第29話
転移陣で飛ばされた先は、おそらく宿屋の一室。冒険者が利用するような簡素な部屋だ。
シャルロットの腕を掴んだままの男が、部屋で待っていたもう一人の男に向かって彼女を突き出した。
「話が違うぞ!こっちはほぼ全滅だ!屋敷の護衛に殆どやられた。この女の部屋にも凄腕の護衛が控えていたぞ!なんとか俺だけが転移してきたが、どうしてくれる!」
どうやら侯爵邸に侵入した男達は、この男の指示で動いていたらしい。
もともと部屋にいた男は、チラリと視線を投げたがそれには答えず、シャルロットの顎に左手をかけ、顔を上げさせる。シャルロットは恐れること無く、男にひたりと視線を合わせた。
年の頃は30代前半位か。短い黒髪に同色の瞳を持つ、如何にも鍛えていそうな体格のいい男だ。軍人だろうか?厳ついが整った顔立ちではある。
「ほう。この状況で落ち着いたものだ。噂通り美しい娘だな。失礼、お嬢さん」
男は、シャルロットの美貌に感心しながらも、空いていた右手で彼女の左手を取るとその手首にカチャリと腕輪を嵌める。
「!?」
シャルロットの瞳に小さな驚きが浮かぶ。魔力の流れがおかしい。乱されているようななんとも言えない不快感がある。これでは魔法式に上手く魔力を乗せることが出来ない。
「魔法を使えないよう封じさせてもらった。君は、それなりに使えそうなのでね。悪く思わないでくれ。ああ、外すためには私の力が必要だ。他人には外せない。これから少々移動するが、余計な事をされては面倒だからな」
男はシャルロットの顎から手を離すと、ニヤリと嗤う。
そこにシャルロットを連れて来た男が食って掛かった。
「おい!お前、無視するな!」
「これは、失礼」
そう言って振り返った男が、口の中で小さく詠唱する。
すると食って掛かった男が、目を見開き口をパクパクとさせながら、顔の前に両手をやり何かを必死に外そうともがき始める。その顔色は徐々に青白くなり、やがて、口から唾液を垂らしながら、糸が切れた操り人形のようにバタリと倒れた。
「何を?」
シャルロットは咄嗟に倒れた男に近寄り、手首を取る。すでに脈はなかった。
「はじめから使い捨てにするつもりでしたのね」
表情を消したシャルロットが、男を見上げた。男も少女を改めて観察する。
整いすぎた顔貌が冷淡に見える。紫色の大きな瞳が部屋の灯りを反射して揺れた。しかし、湛えているのは静かな怒りだ。
突然攫われて、連れてこられた16歳の少女とは思えないアンバランスさだ。この状況に焦りも見せず、目の前で人が殺されても、動揺すらしない。聞いていた情報とは別人のようだが、この美貌は他人ではありえない。つまり、正しくザイディーン王国王太子の婚約者なのであろう。
男は、口角を引き上げた。
「賢い者は、嫌いじゃないが、そろそろ出るぞ」
そう言って、シャルロットの右腕を掴み立たせる。
唱える詠唱は、転移魔法だ。どうやら数少ない転移可能な魔法師らしい。
シャルロットはため息をついた。
(ごめんなさい、ヴィクトール。きっと心配かけているわね)
見通しが甘かったと言わざるを得ない。転移可能な魔法師が関わっていることも、魔法封じの腕輪も。
王太子の婚約者という立場は、シャルロットが想像するよりもずっと、それを狙っていた令嬢方ひいては貴族達にとって魅力的なのだろう。
男に連れられたシャルロットの視界から、簡素な部屋と倒れた男が消えた。
「遅かったですわね?待ちくたびれましてよ」
転移先にいたのは、肉感的な美女だった。深夜にも関わらず、美しく化粧をし、派手なドレスを纏った女性だ。ヴィクトールと同年代位だろうか?艷やかな金髪を背に流している。
どうやらここもどこかの宿の一室らしい。先程の宿よりかなり豪華ではあるが。
広い部屋に大きめの寝台と、ソファセットがある。そのソファに、背を預け足を組んでゆるりと腰掛けた女性が、男に向かって蠱惑的に微笑んで言った。
男が苦笑して、シャルロットを女の前に差し出した。
「そう遅くなってはいないはずだが?こちらが例のご令嬢だ」
女はシャルロットを上から下まで舐め回すように眺めると、立ち上がり彼女の目の前にやってきた。
持っていた扇子でシャルロットの顎を上げさせると、紫色の瞳を覗き込んで馬鹿にしたように嗤う。
