ルーファス
1章エピローグから約1年後。
帝国に留学中のルーファス王子のお話です。
僕は、ルーファス・ザイン・レネ・ロイスダール。ザイディーン王国の第2王子で16歳。
昨年の父の誕生日と兄上の婚約発表を兼ねた王室主催の舞踏会の後、僕がガイザール帝国に留学して、そろそろ1年になる。
帝国の学院に通いながら、政治や経済について学ぶ傍ら、女王陛下からは闇属性を中心とした魔法についても教えを受けている。
ザイディーン王国の魔法師養成学校では、魔法騎士科に在籍し、将来は兄上を助けて軍を率いるつもりだったけど、父上や兄上が僕に期待しているのは、外交らしい。だから、こうして外国で学ぶ内容は、将来の王国の為に必要なことだ。
もちろん武力も大事だから鍛錬は欠かしていないけれど、毎日勉強にも追われて1日があっという間に過ぎていく。
そして、そんな1日が終わり寝台に横になると、胸元のペンダントにつけた乳白色の石をそっと握り込むのは、もう随分と慣れた習慣だ。
シャロン先輩、いや、もう義姉上とお呼びした方がいいのかもしれないけれど。
彼女から留学前にもらったその石は、光属性を持たない僕のために、彼女が魔法式を付与して作ってくれた魔道具だ。
こうして身につけて僕の魔力を流すと、癒やしの魔法に変換されて、疲れを取ってくれる。多少無理しても体調を崩すことなく、朝すっきり目覚めることが出来るのは、これのおかげだ。
そしてもう一つ、女王陛下いわく、一度だけ生命の危機から守ってくれる効果もあるらしい。
それを知ったときは、「どれだけ価値のあるものを送ってくれたんだ!?」と驚いて彼女に手紙を送ったけれど、彼女は、「実験を兼ねて試しに作ったものだから、使ってくれると嬉しい」と、たいしたものではないから気にするな、という返事だった。
外国に留学する将来の義弟の安全を願って、贈ってくれたものだろうけど、今更ながらに彼女の優秀さを実感する品だった。それと、彼女の優しさも。
シャロン先輩は、僕の初恋の人だ。未だに過去形で言えないところが、こうやって石では癒せない胸の痛みを感じる原因なのだろうけど。
でも、彼女は敬愛する兄上の婚約者だから。
僕のこの初恋が実らないものだということは、ちゃんとわかっている。
シャロン先輩との出会いは、王国で通っていた魔法師養成学校で、2年ほど前に行われた魔獣討伐演習のときだった。
それは、学校内の2年生と3年生が6人一組になって行う演習で、3コースに在籍する生徒が各学年からそれぞれ1人ずつ出てグループが作られ、そのグループで魔獣が出る森に入り、2泊3日でサバイバルスキルを磨きながら、実際の魔獣討伐を行う演習だ。全部で30組が、日程をずらして森や山に入り、1週間かけて行われる。
僕は当時まだ14歳だったけれど、学年を一つ飛び級していて、この演習に参加することになったのだった。
演習前には、グループ内のメンバーの顔合わせとミーティングが行われる。
僕たちのグループは、男子が4名、女子が2名だった。
魔法騎士や魔法師団の戦闘部門を目指す者のための魔法騎士科からは、僕とディータ先輩。
魔道具や魔法薬の開発研究を学ぶ魔道具製作科からは、ジェイムズとリーゼロッテ嬢。
純粋に魔法式やその仕組みを研究し高度な魔法を習得する魔法学科は、サイモンとシャルロット嬢。
多分、第二王子である僕の身分が考慮されていて、全員が伯爵以上の家の子息と令嬢だった。そして、リーゼロッテ嬢とシャルロット嬢は共に1学年飛び級で3年生に在籍している成績優秀者だった。
特にシャルロット嬢は校内一の有名人で、僕も時々噂は耳にしていた。
神々しいほどに美しい少女で、学科試験では常に首席。魔力は、この学校内では中の上?上の下?位だけど、魔法式の構成が素晴らしく上手で早く、効率的に洗練された魔法を使う、と。
彼女に交際を申し込む男子学生が後を絶たないが、「男性とのお付き合いには興味が持てませんし、婚約はお父様が考えてくれますので」と、皆同じように断られている、とも聞いていた。
そんな彼女と初めて会ったときの印象は、確かにものすごく綺麗だけど作り物めいた美しさだなという感想と、決して他人を踏み込ませない壁を作って一線を引いているどこかさみしい人だな、ということだった。
僕の周囲にも、いろんな目的を持って近付いてくる、特に女性は多い。それは、第二王子という身分と両親譲りの整った顔を持った僕には、仕方のないことで。だから、いつも笑顔を貼り付けてやり過ごしているのだけれど、多分彼女にも、そんな共感めいたことを感じたのかもしれない。
