第19話
執務室に戻ったヴィクトールは、ここ数日間の執務の報告を確認し、指示していた。
ランドルフも戻り、護衛をしながら、今回の顛末を報告書に綴っている。
そこへ、神国の国王からヴィクトール宛に荷物が届いたと報せがあり、大きい包みが執務室に運び込まれた。
「うわっ!結構重いですね!」
ヒューイットが受け取り運ぼうとしたが、思ったより重量があったため、思わず大きな声が出た。
ヴィクトールが置かれたものの包み紙を捲り、中を確認する。
「あ〜なるほど」
そう言うと、一同を見回し荷物を持って、隣室へと向う。
「悪い、しばらく席を外す。ラルフはそれが書き終わったら、今日は帰っていいぞ。ヒューとニールも数日ご苦労だった。今日は早めに上がってくれ」
ヴィクトールは、振り返り際にそう言い残すと、隣室へ篭もってしまったのだった。
送られた荷物は、分厚い本が12冊。
セイレーン神国創世記に始まり、11冊に渡る聖女の生涯についての記録だった。
「とりあえずは、これからだな……」
ヴィクトールは創世記を手に取ると、ソファにだらりと腰掛けて、読み始めたのだった。
創世記と、今代から3代前までの記録をざっと読み、ヴィクトールは息をつく。侍従に頼んで茶と軽食を用意させ、自身はソファに深く凭れかかった。
窓からは夕陽が差し込んでくる。
思い浮かぶのは、シャルロットとのこれまでだ。
初めてダーマル山で出会ってから、2ヶ月弱。かなり強引に婚約を結び、学校も辞めさせて(卒業扱いにしたが)、王太子妃教育と称して城に呼び、毎日食事を共にした。そして今回は、彼女を説得してこの事件に介入し、彼女が聖女であることを知った。
思えば、かなりの暴挙である。
いつものヴィクトールなら考えられない所業に、家族や側近達もかなり驚いたことだろう。
また、我が国が宗教とは距離を置いている王家とはいえ、彼女が聖女であることに、全く思い当たらなかったのも、神国の面々を驚かせたに違いない。
最初は興味だった。かつて出会ったことのないほどの神国の強力な魔法師。だが、自身の国の侯爵令嬢であることを知ったら、どうしても手に入れたくなった。
彼女と共にいると楽しくて、話をすれば興味深くて、16歳には見合わない話し方や、博識で知識の深さが伺い知れる会話に、時間を忘れるほどだった。
とても美しい容姿を鼻に掛けることもなく、ヴィクトールの容姿にも惑わされることなく、なかなか流されてはくれないが、夜会では凛と立ち、にこやかに微笑むその横顔に何度となく見惚れた自分がいる。
そして、今回の事件をきっかけに、聖女として生きてきた彼女を知った。
これまでどことなく、上に立つものとしての矜持や、考え方をするものだと感じていたが、冷静に非情な判断を下しつつ、指示していく彼女を見て、支えてやりたいと思った。
ヴィクトールが甘やかせば、自身の前だけでは素の表情を覗かせるシャルロットを、可愛いと思った。
今のシャルロットを形成するものが、この本にあるような長い歴史を生きてきた末にあるのなら、その全てを受け入れて、守りたいと思う。
そして、神が産み出す大災害に、短い命を散らしてきた彼女を救ってやりたい。
生きることを諦めて寂しく笑い、どこか一線を引いて、一人で逝くことを覚悟しているなんて、許さない。
「ああ、どうしようもなく好きなんだな……」
ストンとヴィクトールは納得した。とっくに恋に落ちていた。
だから、彼女の隣で、彼女を守る役割は、誰にも譲りたくない。これまで聖女を支えてきた神国の王族だろうが、その役割を譲る気は無いのだ。
そして願わくば、シャルロットと共に、ずっと生きていきたい。
ヴィクトールはその望みを叶えるべく、とりあえず自分の父である国王陛下に、私的な面会を申し込んだのだった。
その日の夜9時頃、国王陛下の書斎にヴィクトールはやってきた。
「父上、お時間をとっていただき、ありがとうございます」
夕食を終え、就寝前に時間を取ってくれたのだろう。くつろいだ様子の父親に迎え入れられた。
「いや。問題ない。皇国での顛末は、報告を聞いたよ。よくやった。後で詳細を提出して欲しい。
だがまあ、今は座りなさい。何か飲むかね?」
「いえ……」
「そうか。では私は勝手にやらせてもらおう……さて、話とは聖女殿の運命や使命のことかな?」
ローテーブルを挟み、対面でそれぞれがソファに座り、国王であるユージーンは、グラスに氷を作り、蒸留酒を注ぐ。フワッとスモーキーな香りが漂った。
が、ユージーンの言葉に、ヴィクトールは思わず目を見開く。
「!?……ご存知だったんですね」
息をついて肩の力を抜いたヴィクトールが、背もたれに深く寄りかかった。
そんな息子を見ながら、ユージーンは穏やかに続ける。
「そうだね。アイリーンの占術で君達が出会うであろうことは、予想はしていたよ。君を神国継承式の代表者にしたのもそのためだ。まさか、いきなり婚約したいと言い出すとは思わなかったが。君達の婚約の後、シャルロット嬢とも話す機会があったしね」
