第30話
男とシャルロットの転移先は、またもや室内だった。だがどうやら今までのような宿や、寝室ではなさそうである。貴人が身支度を整える部屋のようだった。
シャルロットは首を傾げて、男を見上げる。
「ここは?」
「すぐにわかる。とりあえず着替えと支度だ。頼んだぞ」
男が振り返り、その先にいる女性に声をかけた。
「かしこまりました。お嬢様、こちらです」
女性はそう答えると、シャルロットの手を取り、部屋の奥に彼女を案内して鏡の前の椅子に座らせる。
鏡に映った自身を見て、そういえば寝衣にガウンを羽織っただけだったことを思い出した。
男はすでに部屋にはいない。
彼はシャルロットを決して手荒には扱わず、レジーナからはシャルロットを庇っていた。魔法封じの腕輪を嵌められ、確かに防御は出来なかっただろうが、あの程度では死にはしなかったはずだ。その割に、襲撃犯はなんの戸惑いもなく殺していた。主君のもとに連れて行くとも言っていたから、ここで支度を整えて、連れて行かれるのであろう。
女性に化粧を施され、髪を整えてもらいながら、シャルロットは大きくため息をついた。
男は魔力も高く、また体格や身のこなしを見ても、相当に腕の立つ魔法騎士だろう。彼程度の人間を使っているということは、かなりの高位者だ。ここが何処かは分からないが、おそらく王族かそれに近い者がシャルロットを待っているのだろう。シャルロットが聖女であることも、知られている可能性もある。
ルディン侯爵が、他国の重鎮と交流があったという情報は聞いてはいないが、国境を接しているイリス国ならば、或いは……
と、そこまで考えたところで、シャルロットの脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。
まさか、と思ったが、その考えを否定する要素が全くない。
どちらにしろ、しばらく後に対面だ。
シャルロットはこれ以上考えることを放棄して、大人しく女性の指示に従って、差し出された白いドレスに着替えたのだった。
「やあ、待ってたよ。シャロン。そのドレスよく似合ってる。相変わらず綺麗だね!」
通された部屋は、豪奢な造りの応接間と寝室を合わせたような部屋だった。明け方も近い真夜中にも関わらず、煌びやかな明かりが灯っている。
その部屋の主は、ゆるりと笑ってシャルロットを迎えた。淡い栗色のふわっとした髪に琥珀色の瞳が笑みの形に緩む。10代後半の男性だが、母親に似た、美しく整った面立ちの中に浮かぶ人懐っこそうな表情が、彼をやや幼気に見せる。
シャルロットは苦笑した。今日、いやもう昨日か?寝る前にヴィクトールと話題にした人物である。まさしく、噂をすれば、というところか?
先程予想した人物の登場に、シャルロットは呆れたように言った。
「まったく。悪戯が過ぎるんじゃなくて?フェル。久しぶりね」
「ええっ!? 5年半ぶりだよ?なんか、こう、もっとないの?感動的な再会っぽい、抱擁とか」
帝国女王の第一子であるフェリアス王子は、大袈裟に言って、嘆いた。
最後に彼とあったのは、フェリアスがまだ12歳のときであったが、王子であるにも関わらず砕けた物言いをするのは、全く変わっていない。成長していないのか、他人を油断させる為なのか判断しづらいが、ここにシャルロットを呼んだ手際を見れば、後者だろう。
だがそれ以上に、フェリアスは5年半がまるで無かった時間のように、シャルロットと言葉を交わすことを望んでいるようだった。だから、シャルロットも昔のように彼と話す。
「はいはい。それより、ここはどこ? アイリーン様はこの事をご存知なのかしら?」
「シャロンがここにいることを?母上が? そんな訳ないじゃん。僕1ヶ月前からここイリスにいるんだよ?」
「そう、やっぱり。まさかここは?」
「そっ。ここは、ヴァレルにある高級妓楼アシャ。スイレンの部屋。事件のことは知ってる?」
いろいろと突っ込みどころ満載である。
だが、彼は昔から非常に頭の回転が早く、人の十手二十手先を読む子供だった。ボードゲームなどはシャルロットでさえ、敵わなかった。12歳の子供相手にだ。フェリアスは、いわゆる天才というのだろう。
