第31話
ザイディーンの王城に3人が戻ってきたのは、明け方。東の空がうっすらと白んで、夜明けも間近な時間だった。
早速ヴィクトールは、ディアモンド侯爵家にいるレオンハルトに伝達魔法を飛ばし、シャルロットの無事を知らせる。と、同時にニールセンとヒューイットに執務室に来るよう伝えた。二人共ディアモンド家の襲撃犯の尋問とその記録を行っていたのだ。
シャルロットは、ヴィクトールとやがてやってくる側近達の分も合わせて、茶を入れる。ランドルフはどこからか菓子折りを持ってきて、ソファセットのテーブルに並べた。
準備が出来たところで、執務室のドアがノックされ、ヒューイットとニールセンが入ってくる。二人はシャルロットの無事な姿を見て、ホッとした表情を浮かべた。
「ご苦労だったな。何かわかったか?」
全員がソファに腰掛けたところで、ヴィクトールから声をかけられ、側近達は、揃って表情を引き締めた。ニールセンが早速報告を始める。
「襲撃犯は傭兵で、にわか仕立てで雇われたようです。報酬が破格で、貴族の家を襲撃することは知らされていたようで、目的はシャルロット嬢の誘拐。不可能なら殺害とのことだったそうですが、傭兵たちを直接指揮していた男が、転移陣を渡し、誘拐に成功すれば引き渡し先から別途追加報酬が出ると言ったそうです。雇い主は素性を隠していて名前まではわからないそうですが、その男だけは雇い主と直接やり取りしていたようですね」
そして、ヒューイットがその後を引き継いだ。
「雇い主から、シャルロット嬢が傷心のあまり実家療養中で、屋敷の当主夫妻は外遊中の為不在、近衛の息子も夜間は王城勤務だから、警備が手薄になっているという情報もあったらしいですよ」
予想通り、襲撃犯達には雇い主の素性は明かされていなかったらしい。王城の情報も漏れていた。これはヴィクトール達が意図的に流したことではあるが。
「なるほどね。こっちは、その指揮していた男と、引き渡し先の人物に接触した。首謀者は、想定通りルディン侯爵だ。誘拐後の引き渡し先は、意外なことにシャルロットの知り合いで、協力者だった。シャルロットもシャウエンも実際に会うまでは全く知らなかったことだが、向こうは向こうで、偶然企みを察知して、お節介を焼いてくれたらしい。証拠の品も預かった」
「相変わらずの人脈ですね〜。ちなみにどなたか聞いても?」
「帝国の第一王子だ。腹立たしいヤツだったな」
ヒューイットが感心したようにシャルロットを見たが、その隣でヴィクトールが苦虫を噛み潰したような顔でボソッと呟いた。
シャルロットは困ったように微笑んで、ヒューイットに首を振った。この話題は、これ以上続けてはいけないらしい。
どちらにしろ首謀者は予想通りでもあったので、そう驚くことでもない。ご丁寧に証拠を揃えてくれた協力者に感謝すべきだが、ヴィクトールの前ではスルーした方が良さそうである。
それにしても、とヒューイットは2人を眺めながら、考えを巡らす。
シャルロットがヴィクトールの婚約者になってから、神国国王や皇国の皇帝、果ては帝国の王子と、ここ3ヶ月半程で王太子としての交友関係は、一気に広がった。もちろんトラブルにもしっかり巻き込まれてはいるのだが、お互い軽口を叩ける程度には、親しくしているらしい。
大陸を代表する大国の国主やその嫡子との交流は、和平や経済発展のためにも非常に重要だ。国王であるユージーンも帝国女王や公国の公主と親しくしているが、今やザイディーンは国王と王太子のお陰で、大陸平和の要となっていると言っても過言ではない。聖女であるシャルロットがこの国にもたらしてくれたものは、計り知れない。その彼女を害そうとしたルディン侯爵は、見せしめも兼ねて徹底的に潰してしまいたいところだ。
ヴィクトールは、フェリアスから持たされた音声記録の魔道具と、アルバスとルディン侯爵で交わされた契約書を出し、ニールセンの前に置いた。元傭兵という触れ込みながら、国の上級魔法師をも凌ぐ魔法の遣い手だったアルバスを、どうやらルディン侯爵は取り込みたかったようだ。愚かなことに実名で、魔力も込めてサインしてある。これで言い逃れも出来ないだろう。
ランドルフがそれを見ながら、やれやれと言った様子で言った。
「シャルロット嬢が攫われてくれたお陰で、証拠が揃ったな。ま、レオンはこっちで宥めておくが、侯爵の方はまた突撃を覚悟しとけ?ヴィクトール」
ヴィクトールはシャルロットを横目で見ると、軽く肩を竦める。ディアモンド侯爵が執務室に押しかけ、ヴィクトールに嫌味を言っていくのは、最早月に一度の恒例行事と化している。
「ああ、甘んじて受け入れるさ。ルディン侯爵家の処遇は父に委ねることになるが、今後この婚約に対して、他家から余計な口出しやシャルロットに手出しをされないよう、処罰は厳しいものになるだろう。実際、侯爵家を襲撃し、転移陣まで使って誘拐し、王太子の婚約者を他国に引き渡そうとしたんだ。証拠も揃っているしな」
ヴィクトールが、そうまとめたところで、ニールセンが魔道具と証拠の書類を持ち立ち上がる。
「この部屋の机をお借りしても?早速、証拠内容をラルフと一緒にまとめておきます。ヴィクトール、シャルロット嬢を部屋にお送りしてきては?」
側近達は、いつもそうやってシャルロットの体調を気遣ってくれている。ヴィクトールも頷いて立ち上がった。
「そうだな。助かる。じゃあ、行くかシャルロット。少し休んだほうがいい」
