第33話
話の進行上、一部残酷な表現が含まれます。
不快に感じられる方は、閲覧をご遠慮下さい。
「全員起きろ‼緊急事態だ!」
宿に戻ったヴィクトールが、伝達魔法を宿中に飛ばしながら、大声で叫ぶ。同時にザイディーンに残るニールセンにも、この場所に転移してくるよう伝えた。
各部屋から、慌てたように皆、飛び出してくる。護衛職は武器を抜き、手にしているのが流石だ。
「ヴィクトール?……なんだ!?何が起こった?」
シャウエンが、怪訝そうにヴィクトールを呼んだ。次の瞬間のことだった。
森の奥から、激しい魔力衝突を感じる。
それは、甚大なエネルギー同士が激しくぶつかりあったような衝撃だった。魔力感知に長けた全員が、一瞬息が詰まるような感覚。
状況が読めず、一同の視線がヴィクトールに注がれる。
ヴィクトールが叫ぶように命令した。
「シャルロットから伝言だ。すぐにこの森と街一帯から全ての一般人を退去させろ!
1人残らずだ!移動に使えるもの全部使え!急げ!ラルフ行け!」
「はっ!」
ランドルフがすぐに理解して、転移で姿を消す。行き先はギルドだ。
フェリアスも、アルバスを振り返った。
「アルバスも、ランドルフ殿と連携し、すぐに動け!事情を聞いたら僕から追って指示する」
「御意」
こちらも、すぐに姿を消した。
「レン、リン、君達は、街中の者に声を掛けて誘導するんだ。非常事態だ。急ぎ全力で街を離れろ、と。おそらく今の衝撃でスタンピードが起こる」
「承知しました!」
魔獣や動物は、自分達を脅かす大きな魔力に敏感だ。その力が森の奥でいきなり大きく膨らんでぶつかった。この広大な森に生息する魔獣や動物達が、魔力衝突の衝撃で一斉に暴走を始めたら?三方を山に囲まれているヤーミルの森で、スタンピードが押し寄せるのはこの街を中心とした南側だ。
「ヴィクトール!お待たせしました!」
ニールセンがザイディーンから到着した。
「ニール!森の北側で激しい魔力衝突をがあった。スタンピードが来る!結界を!え???」
ヴィクトールが、街を守るための結界をニールセンに頼もうと、森に意識を向けると、既に防御結界が張られていた。森を囲う山々の東西の端を結び、この街から数千デールのところを頂点にした逆三角形のようになっている。
「シャルロット嬢の防御結界ですね。さすがです!押し寄せた魔獣が広く散開しないよう張られています。頂点の部分に戦力を集中させれば、討伐も容易い。頂点部分を除いて、他を強化します」
ニールセンが素早く結界の強度を確認すると、補強するために詠唱を始めた。
フェリアスが、アルバス、ランドルフ、レン、リンに一般人の避難に目処がたったら、すぐに魔獣討伐の為に森に入るように、伝達魔法で指示をした。
そうして、シャウエンとフェリアスが、ヴィクトールに向き合う。おそらく先程から続けて感じる魔力衝突は、シャルロットが原因だろうが、状況が全く読めない。
「で、何があった?シャルロットはどうした?」
シャウエンが、ヴィクトールに尋ねた。
「シャウエン、ハーメリアを知っているか?遺跡に呼ばれて行ってみたら、例のスイレンという女が現れた。シャルロットは、ナディアと呼ばれていた。4代前か?」
ヴィクトールが、先程の女とシャルロットの会話を思い出しながら、自身もこれまでの聖女の記録を振り返りつつ、シャウエンを見た。
「4代前?ハーメリア……」
シャウエンは呟きながら、記憶を探る。と、横でフェリアスが声を上げた。
「魔女だ!シャウエン!ナディアによって消滅させられた」
「邪教の魔女か?まさか!何故?今になって?そんなはずは」
シャウエンも思い当たったのか顔を上げたが、俄かには信じられない。
ヴィクトールが情報を補足する。
「石の中で眠っていたと言っていた。理想の器に巡り合って、力も充分貯められたとも。女の首元に赤い石が嵌まり込んでいた」
「なんだって!?まずい!シャルロットが危ない!」
それが事実なら、シャルロット1人で相対するのは危険だ。シャウエンの表情に焦りが浮かぶ。
フェリアスも、真剣な表情で、ヴィクトールに言った。
