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狼の女王  作者: 夕霧沙織
2/7

一章 狼の山



―――クランベリー……ねえクランベリー……。

 ああ、また誰かが呼んでいる……ここで寝るといつもそう。ずっと私の名前を呼ぶ人がいる。しかも同じ女の人。

―――クランベリー……私はここよ……。

 ここってどこ……?正確に教えてくれないと探しようが無い。後、人を呼びつける時は先に名乗ってからが礼儀だって教わらなかったの?



 目を開けると白い大理石の天井が見えた。一度背伸びして上半身を起こす。

「お目覚めですか、クランベリー?」

 ベッドの横にいた白い髪に澄み切った空色の瞳、法衣を着た天使が水の入ったコップを差し出す。

「今度はどれぐらい眠っていた?」冷たい水で喉を潤しながら訊く。足元には私が目覚めるのを事前に察知していたのかラフ・コリー、ボビーが既にお座りしていた。「おはようボビー」「クゥン」

「十年程。既に大父神様が御食事を用意されています。下界に降りられる前に食べますか?」

「うん、食べる」眠り過ぎてお腹の中はすっかり空だ。

 久し振りにボビーの頭を撫で、寝室を出る天使の後に続く。彼はイスラフィール、通称イスラ。大父神である兄の命令で私の面倒を見ている。見た目は人間の年齢で二十歳前後、兄とほぼ同年代。

 イスラが手をかざすと両開き硝子ドアが独りでに開く。キィィィ……相変わらず嫌な音。開けっ放しにしておけばいいのに。

「おはようクラン。体調はどうかな?」

 イスラの倍は重そうな法衣を着た兄は笑いながらテーブルの向こうから手招きした。両側に十人ずつは座れそうな長いテーブルの奥に支度の整った食事。

「平気。でもお腹が空き過ぎて倒れそう」

「はは。ほらこちらにおいで。今日はクランの好きなふわふわのオムレツだよ」

 席に着くと兄は私の頭を優しく撫でた。

「また下界に行くのかい?あそこは空気が悪いからね、疲れたら早目に帰って来るんだよ」

「うん」

 数年下界にいると『毒』に身体が汚染され、ある時突然耐え難い眠気に襲われる。解消するには兄のいるこの水晶宮に戻り、ひたすら眠って毒気が抜けるまで待つしかない。

「イスラフィール、いつも通りクランを頼むよ」

「はい。了解しています」

 オムレツを頬張り、オレンジジュースを流し込む。目覚めた直後はいつも軽く普段の倍は食べられる。

 空の取り皿にサラダのササミを半分入れ、「ボビー食べる?」足元にいたボビーの前に置いた。彼は私が再び食べ始めるのを待ってから口に入れ、美味しそうにもぐもぐ。

「今度はどこに行くつもりだい?前は確か“赤の星”、だったかな。下界では一月……防寒はしっかりしていくんだよ」

「分かってる」

 オムレツ美味しい。

「お兄ちゃんの方は見つかった?」

「いや。指輪の力でも特定の人間を探すのは中々至難の業だよ」兄は渋面になり、「クランは彼が好きだから何とか探してあげたいんだけどね。ボビーも元は彼の犬だったし」兄は右の人差指に嵌まった銀の指輪を撫でる。見事としか言えない羽根の装飾が施された、神様の力を与える魔法のアイテム。

「そう」

 兄と違う大きくて熱いぐらいの手、眩しいばかりの笑顔。彼は太陽だった。

「クゥン」

 視線を下ろすとボビーが濡れた黒目を私によこした。

「大丈夫。ディーは必ず見つかるよ」

 するとボビーは水晶の壁に向かい、「ウゥ、ワン!」突然吠えた。透明な壁の先には小さな無数の白い箱、遥か先にはこの水晶宮より巨大な氷の城が見えた。

「お兄ちゃん、あれは何?」

 私が尋ねると兄は驚いた様子を見せた。

「しまったな。いつもはここから見えないように力を使っておくけど、今日はうっかり忘れてた」

「そうなの?で、結局何なの?」

「ああ、あの白いのは咎人の牢獄。城は大悪魔の封印だよ」

「大悪魔……エレミアを襲った、あの」

 私は兄の話からしか知らないけれどエレミア最後の夜、宇宙の歪みを裂いて現れた『それ』が大量の悪魔を解き放ち、ほとんどの住民が殺されたらしい。生き残ったのは私の一家と、さっき話したディーと、あとほんの数人だけ。

「そうだよ。この指輪の力を持ってしてもあそこに封ずるのが精一杯だった。もしあれが解かれたらこの宇宙は滅亡する。ボビーは賢い犬だから危険を察しているんだろうね。クランも近付いちゃ駄目だよ」

