化学反応がおこる
微分方程式で、
今日は、山口さんくるかな。
「山口さん、こないねー」
と図書室の司書の先生に話かけられた。あわてた、僕はまるでそんなこと気にしないかのように、図書室のカウンターの脇のラックに並んだチラシを眺めた。僕の高校の図書室の司書の先生は、チラシをまめに更新してくださる。高校の図書室では珍しいみたいだ。司書の先生は、僕にとって、気さくに話せる唯一の先生だ。でも、今日は口をつぐんで、チラシを物色した。
図書室で街の美術館の催しを知ると、なんだか好奇心が湧いてくる。普段、絵画なんてみない。一筆書きで描いたのか?と言われる僕の絵を見た人なら、美術館のチラシを手にしてるだけで笑われそうだ。でもこの前、司書の先生に勧められて隣街の大きめの博物館にいったのは楽しかった。古墳からの出土物の展示をここのチラシで知ったんだ。展示室の脇にいた方(学芸員さんということをあとから知った)と話が盛り上がった。展示にはないことまで教えてもらった。学芸員さんによると、いま遺伝子診断で古墳の中の家来?が北方からきたか南方からきたか調べてるらしい。もしかして、ミトコンドリアDNAですか?と聞いたら、そこから話が弾んだんだ。他にも、市民楽団の演奏とかもいく。ここのチラシは魅力的なんだ。
おや、チャレンジ英語カフェ?高校生も参加していいみたい。英語でずっとしゃべるんだ。でも、英語が大の苦手な僕だ。カフェも苦手だ。喫茶店というところで本を読むのは憧れる。でも敷居が高い。チェーン店のカフェで、ナンチャラのナントカ多めで、サイズはホニャララで、ってのも心の中でつぶやいても息がきれる。魅力は感じるが、英語カフェはなしかな。
あ、山口さんがきた。ニコやかだ。僕も嬉しくなる。そのまま例のスペースに直進だ。
「今日はなんの問題?」
と、僕が聞く。
「何も聞かずに、この微分方程式をといて」
dy(x)/dt=-k・y^2 (1)
「これは、右辺が、y^2なので、非線形微分方程式だね。線形な場合、つまり右辺がy^1の場合には、二つの異なる解y1、y2があったとすると、y1+y2も解になれるけど、非線形、つまり、y^2とか、y^3とかになるとそうはいかない。ところで、何も聞かずに、って言われても、どう答えたらいいか迷うな」
「ごめん。そうだよね。せっかく太郎君に解いてもらうんだから、うんちくも聞かなきゃ。そうねー、この微分方程式が何の役にたつのか、説明しながら解ける?」
うんちく、って、どういう意味だ!何の役に立つか説明しながら解くってのも、ハードルあがってしまった。
「この積分は変数分離型という型に変換して解ける。変数分離はそのうち習うと思うけど、意外と簡単だから最初に説明するね。」
いま、関数p(x)とq(y)があって、次の微分方程式を満たすとするね。
dy/dx=p(x)・q(y) (2)
qを右辺に持っていくと、
[1/q(y)]dy/dx=p(x) (3)
「置換積分って知ってる?」
「xで積分することができないときに、t=t(x)みたいに他の変数tに積分変数を変えてしまう方法?」
dx・dt/dx=dt (4)
「にして、積分変数をxからtに変換するんだよね」
「そのとおり。式(3)の両辺をxで積分する」
∫[1/q(y)]dy/dx・dx=∫q(x)dx (5)
「山口さんが示してくれたのを、記号だけこの問題のために直すね」
dx・dy/dx=dy (6)
式(5)の左辺の積分変数は、式(6)からyに置換できる。
∫[1/q(y)]dy =∫q(x)dx (7)
式(7)の右辺は変数y、左辺はxのみになる。つまり、両辺に変数が分離される。この型の積分を変数分離法と呼ぶ。
「ただ、僕が知っているのは、この型にすると解けるようになる積分が存在するということだけなんだ。この型をした積分の一般的な傾向があるのかないのか、僕にはよくわからない。調べてみるね。今日は、とりあえず、山口さんの微分方程式を解いてしまうね」
「わかった。ありがとう」
「山口さんの微分方程式、式(1)を式(7)に当てはめるとこうなるね。途中はしょってるけどわかるね」
∫[1/y^2]dy =-∫・(-k)・dx (8)
「はーい。わたし解きまーす」
山口さんが黒板に書いた。左辺は、
∫[1/y^2]dy =-1/y+C1 (9)
∫・(-k)・dx=-k・x+C2 (10)
ここで、C1、C2は初期値で決まる積分定数だ。C1-C2=Cを新たな積分定数として、(9)=(10)より、
-1/y+C=-k・x (11)
y=1/(C+k・x) (12)
「解けた!でもね。じつは、わたしが解きたかったのは、変数が座標xではなくて、時間tの場合だったの。まあ、解答のxをtに変えればいいんだけどね」