でも、それだけだった。
演習でのグループリーダーは、ディータ先輩だった。彼は、西のマーベル辺境伯の長男で、魔獣の襲撃が多く、その1年ほど前まではダイアンサス皇国からの侵攻をも警戒しなければならなかった、国防の大事な拠点である地域の出身だった。辺境伯の当主は、代々勇猛な魔法騎士であり、戦闘力や統率力に長けた人物で、彼もその素質を受け継いでいた。
そして、魔道具製作科のリーゼロッテ嬢も、魔力は学校内では少ない方といわれていたが、作成する魔道具や魔法薬は、その発想力や利便性が買われ、学生ながらにいくつか特許を持っていると評判だった。
つまり、僕たちのグループの先輩方は、非常に優秀な人物が揃っていたのである。もしかすると、これは僕に対して、学校側が配慮した結果だったのかもしれない。
演習の始まりは、順調だった。今回僕達が演習することになったのは、王都の外れに位置する広大な森だった。山に行くグループもあるが、先輩方が去年山組だったので、今年は森に配置されたらしい。
ディータ先輩は、2年生の僕達がそれぞれ充分な経験を積めるように、適切な配置と役割を与えてくれ、グループの雰囲気もとても良かった。
魔獣の探索や討伐も順調に進み、2年生は皆、自分の手で初めて魔獣を狩るということも経験出来たし、森の中で夜を過ごし、常に周囲を警戒するということも覚えた。ただ、慣れない携帯食、野宿、討伐など疲労も溜まっていく。
それは、3日目の未明のことだった。
夜間の見張りは、二人一組で3時間交代で行っていた。ディータ先輩とジェイムズが最初。次がシャルロット嬢とサイモン、最後が、リーゼロッテ嬢と僕。
見張りを変わって1時間位経った頃だろうか?
「リーゼ。気がついていますか?」
リーゼロッテ嬢に話しかけたのは、シャルロット嬢だった。僕はハッとして振り返る。シャルロット嬢が近付いてきた気配に、気が付かなかったのだ。
シャルロット嬢は、先程の交代時と変わらない装備のままリーゼロッテ嬢の隣にいた。彼女の肩に手をかけ尋ねている。
「う〜ん。シャロン、何かあった?」
リーゼロッテ嬢は、首を傾げて気配を探っているが、やがて首を振った。僕も探知魔法の範囲を広げてみるが、どうにも掴めない。森には意外と様々な生き物の気配が多いし、稀に王都の事情を知らない旅の冒険者がいたりもする。ただ、なんだか首の後ろがざわつくような、嫌な感じはする。
シャルロット嬢が続ける。
「森の気配が、おかしいんです」
「やはり君も気がついたか?シャルロット嬢」
そう言ってやってきたのは、ディータ先輩だった。二人共、表情が厳しい。
「サイモンとジェイムズには、声をかけてきた。今テントを撤収している。火を消して、灯りを」
ディータ先輩は、彼らが休んでいた方にチラリと視線をやった。僕達はそれぞれ自分達の前に、魔法で明かりを灯す。焚火の火は、シャルロット嬢が消した。
「確かになんだか、嫌な感じがしますね」
僕もなんとなく感じる気配に、剣を手に取った。夜はまだ明けず、森の中は暗い。
「殿下、その感覚は大事にしたほうがいい。撤退の準備を……!?」
ディータ先輩の言葉の途中で、いきなり地鳴りがする。
「きゃあっ!一体何が?」
リーゼロッテ嬢が思わずといったように、声を上げた。地面が揺れている。サイモンとジェイムズも慌ててこちらにやってきた。
「リーゼ。落ち着いて、大丈夫よ。サイモン君とジェイムズ君も、明かりを灯して、落ち着いてディータ様の指示を聞いて」
シャルロット嬢がリーゼロッテ嬢の隣で、皆に向かって、優しく声をかける。そして、ディータ先輩を見て、頷いた。
と、その時だった。およそ数百デール先の地面から何かが突き出してきた。はっきりとは見えないが、巨大な黒い影が、空に向かって伸びている。
地割れの亀裂が、こちらにも走ってくる。皆がバランスを崩して、よろめいた。
「なんだ!!」「あれは!」
サイモンとディータ先輩の声だった。
月明かりにその影が浮かび上がる。三つの頭を持つ蛇型の巨大魔獣か?初めて見る魔獣だった。その姿も大きさも異常だ。
一体何が起こったんだ?意志とは関係なく、脚が震える。本能的な恐怖に、一瞬、パニックに陥りそうな僕達に、ディータ先輩の力強い声が、指示を出す。
「殿下、サイモン、ジェイムズ、リーゼロッテ嬢、身体強化を掛け演習の集合場所まで急ぎ撤退しろ。リーゼロッテ嬢、位置情報マッピングの魔道具は持っているな?君が先頭だ。殿下、集合場所まで皆を守って走れ!」
ディータ先輩の声にはっとする。シャルロット嬢とディータ先輩はここに残るつもりなのか?