「咎人は?悪い人?」

「ええ」イスラが答える。「生前重い罪を犯した者はあの牢に入れられ、決して転生する事はありません」

「どんな人達が入ってるの?」

「罪人を捕えるのはミーカールやウーリーエールなので詳しくは知りませんが……主な罪状は大父神様への侮辱、下卑、不信心等。クランベリー、くれぐれも行ってみようなどとは思わない事です。奴等は魂になってさえ神への信仰を欠片も持たず、前を通る我々にさえ冒涜的な言葉を吐き捨て悪へ貶めようとするのです。聡明であるとはいえあなたはまだ幼い。惑わされ堕ちてしまわないとも限りません。ですから普段は大父神様の御力で不可視にしているのです」

 とんだ噴飯物だ。私は実の兄に全く信仰なんて感じていないし、堕落する程真剣な欲などない。どんな事を言ってくれるのか是非聞いてみたいものだ。今度こっそり行ってみよう。

「おいおいイスラフィール。あまりクランを脅かさないでおくれよ」兄が苦笑気味に言う。

「当然の忠告です。大父神様の大事な妹君なのですよ。もしもの事があっては」

「そう言う意味ではないよ」兄は私に何とも言えない視線を寄越した。思惑を見通されたのかもしれない。

 ボビーはずっと氷の城を見、時々何か言いたげにちらりと私に顔を向ける。そんなに大悪魔とやらが気になるのか。意外に美味しそうな匂いがしているのかもしれない、そうかボビーも食いしん坊だなぁ、と思ったら戻ってきた。ササミをあっさり平らげ、いつものお座り態勢。

「?まあいいか」



 イスラの操縦する小型宇宙船に乗って降り立ったのは“碧の星”。足が地面に着くとシャリッと草に降りた霜が鳴った。

「ここでよろしいのですかクランベリー?」どこから入手したのか“碧の星”の地方新聞を取り出し、「平野部では夜半からの雪が積もるだろうと書いてありますが」

「山は既に白銀です。登るなら大父神様から装備を頂いてきましょうか?」

「いいよ、まだどこへ行くかも決めてないし。必要になったら自分で買う。にしてもその新聞どこで買って来たの?イスラがまともに買い物できるなんて」

「?これは大父神様が創られた物ですよ」

 水晶宮生活が長いせいかこの天使は世間知らずでかなり頓珍漢。何せ物を買う時にお金が必要な事も知らないのだ。兄も力が余っているならもう少し常識を振り分けて欲しい。

「くれぐれも危険な行動は慎んで下さい。何かあったらすぐに私を呼ぶように」

「分かってる。何回も聞いた」下界に来る度にこれでは嫌でも覚えてしまう。耳に蛸がい過ぎだ。後で捌いて刺身にしとかないと。

「ボビー、行くよ」

「クゥン」

「あ、クランベリー!」

 平原の奥に見える街まで二人で走る。イスラは飛べるが走るのは滅茶苦茶遅い。私は子供にしては足が速いので振り切るのは容易だ。

 ボビーが子犬の時も時々こうして二人で走っていた。エレミアにいた頃私はまだそんなに速くなく、ボビーはわざと遅く並走してくれた。

 気持ちいい。冬の風を切る冷たい感触が長く眠っていた身体を目覚めさせていく。

「ワン!」ボビーも久し振りに全力で走れてはしゃいでいる。

「あの門まで競争!」街の入口を指差して言う。

「ワン!」

 しばらくは追い付いていたけれど、やっぱり犬と人間では体力が違う。息が切れ、ガクンとスピードが落ちる。それでも勝負を宣言したのは私。ゴールはしなければ示しがつかない。

 両足を何とか動かし続け、ボビーに遅れる事数十秒。門を、越えた。

「わっ!!?」「がっ!?」

 陰から飛び出した男にぶつかり、反動で跳ね飛ばされる。

「ワゥッ!」

 地面に叩きつけられる寸前、下に柔らかい物が滑り込む。それがクッションとなり、辛うじて止まる。

「う……ボビー、大丈夫?」落ちてくる衝撃をまともに受けたはずだが、「クゥン」何事もなかったようにお尻の下からもそもそ出てきて私の頬を舐める。

「いってて……おいお嬢ちゃん、全力疾走して街に入ってくるんじゃ――――あ」

 二十歳か、それより少し上。黒い短髪に、黒と金の瞳。腰に提げているのはボウガンと、反対側は接近戦用のサバイバルナイフ。ボウガンには刻まれた魔術の紋様。矢を持っていない所を見ると使い手の魔力を撃ち出す方式のようだ。

「十四ぐらいで金髪に銀目、黒いローブ、そして茶色のコリー……年こそ合わないが特徴は一致してる」青年は私の顔を失礼を通り越していっそ立派なぐらいまじまじと観察する。左手は怪我でもしているのかぶ厚い革手袋を嵌めていた。