「事情はなんとなく察した。ヴィクトール。僕をそこに連れて行ってくれ」
だが、ヴィクトールは首を縦には振らない。2人を落ち着かせるように、意識して穏やかに声をかける。
「お前達、その前に説明しろ。シャルロットのことはもちろん助けに行く。だが厳しい戦いなら尚更、勝率を上げるための情報が欲しい」
フェリアスが悔しそうに一瞬唇を噛んだが、すぐに顔を上げて、ヴィクトールを見た。そして、語りだす。
「約400年前、まだガイザール帝国建国前の戦国時代、邪神を信仰する一派がジェランダという国を興した。今のこの辺りを含む、イリスのヴァレル辺りからルディン侯爵領東端辺りまでだ。ハーメリアはジェランダの女王であり、教祖だ。ヴァレルに神殿を建て、首都にしていた。邪神信仰のために生贄と称し、人間はもちろん魔獣の命や魔力を犠牲にし、自身の糧にする禁術を使い、膨大な魔力を取り込んで、魔女と呼ばれていた。そして、当時の聖女だったナディアの魔力をも狙い、その頃彼女のいた、現在のガイザールの帝都辺りに戦争を仕掛けたんだ。彼女はまだ10歳だったが、神国も加勢し、なんとか魔女を退けた。しかし、その魔女の亡骸には、魔力の痕跡が全く残っていなかったという。死亡直後だったにも関わらず」
「何?」
ヴィクトールが胡乱げな表情で尋ねる。通常人が死亡すると、しばらくは魔力の残滓が残り、徐々に薄れていくものだ。3日も経つと完全に消え、それから埋葬されるのが一般的な葬送だ。
フェリアスは頷いて、続けた。
「魔女の魔力は膨大だったが、当時は、禁術の影響でそのようなことが起こったと推測された。でも違ったんだな。その石とやらに魂を移して癒やし、新たな依代を探していたってことか」
おそらく神国にある聖女の記録に、詳細は残っていない。聖女が10歳の頃に、国を邪教の教祖に攻められ、神国国王と共に殺害したことは残っているだろうが。詳細の殆どは、帝国建国前の亡国の歴史書に書かれていた史実だ。ジェランダ教のその後について、復活の預言なんていう記載もあった。フェリアスの考察に、ヴィクトールが納得したように息をついた。
「紅い凶星っていうのは、このことだったか。だが、そんなことが可能なのか?」
その問いには、シャウエンが答えた。
「禁術を使ったんだろう。今回退けても同じことを繰り返されたら……」
「僕に考えがある。魔法式さえ組めれば」
シャウエンの懸念に、フェリアスが応える。
ヴィクトールは、方針を決めた。メンバー全員に伝達魔法を飛ばす。
『「フェリアス、お前はここで魔法式を組んで、出来たら俺に伝達魔法を飛ばせ。タイミングを図って、アルバスに座標を送るから、一緒に転移してこい。ニール、お前はラルフに合流して、アルバスと交替だ。リンとレンと共に、スタンピードに対応しろ。シャウエンと俺はこれからシャルロットに加勢する。いいか?皆、落ち合うのはこの場所だ!死ぬなよ!」』
全員から、諾の返事が来た。シャウエンとヴィクトールが並び、魔力を抑えつつ、森の遺跡へと転移の為に詠唱する。
フェリアスが2人に言った。
「僕が行くまで、シャロンを頼む!」
「言われるまでもない」
ニヤリと不敵に笑ったヴィクトールが、視界から消えた。
遺跡のある開けた土地の手前、森が途切れる場所に、ヴィクトールとシャウエンは転移してきた。木の影に身を隠し、様子を伺う。
石造りの建造物は崩れ落ち、地面も所々抉れている。
身体強化を掛け、ヴィクトールは剣をシャウエンは槍を構える。
数百デール先で、シャルロットが、巨大な狼型魔獣3頭とハーメリアを相手に激しい戦闘を繰り広げていた。
右手に顕現させているのは細身の剣だが、鞭にも姿を変え、魔獣をかわしつつ、攻撃を加えている。左手には構成した魔法式があり、ハーメリアからの攻撃を防御していた。しかし、数に負け押されている。服も一部が裂け、腕や脚が傷つき出血の跡もあった。
「チッ!行くぞ!」
ヴィクトールが飛び出し、シャルロットの後方から飛び掛かろうとしていた魔獣の首を狙う。