「先輩方は?」
僕は、2人を仰ぎ見た。
「俺達はここでアイツを食い止める!今、他のグループと散開している先生方にも伝達魔法を飛ばした!討伐部隊が来るまで持ちこたえる!行け!」
一瞬耳を疑う。
未知の魔獣だ。その能力も戦闘力もわからないあんな魔獣に、学生が2人で何が出来る?せいぜい僕達が逃げる隙を作る程度だ。
だから、ここに2人を残して行けない、と僕達は躊躇する。するとシャルロット嬢が言った。
「大丈夫よ。あなた達を気にせず、思いっきり戦えるなら、私達は強いの。さあ、リーゼ、殿下、行ってください」
彼女の表情は穏やかだった。落ち着いた声音で、微笑んでさえいて、場違いな程綺麗で、その美しさにはっとする。
ああ、僕がいるからだ。
王族である僕、そして下級生を逃がそうと、2人はここに残るんだ。僕達が走っていけるように、あんな風に笑って。
魔力は多分ここの誰よりも多いのに、未熟で情けなくて、僕は唇を噛んだ。視界がぼやける。
そこに、リーゼロッテ嬢の厳しい、だが冷静な声が響いた。
「皆、足手まといは撤退するわよ!シャロン、ディータ様!待ってるからね!」
彼女は、悔しげな表情ながら顔を上げて、僕達を促し、残る2人に声をかけ、そして走り出す。サイモンとジェイムズも彼女について、踵を返した。
「どうかご無事で」
僕も2人に軽く頭を下げると、皆を追って走り出す。
「ああ、気をつけてな」
いつもと変わらないディータ先輩の声が、僕達の背中を押した。
僕の眦から、涙が零れた。
演習の集合場所には、次々と他のグループの生徒達が集まってきた。先生方も半数はここにいて、戻ってきた生徒の安全確認と、あちこちへの連絡をしている。
残りの半数の先生方は、ディータ先輩達の応援に向かって行った。
そして、王都からは軍の魔獣討伐部隊も向かっているという。
「殿下。ご無事で安心いたしました」
そう言って真っ先に声をかけてきたのは、僕の近衛だった。彼らは、ここで待機していたらしい。
「僕は問題ない。でも、先輩方が2人、僕達を逃がすために残ったんだ」
「そうですか。それは……」
彼らの言葉が後を続けられないのは、2人の生命が失われるかもしれないと思っているからだ。
僕は、森を振り返る。
僕達はおよそ8,000デールを身体強化して走ってきた。ここからは、魔獣の様子も2人の様子も何もわからない。
魔力の波動が、僅かに感じられる程度だ。
あれは、先輩方の魔力だろうか?それとも駆けつけた先生の?魔獣の一方的な蹂躙?