「あんた、クランベリー・マクウェルか?」

「うん。こっちは」

「ボビーだろ。母さんから聞いてる」

 男は胸のポケットからペンダントを取り出す。狼の紋様の入った「私のと同じだ」並べてみると瓜二つ。

「あんたを探してた。俺と来てくれないか?」

 単刀直入、彼はそう言った。



 不思議な事にクオル王国への唯一の山道にはほとんど霜が降りていなかった。乾いていて子供の足でも歩きやすい。

「ガキのくせに健脚家だな。疲れてないか?」

「別に。あなたは疲れてるの?さっきから足が遅くなってる」

 グレイオストはふん、と鼻を鳴らし、「俺はここに住んでいるんだぜ。これぐらい楽勝だ」

「あ、そう。なら早く行って」

「クゥン」私の後ろにいるボビーも全然平気だ。

「強がるなよお嬢ちゃん」

「あなたのには負ける」

「ぐっ……くそ、年長者なら少しは気を遣えよ」

「普通逆でしょ」

「ワン」ボビーが「もう許してあげようよ」とでも言いたげに私の服の端を甘噛みする。私はやれやれと首を横に振った。

「分かった。ボビーが休憩したいって言ってる。そこの開けてる所で休んでもいいの?」

「ああ」それから小声で、「くそ、犬まで馬鹿にしやがって」と毒付く。

「聞こえてる。素直に頼めばいいのに」

「男にはプライドってもんがあんだよ!?こんなちんちくりんのガキに体力で負けるなんてなぁ」

「負けてるよ、完全に」

「クゥン」

「ついでにコリーにも」

「それは仕方無ねえだろうが!犬公と一緒に語るな」

 丁度良さそうな岩を見つけ、パッパッと手で土を払って座る。後ろには凍っていない清水が岩壁の間から流れていた。

「ここ、水出てる。レイ、飲んだら?」頑なに主張された略称を初めて言ってみる。

「あ、ああ。サンキュー」そう言って小さな滝の水を掬って飲み始める。弱みを突かれると反抗するが根は素直、つまり扱いやすい男。

「クランも飲めよ。美味いぞ」

「うん」

 一口含むと透き通った味。

「実を言うと俺あんまり一人でここを通った事が無いんだ」

「あれだけ地図でしつこく道を確認しておいて今更告白するような事?」

 ボビーは別の罅から染み出した水を舐めている。

「王国への道はここだけ?」

「山を幾つも越えた先の隣国からの道と二つだけだ」

「不便な所にあるのね。標高千五百メートル、王国があるのは?あと」目の前に見える古ぼけた看板には八百メートル地点の文字。「半分ぐらい?」

「驚くぜ。こんな所に人が住んでるのかよって感じ」

「まだ私、何の用で連れて行かれるのか知らないんだけど」

 レイはふん、と鼻を鳴らす。

「来れば分かるさ」

「あ、そ」

 ごそごそとポケットを漁り、蜂蜜のキャンディを投げてよこした。

「手持ちはそれだけなんだ。家に帰ったら姉さんが手料理作ってくれるだろうから、それ嘗めてもうしばらく付き合ってくれ」

「……ありがと」私の方はともかく、レイは私を完全に信用したらしい。

 五分程休憩して登山を再開、今度はボビーを先頭にレイと私が並んで進む。匂いを嗅いで的確な道を探し、さっきよりも効率良く登っていく。

「よく躾けてあるな。気が利くしお前の命令もよく聞く」

「特に躾はしてない。ボビーは賢いコリーだから特に私が何を言わなくても行動してくれるもの」

 私達が、つまりレイが遅れるとボビーは邪魔にならない広い足場で追いつくまでお座りして待っていた。

「悪いなボビー」レイが頭を撫でると、「クゥン」嬉しそうに鳴いた。

「よしよし。お前にも何かプレゼントがあったらよかったんだが。家に着いたら干し肉食わせてやるよ」

「ワン!」



 山の頂上に建つ古い遺跡。到着した私の目にまず飛び込んできたのはそれだった。

「ここ、人いるの?」

 遺跡に見えたのはどうやら二階建ての石造りの城らしい。その周りにぽつぽつ廃墟、いや今人影が出てきた、人家だった。

「訂正。人はいた」

「王国っつっても、見ての通り年々過疎化が進んで今じゃ人口百人も無い所さ。そんでもまあ、他のトコみたいな爺婆ばっかじゃねえのがせめてもの救いだ」

 城のさらに奥には草木のまばらな山々が連なっている。あれを越えれば話にあった隣国か。

 レイは真っ直ぐ遺跡、もとい城へと私達を案内する。城門には客を見下ろすかのように三メートルはある狼の像が置かれていた。

「この狼は?」

「賢狼フィジスだ。この国は建国当時から代々」山を指差す。「あそこに住む狼達と盟約を結んでいるのさ。こいつはその狼共のボスで」

「ボスと言う呼び方は下品で嫌いだと言ったはずだが、グレイオスト・クオル皇太子」

 城の中から像そっくりの狼と、三十半ばの藍色の長い髪の女の人が出てくる。

「姉さん、何で賢狼を家に上げてるんだよ!?俺が出掛けた時はクランを連れて戻るまで山で待っている約束だったはず」

「あなたがいない間、代わりに家事を手伝って貰ってるのよ。雑巾掛けや畑の肥料やりを大臣やキュクロスお婆さんに頼む訳にもいかないでしょう?」だからと言って狼にやらせる仕事でもない気がする。