ガキッッ!とあり得ない音と手応えがした。ヴィクトールは咄嗟に剣を魔法で強化する。
シャルロットが目線だけ振り返った。
「ヴィクトール!剣に魔法付与して!超高温なら……っく!」
ハーメリアが、鋭い氷の矢を数十本、2人に向けて放つ。と、同時に黒い影に呪術を混ぜてシャルロットに放った。
シャルロットは結界で二人を覆ったが、黒い影に効果はない。シャルロットの脚に影が絡みつこうと伸びてきたそのとき、シャウエンの神力を帯びた槍が、影に突き刺ささった。槍から出た力が、影を焼いていく。
同時にヴィクトールも、超高熱の火属性魔法を付与させた剣で、魔獣の頭を一つ落とした。
「貴様、神国国王か!?」
魔女の問いには答えず、シャウエンは冷たく笑った。ヴィクトールとシャウエンが魔力を開放する。
2人は、シャルロットを挟んで両脇に並び立った。
「フン!そっちも王族か」
ヴィクトールの魔力量に、ハーメリアが吐き捨てるように言った。
ハーメリア側は、彼女と魔獣2体。対するこちらは、聖女と神国国王、ザイディーンの王太子である。
戦局は一気にこちらに有利になった。
「まだ行けるか?シャルロット」
ヴィクトールが敵から目を離さずに問う。
「ええ。ヴィクトール、魔獣2体任せてもいいかしら?シャウエンと私で魔女を叩くわ」
シャルロットが淡々と言った。ヴィクトールは軽く頷く。血臭が漂ってきたが、今怪我を治してやる余裕はない。
ヴィクトールは更に伝達魔法で続けた。
『フェリアスに対魔女の秘策があるらしい。今魔法式を組んでる』
「ふふっ。ハーメリア。今度こそお前の息の根を止めてやらなければね?」
そう言うシャルロットの状態は、酷いものだ。
激しい戦闘で服は裂け、おそらく腹部にあった大きな傷は治癒させたのだろうが、出血の跡は残り、血がベッタリと服に染み込み腹に張り付いているし、手足の傷はそのままである。どこを見てもボロボロの状態であるのに、まっすぐ凛と立ち、瞳に宿る光は、全く失われていない。
シャルロットが凄絶な表情で笑う。彼女の美貌と相まって、それは酷く残酷に見えた。
「馬鹿な!こちらにこんなに戦力を割いても良いのかしら?結界は張ったようだけど、この森の魔獣には、私の力も分けてあげたのよ?」
ハーメリアの苦し紛れのような台詞を、シャルロットは一蹴する。
「ええ。知っているわ。でもお前に心配されることでは無いわね」
シャルロットはそう言って、右手に持つ、魔力で顕現させた鞭を振る。
それが合図になった。
ヴィクトールは、黒銀に輝き普通より3倍程大きな魔獣に向かい、魔法付与した剣を突き出す。2頭は、素早く躱しながらも、連携を取って、ヴィクトールに向かってきた。
だが、遅れを取るヴィクトールではない。確実に2頭を追い込んでいく。
そして、魔女ハーメリアは、シャルロットとシャウエンの攻撃を、結界や攻撃魔法をぶつけて躱す。シャルロットとハーメリアの魔力が激しくぶつかり合い、空気が揺れた。だが、シャウエンの魔法付与した槍で来る物理攻撃は防ぎきれず、徐々に追い込まれていく。
ヴィクトールが魔獣2頭を屑ったのと、シャウエンの槍がハーメリアの腹を突き刺し、地面に縫い止めたのは同時だった。
ヴィクトールが、アルバスに伝達魔法を飛ばす。
「残念だわ。もうちょっとだったのだけれど……タイミングが悪かったわね」
地面に縫い付けられながらも、ハーメリアの表情に焦りはない。笑ってさえ見える美しい顔には、余裕がある。声にもゆらぎはなかった。
シャルロットは、そんな彼女を無言で見下ろす。
「もう10年早ければ、まだ成長していないお前を取り込めたのに」
ハーメリアは、続けてたいして残念そうでもないように言うと、右手を上げる。すると、白く美しい指先が、ドロッと黒く染まりその形を変えていく。
「この次こそ、お前の聖女の力をいただくわ」
そう言って、ハーメリアは美しく微笑んで目を閉じた。
そして、変化は続く。まるで黒い炎のようにメラメラと揺れて、肘から肩へ、そして胸部へと。
「無理だよ。お前はここで消滅するのだから」