「まだほんの子供ではないの?確かに綺麗な顔立ちだけど、黒髪なんて地味ね?ヴィクトール殿下には不釣り合いだわ。それに貧相な体つき。これでは殿下はとても満足できないでしょう?」
シャルロットは答えない。ただ、無表情で女の台詞を聞いているだけだ。
「可愛げがないわね?貴方、何かしたの?」
女はシャルロットの顎から扇子を外し、男に視線を移すと尋ねる。
男は肩をすくめて、首を振った。
「いや。なかなかに肝が座っているお嬢さんでね。目の前で人が死んでも顔色一つ変えない」
「ふうん」
女は面白くなさそうに答えると、再びシャルロットに向き合う。
シャルロットは、黙って女を見据えている。造り物の人形のように完璧に整った顔立ちは、表情がないと怖いほど美しい。紫色の瞳は引き込まれそうなほど深い色を湛えている。
女の背筋に一瞬冷たいものが走った気がしたが、彼女のプライドがそれを無かったことにした。
「ヴィクトール殿下に相応しいのは、お前ではないわ。あの美しく気高い殿下に愛されて、将来ザイディーンで最高位の王妃になるのは私よ。お前のようなたいした魔力もない、語学だけが達者な子供ではないの。警告はしてあげたわ? 大人しくさっさと身を引いて婚約を解消すれば、こんなところにまで来ることも無かったのでしょうけど、残念ね」
愚かな、とシャルロットは思う。
そんな事の為に、こんな騒ぎを起こし、ヴィクトールの手を煩わせ、何人かの人の命を犠牲にしたのか。
自分に与えられた貴族令嬢という立場を履き違え、利権や私欲のためにその立場を利用した愚かな女。
持って生まれた地位や恵まれた魔力に奢り、他人を侮る行為が許せない。
「ルディン侯爵令嬢。貴女に貴族令嬢としての矜持はないのですか」
玲瓏な声が、初めて女に答え、その名を呼んだ。ルディン侯爵令嬢レジーナはその声に息を呑み、思わずシャルロットを凝視した。男も面白そうにシャルロットを眺める。
「ヴィクトールに愛されて、王妃の立場が欲しい? そんなくだらない理由で、このような愚かなことを」
シャルロットの言葉に、レジーナは激昂する。
「お前!生意気な!」
レジーナの周囲に怒りのあまり漏れ出た魔力が、彼女の髪を逆立てる。短く詠唱した女から、風の魔力が無数の鎌鼬となってシャルロットを切り刻もうと襲い掛かる。が、彼女に届く寸前で、それは掻き消すように霧散した。
「!?邪魔をしないで!」
レジーナが、シャルロットの斜め後方に立つ男を睨みつけた。
「このお嬢さんを傷つけられるのは、困るのでね」
男は再びシャルロットの腕を取ると、自らの側に引き寄せ、彼女の前に出る。転移といい、今のレジーナの魔法を相殺したことといい、男の魔法師としての腕は、相当なものだ。魔法だけならヴィクトールといい勝負かも知れない。
「忘れたのか?俺への報酬は、シャルロット嬢だ」
「?」
男の台詞に、シャルロットが訝しげに彼を見る。が、男は、彼女の視線を無視して続けた。
「お前が彼女にどうしても言いたいことがあるから、と連れては来たが、報酬を傷つけられるのは、契約違反だ。そもそも俺の契約相手は、お前の父親だ。その父親は、この事を知っているのか?」
レジーナは悔しげに男を見上げる。今回の件は父親がこの男と交わした契約で、彼女は一切関わるな、と言われていた。それを無理やり、父に内緒でここに連れてくるよう男に頼んだのは、彼女だ。どうせシャルロットは、二度とヴィクトールと会うことはない。ならば最後に思い知らせてやりたかった。ヴィクトール殿下の隣に立つのは自分だと。
「それなら、精々その女が二度と殿下の前に顔を出せないよう、手籠めにして辱めてやって!貴方はその女が欲しいのでしょう?」
「……侯爵令嬢があまり下品なことは言わない方が良いと思うが」
「とにかく!その女が二度と殿下の前に現れないようにして!」
レジーナは、どうしてもシャルロットを排除したいらしい。だが、この事が公になれば排除されるのはむしろレジーナの方だ。
ルディン侯爵令嬢であるレジーナは、魔法師団の上級魔法師だ。豊富な魔力を持ち、この年齢で上級魔法師となるほどの実力もあったのに、何故このような事を起こしたのだろう?