ここは、しっかり彼から話を聞くべきだ。
「……どういうことか説明はしてくれるのかしら?」
「うん。もちろん!」
フェリアスが満面の笑みで頷いたときだった。
「シャルロット!!」
ここにいないはずのヴィクトールの声がして、シャルロットの手が引かれ、後ろから抱き締められた。
シャルロットが首だけで振り向くと、心配そうに自分を見るヴィクトールとシャウエンがいる。
「ヴィクトール?シャウエンも?」
「無事か?」
そう言って、ヴィクトールはざっとシャルロットの全身を確認するが、その服が別れたときと別の物だったことに目を眇めて、フェリアスに視線を移す。その顔は、彼を冷たく射殺しそうな表情であった。
そして、シャウエンは驚きを隠せない声で、しばらくぶりに会うフェリアスに問いかけた。
「これは、どういう状況だい?フェリアス?」
フェリアスはそんな二人を恐れる様子もなく、ヘラリと笑って言った。
「あ〜やっと揃ったね。アルバス、ほら、大丈夫だから、剣は、引いて?」
フェリアスは、彼の斜め前で剣を構えて立っている、シャルロットを連れてきた男に向かって、手を振って合図をする。アルバスと呼ばれた男は警戒は解かず、だが剣は鞘に収めた。
そしてシャルロットも、アルバスと対峙するランドルフと、フェリアスを睨みつけるヴィクトールに向かって、声をかける。
「ラルフ様も。大丈夫ですよ。この人これでも一応、ガイザール帝国の王子なので。ヴィクトールも心配かけてすみません。私は、傷一つ無く、なんともありませんよ?」
ランドルフも剣を収め、一歩引く。
「いや。無事ならそれでいい。ただ……」
ヴィクトールもここでやっとホッとしたように表情を緩めた。だが、連絡も取れずに、ここまで大人しく連れて来られたシャルロットが不思議なのだろう。
シャルロットは、左手首を上げて嵌った腕輪を見せ、アルバスを振り返る。
「この魔法封じの腕輪のせいで、連絡も取れなくて。魔力が上手く流せず、魔道具も役に立たなかったのでしょう。アルバス様、そろそろ外して頂いても?」
「すまなかった。貴女に力を使われたら、計画通りいかなかったのでな。失礼した」
アルバスはシャルロットに歩み寄ると、その腕輪を手に取り魔力を流した。カシャンと音を立てて腕輪が外れる。
同時にずっと感じていた不快感が消え、魔力が正常に流れる感覚が戻り、シャルロットの表情に安堵が戻る。
ヴィクトールは、魔法封じの腕輪など初めて目にしたが、普段息をするように魔法を使うシャルロットが、それを封じられさぞかし不安だったことを思うと、腹立ちが収まらない。不機嫌を隠さない声で、フェリアスに向かい合った。
「説明してもらおうか?」
「ん〜、そうだね〜。まず僕はガイザール帝国女王の息子で、フェリアスという。ザイディーンの王太子殿下と近衛騎士団団長殿は、はじめまして。そして、彼はアルバス。父方の従兄弟で僕の護衛騎士」
フェリアスの子供のような砕けた物言いに、ランドルフの表情は引き攣った。しかも、相手はしっかりとこちらが誰であるかは把握している様子である。
ガイザール帝国の王位は、世襲制ではなく実力主義だ。第一王子ながらも、次期王位継承者でないフェリアスは、身分的にヴィクトールより下にあたる。彼についての詳細は不明だが、それをわかった上で、今回のシャルロットの誘拐に関わり、且つヴィクトールへのこの態度。公的な場ではないとはいえ、非常識も甚だしい。
ランドルフは思わずシャルロットを見た。先程の台詞から、どうやら、元からの知り合いの様子だ。
シャルロットは苦笑して首を振る。
ヴィクトールは変わらず不機嫌に、かつぶっきらぼうに答えた。
「ヴィクトールだ。こっちは、ランドルフ」
彼も雑な物言いをして、敢えてフェリアスを咎めない。
その様子に、クスリとフェリアスは笑うと、続けた。