穏やかな声で告げられたその言葉と同時に、黒い炎に絡みついたのは、金色の蔦のような魔力。黒い炎に変化するスイレンを追いかけるように、金色の蔦が絡みついていく。
「フェル」
シャルロットが振り返る。そこには、アルバスと並び、魔法を行使したフェリアスが立っていた。彼はシャルロットの傷つき服が裂けた姿を見ると、クシャリと顔を歪めて駆け寄り、自分が着ていたローブを彼女に被せた。
「シャロン、遅くなってごめん」
「私は大丈夫よ。でも、ありがとう」
シャルロットは眉を下げて笑う。
「おい」
ヴィクトールがそんな2人に不機嫌に呼びかけて、顎で魔女が倒れていた場所を指した。
そこには、拳半分程になった黒い塊が、金の蔦でグルグルと絡め取られ、ハーメリアの首元にあった紅い石に戻れずに、コロンと転がっていた。
「その、紅い石を、壊して欲しい」
フェリアスが、ヴィクトールを見て言った。
ヴィクトールは目だけで頷くと、鞘に入れたままの剣に結界魔法を付与し、そのまま真上から石に向けて振り下ろす。石はガツッと鈍い音をたてて、砕け散った。
「じゃあ、次は本体を叩きに行かないとね?」
シャウエンがそう言って、皆を促す。フェリアスは黒い塊を拾うと、右手に握った。そして、アルバスを振り返る。
「アルバス。こっちは大丈夫だよ?シャロンもシャウエンもヴィクトールもいるから。お前は、スタンピードの抑えを手伝って」
「しかし……」
珍しく言い淀んだアルバスに、シャルロットが言った。
「フェルはちゃんと守りますよ?」
「承知しました。聖女殿、よろしくお願いします」
アルバスはそう言って丁寧に頭を下げると、転移していった。
4人は揃って、崩れた建築物に向かって歩く。
西に傾いた満月が明るく地面を照らす。夏の朝は早いが、夜が明ける気配はまだなかった。
「この地下に、かなり大きな禁術と呪術の塊があるね」
シャウエンが指し示した場所には、建物が崩壊した後の石が、積み重なっていた。当然入口らしきものは、見当たらない。
シャルロットは詠唱すると、右手を払った。
瓦礫の山が消えている。
「どこに?……ああ」
ヴィクトールが、視線をずらして納得した。瓦礫を転移で別の場所に飛ばしたのだ。そのままの形で、すこし離れた場所に山積みになっていた。
ぽっかりと空いた空間に、足を進めると、下に向かう階段が現れる。
4人は何も言わずに顔を見合わせ、頷きあった。
ヴィクトールとシャルロットが魔法で明かりを灯し、それぞれの足元に光球を先導させる。そして、シャウエンを先頭に、シャルロット、フェリアス、ヴィクトールと続き、階段を降りていく。長い階段だった。やがて、壁が現れると手前は小さな踊り場になっており、そこを先に進もうと反転すると、大きな空間が広がっていた。
シャルロットが光球の輝度を上げ、4つとも天井近くまで上げる。照らされたのは、どうやら大きな広間のようだった。
フェリアスが手に持つ塊が、ブルブルと震えて反応する。引っ張られるような感覚に、フェリアスはしっかりと塊を握り直し、その先に視線を向けた。
「あれは……」
それは、部屋の中央に置かれ、1デール程の高さの台座の上に設置された、黒い石で造られた2体の像だった。おそらく等身大で、男女が寄り添うように建てられている。
「これが、ハーメリアか?」
女性像の顔は、かつて魔女と呼ばれた女のものか?と、ヴィクトールは、シャルロットに尋ねようと、彼女を見た。
「シャルロット?どうした?」
シャルロットは目を見開いて、驚愕の表情を浮かべている。胸元のローブを握るその手先は細かく震えていた。その横で、シャウエンもまた、驚きのあまり硬直している。
ヴィクトールは2人に近付き、そして、シャルロットの頬に手を伸ばし、自分の方に強引に顔を向けさせた。
「大丈夫か?話せるか?」
フェリアスも2人の様子に、どうしたのか?と訝しげな様子だ。
「ネレデイア」
絞り出すような声で、シャルロットがやっと言葉にする。
「ああ……私達セイレーン神国の始祖。ネレデイア神だ」
シャウエンが、ゆっくりと、しかし、はっきりとそう言った。




