第24話
舞踏会当日、この日もシャルロットは朝から全身を磨かれ、髪の毛から足元の爪先まで美しく整えられていた。流石に今日は、ヴィクトールの婚約者として皆の前に立たなければならないので、準備を整えてくれる侍女達も気合いが入っている。
ヴィクトールから贈られたボールガウンドレスは、パールホワイトをベースに、ヴィクトールの象徴花である薔薇を、金糸で編まれた繊細なレースで覆い、ウエストの細さが強調されスカート部分はたっぷりと広がるデザインである。デコルテ部分は上品な空き具合で、華奢なシャルロットの首元にはヴィクトールの瞳の色と同じ碧色の宝石を合わせてある。このネックレスもヴィクトールから贈られたものだった。
支度が終わり、お茶を飲んで一呼吸いれていると、ノックとともにヴィクトールが入ってきた。
「……見立てどおりだな」
立ち上がって迎えたシャルロットを、ヴィクトールは何度も上から下まで眺めると、満足そうに息をついた。
贈ったドレスは、彼女の美しさを良く引き立てている。艶のある黒髪は、複雑に編み込まれて一筋顔の横に落とされているが、それすら計算されたようである。紫色に輝く大きな瞳、通った鼻筋、柔らかそうな瑞々しい唇が、白い陶器のような肌を持つ小さな顔に、絶妙なバランスで配置されている。
その極上の美少女が、自分色でコーディネートされたドレスとアクセサリーで装い、婚約者として共に立つのは、ヴィクトールを高揚させた。
「予想以上にお前に似合ってるな。綺麗だ」
そういうヴィクトールは、今日は黒のスワローテールコートに、シャルロットのドレスと共布のタイとチーフを身に着け、一部刺繍に紫色をあしらってある。
輝くような少し癖のある金髪に整った容貌、碧色を持つ怜悧な瞳、適度に鍛えられた上半身と長く伸びた脚。
ヴィクトールこそ、今日の装いが良く似合ってる。
「ふふっ。ドレスを贈ってくれて、ありがとう。ヴィクトールも、とても素敵だわ」
シャルロットは、思うままにヴィクトールを賞賛する。彼ほど美しい男性もなかなかいない。ルーファスもヴィクトールと良く似た容姿だが、持っている雰囲気がまるで違う。
ヴィクトールのその立ち姿に、彼の強さと経験を伴う自信も見て取れる。
(これは世の女性達に恨まれそうね……)
シャルロットのこの予想は、そう遠くない未来に当たることになるのだが。
そして、舞踏会会場。
今日も王城は豪華に装飾され、所々に魔法の灯りと花飾りがあしらわれている。シャルロットの采配で準備されたそれは、この日に相応しく品良く飾り立てられていた。
招待客が次々に入場してくる。国内の貴族の入場が終わると、席を設けられた外国の王族が入場し着席した。
最後にザイディーン王国の王族が揃って入場し、雛壇に並んで立った。
国王と王妃、王太子と婚約者、そして王女と第二王子の6名だ。皆美しい容姿を持ち、人目を引くが、中でも王太子とその婚約者は別格だった。
ついつい視線が引き寄せられる。特に婚約者であるシャルロットの婉然と微笑む様は、傾国と言っても差し支えない程だ。
人々が感嘆の溜息を零す中、国王であるユージーンが口を開く。
微量の魔力を乗せて響く声は、威厳のある壮年の国王の貫禄を見せるのに一役かっていた。だが元より、落ち着いた理知的な国王である。国民からの信頼も厚かった。
「皆、今日はこのように集まってくれてありがとう。此度、48回目の誕生日を迎えるにあたり、改めて国と民の為に、この身を尽くして働いていくことをここに宣誓する。
そして、この場でもう一つ、皆に知らせたいことがある。
前回の舞踏会の一件で知っている者も多いと思うが、王太子ヴィクトールが、シャルロット・ティナ・オル・ディアモンド侯爵令嬢と婚約を結ぶに至った。二人もこの国のために既に勤めている。祝ってやって欲しい」
そして、王太子であるヴィクトールがシャルロットを伴い、一歩前に出た。
「長く決めることのなかった婚約者をようやく得ることが出来、嬉しく思っている。シャルロットは、この春社交界にデビューしたばかりだが、将来の伴侶として、申し分なく私を良く助け支えてくれている。どうか皆も彼女を温かく見守って欲しい」
そう言ってヴィクトールがシャルロットを促すと、彼女は、それは美しいカーテシーを披露した。
