表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
301号室の訪問者  作者: 社菘


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

1.階段の踊り場


 3月の風は、まだ少し冷たかった。

 段ボールの箱を抱えたまま、私は真新しいマンションを見上げた。街の中心部にしては小さい五階建ての建物で、外壁は白で統一されている。今年の2月に完成したばかりだという触れ込みだけあって、まだどこも汚れはないし、エントランスは新しい匂いがした。

 最寄駅から徒歩5分。近くにある大きなショッピングモールまで徒歩10分。高校を卒業したばかりの私にとって、初めての一人暮らしの舞台としては上出来だった。


春香(はるか)、何ぼーっとしてるの。さっさと運ばないと、夜になっちゃうわよ?」


 母に肩を叩かれて、ハッと我に返る。

 父は仕事の都合で来られなかったが、飛行機を乗り継いで遠い地元から来た母が一緒に引越し作業をしてくれているのだ。この時期は引越し業者も手一杯で昼からの作業になってしまったから、モタモタしているとあっという間に日が暮れてしまう。

 私は段ボールを持ち直して、作業のために解放されているエントランスのドアをくぐった。


「うわぁ……部屋も新しい匂い」

「そりゃそうよ、新築だもの」


 301号室と書かれたプレートの部屋のドアを開けると、エントランスと同じように真新しい匂いが鼻をついた。

 部屋の壁はマンションの外観と同じで白に統一されていて、床はダークブラウンの木目調。中心部にしてはかなり安めの、家賃5万円で1LDKという好物件を見つけられたのは運がよかった。あと一歩遅かったら、違う人に契約されていただろう。

 玄関を開けると広めのシューズボックスがあり、左手はトイレ、右手は浴室。リビングに続くドアがあり、リビングとキッチンが一体になっている造りだ。そして、ベッドを置けるくらいの狭い洋室が別にある。


「人感センサーっていいわね。わざわざスイッチを押さなくても明るくなるし」


 母が言っているのは、玄関の照明のことだ。

 最初に内見をした時に不動産屋が説明してくれたように、玄関の明かりは人感センサーになっている。ドアを開けると「カチ」という小さな音のすぐ後に、オレンジ色の照明が自動で点く。夜に帰ってきても暗くないから安心ですよ、と担当者の男性が言っていた。

 これなら確かに、両手が塞がっていても明るく照らしてくれるから便利だろう。特に女性の一人暮らしなので、暗いよりもすぐ明るくなってくれるのは安心に繋がる。


「今日のうちにある程度荷解きをして、明日は買い物に出なくちゃ」

「うん……お母さんも長くはいられないもんね」

「そうね。仕事がなければ、もっと長くいてあげられたんだけど」


 母はこの引っ越しと入学式のために、5日ほど休みを取ってくれている。母がいるうちに、一人で生活できる基盤を整えなければならない。

 引越し業者が帰って行き、母と二人で荷解きをしながら、私はこれからの生活に胸を躍らせた。

 今まで、コンビニに行くだけで車で行く必要があるような田舎に住んでいた私には、街の中心部での生活はワクワクしてたまらなかった。

 新しい学校に、新しい人との出会い。初めて何にも縛られず自由に暮らせる夢のような生活を想像して、口元が緩んだ。

 期待と不安が半々だったけれど、ここでならうまくやっていける気がした。


「じゃあ、体に気をつけてね。ご飯はちゃんと食べること。何かあったらすぐに連絡するのよ?」

「分かってるよ、お母さん。お母さんこそ体に気をつけて、お父さんにもよろしくね」


 心配性の母を空港まで見送って、正真正銘、一人っきりの生活が始まった。

 母が帰ってしまったのはとても寂しいけれど、今の私にはこれからの期待のほうが大きくて、寂しいという感情はすぐに消えてしまった。


「あれ……?」


 母の見送りから戻ってきて、エレベーターを待っている時にふと気がついた。

 マンションと隣のビルの間に、人一人がやっと通れるくらいの隙間がある。外から見たときには気づかなかったけれど、こうして中から見ると、オートロックを抜けたエレベーターホールの壁の向こうは外が剥き出しだった。しかも壁が意外と低いので、大人なら十分、外からエレベーターホールに直接乗り込める。

 隣のビルとの幅を見ると、大体50センチくらいだろうか。痩せた大人なら、十分通り抜けられる。


「オートロックの意味とは……?」

 

 そう思いながらも、私はその隙間をじっと見つめた。外から見れば目立つ場所だし、わざわざそんなところから侵入する人はいないだろう。それに、ここは繁華街に近いので必然的に人通りも多い。誰かに見られるリスクを冒してまで、侵入する理由がない。

 このマンションのオーナーは70代の男性で、新築だが少し古い造りなのだと不動産屋の担当者は言っていた気がする。

 

「まあ……大丈夫かな」


 そう自分に言い聞かせ、これから何も起こらないことを祈りながらエレベーターを待つ。


 コツ、コツ


 エレベーターホールの真後ろには、狭い階段がある。2階の住人はその階段を10段も降りればいいだけなので、後ろから聞こえてきた足音は2階の住人のものだろうと思った。

 だけれど、その音が階段を降りる音がしない。


(……エレベーター待ちの人と鉢合わせたら気まずい、とか?)


 確かに、エレベーターホールはかなり狭い。大人が二、三人いたら息苦しく感じるほどだ。きっと降りたいけれど、私がいるからタイミングを窺っているのだろう。

 私も気まずいなと思いながら、やっとエレベーターが5階から降りてきた。エレベーターに乗り、ずっといじっていたスマホからふと顔を上げると、踊り場で止まったはずの足音の主はいなかった。


(帰ったのかな……?)


 それにしては、帰る時の足音が聞こえなかった。

 思えばこの時から、私の初めての一人暮らしは、おかしな方向へ変わっていたのかもしれない。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