 お姉さんが隣にいた私に気付く。

「まあ、可愛らしいお嬢さん!あら、でもお母さんが会ったのは確か二十年前……」

「いや、こいつで間違い無い。ペンダントも持ってる」

 私が出して見せると、「本物だわ」

「どうして年を取ってないの?」

「知らない。眠っていたせいかも」

「???」

「ふうむ……」

 賢狼は私の傍に寄って、クンクンと匂いを嗅ぐ。

「………そうか、貴女が獣王か」ボソッ、と小声で呟く。

「リリア・クオル皇女。王位継承権を持つ三人が揃い、早速で済まないが」

 蒼の双眼が私を指す。

「儂はこの方を次期クオル王にする。……貴女もそれでいいか?」

「待って。王位継承?説明して、それから決める」

「レイ。あなたまさか、ここに連れて来るまでの道で説明してあげなかったの?」

「俺が言っても法螺と思われるだけだろ?丁度ここには説得力のある喋る狼がいるし」それは全く同意見。

「仕方ないわね……クラン、聞いて。一月前、私達の母親、シスカエリア・クオル女王が長い病の末にこの世を去ったの」

 シスカが、女王?

「彼女は儂に自分の死後慣例通り次期王を決めるよう言った。但し候補は三人。長女リリア・クオル皇女、長男グレイオスト・クオル皇太子、そして」肉球で私を指す。

「私?どうして?私は一度会ってペンダントを渡されただけ」

「それは分からない。しかし女王は必ずその三人を集めてから王を選べと遺言した」

「でもフィジス様、この子はまだ少女、王なんて勤まるのかしら?」

「王に必要なのは年齢ではない。確かな慧眼、高い分析力と論理による政策。納得行かぬなら、まあ見ておれ。すぐに分かる」

 賢狼はいやに自信たっぷりに宣言する。

「受けてもいいけど、本当に私でいいの?まだ何をすればいいのかも分からないし」

「クゥン」

「構わん。この二人が継いだ所で国が潰れるのは目に見えておる。貴女はまずこの国をよく観察すればいい。何を為すべきかはその中で見えてくる」

「一ついい?」

「何だ?」

「私は多分何年もここにはいられない。それでもいいの?」

 何をするにしても何年か後には下界の毒にやられてしまう。結局はこの姉弟のどちらかに後を任せるしかない。

「問題無い。では盟約を」

 賢狼が後ろ足で立ち上がり、肉球でぺたん、と私の頭を叩いた。

「え」

「儂は住処に戻る。近い内に一族総出で詣でさせてもらうとしよう、ではな」

 それだけ言うとさっさと城門を出て行ってしまった。



「よかったのか、クラン?簡単に引き受けちまって」

「いいよ、特に行くあて無いし」廊下を歩きながらレイと話す。隣にはボビー。

「もしかして王様になれなくて悔しい?今からでも代わってあげるよ」

「興味無えよ。こんな辺鄙な土地だけの国、治めた所で何ができる?」

 はぁ、と溜息。

「ああ疲れた。久し振りの我が家だ。今夜はゆっくり寝るぞ」

「御苦労様。でも王国の近くにいたって事はまだ家を出てそんなに経たないんじゃないの?」

「まあ、な。まさか捜索初日に見つかるなんて、ラッキーにも程がある」

 確かに幸運が過ぎる。もしかして一生分の幸運を今日使い果たしたんじゃないのか?

「大臣の部屋はここ?」ドアには大臣執務室のプレートがあって一目瞭然だが一応訊く。

「ああ」言うなりバンバン、とドアを平手で叩く。「おい禿爺、新しい女王が挨拶に来たぞ」ガチャッ。

「レイ、何だ騒々しい。ドアは軽く二回ノックがマナーだと何度も教えただろう。あと私の事は禿爺ではなく大臣と呼べとあれほど―――なぬ、新しい女王だと!?」

 オレンジのセーターに黒のチノパン。ラフな格好の禿げた五十代の男性は眼鏡の奥から鋭い眼光を向けた。

「か、彼女が件のクランベリーか?こんな少女が、何と、本当か?」

「さっき賢狼が指名した。で、こいつが取り合えず爺さんと婆さんの顔を見ときたいって言ってな、連れて来た」

「初めまして大臣さん。私はクランベリー・マクウェル」横を示して、「こっちが私のパートナー、ボビーよ。よろしく」「クゥン」

 握手。大臣の手は切り分ける前のハムみたいだ。

「こちらこそ。私はリオウ・ボン。クオル王国の財務や各種手続き等、王国の執務兼雑用係と言う所だ。見ての通り小国で交番も連合政府の駐在所も無い。この国で知りたい事があれば大抵は教えられるだろう」

