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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

祝賀会で彼女が消えた…残ったのは手だけだった

作者: アポロ
掲載日:2026/04/08

王城の大広間は、いつもより眩しく感じた。

 天井に浮かぶ魔法灯がゆっくりと回転し、金色の光が床に揺れる。

 楽団の弦が澄んだ音を響かせ、貴族たちの談笑が波のように広がっていく。


 その中心で、俺――クラウスは、場違いなほど硬く立っていた。


 師団長試験に合格した。

 それは誇るべきことのはずなのに、胸の奥は落ち着かない。

 祝われることに慣れていない。

 そもそも、こんな豪奢な場に立つ自分を、まだ受け入れられていなかった。


「……相変わらず、緊張してるね」


 背後から聞こえた声に振り返ると、リディアがいた。

 淡い青のドレスに身を包み、魔導士らしい落ち着いた雰囲気を纏っている。

 けれど、その瞳はいつも通り柔らかく、俺の硬さを溶かすように笑っていた。


「緊張してない。……たぶん」


「たぶん、ね」


 くすりと笑う。

 その笑顔を見るだけで、胸の奥のざわつきが少しだけ静まる。


「せっかくの祝賀会なんだし、少しは楽しんだら?」


「楽しみ方がわからないんだよ、こういうのは」


「じゃあ――教えてあげる」


 そう言って、リディアは手を差し出した。


 白く細い指先。

 魔導士特有の魔力の気配が、淡く揺れている。

 その手が、俺に向けられている。


「踊ろう、クラウス」


「……俺、踊りなんて」


「大丈夫。私が引っ張るから」


 その言葉は、祝賀会の喧騒よりもずっと静かで、

 けれど確かに俺の胸に届いた。


 迷う理由はなかった。

 いや、本当は迷っていたのかもしれない。

 でも、彼女の手がそこにあるのなら――


 俺はそっと、その手を取った。


 温かい。


 驚くほど、温かかった。


 その瞬間、周囲の音が少し遠くなった気がした。

 魔法灯の光が揺れ、リディアの髪に反射してきらめく。

 彼女は微笑んだまま、俺の手を軽く引いた。


「ほら、行こ」


 ぎこちない足取りで、俺たちは人々の輪の中へと踏み出した。

 楽団が新しい曲を奏で始める。

 優雅で、どこか懐かしい旋律。


 リディアの手の温度だけが、やけに鮮明だった。


リディアに手を引かれ、俺は輪の中心へと進んだ。

 周囲の視線が一瞬だけこちらに集まる。

 けれど、彼女は気にした様子もなく、軽く息を吸って俺を見上げた。


「大丈夫。私に合わせてくれればいいから」


「……わかった」


 言葉にすると、胸の奥が少しだけ熱くなる。

 こんな場で、こんなふうに手を取られるなんて思ってもいなかった。


 音楽がゆるやかに流れ始める。

 リディアが一歩踏み出し、俺の手を軽く導く。

 その動きは驚くほど自然で、俺のぎこちなさを包み込むようだった。


「ほら、できてるよ」


「……本当に?」


「うん。クラウスは思ってるよりずっと上手」


 そんなはずはない。

 でも、彼女が言うと、不思議と信じられた。


 魔法灯の光が揺れ、リディアの髪が淡く輝く。

 彼女の瞳はまっすぐで、俺の動きを確かめるように見つめてくる。


 距離が近い。

 手の温度が、鼓動と同じリズムで伝わってくる。


「師団長、おめでとう」


 踊りながら、リディアが小さく言った。


「……ありがとう。でも、まだ実感がない」


「そうだろうね。ずっと努力してきたの、知ってるから」


「見てたのか?」


「見てたよ。ずっと」


 その言葉に、胸が強く揺れた。


 リディアは続ける。


「あなたは真っ直ぐで、不器用で……でも、誰よりも仲間を大事にする。

 だから、師団長になったって聞いたとき、すごく嬉しかった」


「……リディア」


「だからね。今日くらいは、胸を張っていいんだよ」


 彼女の笑顔は、祝賀会の光よりも眩しかった。


 気づけば、俺は自然に彼女の手を握り返していた。

 その温度が、心の奥まで染み込んでいく。


 音楽が少しだけ盛り上がる。

 リディアがくるりと回り、ふわりとドレスが広がる。

 戻ってきた彼女の手を、俺はしっかりと受け止めた。


「ね、言ったでしょ。できるって」


