追い掛けよう」

 小走りに階段を駆け降りる。

「誰かいたの!?わぁぉ、本当に遺跡の番人かもね!」妹は興奮して嬌声を上げる。

 さっき見たと思われるポイントで丁度階段は終わっていた。今度はさっきの階層より大分広いし部屋数も多そうだ。

「ボビー」

「ウゥ、ワン!」

 鼻を床に近付け、匂いを探し始める。すぐにピクッと顔が上を向いた。

「ワン」

「よし、追って」

 前傾姿勢のまま歩き出すコリーの後ろをぞろぞろ付いて行く。

「女王様、僕ボビーさんの横についていいでしょうか?危険な相手なら僕は前にいないと攻撃できませんし」

「そうね。お願い」

「はい」

 槍使いが右側に来るとボビーは「クゥン」と親愛の情を現した。彼はお返しにふわふわの頭を撫でる。「頼みますよ、ボビーさん」

 追跡を開始して数分後、左への曲がり道でボビーの歩みが止まった。首を僅かに動かして私の目を見る。

「この先?」囁き声で確認する。歩いた道からこの階層の通路図を頭に組み立てて、「セミア、アスと一緒に道を戻って、最初の十字路を」

「右?挟み撃ちだね」

「ええ。レイは私とこのまま進もう」

「分かった」

「行こ、なるべく音を立てずに素早く」

「分かりました」

 二人が遠ざかって三分は経過した頃、

「行くよ」二人と一匹が同時に角を曲がる。

 通路の端に男が一人。髪は白髪混じりの黒、年齢は四十過ぎ。紺色のコートと黒のジーンズを着て、座りこんだまま古文書のような物に目を通している。

 ボウガンを構えかけたレイを片手で制す。

「あなたは?」

 私が近付いて声を掛けると男は一瞬実に不快そうな表情をした後、顔を上げた。

「誰だ、お前達は」どうやらセミアの期待した怪物のトラップ類ではないようだ。

「私はクランベリー・マクウェル。この遺跡の入口があるクオル王国の女王。こちらは皇太子のレイとボビー。あなたは?」

 男は関心を寄せたのか表情を僅かに緩ませた。

「ほう……お前があの」

「私を知っているの?」

「いいや、街で噂を耳にした程度だ。最近即位したばかりのまだ子供だと聞いた」

 この男……。

「吾輩はベルイグ、しがない考古学者だ。以後お見知りおきを女王陛下」

「本当に?」

「本当だとも。道具を見せようか?」膝に置いた革鞄を開きかける。

「いいえ。学者と言うのは疑っていない」

「ふむ、では何に疑いを、小さな女王陛下?」

「あなたが聞いた話を大幅に端折っている事に。レイ、街の人達がもし私について話すなら、まずどう説明すると思う?」

 彼は数秒考えた後、手を叩いて「ああ!」と叫んだ。

「外見の事より先にあの襲撃事件について語るはず。容疑者達はまだあの街に拘留中だし。そうね、その話の流れでいけば……犯罪者を匿う酔狂な女王か、もしくは被害者を保護する心優しい女王、そんな形容詞が付きそうね。ベルイグ氏は両方聞いたはずだけど」

「……何故そう言い切れる?」

「初対面なのに聞いた話をあえて振らないのは不自然極まりない。まして、何人もに訊き込みをしたのにね。それ、ちゃんと仕舞っといた方がいいよ」コートのポケットからはみ出た情報提供料の紙幣を指摘する。

 男の目が変わった。蛇のような獲物を狙う目。

「やれやれ、事が事だけに話題にしては女王陛下の名誉棄損になるかと気を回してあえて触れなかったんだが、まさか誤解を与えてしまうとは」

「……好きにすれば。王国に滞在する許可を出す」

「??クラン?」

「あと一つ、この遺跡にはどうやって侵入したの?」

「好奇心で街の裏手の山の洞窟に入っただけだ。まさかこんな巨大遺跡にぶち当たるとは思わなかったが」

 成程。降りて来た高さを考えれば麓に繋がっていてもおかしくはない。

 学者は立ち上がり、「では有り難く王国へ行かせてもらおう。那美君」

 すると氏より奥の小部屋から二十歳代の軽装の女性が現れた。その後ろに長身と子供の影。

「女王陛下から許可が出た。早速行こう」

「はい先生」

 赤髪を短く刈った彼女は大きなリュックサックを担ぎ、「じゃあまたね」と後ろに手を振って、氏と共に私達の横を通り過ぎて行った。




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