王族の挨拶が終わると飲み物が配られ、国王の生誕と王太子の婚約を祝って乾杯され、和やかに会が始まった。
会場内の客達が、立食での料理や、魔法師団が行う催しを眺めながら、社交に勤しんでいる間、ヴィクトールとシャルロットは揃って、各国の王族に挨拶に回っていく。
シャウエンとゼルメルは良く会っているので、一言二言交わして再会を約束する。公国公主、同盟国の王族にも、当たり障りなく挨拶を交わした。
そして2人は、帝国女王と王配の前に立った。
女王アイリーンは、栗色のウエーブしたつやのある髪に金色の瞳を持つ不惑の女性で、美しさの中に艶やかも備えている。共にいる王配は、彼女が幼い頃から側に仕えていた守護騎士で、元公爵家の次男であり、その魔力は女王に劣るものの、剣術は帝国でも最強を謳った男であった。帝国の王位は、同盟国2カ国を含み最も魔力が多く魔法に長けたものが王となる実力主義で、女王アイリーンは、即位前帝国の王女であり、その力を示し女王となったのである。
ヴィクトールは、父の友人で顔見知りであるアイリーンに丁寧に頭を下げる。
「この度はお越しいただき、ありがとうございます」
アイリーンは、にこやかに微笑んで答えた。
「此度はおめでとうございます、ヴィクトール殿下、シャルロット嬢。良いご縁を結ばれましたね」
アイリーンは、闇属性魔法でも特に占術に秀でている。その女王が良縁と言ってくれたのが、ヴィクトールは嬉しかった。
「女王陛下にそう仰っていただけるとは、とても嬉しく思います。今度弟がお世話になると聞きました。どうぞよろしくお願いいたします」
ルーファスの留学もある。ヴィクトールは再度頭を下げた。
「久しぶりに教える機会を得ましたの。楽しみにしておりますわ。それにシャルロット嬢はとても素敵な方ね。今度ゆっくりとお話ししたいわ」
そんなヴィクトールに艶然と微笑んだアイリーンは、今度はシャルロットを見て意味ありげに笑う。
シャルロットは、そんなアイリーンにゆるりと微笑んだ。
「陛下光栄です。ぜひ」
挨拶が終わると、舞踏会が始まる。
ファーストダンスは、王族の家族で踊る。国王と王妃、ヴィクトールとシャルロット、王女と第二王子が組んでホールに出てきた。
音楽が始まり、3組が優雅なダンスを披露した。2曲目からは、招待客も混じりだす。ヴィクトールとシャルロットは2曲踊って、一度席に戻る。
座って、果実水で喉を潤したシャルロットが大きく息をついた。
ヴィクトールがワイン片手に、気遣わしげに声をかける。
「疲れたか?だが、流石だな。堂々としたものだ。ところで、女王と知り合いか?」
女王との最後のやり取りが気に掛かったのだろう。シャルロットは苦笑する。
「やっぱりわかっちゃたわよね。後で話すわ」
だが、ここでする話題でもないと、やんわり断った。ヴィクトールも頷いて了承する。
そこに、マリアンヌ王女が現れた。ヴィクトールの妹で今年18歳になる可憐な王女だ。
彼女は、甘えるように首を傾げて強請る。
「お兄様、次に一曲踊って?」
「ああ、シャル……」
断る理由のないヴィクトールは、頷いて立ち上がり、シャルロットに声をかけようとしたが、彼女の前に弟のルーファスが立った。
ルーファスが手を差しのべて、シャルロットを誘う。
「シャルロット嬢は僕といかがですか?」
「まあ、ルーファス殿下ぜひ」
シャルロットもにこやかに答えて、ルーファスの手を取った。
パートナーを変えた二組は、ダンスホールに揃って向う。曲が変わったところで、踊りだした。
ヴィクトールはマリアンヌと慣れたダンスを踊りつつ、周囲に気付かれぬようルーファスとシャルロットに視線を走らせた。
「気になりますの?お兄様」
「は?」
が、マリアンヌにすぐに指摘されてしまった。妹には隠せなかったらしい。
「ルーファスとシャロン様のこと」
「そんなわけでは」
ヴィクトールは、苦笑して思わず言い訳めいたセリフをこぼしてしまう。
マリアンヌは可笑しそうに笑いながら、言った。
「ふふっ。お兄様隠せてませんわよ?シャロン様のことになると別人みたいだわ。私は今のお兄様の方が、好きですけど」
「マリアンヌ。あまりからかうな」
