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The end of Reincarnation  作者: 桜野 華
第1章
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第28話

「はあっ。はあっ……くそっ!」


 男は必死に逃げていた。

 暗い森の中を、何度も足を取られそうになりながら、身体強化魔法だけを自らにかけて、とにかく迫る追手から、必死に。

 もう、どこをどう走ったのかも、はっきりとわからない。喉に血の味がまじる感覚、大きく息を吸っても全然足りない空気。もう心臓だって苦しくて、胸が痛い。

 でも、足を止めたら待っているのは、死だ。

 それだけは、先に食われた冒険者の仲間が教えてくれた。


「嫌ですわ。そんなに慌てて逃げなくても」


 明らかに場違いな澄んだ女の声が、耳元で聞こえる。

 そして、後ろから男の腹に回された白い腕。背中にかかる人の重み。


「うっ。やめてくれ!」


 男は、振り払おうと身体を捻ったが、いや、捻ろうと足掻いたが、最早身動きが取れなかった。


「そんなに怖がられると傷つくわ」


 腹に回した腕がそっと緩まり、背中から肩までなで上げると、その女はゆっくりと男の正面に回り込んできた。男の背は冷や汗も混じってじっとりと濡れている。

 美しい女だった。

 暗闇なのに、ぼうっとそこだけが光っている。

 白い滑らかで柔らかい肌、豊満な胸、エメラルドグリーンに光る瞳。

 でもその異様は、首元に光る赤い宝石。まるで血のような深い紅に、金色の粒子がキラキラと光り、男の視線は魅入られたように外せなくなる。


「ああ。綺麗だ」


 なぜあんなにも必死で逃げていたのだろう。

 極上の女だ。

 男は、もう何も考えられない。

 ただ、女の為すがままその身体を差し出した。

 ザイディーンとイリスの国境の森で、調査依頼を受けた冒険者のパーティーが消息を断った。所持品の一部が後日発見されたが、本人達はその遺体や骨すら見つかることは無かった。






「ヴィクトール、夜は大丈夫ですよ?手薄とはいえ、この屋敷には探知結界を張っていますし、他の護衛もいます。昼間普通に執務で忙しいんですから、ちゃんと休んで下さいよ。ここだと大きめとはいえソファ位しか用意できていないし、この数日、夜間の襲撃もなかったでしょう?それに、私ちゃんと自分で対処できますよ?」


 シャルロットが実家の侯爵邸に戻って5日目の晩。

 初日は侯爵夫妻もいたのでヴィクトールがやってくることはなかったが、夫妻が外遊に出た後は、夜も更けるとこうしてシャルロットの部屋にやってきては、彼女の部屋のソファで泊まっていくのだ。

 いくらそのソファが、彼女の趣味でヴィクトールが横になっても問題ない大きさとはいえ、何日もそれでは疲れも取れないだろう。

 かと言って、ヴィクトールの来訪を使用人に知られるわけにもいかないので、他の寝室を用意することも出来ず。

 ヴィクトールの気持ちはありがたいが、夜間の襲撃もあるかどうかわからないのだ。いざとなればシャルロットでも充分迎え撃つ事は出来る。


「いや。別に休めているから、大丈夫だ。向こうにいる方がお前のことが気になってゆっくり休めないしな。それに日に一度はお前との時間を取ると決めている。遅くに悪いが、こうやって顔を見てお前と話が出来るのは、ありがたい。同じ寝台で寝るわけにはいかないから、このソファで充分だ」


 なんだか、本来の目的とは違うのでは?と思いながら、シャルロットはヴィクトールの向いの一人がけのソファに座り、ハーブティーを入れた。

 少しでも疲労回復になるようにと、効果のあるものを選んだが、ヴィクトールのことだ。回復魔法も使えるから、問題ないのかもしれない。

 ヴィクトールはそんな彼女を眺めながら、この部屋にも馴染んできたな、とふと思う。4日前に初めて訪れたシャルロットの部屋は、女性らしい落ち着いたピンクとオフホワイトをベースに整えられた部屋だ。カーテンやファブリック、ベッドリネンなどに小さな花柄が使われており、どれも趣味の良い高価なものだろうと伺える。侯爵夫人の趣味もあるのだろうが、シャルロットも大切に使っているのを見ると、王城での部屋も似たように整えさせようかとも考えた。