「隣国まではどれぐらい掛かる?」早速質問してみる。

「徒歩なら十日は必要だ。あの道は傾斜が急で馬ではとても通れない。狼達なら行けるのかもしれないが」

「次。周りの山は誰が管理しているの?」

「山?あそこは狼達の住処だから、賢狼が責任者なのではないかと。そんな事を聞いてどうするつもりだ?」

「まだ考え中」首を竦めてみせる。

「と、そうだ」大臣はごそごそと壁の引き出しを開け、二枚の紙を私に渡した。

「この国は一応出生や移住時に住民の戸籍を提出する規則だ。狼達も含め、全住民の戸籍がここに仕舞ってある」

 大臣用の大きな書き物机の前に、四人が寛げる応接セット。そこに座らされ、万年筆と朱肉が右に置かれる。

「名前はクランベリー・マクウェル、と」

「拇印は名前の横に押してくれ」

「種族は人間、職業はクオル王国女王、でいいのかな……歳とか正確に思い出せないんだけど」

「?」

「こいつ、賢狼みたいに歳取らないらしいんだ」

「そうか。では見た目年齢で書いておいてくれ」

 十四歳ぐらいか。ペンを握るのも十年振り、手に違和感がある。

「家族は兄が二人姉も二人妹一人で、両親は死別と。連絡先……」水晶宮に電話は無い。

「分からない所は不明でいい」

 最後に人差指で判を押し、ハンカチで指先を拭いてから大臣に渡す。

「ボビーも作るの?まぁ、狼と犬は親戚みたいなものか」

 種類はラフ・コリー。職業無しの、歳は、四つぐらい?捨て犬だから両親は無しの、連絡先は私でいいか。

「ボビー」

「クゥン」右手を出す。

 ぺたぺたぺた、ぺたん。

「あ、文字に被った」

「読めれば構わん。……ふむ、不備は無いな。これで君等は正式なクオル王国の住民だ。ようこそ」

 持っていたハンカチでインクの付いた肉球をしっかり拭く。

「ではクランベリー女王。儂は夕食までにこの国で存じておいて頂きたい知識を纏めておくので、後で必ず目を通して下さい」

「助かる。ありがとう」

「これも仕事だ。レイ、早く女王をキュクロス婆さんの所へ案内してやれ。あの婆さん、今日は朝から欠伸ばかりだ。早目に行かないと寝てしまう」

「分かってる。ほら、二人共行くぞ」

 私とボビーは大臣に一礼し、執務室を後にした。



 コンコン。

「婆さん、新しい女王を連れて来た。入って大丈夫か?」

「レイ坊ちゃんかい?ああ、いいよ。今換気をしている所さ」

 ガチャッ。

「ただいま婆さん」

 全面ダークレッドの絨毯敷き。壁の端に一人用のベッド、反対側に黒い煙を立ち昇らせる直径五十センチぐらいの金属の釜、魔術書が棚から溢れて床に平積みにされている。

「キュウン……」

 絨毯に毛が落ちると迷惑だと判断したのか、自主的に部屋の外でお座りしているボビーが漂ってくる臭いに弱気な声を上げた。窓が開いているとは言え、焦げと腐臭とパッション系が混然一体となった空気に頭が痛くなりそう。

 部屋の真ん中で安楽椅子に座る年齢不詳の老婆は鼻が詰まっているのか全く意に介していない様子で、私ににこにこ微笑みかけた。

「あらあら、お人形さんみたいに可愛い子。例の新しい女王様かい?」

「初めましてお婆さん。私はクランベリー・マクウェル、廊下にいるのがボビー」

「はいはい。私はキュクロス、このお城の宮廷魔術師よ。クランちゃん、魔術はできる?」

「回復ならそれなりに」

「まぁ残念。お婆ちゃんは攻撃専門だから教えてあげられないねぇ……あ、でも確か地下室にそっち関係の書物があったような……今度探しておくわね。

もっとこっちいらっしゃい。眼がしょぼついてよく見えなくてね」

 椅子の傍まで寄ると、お婆さんは「本当に可愛い、可愛い」頭を撫で撫で。

「ねえ、あのワンちゃんはどうして入って来ないの?そんなに部屋が臭いのかい?」

「毛が落ちるからだと思う。絨毯は掃除しにくいから」

「まぁ、あの子そんな事考えてるの?賢いわねぇ」

 手招きして、「気にしなくていいわよ。後で魔術でぱぱぱと綺麗にするから、お婆ちゃんの所においで」その言葉を理解して、ボビーは部屋に足を踏み入れ私の横まで来る。

「あら、この子自分で来たわよ?」

「ボビーは人間の言葉が分かるの」

「へぇ、ボビーちゃん賢いねぇ」わしわしと頭を撫でる。

「婆さん、今日は何をやったんだ?酷え臭い」レイはボビーのお尻を叩き、「撫でられ終わったらさっさと退散してろ。犬っころがこんなの長時間嗅いでたら本気であの世行きだぞ」お婆さんに聞こえないよう極小声で命令する。