マリアンヌの言う通り、シャルロットとルーファスが気になっている。ルーファスの想いを父から知らされ、二人は、学校でも時々一緒に過ごし、学校時代の友人が城に来れば共に茶会もしていると聞いていた。シャルロットが、ヴィクトールに好意を持ってくれていることは、その態度を見ればよくわかっているし、ルーファスにだって分別があることぐらいちゃんと理解しているはずなのに、実際に二人が仲良さそうに踊っているのを見ると、何故か面白くない。
厄介な気持ちだと思う。
「ルーファスは、シャロン様のこと、ずっと好きなんですのよ?留学前に話すことくらい、快く許して差し上げたらどうなんです?」
「お前も知っていたのか」
マリアンヌの言葉に、ヴィクトールはため息をついた。おそらく知らなかったのは、自分だけなのだろう。今更、どうしようもないが。
「ルーファスは、シャロン様がお兄様の婚約者でいる限り、気持ちを伝えることはありませんわ。自分自身よりもシャロン様の幸せを望んでいますもの。ですから、ちゃんとしてあげて下さいね。シャロン様のことも、ルーファスのことも。」
「ああ、わかってる」
そう、わかっている。
家族には、政略で決めた婚約だと思われている。いや、父はそうでないことを知っているが。
だから、シャルロットとヴィクトールが気持ちを通わせ、彼女がこの婚約その先には結婚を、幸せに感じてくれることで、ルーファスもきっと気持ちを切り替えてくれるのだろう。
だが、シャルロット自身からは確かな言葉をもらったわけでは無い。婚約者でなくなるのは、妻になるときではあるが、まだその未来を確実に掴めているわけでは、ないのだ。
複雑な事情を知らないとはいえ、妹に窘められているのも心地が悪くて、ヴィクトールは逃げ出したい気持ちになるのだった。
ルーファスは、シャルロットをエスコートしてダンスホールに立った。
成人前のため家族以外の女性と踊るのは初めてだったが、兄の婚約者であり将来の義姉ということであれば、今回のダンスも許される。シャルロットが王家に受け入れられていることのパフォーマンスにもなるだろう。
でも、ルーファスにとってそれは後付の理由で、本当はこうやってシャルロットと踊りたかったのだ。
最近、彼女と並んでも恥ずかしくない程度には背も伸びた。ダンスもマリアンヌに付き合ってもらい、教師に絶賛される程度には上達した。
先程のファーストダンスで、兄と踊るシャルロットはとても上手だったけれど、ルーファスもシャルロットを美しく踊らせてあげられると思う。
「シャロン先輩。今日はとても綺麗だ」
ルーファスは眩しそうにシャルロットを見た。兄の色は自分と同じだ。彼女にドレスを贈った兄は、自身の色を纏わせたのだろうけど、ルーファスの色でもあるシャルロットの装いに、ルーファスは心からの言葉を贈る。
「ルーファス殿下も、素敵ですよ」
シャルロットも微笑んでルーファスを見上げた。ここ暫くで、彼は背も伸び、青年らしさが混じるようになった。きっとヴィクトールと共に女性達に人気の貴公子となるだろう。
そんなルーファスが、シャルロットに言った。
「今度帝国に留学することになったんだ」
「先程伺いましたわ。女王陛下は闇属性魔法では大陸一と聞いています。きっと大きな学びが得られますね」
シャルロットは、穏やかに笑ってルーファスの背中を押す。その瞳に見える感情は、まるでマリアンヌと同じで。家族のような愛情を向けられているのだと、わかってしまう。
では、兄には? 兄に向けるシャルロットの気持ちを少しでもいいから知りたくて、ルーファスは恐る恐る尋ねる。
「シャロン先輩は、この婚約幸せ?」
「そうですね。ヴィクトールは大事にしてくれていますわ」
シャルロットは微笑みながらも目を伏せて答えた。
「そっか。じゃあ、兄上のことは好き?」
「……そうですね」
シャルロットは今度、離れて踊るヴィクトールに視線を向ける。その横顔を見たルーファスは、ツキンと響いた胸の痛みに思わず目を眇めた。
間を開けて答えたシャルロットの声に、思わず涙が滲みそうになるの懸命に耐えて、ルーファスは笑顔を作る。
「ん。良かった」
ちゃんと声が出せたかな?ルーファスは不安に思ったが、彼に視線を戻したシャルロットが、変わりなく声を掛けてくれたから、ほっとした。