目を閉じて賢明に探索するが、距離がありすぎて。
空がうっすら紫紺に染まり、もう陽が登る頃だ。焦る僕の隣に、誰かが立った。
「きっと大丈夫です、殿下。ディータ様もシャロンも、それぞれのコースではダントツに優秀な生徒です。信じて、待ちましょう」
リーゼロッテ嬢だった。伯爵令嬢ながら、僕達を叱咤激励しながら、ここまで最短を走ってきた。
彼女の横顔に、不安の色は見えない。
2人への絶対的な信頼があった。
周囲は、慌ただしく動いている。演習中だった生徒は2名を残して、全員の無事が確認された。討伐部隊も到着し、森に入っていく。
そして、朝陽が登り蒼い空が見えた頃。
「お待たせしました。皆さん無事でよかったです」
僕達の前に立った2人に、僕は膝の力が抜けて、思わず倒れかけた。すかさず近衛が支えてくれたけど、2人から視線が離せない。
きっと、シャルロット嬢の素の笑顔だったんだと思う。朝陽に照らされて、なんだか気が抜けたように微笑む彼女と、その隣でちょっと疲れた顔で笑うディータ先輩。
そして、シャルロット嬢に抱きつくリーゼロッテ嬢。
よかった……なんて、僕の台詞だ。本当に、2人が無事で良かった。
「ホント、あの状況で、良く無事に皆を連れ帰ってくれたよ。リーゼロッテ嬢、殿下、礼を言う」
ディータ先輩が、そんな風に言うから、僕はもう涙が止まらなかった。
リーゼロッテ嬢は、今度はディータ先輩の胸を叩きながら、なんだかいろいろ言っている。
そして、シャルロット嬢は僕の前に立ち、僕の顔を覗き込むと、
「ルーファス殿下?ご心配かけてすみません。ありがとうございます」
と、キレイなハンカチで僕の涙を拭いてくれた。
まるで、小さな子供にするみたいに。
僕は、ハッとなって、羞恥に顔が熱くなる。思わず、彼女から顔を背けて、ぶっきら棒に言ってしまう。
「別に!そんな心配なんてしていない」
本当に、まるで子供だ。
今思い出しても、あれは恥ずかしい。
シャルロット嬢は、困ったように笑って、「失礼しました」と下がった。
「シャルロット嬢、先生が呼んでる。多分結界のことだ。じゃあ、二人共また学校でな」
ディータ先輩がそう言って、彼女と一緒に歩いて行く。
その後姿を、僕はなんとも言えない気持ちで見送った。
事態収拾のため、学校は一週間ほど休みとなった。
結局あの魔獣は、蛇型とミミズ型がどういうわけか合わさった突然変異体で、地中を移動し、大型動物や他の魔獣をも捕食していたらしい。
その大きさに見合う攻撃ももちろんだが、地面を揺らし、幻術も使う厄介な魔獣で、先生方と討伐部隊が合同で討ち取った。
ディータ先輩とシャルロット嬢は、あの魔獣の全身を地上に引き摺り出し、まるごと結界に閉じ込めて、撤退したと言っていた。
身体の一部が地中にあれば、簡単に逃げられてしまっていただろうから、素晴らしい判断だったと、うまくおびき出したディータ先輩の力量を討伐部隊は称賛していた。
シャルロット嬢の結界も、そう大きな魔力を使わずに構成された、巨大で頑丈な結界だったらしく、先生方が揃って絶賛した。
あの場の落ち着きや、現状把握能力、そして冷静な判断とその戦闘力に、僕は、ただただ感動するばかりだった。
2人は、僕の目標になった。
それまでの僕には、兄上という、とても立派で強くて優しい、尊敬しかない人がいたけれど、兄上は僕には遠すぎて、手が届かない存在だった。
でも、学校内にいるあの2人なら、僕にもいつか届くんじゃないか?と。
そして、いつか、あのシャルロット嬢に頼りにしてもらって、彼女を守れるようになりたい。
僕はその後、勉強も剣術もとにかく必死に努力した。同じコースで学ぶディータ先輩にも剣術と魔法の腕を褒められるようになった。
違うコースで学ぶシャルロット嬢とは、頻繁に言葉は交わせなかったけれど、僕は彼女を見かける度に、声をかけた。
あの日、朝陽に照らされて微笑んだ彼女の笑顔が、ずっと忘れられない。
恐怖で凍りつく僕達を逃がそうとして、あの場で穏やかな声音ととても綺麗な笑顔で、僕達の背中を押した彼女のことも。
情けなく子供みたいに止まらない涙をそっと拭いてくれた彼女のことも。
僕は、いつか彼女を守れるくらい強くなって、彼女の隣に立つ権利が欲しい。それまで、どうか待っていて。
そして今は、僕のことを少しでもいいから、意識して、もう少し近くに置いて。
そう願って、なんとかリーゼロッテ嬢のように彼女を愛称で呼ばせてもらう程度には、親しくなって。