「リリア嬢ちゃんに頼まれて、クローゼットに使う防虫剤を作ってたのさ」手が離れたのを幸いに、そそくさと部屋の外へ出てお座りを再開するボビー。臭いが中々取れないのか鼻をひくひくさせている。確かにこの臭いなら虫が寄ってくる事はまず無いだろう。

「まだ途中でね、もう小一時間も煮詰めれば完成するよ。出来たらクランちゃんにも一つあげようかねぇ。ここに住むんだろう?」

「ああ、今姉さんが母さんの部屋を掃除してるはずだ」

「シスカの部屋?」

「当たり前だろ。女王が普通の客室で寝てどうする」

「遺品は片付けたのかい?」

「ああ、遺言通り服は全部分けて、本もほとんど書庫に入れた。アクセサリーは姉さんに渡して、部屋に残ってるのは母さんの日記ぐらいだよ。それぐらいなら邪魔にならないだろ?」

「うん」

 お婆さんは目を細めて、「女王様なら綺麗なドレスを仕立ててもらわないとねえ。ねえレイ坊ちゃん?」

「必要か?女王を訪ねてくる国賓級の客なんて滅多にいねえぜ」

「やだねえ坊ちゃん。可愛い女の子に良い衣装を着せるのは男の義務だよ。クランちゃんの晴れ姿、私が死ぬまでに見せてねえ」

「おいおい。どこに仕立て屋に頼む金があるんだよ」

 レイは私の方を見て、「だろ、クラン?」と尋ねた。

「うん。ごめんね、お婆さん」

「あら残念。そうだ、少し待っててね」

 お婆さんは意外にしっかりした足取りで奥の扉を開け、しばらくごそごそと何かを探していた。

「ああ、あったあった」

 黒い毛皮で出来たフード付きのコートを渡される。着てみると結構もこもこで暖かい。

「最近は寒いからねえ、これを着て風邪を引かないようにねえ。そうそう、確か腹巻きと股引も仕舞ってあったはず」

「いや、それはいい。これで充分」

 お婆さんはそれから毛糸の手袋と靴下を色違いで何個もくれた。

「悪いな婆さん、見学の途中なんだ。晩飯の前に家の中だけでも案内しておきたいんだが」

「ああ、そうだねえ。お婆ちゃんも足がもう少ししゃきっとしていたら一緒に行って色々教えてあげられるんだけど」

「また来るよ」

「ええ、ええ。いつでもいらっしゃい。今度はお茶を淹れてあげようねえ」撫で撫で。

「ボビーちゃんも、今度は中に入れるようにしておくからねえ」笑顔で外に手を振る。ボビーはまだ臭いに首を竦めながらも前足を振り返した。



 魔術で沸かした湯をたっぷり張ったバスタブに飛び込む。身体がじわーっ、と一気に温まった。

「ボビー、おいで」

「クウン」

 バシャン!湯飛沫が上がって顔に掛かる。

「気持ちいいね」

「クゥン」

 長い毛がミルク色の湯一杯に広がる。私は両手で毛の隙間に入り込んだ土埃を掻き出した。マッサージ効果があるのか、この時のボビーはうっとり眠そうな顔。

 お風呂はいつも一緒。シャワーで流しながら洗うより楽だし、一緒に入れば時間の節約にもなる。

 時々ぱちゃぱちゃと湯を掻くボビーの隣で、私はほぅ、と息を吐く。

(シスカは私に何を期待していたんだろう……?)

 たった一度雪山で出会った子供に何を見出し、ペンダントを託したのか。考えれば考える程理由らしい理由が思い付かない。

「クランベリー」

「っ、イスラ?」

 バスタブの中から窓を開けると、天使は風呂場のすぐ傍に立っていた。

「どうしたの?」いつもならこんな早くに様子を見に来る事は無い。

「この国の王になられましたね」

「頼まれたから。本来の目的も忘れてないよ」

「大父神様は大変心配されています。決して止めはしませんが、これからはこうして見守らせてもらいます」

「イスラ、他にやる事があるでしょ?私は大丈夫だよ」と言うか鬱陶しくて仕方ない。

「クランベリー。大父神様の憂慮は尤もな」

「手前!そこで何やってる!?」

 怒号と、連続した風を切る音。イスラは飛び去ったのか消え、しばらくしてそこに風呂場のライトに照らされてレイの姿が浮かび上がった。

「ちっ!何者だあの野郎。飛んでいきやがった」

「大父神に仕える天使、イスラフィール」

 レイがこちらに視線を向け、「天使って聖書に出てくる御使いか?大父神の言葉を伝えるって言う。何でそんな奴が」

「私のお兄ちゃんがその大父神様」

「………は?」

「さっきの音、ボウガン?」

「あ、ああ。いや、当たってはいないはずだ。手応えが無かった。―――そうか、あの天使はお前の兄さんが寄越したのか。俺はてっきり最近この辺りに出没する不審者かと。邪魔しちまったな、悪かった」