シャルロットは、例の封書の事件のことも聞いてはいたが、自らやったと悪びれることもなかったと聞いた。
今回の件も、こんなに堂々と仕掛けてきた理由がわからない。いや、彼女の父親の言う通り、ここでシャルロットとルディン侯爵令嬢が会うことがなければ、あるいは首謀者は不明のままだったかも知れないが。
「なぜ?敢えて危険なことを?」
目を眇めたシャルロットが、わからないといったふうに呟く。
レジーナは、シャルロットをギリッと睨みつけて声を荒げた。
「私、ヴィクトール殿下とお会いして、婚約者候補と言われて、もう5年になるわ!ついこの間出会ったばかりのお前なんかより、私の方がずっと長くお傍にいるの。お前さえいなくなれば、殿下は私を愛して下さる。お前は邪魔なのよ!」
恋情?それも一方的な。一方的だったからこそ、報われない想いを他人のせいにして、嫉妬したのか?
実力とプライドがあったため、自分の非や、人の気持は自由にならないことを認めず、歪んでしまった哀れな女。
シャルロットにこうして出会うことで、ルディン侯爵の目論見は崩れてしまうであろうことも、きっとどこかではわかっていたはずなのに、自分の優位性を示すためだけに、こうして彼女の前に現れた愚かな女。
シャルロットは目を伏せ、ヴィクトールを想う。今まで誰一人として特別な女性を傍に置かなかった彼が、突然婚約したことで、彼女をこんな行動に駆り立てたのか?
シャルロットがそんなふうに考えている横で、男が大きなため息をついた。
レジーナを睥睨し、冷たく告げる。
「シャルロット嬢は、俺が主君のもとに連れて帰る。その後二度とはザイディーンには帰さない。だからお前も口を噤め。気も済んだだろう?そろそろここを出たいのだが?」
疑問の形を取っているが、それは決定だった。そのまま男はシャルロットを振り返り、
「行くぞ」
という声とともに、レジーナの前から姿を消したのだった。
一方、セイレーン神国に転移してきたヴィクトールとランドルフは、シャウエンと対面していた。
真夜中にも関わらず、シャウエンはすぐにでも出られるように整えて、二人を迎えた。
「シャルロットの行方が掴めないと言ったか?追跡の魔道具を持たせたと聞いたけど?」
シャウエンの表情が厳しい。ヴィクトールは頷くと、焦りを抑えてその問いに答える。
「それが反応しない。シャルロットとの伝達魔法も無理だ。想定以上に大掛かりな襲撃と誘拐らしい」
セイレーン神国国王であるシャウエンは、魔力の他に神力も使いこなし、聖女とは特別な繋がりもあるという。記憶を取り戻した幼い聖女は、神国国王を目標にして転移してくると聞いていたからだ。追跡の魔道具が反応しない今、その繋がりに期待してヴィクトールはやってきた。
「わかった。シャルロットの気配を探ってみよう。」
シャウエンはそう言うと、ラグの上に胡座をかいて座る。目を伏せ、両手を胸の間で合わせた。
ヴィクトールとランドルフは、じっとその様子を見守る。
シャウエンの周囲に、魔力とは違った力の気配が漂っている。どの位どうしていただろう?
「みつけた」
そう呟いたシャウエンが立ち上がると、ヴィクトールとランドルフに手を伸ばす。
「このまま転移する」
3人の姿が、その場から消えた。




