第27話
ヴィクトールとシャルロットが、神国に行っている頃。
ニールセンは、魔法師団の自身の執務室に、ルディン侯爵令嬢であるレジーナ上級魔法師を呼びつけていた。
職場には少々不向きな派手なドレスに、ローブを羽織った彼女は、ヴィクトールの側近であるニールセンの執務机の前に、すっと立つ。
そんな彼女を、自身は椅子に深く腰掛けたまま、冷たく見上げた。
「ルディン侯爵令嬢。尋ねたいことがあります」
「なんでしょう?ニールセン様」
「こちらに見覚えは?」
ニールセンが机の上に滑らせた封筒を一瞥したレジーナは、艶やかに微笑んで、全く悪びれもせずに言った。
「あら?そちらは私がディアモンド侯爵令嬢にお送りしたものですわね」
堂々とした態度で、シャルロットに曰く付きの封書を送ったと、彼女を格下に見ているということを、レジーナは隠しもしない。
ニールセンの心の中で、沸々と怒りがわくが、彼はそれを表には出さないように続けた。
「開封時に指を傷つけるような魔法式を?」
「嫌ですわ。そんな怖いお顔をなさって。ヴィクトール殿下の婚約者を名乗るのでしたら、その程度の魔法式、何ともありませんでしょう?」
どうやら、ニールセンの怒りは隠しきれていなかったらしい。
レジーナは頬に手をあて、怯えるように肩をすくめて答えた。
ニールセンの視線が、さらに鋭いものになる。
「何が言いたいのです? シャルロット嬢が傷つかないとでも?」
すると今度は馬鹿にしたような笑みをその顔に浮かべ、レジーナは嘲笑うように言った。
「こんな些細な事で、傷ついたり、泣き言を仰るようでは、とても大国の王妃は務まりませんわ。誰がヴィクトール殿下の婚約者に相応しいか、ディアモンド侯爵令嬢には、よく考えていただきたくて」
「可笑しいですね。私には、シャルロット嬢が殿下の婚約者に相応しくない、と言っているように聞こえますよ?」
「ふふっ。ただ何事にも釣り合いがとれているということは、大切だと思いますの。ニールセン様?」
「貴女なら相応しいと?」
「少なくとも、あのようなお子様よりは」
全くもって不毛な会話だ。レジーナは、まるで自分が正しいことをしてやったのだと、ニールセンに宣言しているのだ。
そんな彼女には、警告を。
「最近このような事が重なりましてね。シャルロット嬢は、少々お疲れです。しばらくご実家に戻られることになりました。今回のような事は、もう止めたほうがよろしいですよ。ヴィクトール殿下は彼女をとても大切にしております。貴女も現在の立場を無くしたくなければ、気をつけることですね」
「まあ!やはり彼女が、ヴィクトール様の婚約者というのは荷が重そうですわね。ええ、誓ってもう致しませんわ」
おとなしく婚約を解消すればね、と心の中で続けて、そう答えたレジーナは、全くニールセンの話を聞く気はないようだ。
だから、ニールセンは罠を仕掛ける。いたずら程度で済めば良いが、これ以上の事を企むなら、この機会に動くはず。
「今回の件に関しては、しばらく謹慎しておくように。王太子の婚約者にあのような物を送りつけたことについては、無罪放免と言うわけには参りません。少なくとも彼女が王城に戻るまで、貴女の出仕は許可できませんね」
レジーナは、上級魔法師である自分が、この程度の些細事で排除されるとは全く考えていない。だから余裕を持って微笑んでみせた。
王妃になった暁には、この鼻持ちならない上司に報復する機会はいくらでもある。
「ええ、わかりました。大人しく謹慎しておりますわ」
そう言って堂々と執務室を後にしたのだった。
夜、就寝前に本を読んでいたマリアンヌのもとに、侍女がやってきた。
「マリアンヌ殿下、ヴィクトール殿下がお見えです」
珍しいこともあるものだ。この時間に、兄がマリアンヌを訪ねてくるなど、数年ぶりかもしれない。
「あら?珍しい。お通しして」
「かしこまりました」
一体何用かと思ったが、特に問題があるわけでもない。マリアンヌは、ソファスペースに移動すると、別の侍女に茶の準備もあわせて依頼した。
「遅い時間に悪いな」
さして悪くも思っていない様子で、ヴィクトールが入室してくる。まだ執務中だったのだろうか?きっちりと上着まで着込んでいた。寝衣にガウンを羽織っただけのマリアンヌとは、時間の流れが違って見える。