「ええ。あの皆さま、いろいろとありがとうございました」
シャルロットもヴィクトールと並んで立つと、頭を下げた。側近達はそんな彼女に表情を緩める。シャルロットが行方不明となり、苛立ちと怒りを隠さないヴィクトールの伝達魔法を受け取ったニールセンも、それを聞いたヒューイットも、焦るヴィクトールに付き添ったランドルフも、シャルロットの無事な帰還に心から安堵したのだった。
2人が執務室を後にすると、ヒューイットはだらりとソファに寄り掛かってため息と共に吐き出した。
「ホント無事で良かったよ。シャルロット嬢に何かあったら、マジでルディン侯爵家が血の海になってたかも〜」
「さすがに疲れたな」
シャルロットがいつも滞在している客室まで来ると、2人は扉の前で立ち止まった。朝も早く、近衛も置いてきたので、廊下に立つのは今は2人だけだ。
「本当に。フェルがあんな魔道具を持っていたなんて驚きました」
シャルロットが左手首に視線を落として、呟いた。今は外されているが、彼女が魔法を使えないなどという経験をしたのは、初めてのことだった。おそらく、フェリアスが自作した魔道具だろう。様々な分野に興味を持ち、多角的な視点で物事を考え、時にとんでもない発想で発明品を作成したりする彼は、帝国の隠された天才だ。豊富な魔力も持ってはいるが、得意属性が2つと少ないため、魔法として現出させることよりも道具に魔法付与をさせたり、物事の真理を明らかにしたりすることが得意である。為政者としては、素晴らしい資質を持っているとも言えるが、現時点では、王位に興味は無さそうだ。
「調子は大丈夫なのか?」
ヴィクトールが心配そうに、シャルロットの手首を撫でた。
「ええ。心配かけてごめんなさい」
シャルロットは顔を上げると、ヴィクトールに申し訳なさそうに微笑む。ヴィクトールは、そんな彼女の背に手を回して少し屈むと、額と額を軽く合わせて目を伏せ、しみじみと言った。
「お前の行方がわからなくなって、肝が冷えたぞ。無事で良かった」
シャルロットも、爪先立ちになり両腕をヴィクトールの背に回し抱き締めると、彼の左肩に顔を乗せた。そして、耳元に唇を寄せ、ゆっくりと言葉にする。
「ちゃんと来てくれるって思っていましたよ?ヴィクトール、ありがとうございます」
ヴィクトールは一度力を入れてシャルロットを抱き締めると、体を離し、今度は彼女の左頬を右手で覆い、唇を奪う。
無事を確認するように優しく何度か口付けると、シャルロットの頭に顎を乗せて言った。
「……だが、あの王子、気に食わない」
不貞腐れたようなヴィクトールの声に、シャルロットはクスクスと笑った。
「そうですか?あんな物言いをしていますが、フェルは本当に優秀なんです。天才って彼みたいな人のことを言うんでしょうね」
「それは認める。実際見事な手際で、一切の無駄が無かった」
悔しいことに、フェリアスの掌で転がされた気分だ。彼の思惑通りに動かされた。あれでまだ17歳だ。末恐ろしくもある。
「ヴァレルの事件の調査を、シャウエンも一緒に行うことになりましたし、諸々片付けて明後日には合流出来そうかしら?」
「そうだな」
シャルロットの婚約に横槍を入れる貴族令嬢達も、これで少しは大人しくなるだろう。あとは、シャルロットの身辺にももう少し気を配って、環境を整えてやれば、余計なことに煩わされることも無くなるだろうと思いたい。
とりあえず一段落ついた。次はイリスの事件だな、と、ヴィクトールは気持ちを切り替える。
「じゃあ、今日はゆっくり休め。午後からは、侯爵邸にも顔を出すんだろう?レオンを安心させてやってくれ。また明日、会おう」
「ええ、ヴィクトールも無理はしないでね?」
そう言いながら、ヴィクトールにサラリと回復魔法をかけて、シャルロットは部屋に入っていった。
後日ルディン侯爵は、ディアモンド侯爵家襲撃、王太子の婚約者の誘拐、他国との内通の罪で毒杯を賜った。直系の侯爵家の家族は、身分剥奪の上奉仕活動へ従事。長女のレジーナは、シャルロットへの傷害罪を追加され、結界内に拘束された上、魔力を魔道具に充填するため、強制的に放出させられる刑に処された。ルディン侯爵家は、その一族の中から、王家への忠誠心が高く、能力のある若者が選ばれ、その領地を賜り、治めていくことになったのだった。
またこの事件の後、高位貴族の令嬢たちの婚約、結婚ラッシュが続き、かつてヴィクトールの妻の座を狙っていた女性達も、やっと嫁ぎ先を決めて落ち着いたのであった。
ヴィクトールの側近で、唯一婚約者のいないランドルフにも見合い話が殺到したが、これまでヴィクトールに執心していた女性達の掌返しに慄き、忙しさを理由にひたすら逃げ回り、なんとか婚約を回避したのだった。ただ、一部で男色の噂が囁かれているのは、余談である。
一方、ディアモンド侯爵は、外遊中に今回の誘拐事件の詳細とシャルロットが囮になったことを聞き、それはそれは怒り狂ったが、妻が必死で宥め、渋々ながらもなんとか落ち着き、職務はきちんと果たすことが出来た。外遊から帰るなり、ヴィクトールの執務室に直行したが、ヴィクトールとシャルロットがまたもや揃って他国に出掛けていたため、ヒューイットがとばっちりを受ける羽目になった。もちろん彼は、粛々と侯爵の抗議を受け入れたが、しっかりと特別手当をヴィクトールに請求したのだった。