「ルーファス殿下。いつ出発ですか?」
「来週の週末に。しばらくは戻らない予定なんだ」
そう、ちょっとシャルロットと離れた方がいい。もう、本当にいっぱいいっぱいだ。
ひたすらに勉強と自分を鍛えることに没頭しよう。
「そうですか。リーゼには?」
「伝えたよ。君たちの手紙を運べなくなるからね」
「ふふっ。殿下、今まで配達ありがとうございました。お茶会も楽しかったです」
シャルロットがこれまでを思い出すように笑って、ルーファスに感謝を伝えたところで曲が終わった。
2人で向かい合って礼をする。
そして、ルーファスはシャルロットの手を取ると、席までエスコートして歩き出した。
「こちらこそシャロン先輩。今までありがとう。兄上に泣かされたらいつでも言って? 飛んで帰ってきて、一発殴ってやるから」
ルーファスが戯けたようにシャルロットにそう言うと、脇から伸びた手がシャルロットの腰を抱き、攫って行く。
「そんな心配は欠片もしなくていいぞ?」
不貞腐れたようなヴィクトールの声に、ルーファスは声を上げて笑った。
「そう願ってますよ、兄上」
余裕がない兄の様子を見ると、きっとシャルロットを想っているのだろう。そして、シャルロットもヴィクトールに恋情に近い好意を持っている。
それは今、ルーファスの胸をとても痛めるけれど、兄の様子に、自分でも彼を焦らせることが出来たのだと、ちょっと自信を持ってしまったのだった。
舞踏会が終わり、最後の客を見送ったヴィクトールとシャルロットは、片付けをしている使用人を避けて、人気のないバルコニーに出ていた。
季節は夏だが、ここザイディーンの王都は、気温湿度ともに低めでそう暑くなることもない。
夜ともなれば、涼しい風が吹き抜けていく。
シャルロットがヴィクトールを振り返って、肩の力を抜き、舞踏会のホスト役としての仮面を外して、自然に笑う。
「舞踏会、無事に終わってよかったわ」
「そうだな。皆よくやってくれた、が、シャルロット、もう一度よく見せてくれ」
ヴィクトールが自分の色で装ったシャルロットをもう一度ゆっくりと眺める。彼の前で気を抜いて笑うシャルロットを、ヴィクトールはゆっくりと引き寄せた。
自分の腕の中に自然に収まる彼女が愛おしい。
ヴィクトールは、その気持ちに逆らうこと無く、シャルロットの瞳に写る自身を確認するように、そのまま近づいて唇を重ねた。
「ヴィクトール?」
ほんの数秒の啄むようなキスだった。シャルロットの瞳は変わらずヴィクトールを写している。
彼女の声は、慌てるでもなく、照れるのでもなく、どうして?と聞かれているようで、それはきっと彼女にとって初めてのコトでは無かったから。
「……聖女になってから、こうしてお前に触れた男はいたか?」
ヴィクトールは思う。10度を超える過去の生涯で、聖女は幾度恋をしたのだろう。文献として残っている記録の中での彼女は、これまでずっと伴侶を持つことは無かったけれど。
一度瞬きをしたシャルロットの紫の瞳が、記憶を辿っていく。
「……どうでしょう?……名前も、顔も、もう……」
そう言って、彼女の伏せた瞳からヴィクトールが消えた。
その瞬間、ヴィクトールの奥底から、苦しいくらいの激情が迫り上がってきた。
過去の事はもういい。どうせヴィクトールが出会うこともない、生まれてさえいない過去の話だ。それに、彼自身にも戯れの女性達との関係だってあった。今更シャルロットの過去をどうこう言える立場でもない。
だが……と、ヴィクトールはシャルロットの頤に手をかけ、顔を上げさせると、もう一度視線を合わせる。
「認めろ、シャルロット。俺が、お前にとって最後の男だ」
心を動かされたのは、シャルロットだけだ。
こんなにも気高く、毅然と立ち、圧倒的な強さを持つ、人が好きで善良な女王。
反面、弱さも脆さも抱えて、健気に短い生を繰り返し生きてきた女。
その瞳の中に、時々浮かぶ過去への追憶と慈愛。
ヴィクトールにとって、全てが愛おしい唯一人の女性。それがシャルロットだ。
「そして、俺にとってのお前は、唯一の最愛になる」
そう言ってもう一度、ヴィクトールはシャルロットの唇にその愛情を伝えたのだった。