「別に気にしてない」あれ以上いられても延々お説教が続くだけだ。多分まだ近くで私の様子を窺っているだろう。むしろ一発ぐらい当たっていれば怪我の治療でしばらくは離れてくれたのに。

と、レイは突然頭を押さえて「って言うかヤバいだろ!おい、あの天使仕返しに天罰とかしてこないよな!?向こうが悪いんだぜ風呂を外から覗いてりゃ立派な不審者だ、そうだろ!?」

「ああ、多分大丈夫だよ」イスラの復讐を受ける程ノロマな動物なんてカタツムリぐらいの物だ。「それよりこの街不審者が出るの?」

「ああ……っと、先窓閉めろよ。外結構寒いぞ」

「うん」

 ガラガラガラ。

「一週間ぐらい前からこの国と麓の街に出るらしいが妙なんだ。夜道を子供みたいな高い声上げながら歩いていて、しかしその辺りを捜索しても誰もいない。ただ、朝になるとそいつが横を通ったと思われる家の住人が魂を抜かれたような状態に」

「ああ」セミアの悪い癖だ。

「昨日は狼の山の方で出たらしい。賢狼の話だと幸い被害は無かったらしいが……この街も今夜辺り出るんじゃないかと思ってこうして見回りを」

「少し待ってて。着替えるから」

「?手伝ってくれるのか?」

「レイはお婆さんになるべく沢山童話や小説を借りて来て。できればこの地方の民話とか伝記がいい」

「は?本で何をする気だよ」

「女王の最初の仕事」



 二十分後。

「女王陛下、こんな事で本当に不審者を捕まえられるのか?」

 城の玄関に置かれた百冊余りの本を見て、大臣が疑念を漏らす。

「うん。これだけ興味深い本が揃っていれば、セミアは必ず来る」

「お前の知り合いなのか?」

 問い掛けの一瞬後、玄関のドアが独りでに開いた。「クゥン」来たようだ。

「クオル王国は狼と人間の国、賢い狼が一匹、普通の狼がいっぱいいます」予想通りの声。

「あれは、クオル王国建国の絵本の冒頭だわ」リリアが呟く。

「戦争になっても負けません。高いお山と賢い狼が強い味方です」

 大声で諳んじながら入ってくる。年は六歳で止まっている。薄いブルーの髪、澱んだ同じ色の瞳。何より、顔の上半分に着けた白い仮面があの子の証。

「やっぱり」

「クゥン」ボビーが出て行きたそうに尻尾を上げ下げするが、「待って。餌に喰らいつけばどうせ逃げない」

 彼女の視線が床に、積み上げられた本に向いた。

「掛かった」

「わぁ!ご本がいっぱい!!」

 最上段の絵本をさっ、と取り、お尻が汚れるのも気にせず座り込んで読み始めた。

「セミア」

 廊下の角から出て、彼女の頭を撫でる。

「クゥン」

 再会が嬉しいのかボビーが頬を舐めて親愛の情を表した。

 一分後、早くも読めたのか絵本を閉じ、そしてすぐ隣にいた私達に気付いた。

「お姉ちゃん!ボビーも久し振り!!」黒服に顔を埋めて、「えへへ。お姉ちゃん、また私のお話聞いてくれるの?」

「うん。でも先に最近奪った物語を返してきて。そうしたらこの本みんな読んでいいし、まだ奥に書庫があるけど、そこもいつでも行っていい」

「ホント?」

「幾つ盗ったの?」

「ええと……二、三……十二個」

「分かった。今夜中に全部返してきて、いい?」

「ええっ、今日中なんて絶対無理だよう。ねえ、今日と明日で半分ずつにしてい」

「じゃあ駄目」

 下手に温情を与えては罰にならない。

「いくら面白そうでも勝手に人の物語を盗るのはいけないの。セミアのやっている事は人殺しと一緒。私は赦さないし、持ち主に返して来ないと妹とも到底思えない」

 妹にとってはフィクションだろうがまだ生きている人間のノンフィクションだろうが物語は所有し味わう事こそ最上の善であり、蔑ろにしたり消えゆく物を放っておくのは絶対悪なのだ。基準が全然違う妹にどこまで通じるか分からないが、姉としてはっきり告げる。

 仮面の奥の瞳が複雑な色を帯びた。従おうとする素直な意思と、何とか出し抜いてやろうとする小狡さが同居している。

「で、でもお姉ちゃんは奇想天外な物語が毎日膨大な数誰にも読まれる事無く消えていくと知ってて、何も感じないの?物語が可哀相だと思わないの?」

「思わないよセミア」

 前はこんな子じゃなかった。確かに人生の大半を本と接していたけど、現在進行形で生きている人間の物語を盗るような事はしなかったし、その力も無かった。今のこの子の物語に固執する強迫性は異常だ。

