第4話
「不穏だな……ルーファス詳しい動きを探れるか?」
「国境に出向きましょうか?」
シャルロットがヴィクトールに遅れて執務室に顔を出してみると、ヴィクトールとルーファスが何やら真剣な表情で話し合っていた。
ルーファスは約1年半のガイザール帝国からの留学から戻り、最近はヴィクトールの下で外交面の執務を担っている。彼が戻ってから数ヶ月が経つが、こうしてヴィクトールの執務室で会うことも珍しくはない。
2人は入室してきたシャルロットに気付いて振り向いた。
シャルロットは微笑んで軽く頭を下げる。
「おはようございます。ルーファス殿下」
「おはようございます。義姉上」
ヴィクトールに良く似た容貌だが、彼よりも優しげな面立ちのルーファスは、にこやかに答えた。留学中にすっかり背も伸びて肩幅も広くなり、しなやかに成長した第二王子は、今や貴族の令嬢達にも大人気である。
そして、兄に劣らず優秀で、智謀を巡らすことにも長けてきた。ヴィクトールもルーファスの成長を喜び、こうして兄弟で協力し王太子としての執務をこなしている。
ヴィクトールが軽く手招きして、シャルロットに話し合いに加わるよう促す。
「来たか、シャルロット。ちょうどいい」
シャルロットが2人の向かい合う机の前に腰掛けると、ヴィクトールの側近であるヒューイットが資料を示してシャルロットに説明を始めた。
「皇国南部のノルド自治州に甚大な魔獣被害が出たそうで、国境を接する我が国の同盟国ファレルに難民が押し寄せているのですが……混乱に乗じて皇国に対する不穏分子も混じりこんでいるようです。治安の悪化と地下活動の温床になっているという情報が入ってきまして」
ファレルは、5年ほど前まで皇国からの侵攻を警戒し、国境線は一触即発の関係だった。現在となっては大分関係も改善されているが、治安悪化に加え不穏分子まで入り込んでいるとなれば国境は荒れているだろう。
しかし、ザイディーンはファレルの同盟国という立場から、要請が無ければ手も口も出すわけにはいかない。
シャルロットは、外交面を担っているルーファスに尋ねた。
「ファレルの国王はなんと?」
「今の所はこちらへの要請は何も。ただ……」
ルーファスはそこで言葉を切って言い淀む。そして、シャルロットに気遣うような視線を向けた。
「マーベルに、治安維持のため領軍派遣が可能か?と打診があったそうです」
ザイディーン王国西部のマーベル地域は、マーベル辺境伯が治める領地で、西をダイアンサス皇国に南をファレル王国に国境を接している。
シャルロットの同級生であったディータが辺境伯の嫡男であり、彼女が学生時代に親しくしていた友人のリーゼロッテが、半年前に彼に嫁いで行った。
ルーファスは、リーゼロッテとシャルロットの関係を良く知っていたため、心配をかけるかと彼女を気遣ったのだろう。
ヴィクトールが腕を組んでルーファスに尋ねる。
「うちの王国軍を派遣するほどじゃ無いってことか?だが、こっちに一言あっても良いんじゃないか?」
「そうですよね。通常ならまずは中央に要請が入るのでは?」
シャルロットも頷いて、ルーファスを見た。マーベル辺境伯領は、三方向を他国との国境に接しているため、軍事に関してかなりの裁量権が与えられている。ザイディーンの王家とは非常に親しく信頼関係も強いが、中央を介さず直接領軍派遣の可否を問うのは、あまり褒められたことではない。
「マーベルなら国境を接している誼で、と気安いのか? うちの中央に依頼して下手な探りを入れられたり、派遣調査に時間が掛かるのが嫌なのか? そのあたりも探りますか?」
ルーファスがヴィクトールに確認するように問う。
ヴィクトールは目を伏せて考えを巡らせた。シャルロットはもう一点気になっていることを尋ねた。
「ゼルメル皇帝は?」
「時期が悪いですね。ちょうど北部のギルム自治州で反乱騒ぎがあって、そちらの鎮圧に」
ルーファスは良く状況を把握しているようだ。
それを聞いたシャルロットの顔は晴れない。
「広すぎる領土も問題ね。もともとはそれぞれ独立国だったから。それにしても、場所といい時期といい、偶然にしては……」
ヴィクトールが顔を上げて、シャルロットに頷いて見せる。
「そう。タイミングが出来過ぎている。だが、はっきりとした意図が見えないのと、連携して事を起こすには離れすぎているんだよな」
「それぞれ地道に調べる必要があるんですね?」
シャルロットは溜息をついて言った。ルーファスも同意する。
「明らかに何らかの意図があるのに、その目的と狙いがわからないのが気持ち悪いんですよね。いろいろな事象が、1本の線になっているかもしれないのに、繋がりが見えてこない」
そう言ったルーファスに、ヴィクトールが首を一度縦に振った。
「ああ、そうだな。時間は多少かかるが仕方がないな。ルーファス、お前はファレルに密かに入国し、目立たぬように皇国との国境辺りを中心に状況を探ってくれ。影の者も連れて行くといい。俺は、ファレル国王とゼルメルにそれぞれ面会を申し込もう。シャルロット、お前はマーベルに行き嫡男夫妻に話を聞いてくれ。その後俺と合流してノルドに潜入だな」
ヴィクトールの采配に、ルーファスが慌てて声を上げた。
「兄上!ノルドの潜入は危険です! 義姉上も一緒になどと……兄上が強いのはわかってはいますが」
ヴィクトールはルーファスに視線を合わせると、不敵に笑う。