「1ヶ月半いや、もうすぐ2ヶ月前か。ここで起きた事件のことは、知っているよね? 僕は、両親に頼まれて、ここ1ヶ月ほどヴァレルに滞在して、この部屋で起きた怪事件について調べていたんだ。あの後、ヴァレルのスラムで似たような死体が転がっていたり、行方不明になってる人がいたり、それからザイディーンとの国境にある森林地帯で、冒険者が次々消息を断ったり、とまあ、怪しいことだらけ。しかも冒険者は、結構腕が立つパーティーもあったりでさ」
フェリアスはここで一旦言葉を切った。どうやらここは、件の一件が起こったいわゆる犯行現場らしい。
そしてこの1ヶ月で、明らかになった諸々の大小の事件は、ここを発端に起こった事件に関連しているのでは?と、彼は一同に伝えた。
「そんなわけで、調査の範囲もザイディーン国境のルディン侯爵領まで広げることになったんだけど」
と、フェリアスは、意味ありげにヴィクトールとシャルロットを見た。
「なるほど」
ヴィクトールもここで納得がいったように頷いた。
続くフェリアスの言葉が、それを裏付ける。
「まあ、そっちはそっちで怪しげなことを企んでてさ。急遽アルバスを元傭兵の協力者として、侯爵の計画に潜り込ませたってわけ。あ、証拠もバッチリだから」
つまり、今回のシャルロットの誘拐と排除を企んだルディン侯爵の計画に乗るふりをして、こっそりシャルロットを救い出してくれたらしい。しっかり証拠を揃え、シャルロット自身に相手の確認までさせた上で、だ。
「で、こっちの件も行き詰まってたし、シャロンとシャウエンが協力してくれたら助かるな〜なんて」
その上で、恩を売ってシャルロットの助力を得るつもりだったと。
「普通に知らせてくれたら良かったじゃない?フェル?」
こんな回りくどいことをしなくても、女王からの警告もあったし、ザイディーン側としてもこの事件の対応をするつもりだった。女王経由で知らせてくれれば、フェリアスと共に調査することになっただろう。
だが、フェリアスはシャルロットに微笑みかけた後で、ヴィクトールに視線を合わせると、冷えた眼差しで彼を見つめて続けた。
「でもさ、もしシャロンの婚約が不本意だったり、政治的な何かだったら、この機会にブチ壊せるじゃん? この場に王太子殿下が現れなかったら、僕は君をザイディーンには二度と帰さないつもりだったよ? 賭けには負けちゃったみたいだけどね?」
フェリアスは、今回ヴィクトールとシャルロットが婚約に至るまでの、二人の真意を全く知らなかった。シャルロットの実家であるディアモンド侯爵家には、彼女が成人を迎える直前に帝国王室から、婚約申し込みの打診もしていたのだ。娘は外国に嫁がせるつもりはありません、と丁寧なお断りの手紙が返ってきたが。
だから、これはシャルロットの気持ちを知る、いい機会だと思ったのだ。
一方、ヴィクトールは今日の騒動で、自身の能力と、シャルロットへの愛情の両方を試されたことを知る。この短時間で、手掛かりのないシャルロットがいる場所に、ヴィクトール自身が迎えに来られるか?と。当然その計算の中には、シャウエンの存在も入っていたはずだ。シャルロットから寝る前に聞いた話によれば、フェリアスは彼女が聖女であることも知っている。
だがヴィクトールは、そのことよりもフェリアスがシャルロットに想いを寄せており、彼女に親しく優しげに声をかける様が、気に食わない。しかも、ヴィクトールが来なければ、このまま彼女を奪い取るつもりだったことも許し難い。
「貴様」
低く威圧するヴィクトールの声に、フェリアスは表情を緩めると自嘲的に笑った。
「フフッ。ごめんね。でも、いろいろ、よくわかったから、もういいや。」
フェリアスはそう言って、ヴィクトールから視線を逸らして、肩を落とした。
そんな彼をじっと見ていたシャウエンが声をかける。
「まったく、人騒がせな。フェリアス、せめて私にはご相談いただければ」
だが、シャウエンをチラッと横目で見て、不貞腐れたようにフェリアスは答えた。
「え〜?だってシャウエンは、ヴィクトール殿下と仲いいじゃん? 僕は知りたかったんだよ。シャロンが本当に幸せになれるか?」
本当に、フェリアスはどこまで情報通なのか?
