第21話
ザイディーン王国の東側、ガイザール帝国の同盟国であるイリスには、大陸でも有数の歓楽街ヴァレルがある。
ヴァレルの街は、街路が碁盤の目のように走るつくりになっていて、北部が高級街、中部が中級街、南部は治安も店の質も悪くスラム化している場所もある。
それぞれの街の区切りには不可視の結界があり、南北への行き来はできず、それぞれ東西に設けられた門から人々は出入りしていた。
劇場や飲食店、カジノなどの他、通りが変われば妓楼まで、ありとあらゆる遊興関連の店がそれぞれの区域に立ち並び、様々な客層が各街を行き交っている。
そして今、高級街の一角にあり、中でも一際群を抜いて評判の妓楼「アシャ」の高級娼妓の1人、スイレンの部屋には、馴染みの客が訪れていた。
スイレンは、この街で生まれ、その美貌と賢さを武器に、最高位に成り上がってきた生粋の娼妓である。明るい艶のある栗色の髪に、エメラルドに近いグリーン色の瞳、シミ一つない白い肌に整った顔立ち、豊満な胸とくびれたウエスト、ほっそりと長い脚が強調されるドレスを身に纏うと、大輪の花のような華やかさがある女性であった。
「まあ、伯爵様、ありがとうございます!」
「ふふっ。先日、大陸中を旅しながら珍しい物を売買する男から、買い取った石だよ。見てご覧、引き込まれるような紅い色だろう?君の髪にも肌にもよく似合うと思ってね」
客は40代半ばの恰幅の良い男性貴族である。事業で成功し、羽振りが良く、アシャで度々スイレンを指名出来るほどに羽振りもよかった。
スイレンは、男から贈られた石を手にとって、灯りにかざす。
光を取り込んだ石が、まるで噴き出した血のようなトロリとした紅色になり、スイレンの瞳を捕える。石に誘われるように彼女の魔力を流すと、キラキラと金色の粒が石の中で光ってみえた。
「本当に綺麗……」
うっとりと石に魅入られたスイレンに満足した男は、そのまま彼女をそっと寝台に横たえた。
翌朝、スイレンの部屋から、奇妙な男の死体が発見され、部屋の主は消えていた。
ザカリーの事件からおよそ1週間が経った朝。
シャルロットはあの後2日程実家に引き止められたものの、侯爵家の面々を納得させて王城に戻ってきた。
執務室にも顔を出し、ヒューイットの仕事を手伝い始めたが、早々に彼はシャルロットの執務能力の高さに舌を巻き、ヴィクトールの補佐に回された。ヴィクトールと意見を交わしながら仕事を補佐していると、処理速度が上がって喜ばれている。
今朝もいつもの時間に執務室に顔を出したシャルロットが、にこやかに微笑んで声をかける。
「おはようございます。ヴィクトール、皆様」
「ああ、おはようシャルロット。」「おはようございます」
「今朝は、皆様お揃いで、どうされたんですか?」
朝のこの時間は、ヴィクトールとヒューイットの2人でいることが常だが、今日はランドルフとニールセンが顔を出している。普段彼らはそれぞれの所属で勤務しているので、シャルロットは思わず尋ねたのだった。
ヴィクトールは手元の書状をヒラヒラと振って、答える。
「皇国から書状が届いてな。早い話が、皇帝が俺とお前を訪ねたいから、出来るだけ早い日程で調整してくれと」
シャルロットがそれを受け取って、サッと目を通し、呆れたようにヴィクトールに返した。
「ずいぶんと一方的ですのね? 陛下はなんておっしゃっているんですの?」
「丸投げだな。そもそも俺達への謁見希望だ」
「じゃあ、お忍びという形で、こっそり招いて、適当に要件だけ聞いて帰ってもらえばいいんじゃないですか?」
シャルロットが雑に言い捨てると、ヒューイットの慌てたような声が訴える。
「ええっ?適当って言った?皇帝相手にそれで良いんですか? しかも新皇帝になってから、初めてのご訪問ですよ〜」
「まあ、そうなんだが。十中八九、たいしたことじゃなさそうだ」
ヴィクトールがいささかうんざりとした様子で、言った。
それを見たシャルロットが、両手をパンッと合わせてニッコリと笑うと、ヴィクトールを見た。
「じゃあ、決まりですね。 ヴィクトール、転移の間から出来るだけ姿を見られずにお客様をお通しできるところは、ありますか?」
「ああ。侍従に調整させるが、いつにする?」
「面倒なので、皆様のご都合がよろしければ、今日の午後で良いのでは? さっさと終わらせてしまいましょう」