「お姉ちゃんもそうなの……?お話聞いてくれたのに、お姉ちゃんは味方だと思ったのに……」

 私はぽん、と隣のレイの肩を叩いた。

「後のお説教はよろしく。私もう寝る」


「「「「は?」」」」


「いや待てクラン。今こそ姉の包容力を見せる時じゃないのか?」

「そ、そうだよお姉ちゃん!私をこのままにしといたらあれだよ、約束破って物語返しに行かないよ絶対」

「眠いもん」大欠伸。「セミア、このお兄さんが後任で説得してくれるから。言う事聞きたければ聞けばいいよ。でも物語返してなかったら朝一でここの本全部胡椒塗れにしておくから。凄いよ多分、ページを捲る度にクシャミが出る。それか……そう言えばスパゲッティ用のタバスコがキッチンにあったなあ」

 妹の顔が恐怖に凍り付く。

「お姉ちゃんの鬼!悪魔!物語を何だと思ってるの!」

「インクの付いた紙の束」

「女王、流石にそれは言い過ぎでは」大臣がおろおろしている、ちょっと面白い。

「そう?ふぁ……じゃあね皆、後は御自由に」

 廊下を曲がり、玄関から死角になるよう張り付く。

 初めに口を開いたのはレイだ。

「くそっ、おいセミアお嬢ちゃん。あいつマジで言ってるのか?」

「多分」

「困るわよそれは!キュクロスお婆さんの本も沢山あるのよ、胡椒なんて振られたらクシャミのし過ぎでお婆さんが死んでしまうわ!」

「タバスコも駄目だ。表紙になど塗られたら一日中手がヒリヒリかぶれてしまうぞ!」

 三人が同時に妹に詰め寄る。

「「「早く物語を戻して来い!」」」

「わ、分かったから……うう、お姉ちゃんめ、謀ったな……」握り拳。「ところで皆は何なの?このお城の人?」

「ああ、俺はグレイオスト、呼ぶ時はレイと言え。こっちは姉さんのリリアとリオウ大臣。この城の住人。で、お前の姉さんクランはこの城の主」

「……女王様?へぇぇ、凄いねお姉ちゃん」感嘆の言葉と共に、初めて口元が微かに緩む。

「だから間違ってもこの国で女王陛下に逆らうなよ?今のであいつの怖さが実証された訳だし」

 レイはセミアの本当の力を知らない。私は彼女を一秒も拘束できないし、本気で戦えば確実に死ぬのは私だ。但し、自ら檻に入るよう仕向けるのはとても簡単。

「うん、分かった。女王様の命令は絶対だもんね。残念だけど返して来る……だけどレイ」

「何だ?」

「お姉ちゃんの真の恐怖はあんな物じゃないよきっと」

 捨て台詞を吐いた妹が玄関を出、目の前に現れた黒い裂け目に入った。

「な……!?今のは」

 亀裂は二秒も経たない内に消えている。

「夢、または精神の世界。セミアのホームグラウンド」廊下から出て説明する。

「クラン、お前いるならいるって言えよ!人騒がせな事言うだけ言って逃げやがって!」

「ん?私、嘘は言わないよ。ね、ボビー?」

「キュウン……」何故か首を竦めてレイの足に絡むコリー。

「そ、そうか……。それより、幽族なのかあの子?」夢使いの種族の名を口に出す。

「さあ?よく知らない。それより、早く皆でここ片付けよう」散らかってて足の踏み場も無い。

「どこへ持って行くの?」リリアが訊く。

「適当に書庫の空いてる所に入れておいて。どうせセミアがすぐ全部読んで整理し直すから」

「女王、先程の話だが、妹君は人間から物語とやらを抜くとの事。物語とは一体」

「詳しくは分からないけど、人の現在までの記憶や情動を指していると思う。その人間をその人間たらしめる根幹、魂と呼べるかもしれない」

「では、魂を抜かれた人間は」

「しばらく身体だけで生きてはいる。でも、物語が戻らなければお陀仏」

 この宇宙では原因不明の奇病の一つと言われている。私も時折そうした人間を見るが、妹は常に新しい物語を探して宇宙を飛び回っているので探し出すのは至難の業。今回は偶々近くにいてとてもラッキーだった。

「私達も魂を抜かれちゃったりするのかしら……?」

「セミアのお眼鏡に叶えば。でも、あの子が狙うのは非凡な経験が書かれた物語。こんな田舎の国でそれを満たす人間は中々いないと思う」

「それもそうね。あ、でもレイやキュクロスお婆さんは外から来た人だから」

「おいおい。国の外にいたのは生後たった三週間だ。記憶もへったくれもあるか。……ん?婆さんも外の人間だったのか。でも母さんの時も爺さんの時もその前のひい婆さんの時も宮廷魔術師だったんだろ?」

「キュクロスお婆さんは確か今年で百五十歳よ。この国に来たのは四十歳の時らしいわ。ひいひいお爺様の代からこの城に住んでいたそうよ」

「へえ。そんだけ長生きならあのお嬢ちゃんがあっと驚くような経験の一つや二つ持っていそうだな」

皺の寄った人懐っこい笑顔を思い出す。朝食の時に注意するよう言った方が良さそうだ。




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