「問題ない。シャルロットは荒事にも慣れているし、なかなかの実力者だ。この件は陛下にも任されているしな。ルーファスお前の方こそ気をつけろ」
「しかし……」
日頃王城で、優雅な貴婦人として振舞っているシャルロットからは想像できないが、彼女が戦闘も可能な優秀な魔法師であることはルーファスも知っている。しかし、外国しかも荒れた地域への潜入任務など、ヴィクトールが一緒に居るとはいえ若い女性には危険が伴う。ルーファスは、流石に無謀が過ぎるのでは?と心配した。それにそもそも王太子が自ら赴くことも。
ヴィクトールが、この手のことは自分自身で確認しなければ気が済まず、現地に乗り込むことで勘が効くと言っていることを知らなければ、それにも反対していたと思う。
だが、シャルロットは微笑みさえ浮かべて首を横に振った。
「何も問題ありませんわ、殿下。このような仕事も初めてではありませんし」
「そういうことだ。ルーファス早速準備して向かってくれ。ヒュー、今ラルフとニールも呼んだ。諸々調整の準備をしろ」
「かしこまりました」
ヒューイットが返事をし、早速準備に取り掛かる。ヴィクトールもサッと立ち上がると、シャルロットをエスコートして立ち上がらせた。そして、視線でこの話は終わりだと告げて、ルーファスに退室を促す。
「わかりました、兄上。本当にお二人共くれぐれも気を付けて。では失礼します」
苦笑したルーファスがそう言って立ち上がり、扉に向って歩き出したのを、シャルロットが呼び止めた。
「ルーファス殿下。以前お渡しした石、お持ちでしょうか?」
ルーファスはシャルロットを振り返って目を瞠ると、右手でそっと胸元をおさえる。
「……もちろん。ここにずっと」
ルーファスがやや目を伏せて、少し切なげに答えた。
「ありがとうございます殿下。どうか今回もお持ちくださいませ」
シャルロットがそう願うと、ルーファスはひとつ頷き「では」と部屋を出ていった。
一連のやり取りを黙って見ていたヴィクトールは、シャルロットの頭に軽い拳骨を落とす。
「まったくお前は……」
「痛いですヴィクトール。あの石はいざという時にルーファス殿下を守りますから」
ルーファスがガイザール帝国に留学に行く際、国外に出るルーファスの身を守るためにと、光属性を持たない彼に、回復と致命傷を負った際1度きりの絶対治癒魔法を込めた石をシャルロットは贈っていた。
彼女にすれば、王族でありかわいい弟分であるルーファスの安全祈願的な御守りだったが、ルーファスの気持ちを知っているヴィクトールは面白くない。
「貴方には別のものを贈ったでしょう?」
シャルロットは軽く首を傾げてヴィクトールを見上げると、そう言った。彼女には、ヴィクトールより先にルーファスに石を送ったのが不服だと思われているらしい。ヴィクトールは大きなため息をこぼした。ルーファスも報われない、と若干同情心もわく。
今、2人の耳を飾るピアスは、互いの色を送りあったものだ。ヴィクトールの耳には黒の地金に紫の宝石が輝き、シャルロットの耳には黄金色に碧色の宝石が光っている。シンプルなもので、シャルロットの場合は他の耳飾りの重ね付けも邪魔しない。このピアスは、互いの位置が感知できる魔法が付与されており、他人には外せない仕様になっている。
更に2人の左手首には、白金に精緻な模様が施され蒼色の宝石があしらわれた腕輪も、揃いで填められている。シャルロットがセイレーンであったときのこの色合いは、ヴィクトールの希望で作られた。シャルロットにより、毒物の浄化魔法が付与されている。
だから、最早ルーファスに贈った石云々について言っている訳ではないのだが……シャルロットがルーファスの想いに気がついていない為、余計な事も言えない。
その時、扉を叩く音がして、ランドルフとニールセンが訪れた。
「お呼びでしょうか?殿下」
入室した側近2人に、ヴィクトールは頭を切り替えて、資料を見せながら一連の情報を共有する。
話を聞いたランドルフがヴィクトールに尋ねた。
「では、私は殿下の面会時の護衛後、ノルドにはお二人と同行するということでよろしいでしょうか?」
ヴィクトールは頷いて、ニールセンを見る。
「そうなるな。ニールはヒューとここを頼みたい。今回ルーファスもファレルに潜入する」
「かしこまりました」
2人が了承したところで、このやり取り中にペンを走らせていたシャルロットが、封書をランドルフに手渡した。
「ラルフ様、私からはマリアンヌ様にお願いしたいことがありますの。お手紙をお渡ししていただいても?」
「はい。妻も喜びます」
ヴィクトールの妹殿下であったマリアンヌ王女は、数ヶ月前ルーファスの帰国と同時期に、タウンゼント侯爵家にランドルフの妻として降嫁していた。
マリアンヌはシャルロットを慕っているので、手紙での頼み事に喜んで答えてくれるだろうと、ランドルフは思う。
「しばらく留守にするので、その間の社交を助けていただこうかと思っていますの」
「それこそ妻の得意分野ですから。どうぞ安心してお任せ下さい」
そうしてランドルフとニールセンも退室していった。
後に残った二人も、それぞれの準備に取り掛かるべく、取り急ぎの執務を捌いていく。
シャルロットは、朝方思い立った件はこの仕事が片付いてから、と頭の中で先送りにした。
申し訳ありません。しばらく更新が先になります。
ちょっと他の連載を仕上げてから、じっくり取りかかる予定です。