「え?ちょっと、待って?警備とか」
サクサク進む2人の話に、ランドルフが口を挟む。
「面倒って言ってるし……」
ニールセンもため息をつく。
シャルロットはそんな側近2人に心配ないというように、微笑む。
「あの人に警備なんて必要無さそうですよ。近衛が2名程立っていれば、体裁は整うのでは? 皆様もいらっしゃるんでしょう?」
「私達もですか?」
ニールセンが驚いて自分を指をさした。
「僕はここで待ってま〜す」
ヒューイットが手を上げる。
「あら?私、ヒューイット様お一人くらい守って差し上げられますわよ?」
シャルロットがヒューイットを覗きこみ、顎に人差し指を当てると首を傾げて言った。
「え?あの、でも……」
ヒューイットが慌てて胸の前で両手を振った。
「くく……あっという間に決まったな。それでいいだろう。では、そのように返事をしておく」
そんな2人のやり取りを眺めて、ヴィクトールはクツクツと笑いながら、話を終わらせた。
王城の転移の間に、約束の時刻ちょうど、ダイアンサス皇国の皇帝と皇弟は、転移してきた。
肌や髪、瞳の色合いはよく似ているのに、雰囲気は全くと言っていいほど似ていない兄弟だ。
ヴィクトールが前に出て、丁寧に礼をする。
彼の後ろでは、シャルロットと側近たちもヴィクトールに倣って頭を下げた。
「ようこそ、ザイディーン王国へ。ゼルメル皇帝陛下、ルードヴィッヒ皇弟殿下」
「ヴィクトール王太子殿下、この度はお時間をいただき感謝する。シャルロット嬢、再びお会い出来て光栄です」
皇帝ゼルメルは頭を上げるように言うと、ヴィクトールとシャルロットに親しげに声をかけた。
側近達は、表情に出さずに安堵する。
どうやら急な訪問許可にも、簡素な出迎えにも、機嫌を損ねなかったようだ。
「ザイディーンにお越しいただき、嬉しく思いますわ、陛下」
シャルロットがヴィクトールの隣に立ち、ゼルメルに答えて美しく微笑むと、その美貌に思わず息を呑んだゼルメルが、彼女を凝視する。
が、すぐに視線を下げ、シャルロットの前に立つと、彼女の手を取り指先に口づけた。
「夜のあなたも清廉とした美しさでしたが、こうして陽のあるところで改めてお会いすると更に心惹かれる華やかさをお持ちです。ぜひ今度我が国にいらして下さい。自慢の我が宮殿をご案内しましょう」
後宮への誘いとも取れるゼルメルの言葉に、ルードヴィッヒ始め側近達が凍りついた。
「私の婚約者に、妙な口説き文句はやめてもらおう、陛下」
ヴィクトールが、ゼルメルからシャルロットの手を抜き取り、肩を抱いて抱き寄せる。彼のゼルメルに向けた視線に温度がない。
シャルロットは、そんな二人の間で一つため息をつくと、肩を抱くヴィクトールの手に自分の手を重ねて、警備の近衛に聞こえぬよう、防音結界を張った。
「陛下、ここでつまらない冗談を言って彼を怒らせると、話を聞いてもらえませんわよ? ヴィクトールも。ゼルメル様は奥様が3人もいらして、常に女性に気を遣わないといけないから、普段から、こんな台詞を垂れ流してるの。気にすることはないわよ?」
「クク……ヴィクトール殿失礼した。そして、流石は聖女殿、貴女に隠し事は出来なさそうだ。いや、面目ない。美しさにあてられて、つい」
と、肩を震わせるゼルメルに、ヴィクトールも毒気を抜かれる。防音結界があるのを良いことに、口調を崩して言った。
「ったく……貴方の場合、洒落にならないからやめてくれ。こっちだ」
「覚えておこう」
笑いが収まらないゼルメルに、ヴィクトールは軽く肩を竦めると、歩き出した。
警備の騎士を外に置き、一同が部屋に入る。今度は部屋に結界を張り直し、ゼルメルとルードヴィッヒが並んで座り、向かいにヴィクトールとシャルロットが腰掛けた。
ヒューイットが茶を入れると、ランドルフやニールセンと共に、ヴィクトール達の後ろに立つ。
「……さて、ゼルメル殿。今日はどういったご用で?」
ヴィクトールが仕切り直した。
「先日の件の礼に来た。我が国の一件でのヴィクトール殿と聖女殿の協力に感謝する」
ゼルメルが表情を改めると、真摯に言う。
聖女はもちろん、神国やザイディーンの協力が得られたからこその、早期に無傷の解決だった。ザイディーンとの国境付近で起きた事件だったものの、皇国の問題に無条件で協力してもらえたのも、本当に有り難かった。