 が、突然、しばらく聞きそびれていたことに思い当たる。


「ところで、前から聞こうと思っていたんだが」


 茶を受け取って、そのまま口をつけたヴィクトールが一旦言葉を切った。

 シャルロットが先を促すように視線を向ける。


「帝国の女王とは、どういう知り合いなんだ?」


 舞踏会の晩に、今度話すと言っていたのを、シャルロットも思い出した。その後いろいろあって、すっかり忘れてはいたが。


「ああ、そうでしたね。すっかり話しそびれていました。

 もう、しばらく前、5、6年前位かしら?アイリーン様のご子息フェリアス殿下の呪いを解いたことがあって、その時に」


「呪い?呪術なら、女王の得意分野じゃないか?」


 女王は大陸一と言われる占術を使う。闇属性魔法が得意なのだ。系統を同じくする呪術ならば、シャルロットに頼るまでもなかったのでは?と、ヴィクトールは疑問に思う。


「通常の、というか純粋な魔力だけを使い闇属性で構成された呪術なら、そうですね。でも、そうではなかった。誰かの生命を代償に構成された呪術で、禁術に近かったんです。呪いとして発動してしまうと、とても厄介で。シャウエンのお父様エンデンに解呪を依頼され、私が解きました」


 本当に厄介だった。呪いを解くための魔法式を構成するまでに数ヶ月を要し、その間、彼の生命維持の為に、体内時間の経過をほとんど動かさないようにするための魔法も並行で使った。一方で実家にも頻繁に戻り、人形と情報のすり合わせをしていたのだ。さすがのシャルロットも魔力が底をつくのではないかと、エンデンやシャウエンに心配されたものだ。

 だが、解呪は無事にされ、今彼は生きている。シャルロットの1歳上だったから、帝国に留学したルーファスと仲良く出来ているだろうか?


「なるほど。それで女王はお前を聖女と認識しているのか」


「そうですね。さあ、ヴィクトール。そろそろ今日は休みましょう?」


 そう言って、ティーセットを片付けたシャルロットは、水差しとコップをテーブルに置くとヴィクトールに掛け物を渡す。


「ああ、ありがとう」


 ヴィクトールも素直に受け取ると、シャルロットをそっと引き寄せて、唇に触れるだけのキスをした。最近、シャルロットもこんなやり取りに慣らされているなあ、と思いつつ、まあ良いか、と受け入れている。

 ヴィクトールとのこの行為は、不快ではない。むしろ、なんとなく胸が温かくなる。

 シャルロットは薄く微笑むと、


「おやすみなさい」


 と、自分の寝台へと歩いていく。後ろからヴィクトールの静かな声が聞こえた。


「おやすみ。シャルロット、いい夢を」





 そしてその晩、襲撃者はやってきた。


「ヴィクトール?」


 寝台から身体を起こしたシャルロットが、小声でヴィクトールを呼ぶ。


「ああ、気付いたか?数が多いな。気配はたいしたことは無さそうだが、魔力を抑えているかもしれん」


 探知結界に触れた複数の気配。

 10を超えている。おそらく屋敷の護衛も察知したのであろう。

 屋敷の外へと出ていく気配がした。シャルロットの部屋の外にも数人。


「失礼します。お嬢様」


 表から声がかかった。


「王城からの護衛がいらしてくれています。こちらは大丈夫」


 ヴィクトールは魔力を抑えているため、彼らに感知出来ないのであろう。扉の傍まで行くと声をかけた。


「魔力を抑えているが、王城から転移できた。こちらは問題ない。外を頼む」


 侯爵邸の結界を感知し、王城から転移してきたほどの魔法師ならば、国王か王太子の側近であろう。護衛達に緊張が走るが、同時に安堵もした。王城側が襲撃を予測し、こちらの結界に干渉していたということだ。あるいはレオンハルトの指示かもしれないが。


「かしこまりました。ではよろしくお願いします」


 部屋の前に来ていた護衛は、律儀に頭を下げ、外に向かったのだった。


「さて、ここまでやって来た者は、意識を落して城に連行だな」


 ヴィクトールは剣を抜き、外側の窓から見えぬよう死角に入り気配を消す。


「出来れば部屋を汚したり、備品を壊さないでくださいね」


 シャルロットは暢気にそう言うと、夜着の上からガウンを羽織り、スリッパを履くと寝台に腰掛けた。

 寝台の脇のテーブルに灯された灯りが、彼女を暗闇に浮かび上がらせる。

 本当に稀有な美しさだ、とヴィクトールは思う。物言わずただそこにいるだけで、視線を集めて、離せない。彼女の美貌に慣れてはいるヴィクトールでさえ、時々ハッと息を呑むほどである。


 するとそう時間を空けることなく、突然ガシャーンという音ともに、4つのの人影が部屋に現れた。はためくカーテンの下に、割れた窓ガラスの破片が散る。

 1人が、シャルロットにを認めると素早く飛びかかるように数歩で近づき、手を伸ばす。ヴィクトールは影から飛び出すと、彼の一番近くにいた男の首の後ろを剣の柄で強かに打ちすえた。男は声を漏らし膝をつくが、意識はあるようだ。もう1人の男が剣を薙ぎ払ってきたので、ヴィクトールはその身を引いて躱す。そのまま二体一での打ち合いとなった。

 その隙にシャルロットに向かってきた男がその手を掴み、もう一人が布を取り出し、広げた。転移陣である。シャルロットは、一瞬驚いたように目を見開いたが、ヴィクトールを振り返り、頷いた。敵とやり合いながらも意識をシャルロットに向けていたヴィクトールもそれに気が付き、視線だけで頷き返す。