「時間変化を解きたかったんだね。一つ、この微分方程式になる例を思い出したよ。動植物の個体数の変化の統計的な説明や、化学反応の反応次数ってのがあるんだ」
山口さんが、ビクっとした顔をしたような。
「太郎くんは、化学反応の反応次数の話まで知ってるの?」
「少しだけかじったんだ。化学反応において、物質Yの量yが化学反応とともに時間変化する様子を微分方程式で示したものだ。1次反応は、物質が物質の数に比例して化学反応により減少する。時間変化だから、式(1)のyをtにするね。それから1次反応だから、以下になる」
dy(t)/dt=-k・y (13)
「これは解けるよ」
山口さんが解く。
y(t)=C・e^(-k・t) (14)
「初期の量Cから時間とともに、eの冪乗で小さくなる。kが大きいほど、早く減るから、化学反応は早く進行するんだよね」
「さすが!そして、2次反応の場合、物質Yの量yは、自身の二乗で減少する。多分、反応上、分子Yが二つないと化学反応が進まないとかだと思う。xをtに直して、式(12)を書くと、
y=1/(C+k・t) (15)
初期の量は、t=0で、1/C、時間に反比例して、yは減少する。
「化学では、化学反応がどのように進むかが問題になる。化学反応式は、左辺に反応前、右辺に反応後の化学状態を書くよね。でも、実際には途中で分子が少しずつ形態を変えて反応が進行するんだ。その反応の道筋をたどるために、反応途中の物質の濃度を測定して、反応次数を決めて反応メカニズムをしる。すると、全体の化学反応でどこが遅いかわかる。その反応を速くする触媒を探すとかいった感じみたい。他にも、プラスチックや薬品を合成するときのプラントの設計とか製薬手順とかを決めるのに重要だと思う。」
「太郎君は、数学や物理だけじゃなくて、化学も詳しいのね。いつも成績一番だもんね」
うちの高校は模擬試験の成績まで、上位者を貼り出す。確かに、数学と物理はいつもダントツの一番だ(←自慢だ)。でも、化学は、1番だったり2番だったり、他に得意な人がいるんだよな。??もしかして、それって、、山口さんって名前だったような、、。あ、もしかして、総合1位も山口さん!僕は、なんて、人間関係に疎いんだろう。
「山口さんって、いつも化学や学年総合1位の山口さん?」
「いつも1位じゃないじゃない。化学は太郎君に勝ったり負けたり。総合だって、太郎君が1位のときあるじゃない」
そうだ。僕は、英語が苦手だから総合の成績は下がる(期末テストは、さらに美術や体育が入って下がる)。でもたまに、英語の長文解読が完全なときがある。読解でなく、解読だ!暗号解読みたいな感じが上手くいくときがある。長文読解は配点が高いからそういうときだけ上位になる。
「わたしね、化学が好きなの。実験が好きなの。」
「確かに手際が良さそうだよね。僕は、いつも、薬品を爆発させないか周りをハラハラさせてる」
「わたし、薬学の道に進もうと思ったの。でも、太郎君の数学の話を聞いてたら、化学のもっと基本みたいなのを知りたいと思ったの。で、大学の化学の教科書みて、化学反応論って面白いなと」
「なるほど、それでこの微分方程式を」
「太郎君は、数学科にいくの」
「いや、数学科にはいかない。応用数学か物理学に進みたい。こないだのN次方程式の解みたいな問題も面白いけど、もう少し実用的な数学をやりたいんだ」
「太郎君は、しっかり進路を見据えてるんだね。えらいね。私は、薬学か純粋な化学かで迷っちゃって」
「僕だって、まだ迷ってるさ。でも、選択肢があるのは良いことだと思うけどな」
「太郎君も迷ってるんだ。じゃあ、同志だね」
「そうだね!...あの、お願いがあるんだけど。僕に英語を教えてくれない?僕の英語の成績は散々で」
「ダメ。受験のための英語なんて、さらさらごめんだわ」
「.......」
「太郎君だって、わたしに受験のための数学を教えてる感覚なかったでしょ!英語はコミュニケーションのための言葉よ」
山口さんの言っている意味がわかった。
「山口さん、僕に英会話のレッスンをしてください。今度、英語カフェってのがあるんだ。そこでデートしてください」
...あ、勢いあまってデートって、...
「いいよ。わかった。あそこのチラシにあったやつだね。またね」
山口さんは、チラシを持っていってしまった。そもそもナントカ英語カフェって、デートするとこか?わからない。どうしよう。こういうときには親切な物知りの人に聞くしかない。
僕は司書の先生の座るカウンターに向かった。
これでおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。