シャルロットはいろいろ突っ込みたいのを堪えると、話題をもとに戻す。
「もう、いいです。それより、事件のことですよね?」
すると、フェリアスもシャルロットに顔を向け、話しだした。
「そうなんだよ。何が厄介って、スイレンの行方が全くといって掴めないことなんだ。でもさ、常識的に考えて、これっておかしいよね?目撃情報の1つくらいあってもいいと思わない?」
そして悪戯っぽく笑うと、シャルロットに向かって手を差し出す。
「でさ、僕と駆け落ちしない?シャロン」
天才とは、往々にして話をすっ飛ばしがちである。案の定ヴィクトールから冷気が飛ぶ。
「作戦なら構わないけど、説明を端折りすぎよ」
シャルロットは苦笑し、アルバスも思わず口を出した。
「殿下。王太子殿下のお怒りをかえば、水の泡です」
「わかってはいても腹は立つな。別に駆け落ち相手は俺でもいいだろう?」
ヴィクトールが冷気を引っ込めずに答え、フェリアスを睥睨した。
フェリアスは差し出した手を引っ込めた。ザイディーンとイリスの国境の森を、シャルロットと二人手を取り合って愛の逃避行。フリだけでもやってみたい、と割とくだらない理由でフェリアスは思いつくまま、スイレンをおびき出す作戦を提案したのだが、もう少し粘ってみる。
相手は正体不明で、何人も殺害している。理由は分からないが、とても力のない女一人の仕業とは思えなかった。相手戦力の予測が立たない以上、危険が伴う。
「ザイディーンの王太子殿下をこっちのことで、危険に晒すわけにはいかないだろ? その点僕は、別に王位継承者ってわけじゃないし、いざとなればシャロンだけ逃がせればいい。僕だって簡単にはやられないし、彼女のことは僕の命に替えても必ず守るよ」
「いや。却下だ。この件は女王陛下からも話をもらっている。腹立たしいが、お前一人残してシャルロットが逃げられると思うか?お前に僅かでも心残りを感じるだけで、気分が悪い」
フェリアスの邪な気持ちをしっかり読まれた上に、さらにフェリアスが命を落とすことも考えに入れて却下された。ヴィクトールは予想以上に狭量だ。
「やだなあ。すごい独占欲。ねえ、アルバス? お前はどう思う?」
「恐れながら、殿下。ヴィクトール王太子殿下が適任かと」
「私も同意見だよ、フェリアス」
アルバスとシャウエンも揃ってヴィクトールの味方をした。
「ちぇっ」
不貞腐れるフェリアスに、シャルロットが安心させるように微笑んだ。
「フェル?ヴィクトールは強いですよ。私達なら、必ず無傷で、ちゃんと手掛かりを持って帰って来られるわ」
「シャロンがそう言うなら、わかったよ」
不承不承ながら納得したフェリアスが頷くと、やっと冷気がおさまった。
それまで黙って話を聞いていたランドルフが、ボソッと呟いた。
「一番若そうな嬢ちゃんが、いい年したガキ共を宥めているように見える」