マリアンヌは苦笑して、ヴィクトールをソファに促した。
腰を下ろしたヴィクトールに茶を勧めて、声をかける。侍女達は、すっと退室していった。
「いえ。お兄様は相変わらずお忙しそうですもの。それで、どうされましたの?」
ヴィクトールは、マリアンヌに視線を合わせると、真剣な表情で言った。
「頼みがあって来た。婚約発表後シャルロットが地味な嫌がらせを受けている」
なんですって?と口元まで言いかけて、マリアンヌは言葉を飲み込む。
ヴィクトールは、舞踏会でデビューしたてのシャルロットをいきなり婚約者に仕立て上げ、自分の側に囲い込んでおいて、家族にもなかなか会わせない。
政略的なものだと本人は言っていたが、これまで言い寄る女性達を、作り物の綺麗な笑顔で全部拒絶して、婚約話も一切拒んでいた兄が、シャルロットにみせる執着はちょっと不気味な程である。
先日の婚約発表の舞踏会でも、ルーファスにすら自覚のないヤキモチを焼いておいて、シャルロットの身辺の守護を疎かにするとは、ヴィクトールらしからぬ失態だ。
マリアンヌはやや呆れて、兄を睨んだ。
「まあ、お兄様?手を打っておりませんでしたの?」
「俺の手落ちだな。シャルロットに嫌な思いをさせた、といっても、あいつはほとんど気にも留めてなかったが」
ヴィクトールが一つため息をついて、視線を逸らした。
たとえ、シャルロットが気に留めていなくても、それはどうなのかしら?と、マリアンヌは胡乱な目つきでヴィクトールを眺める。
「それで頼みとは?」
マリアンヌの声に、ヴィクトールは表情を改めた。
「あいつが舐められて、これ以上増長させるのは避けたい。シャルロットが囮になると言うから、この機に一気に片を付けたい」
「囮に?シャルロット様が自ら?危険はありませんの?」
囮になると聞いて、マリアンヌはヒヤリとする。シャルロットは、16歳という年齢にそぐわず、落ち着いていて才色兼備な少女である。王家としても非常に好ましい人物だし、何よりこの兄がこれだけ入れ揚げているのだ。万が一シャルロットに何かあれば、一体兄は、その相手をどうするのか? シャルロットだって、そこまで突出した魔法師と言うわけではない。危険はないのだろうか?
だが、ヴィクトールは、決意をもってマリアンヌに告げる。
「あいつは絶対傷つけない。俺が守る。だからお前も協力してくれないか?」
だから、マリアンヌも腹を括った。
「何をすればよろしいんですの?」
「簡単だ。明日公爵家の茶会に誘われていただろう? そこに俺の元婚約者候補の令嬢達が、何人か呼ばれているはずだ。お前は茶会でこう言えばいい。シャルロットは最近心無い嫌がらせを受け、塞ぎがちで実家にしばらく戻るようだ、と」
マリアンヌは、成る程と頷く。彼女を囮にするなら、王城より侯爵邸の方が狙いやすいだろう。
「ディアモンド家の警備は、大丈夫ですの?」
「近々侯爵夫妻は外遊に出る。レオンも夜勤が続くな」
「私が尋ねているのは、きちんとお護り出来るか?と言うことですわ」
侯爵家の護衛の話ではない。この作戦に万全の備えが出来ているのか?という問いである。兄が優秀であることは理解しているが、シャルロットを少しでも損なうわけにはいかないのだ。
マリアンヌの言葉に、ヴィクトールは一瞬視線を泳がせると、ポツリと言う。
「……夜は俺が侯爵邸に行く」
「はあ?お兄様!まさか!」
マリアンヌは思わず立ち上がり、王女らしからぬ大声を上げた。
シャルロットの侯爵令嬢としての名誉は守られるのか? 兄は何やら不埒なコトを、まさか考えてはいないのだろうか?と、兄に対してかなり失礼な考えが浮かぶ。
「侯爵邸の警備よりは安心だろう?魔力も抑えていくしな」
だが、首を傾げたヴィクトールが、マリアンヌを見て続けた言葉に、彼女は冷静さを取り戻した。
ヴィクトールの真意を探るべく、しばらくじっと見つめていたが、やがて息を一つつくとストンと腰を下ろした。
「……条件が一つあります」
「なんだ?」
「シャルロット様とお兄様が日に一度はお食事を共にされていることは存じております。週に一度で構いません。私をそのお席に同席させて下さいませ」
「は?」
ヴィクトールが意外な事を聞いたと、目を見開く。