ザイディーンの王太子と婚約者である聖女の人柄も、ゼルメルにとっては、非常に好ましい。政治的な云々を抜きにしても、個人的に近しい関係を築きたいと、今日はやってきた。
さすがに先程の戯れは、ヴィクトールを怒らせてしまったようだが、聖女のとりなしにヴィクトールの態度も砕けたように思う。
「たいしたことはしていない。シャルロットの願いを聞いただけだしな」
「本当にありがとうございました。聖女様、王太子殿下。こちらはお礼の品でして、お納めいただければと」
ルードヴィッヒも感謝を伝え、用意してきた包みを出す。ダイアンサス特産の最上級織物の反物と、宝石だった。
「ほお……有り難くいただこう」
その美しさに、ヴィクトールの感嘆の声が漏れる。彼は、シャルロットの衣装や装飾品にと有り難く受け取った。
そのやり取りを満足気に眺めていたゼルメルが、ニヤリと笑い、いたずらっぽい表情を浮かべて、ヴィクトールに向き合った。
「して、ヴィクトール殿。俺から一つ提案があるのだが」
「なんでしょう?」
「先日、貴殿とそちらのランドルフ殿を見て、ぜひ一度剣を合わせてみたくなってな」
「は?」
突然の予想外の申し出に、ヴィクトールが思わず聞き返す。
シャルロットが隣で、呆れたようにこぼした。
「皇国の皇帝陛下は、お忙しいんじゃありませんの?」
「すみません。聖女様。兄がどうしても、と」
ルードヴィッヒが申し訳なさそうに謝罪し、頭を下げるのを見て、シャルロットはヴィクトールに視線を移す。すると彼は、腕を組んで考え込んでいた。思わずシャルロットが声をかける。
「ヴィクトール?」
「……いくつか条件はつけさせてもらうが、悪くないな。ゼルメル殿と全力でやるのは楽しそうだ」
しばらく思案していたヴィクトールは、顔を上げると挑戦的に笑って言った。
「え?」
側近たちから思わず疑問の声が漏れる。
「クク……やはり、面白いな。国内には相手になる者がいなくてな。久々に腕がなる」
「兄上」
ゼルメルも面白そうに笑って答えると、ルードヴィッヒが呆れたように自身の兄を嗜めた。それを気にせずヴィクトールは、ゼルメルに言った。
「どちらにしろ、後日だな。いろいろと準備もいるし」
「では、楽しみに待つとしよう。聖女殿にもぜひ我々の一戦をご覧いただきたい。なんなら、一緒にどうかな?貴女とやり合うのもいろいろと楽しそうだ」
ゼルメルは、ヴィクトールからシャルロットへと視線を移し、手合わせへと誘う。
だが、シャルロットは口元だけ笑みを浮かべると、ゼルメルを見つめて抑揚なく答えた。
「それはご遠慮いたしますわ。皇国の皇帝陛下をうっかり殺してしまうわけには参りませんもの」
一同に戦慄が走る。
恐らくシャルロットにとっては冗談でもなんでもなく、それだけの圧倒的な魔力を有しているのだ。その上で皇帝であるゼルメルに警告した。
ルードヴィッヒの背に冷や汗が流れ、ヴィクトールの側近達も声を出せずにシャルロットを凝視した。
だが、ヴィクトールはそんな彼女に臆することなく、いつものようにシャルロットの頭に手を伸ばすと、クシャリと髪をかき混ぜる。
「ま、そのくらいにしとけ。恐いぞ、お前」
と、何でも無いように言って、苦笑したのだった。
お忍びの謁見が終わると、ダイアンサス皇国の2人は、「再会を楽しみにしている」と言い残し、国へと戻っていった。
ランドルフとニールセンは、転移の間から出てそれぞれの職場に向って、並んで歩いていた。
「シャルロット嬢は、なんていうか凄い方ですね」
ニールセンがポツリと言った。ランドルフが視線だけニールセンに寄越し、肩を竦める。
「あれは、皇帝への警告だろ? 嬢ちゃんを簡単に利用出来ると思うなよっていう」
「ええ。もっとも皇帝にとってはそれは二の次で、目的はヴィクトールとの手合わせのようでしたが……」
「あの娘は、ヴィクトールをちゃんと立ててるし、我欲もない。頭もいい。ホント、理想的なお妃様になると思うぜ?」
「そうですね。本当に、出来ることなら、この先もずっと、あの2人に仕えたいと思いますよ」
ランドルフは、そんなニールセンに答えることなく、フッと笑って、彼の肩をポンと叩くと近衛部隊の方へと去っていった。
そして、ニールセンも軽く頭を振ると、魔法師団の自身の執務室へと歩き出したのだった。