「……リディアがいるからだ」


「そうだね。私は、あなたを支えるのが得意だから」


 その言葉に、胸が熱くなる。


 この瞬間が、ずっと続けばいい。

 そんなことを、初めて思った。


 リディアの手は温かい。

 その温度が、未来を照らすように思えた。


 ――この手を、離したくない。


 そう思った瞬間だった。


 音楽が、ふっと途切れた。


 ほんの一瞬の沈黙。

 その静寂は、祝賀会の喧騒の中では不自然なほど重かった。


 リディアが小さく瞬きをする。

 俺も、何が起きたのか理解できずに周囲を見渡した。


 次の瞬間――


 光が弾けた。


 耳をつんざく破裂音。

 天井の魔法灯が一斉に砕け、金色の破片が雨のように降り注ぐ。

 空気が震え、床が揺れ、誰かの悲鳴が遠くで響いた。


「クラウス――!」


 リディアの声が聞こえた。

 けれど、その声は途中でかき消された。


 視界が白く染まる。

 熱いのか、冷たいのかもわからない衝撃が全身を包む。

 何が起きているのか理解できない。

 ただ――


 俺は、リディアの手だけは離すまいと、強く握りしめていた。


 世界が揺れる。

 床が割れる音。

 魔力が暴走する気配。

 人々の叫び。

 すべてが混ざり合い、遠ざかっていく。


 白い光がゆっくりと収まっていく。

 耳鳴りが残り、世界が歪んだまま戻ってくる。


 俺は、握っていた手を見た。


 ――リディアの手だけが残っていた。


 温かい。

 さっきまで踊っていたときと同じ温度。

 指先がかすかに震えている。


「……リディア?」


 呼びかけても、返事はない。

 俺の隣には、誰もいなかった。


 祝賀会の大広間は崩れ、炎と煙が立ちこめている。

 騎士たちが叫び、魔導士たちが防御魔法を張り巡らせている。

 王族の護衛が走り回り、瓦礫が落ちる音が響く。


 けれど、そんなものはどうでもよかった。


 俺の手の中には、

 さっきまで未来を照らしていた温度だけが残っている。


 理解が追いつかない。

 何が起きたのかもわからない。

 ただ――


 手の温度だけが、現実だった。


 俺はただ、それを見つめていた。

 周囲の喧騒は遠く、まるで別の世界の出来事のようだった。


 瓦礫が崩れる音。

 魔導士たちの詠唱。

 騎士たちの怒号。

 炎のはぜる音。


 すべてが、膜越しに聞こえるようにぼやけていた。


 俺の世界には、

 この手の温度しか存在していなかった。


「クラウス! 無事か!」


 誰かが叫んでいる。

 肩を掴まれ、揺さぶられる。

 けれど、俺は顔を上げられなかった。


 リディアの手は、俺の掌の中で静かに震えていた。

 その震えが、彼女の最後の痕跡のように思えた。


「……リディア」


 名前を呼ぶ。

 返事はない。

 当然だ。

 わかっている。

 わかっているはずなのに、胸が理解を拒んでいた。


 さっきまで、隣にいた。

 笑っていた。

 俺の手を引いて、踊っていた。

 未来の話をしていた。


 そのすべてが、

 この温度の中にまだ残っている。


「クラウス、離れろ! ここは危険だ!」


 誰かが俺の腕を掴んで引こうとする。

 だが、俺は動かなかった。


 動けなかった。


 手の温度が、ゆっくりと、確実に冷えていく。


 その変化が、何よりも恐ろしかった。

 何よりも、現実だった。


 リディアの笑顔が、光の中で揺れる。

 さっきまで確かにそこにあった温度が、指先から逃げていく。


 俺は、ただ見つめていた。


 この温度が消えてしまう瞬間を。

 この手が、ただの“遺されたもの”に変わる瞬間を。


 世界が崩れていく音がする。

 人々の叫びが響く。

 炎が天井を舐める。


 それでも、俺の世界は小さな掌の中にあった。


 温度が――消えた。


 その瞬間、胸の奥で何かが静かに落ちた。


 涙は出なかった。

 叫びもしなかった。

 ただ、そこにあったはずの未来が、音もなく消えていった。


 俺は、冷たくなった手をそっと胸に抱いた。


 祝賀会の光はもうない。

 音楽もない。

 笑顔もない。


 残っているのは――

 この手だけだった。

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