マリアンヌだって、未来の義姉と仲良くしたいのだ。ヴィクトールの婚約が整ったのを受け、そのうち自分にも、誰かとの婚約話が出てくるだろう。そう遠くない将来に嫁ぐ前、シャルロットと縁を結んでおきたかった。ヴィクトールとルーファスがこれだけ惹かれる少女だ。マリアンヌもきっと彼女を好きになる。
だから、兄に念を押す。
「よろしいですか?」
ヴィクトールは、なんとも言えない渋い顔をして、逡巡した後に厭々答えた。
「……一月なら」
マリアンヌはそんな兄に呆れた。
「狭量ですこと!! でもまあ、いいですわ。その機会に私、直接シャルロット様をお茶会にお誘いします」
そう言って、満足そうに微笑んだマリアンヌは、兄に協力を約束したのだった。
翌朝、ヴィクトールの執務室に側近達が集まっていた。シャルロットは実家に戻るための準備中で、不在である。
ニールセンが、昨日の封筒の一件についての顛末を報告していた。
「ルディン侯爵令嬢が?」
ランドルフが顔を上げ、ニールセンを見た。
「ええ、もうそれは自信満々に、自分が将来の王妃に相応しいと。封書を送りつけたのも教育的指導だと堂々と胸張ってましたね」
「あの女狐。前から、ヴィクトールの周りを彷徨いていたが、相手にもされていなかった割に、すごい自信だな?」
「侯爵令嬢という身分も、上級魔法師という立場も、そこそこ評判の容姿も、自分こそヴィクトールの隣に相応しいと信じてる様子ですよ。ルディン侯爵も野心家ですからねえ」
ランドルフとニールセンが、レジーナの事を評している間、何やら考え込んでいたヴィクトールが、低い声で呟いた。
「ルディン侯爵領は、イリスと国境を接していたな」
「!?」
「ヴィクトール、それは」
言い合っていた2人がハッと顔を見合わせ、ヒューイットがヴィクトールに続きを促す。
ヴィクトールは軽く首を振って答える。
「いや。確定は出来ないが、動いている因果律というのが気になってな。どちらにしろ種は蒔いた。ラルフ?」
「大丈夫だ。ディアモンド家への配置は手を打ってある。だが、本当に夜は向こうに行くのか?」
ランドルフはヴィクトールにもう一度確認する。
「魔力も抑えていくし、バレるような下手も打たない。屋敷を敢えて夜間手薄になるようにしたんだ。万が一にでもシャルロットを傷つけるわけにはいかない」
ヴィクトールの変わらない答えに、ヒューイットが言い含める。
「ヴィクトール、侯爵とレオンハルト様にバレないようにお願いしますよ? あの二人が知ったら、侯爵はきっと外遊を取り消すし、レオンハルト様も夜勤を替わりそうですからね」
ヴィクトールは、ニヤリと不敵に笑って一同を見回す。
「シャルロットが実家に戻るのは、今日の午後だ。
明後日から侯爵夫妻は2週間の外遊。レオンは明日から1週間、深夜から翌朝までの勤務で、日中は在宅になる。もし何らかの襲撃まで考えているなら、ここを狙わない手はない。シャルロットも日中は伴を連れて外出するだろうしな」
如何にも襲ってくださいと言わんばかりだが、相手にしてみれば好機になる。シャルロットの排除を考えるものが、動きやすいように罠を張ったのだ。素直に出てきてくれよ、と願いながら嗤うヴィクトールに、側近達は敵方に少々同情した。
馬車止めまでヴィクトールと並んで歩いてきたシャルロットは、彼に向き合い頭を下げる。
「では、私はしばらく実家に戻りますわね」
ヴィクトールは、そっと彼女を引き寄せて、シャルロットの耳許に口を寄せると、彼女にだけ聞こえるようにそっと囁く。
「ああ、明後日の夜に転移していく」
「ふふっ。間男みたいね」
シャルロットがクスクスと笑った。ヴィクトールはポケットからシャラリと金鎖に石が付いたものを出し、シャルロットの手に落とす。
「まったく。気をつけろよ。あとこれ、後で足首にでも巻いとけ」
「追跡用の魔道具?」
シャルロットが石を指で触れながら、ヴィクトールに小声で尋ねた。
『誘拐に備えてだな。結構高性能だぞ。ネックレスや腕輪にすると目立つから、すぐには取り上げられないようなところに着けておけ』
「ん、ありがとう」
ヴィクトールは伝達魔法で答える。彼の気遣いに素直に感謝して、シャルロットは頷いた。
そんな彼女の額に唇を落して、振り返り、声を張る。
「では、レオン。頼んだ」
「お任せ下さい。殿下」
王太子の近衛騎士隊長であり、シャルロットの優しい兄が、礼をしてヴィクトールに答えた。