 そして、次の瞬間、シャルロットと彼女の腕を掴んでいた男は姿を消した。ヴィクトールは、残った3人の意識を瞬く間に落して、そのまま男達を連れ王城に転移したのだった。




「殿下!どういうことですか?」


 ヴィクトールの寝室の前で警備をしていたレオンハルトが、何故か執務室に呼ばれてみれば、目の前に居たのは、就寝中のはずのヴィクトールとランドルフだった。

 王太子の寝室は結界が張られているおり、ヴィクトールが部屋から出た様子はなかったにも関わらず、だ。


「詳細は今から説明するから、レオン、落ち着いて聞けよ?」


 ランドルフがそう言って、レオンハルトの肩をたたく。

 シャルロットが攫われたのならば、侯爵邸の護衛はレオンハルトにそれを知らせないわけにはいかない。状況がわからない彼が、報告を聞いて、余計なことをしないとは限らないのだ。

 可能ならば、全てが片付いてから伝えたかったのだが、とヴィクトールは一つ息をつくと、この事件についての詳細を説明したのだった。


「……それで、シャルロットは今どこにいるのです?」


 低く唸るような声だった。レオンハルトが必死に、怒りを抑え込んでいるのがわかる。


「予想外に遠くまで転移されたらしく、今ニールが特定しているところだ。捕えた男たちの尋問も始まっている。シャルロットを殺すつもりならば、あの場で殺していただろう。わざわざ転移陣まで持ち出したんだ。何か目的があると、シャルロットも承知して攫われた。あいつは大丈夫。俺が行くまで程度は、充分持ちこたえる」


 いや、本来なら全く問題ないし、相手を潰してくるくらいはしてしまいそうだが、その辺りはレオンハルトには明かせない。

 納得はしていないだろうが、彼女も侯爵令嬢であり、魔法師養成学校でも優秀だったのだ。レオンハルトもしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。強く握られた両手が僅かに震えている。


「承知しました、殿下。では、これから一度家に戻ってもよろしいでしょうか?家のものも心配していると思いますので。そして、くれぐれも、妹をシャルロットをよろしくお願い致します」


 そう言って、レオンハルトは頭を下げた。そして、踵を返すと、扉に向かって歩いていく。扉に手をかけ、部屋を出ようとしたその時、振り向かずにレオンハルトは言った。


「妹が傷一つでも負っていたら、我が侯爵家は、決して貴方を許さない」


 レオンハルトが出て行った扉が閉まる音が響いて、ヴィクトールとランドルフが大きく息をついた。

 その時、ニールセンからの伝達魔法が届く。


『殿下。シャルロット嬢につけた追跡の魔道具が、上手く探知できない』


 ヴィクトールとランドルフが、ハッとして視線を合わせる。


『どういうことだ?』


『おそらく、何らかの妨害が入ったか、最悪、壊されたか』


 ヴィクトールの視線が鋭くなる。

 シャルロットに、何があった?追跡の魔道具があの華奢な足首に巻かれていたのは、転移前にしかと確認している。誰かがあの足に触れたのか?

 シャルロットに顔も知らない他の男が触れる。それを想像したヴィクトールは、とてつもない不快感を感じて、思わず奥歯を噛み締めた。


『ニール。お前は男達の尋問にまわれ。何が何でも吐かせろ。俺はラルフと出る』


 ニールセンに命じたヴィクトールは、目を閉じ集中して短く詠唱した。遠距離に飛ばす、伝達魔法だ。まずは、シャルロットに。だが、位置が特定できない彼女からの反応はない。予想はしていたが、ヴィクトールに僅かな焦りが生まれる。続けて、別の者に。こちらは、すぐに応答があった。

 顔を上げたヴィクトールを見たランドルフが、執務室の扉を開き、ヴィクトールを振り返る。


「で?ヴィクトール?まずはどこに行く?」


「ああ。アテはある。先程先触れは送った。すぐに出る」


 そう言って2人は、急ぎ転移の間に移動した。


 ランドルフはヴィクトールの後ろで、彼を窺い見る。かつてないほど、今の彼は必死だ。シャルロットなら余程の事がない限り、心配はいらないだろう。それをヴィクトールもよくわかっているはずだった。だが、彼女を想う男としては、そうではないのだろう。

 本当にらしくない、と思いながらも、そんな女が出来た事を祝福してやりたいとも、ランドルフは思う。

 (嬢ちゃん、頼むから、一つも傷つかず無事でいてくれよ)

 ランドルフもシャルロットの無事を祈る。主に主人と侯爵家の為に。

 


「行くぞ、ラルフ。座標はこれだ」



示された座標は、セイレーン神国。


「はい」


 二人が転移したのは、セイレーン神国のシャルロットの部屋だった。







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