シャロン先輩……
学内で彼女をそう呼ぶことが出来る男は、僕だけだったから、僕は願いが叶うと思っていたんだ。
あの、成人を祝う王宮主催の舞踏会までは。
兄上が、舞踏会で新成人の令嬢を見初め、その場で婚約を願い、強引に了承させた、と聞かされて、僕はかなり驚きながら、舞踏会後に家族が集まる部屋を訪れた。
兄上はそれまで、それこそ血の滲むような努力で、王太子に相応しくあろうと勉強や魔法、剣術を磨いてきた。国や民の為に誠意を尽くして父上の補佐をしながら、兄上自身も働いている。女性との噂はこれまで全く聞いたことがないけれど、22歳になった兄上に婚約の打診が、それこそ山程来ているのも知っていた。未だ誰も選ぼうとせず、父上が頭が痛いと言ってはいたけれど、兄上はきっと、私情を殺しても、国の為に最善の女性と結婚するのだと、思っていた。
だから、こんなふうに突然、新成人の令嬢に求婚したなんて、とても信じられなかった。
「確かに、今日初めて彼女と出会ったが、見合いと同じ程度には彼女と話もした。その上で俺は彼女を妻に望んでいる。家柄的にも人柄も何も問題はないはずだ。婚約を結ぶことを認めて欲しい」
そう言って頭を下げた兄上に家族は何も言い出せず、沈黙を守っている。
しばらくして、父上が口を開いた。
「頭を上げなさい、ヴィクトール。いつもの君からしたら、とんでもなく突然の行動で、皆驚いたよ。まさか、あんな強引に令嬢の逃げ道を塞いで、会場中の貴族達に婚約を匂わせるなんて、一体何があったんだい?」
僕は舞踏会には出席していなかったから、状況は知らなかったけれど、兄上が結構な無茶をしたのは察せられた。
「以前、彼女を偶然に見かけたことがある。その時には彼女がどこの誰かはわからなかったが、探し出すつもりだった。今日、偶然彼女と会って、彼女自身に確認も取ったし、話も出来た。今は彼女に婚約者はいないが、あの美貌と評判だ。だから、誰よりも早く、俺が彼女に求婚していることを周知させたかった」
兄上は一体、どこの令嬢を見初めたんだろう。兄上の言葉になんだか嫌な予感がして、僕はじっと父上を見つめた。
「そうか。わかった。君は、今までどの縁談にも見向きもしなかったからね、やっと婚約者を決めると言うなら、反対はしないよ。ただし、ディアモンド侯爵とシャルロット嬢の了承は、君が得て来なさい。それが出来れば我が王家は、彼女を歓迎しよう」
「え!?」
僕の頭の中が一瞬真っ白になる。ディアモンド侯爵令嬢、それはシャロン先輩のことだ。思わず漏れた僕の声に被さるように、兄上が嬉しそうに言った。
「ありがとうございます」
「待って下さい、兄上!シャロン、いえディアモンド侯爵令嬢に求婚?強引にって?」
思わず僕は兄上の腕を掴んで、そう問いただしていた。
兄上は意外そうに目を瞠ったが、すぐに穏やかに笑うと、僕の手を軽く叩いて諌めるように続けた。
「舞踏会で再会した彼女とのファーストダンスパートナーを、彼女の兄君から譲ってもらって、話をしながら踊っていたら3曲続けていたんだ。彼女と婚約したいと思ったから、その場に跪いて、シャルロット嬢に婚約を願ったんだよ」
ファーストダンスから3曲続けて?跪いて求婚?そんなことすれば、シャロン先輩は兄上を断れない。
「そんな彼女に他に選択肢を与えないようなやり方……」
僕の言葉に、兄上はやや眉を下げて言った。
「明日、シャルロット嬢とは、もう一度ゆっくり話をする予定だ。無理強いをするつもりはない」
それ以上、僕は何も言えなくて。
ただ黙って俯くことしか出来なかった。
しばらくのち、シャロン先輩は正式に兄上の婚約者になった。
そして、父上の誕生祝いと併せて行われた兄上の婚約発表の舞踏会で、僕は2人が想い合っていることを知った。
それ以上あの2人を見ていたくなくて、逃げるように帝国へと留学をした僕は、その後シャロン先輩が王太子妃の間に居を移したことを姉から聞いた。
確定した失恋に、僕はいっそう勉強や鍛錬にのめり込んだ。
眠る前のひととき、こうやって彼女を思い出しては、痛む胸がまだ辛いけれど、この石は温かくて、手放すことなんて出来ないのだから、笑ってしまう。
でも、きっといつか、兄上とシャロン先輩を心から祝福できる日が来るから、その時にはこの初恋を、穏やかに弔ってあげたい。
そうして僕は、今日も眠りに落ちてゆく。