「シャルロットと?」
父親と婚約者が、いつの間に話していたのか?ヴィクトールは訝しげに首を傾げた。
「彼女が聖女であることを知ったら、君は婚約解消を考えるんじゃないかと、シャルロット嬢は言っていた。短命であることは変えられない。自分では王妃になることは出来ないから、と」
「そんな……そんなことは、許さない!」
ヴィクトールは思わず声を上げていた。そんな息子に父親は淡々と言った。
「まだ君は若い。シャルロット嬢との婚約期間を短くし、すぐにでも結婚して、彼女が亡くなったあと、再婚することも可能だが」
「シャルロットは死なせません!」
常になく熱くなり、ユージーンを睨みあげて来る息子に、内心驚きながら彼は正した。
「君らしくないね。ヴィクトール?」
「……」
ヴィクトールは黙り込む。
「繰り返しの歴史で、彼女は国の存続を揺るがす程の大災害から人々を守ってきた。1人の力で成されるその救済は、我々の手に負えるものではない。彼女は国を救うまさしく聖女だ。聖女の力で民や我々が救われるなら、この犠牲は国王として受け入れるべきではないかな?ヴィクトール」
「良くわかっています。でも俺は……シャルロットを死なせたくないんだ」
「そうだね」
息子の気持ちはわかる。しかし、王としての判断としては、間違いだろう。
「父上、俺は……いや私は、足掻きたいと思います。彼女の運命を変えてやりたい。どうか許して欲しい」
ヴィクトールが頭を下げて懇願する。
王太子である彼が、初めて王に心から願ったことが、シャルロットのことだった。
苦しい恋を選んだものだ……と、息子に同情の気持ちもある。
ユージーンはため息をつくと、ヴィクトールに言った。
「そうか……では婚約期間に限り、それを許そう。あと4年、君なりに足掻いてみなさい。だが、期限はそこまでだ。君が27歳になる前には王位を譲る。そのときに聖女殿か新しい婚約者を迎えるのか、君達で決めなさい」
「ありがとうございます!」
顔を上げたヴィクトールに、ユージーンはもう一人の息子を思い浮かべた。
「そうか……君はシャルロット嬢をちゃんと想っているんだね。ルーファスには可哀想なことをした」
「え?」
ヴィクトールの顔をみると、全く知らなかったようである。ルーファスにしてみれば、想い人を横からかっ攫われたようなものだ。ヴィクトールが政略だけでシャルロットを婚約者にしたと思っているルーファスは、多分彼女を諦めていない。
ヴィクトールに知らせておけば、上手く采配するだろう、とユージーンは敢えてヴィクトールに伝えることにする。
兄弟揃って、聖女殿を好きになるとは……と再びため息がこぼれた。
「ルーファスは君達が出会う1年も前から、聖女殿を想っていたんだよ。彼女に堂々と想いを伝えられるようになるために、健気に頑張っていたんだ。だから、この婚約が解消されたら、ルーファスにもチャンスをあげようと思っていた。もちろん、聖女殿次第だったがね」
ヴィクトールは少し考えるように目を伏せたが、すぐに視線を上げはっきりと告げた。
「……婚約解消はありませんよ、父上。
一つ頼みがあります。宮殿外れの要人の客間を時々貸してはいただけないでしょうか?」
「ああ、もちろん構わないよ。使いたい時は声をかけてくれ」
「ありがとうございます」
礼を言って立ち上がると、ヴィクトールは部屋を後にしたのだった。
翌日の正午前、ヴィクトールは早目の昼食を用意するよう指示し、庭園の花壇の側に建つガゼボに、シャルロットを伴いやってきていた。
天気もよく、気持ち良い風が吹き抜けていく。花壇の花も美しく咲き誇り、シャルロットは表情を綻ばせた。
この後セイレーン神国を訪ねるため、外出用のドレスを着て、髪をハーフアップにした彼女は、変わらず美しい。
ヴィクトールは、リラックスしたシャルロットの様子に一瞬息を詰め見惚れたが、彼女の手を持ち上げて口づけを落とすと、椅子を引いて彼女を座らせた。
向かい側にヴィクトールも腰掛ける。
「よく休めたか?」
「ええ。ありがとう。ヴィクトールは?あの後も忙しかったんでしょう?」
「昨晩はしっかり休んだからな。問題ないさ。あ、あとはこっちでやる。下がっていい」
昼食を運んで来た給仕が、テーブルに皿を並べ終わると、ヴィクトールは彼らに下がるように言った。
そして、シャルロットを促し、2人で昼食を取る。
その間簡単に、事件の報告書を国王と宰相に提出し労われたこと、皇国からも感謝の手紙が届いたことを、シャルロットに話して聞かせた。
食事が終わると、シャルロットがお茶を入れる。
ジャスミンの香りが、ほのかに香った。
ヴィクトールは、テーブルに両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて、シャルロットを見た。
「さて、何から話したものか……」
そう言って言い淀んだヴィクトールに、シャルロットが彼をじっと見つめて、口を開いた。
「聖女と婚約のことね?」
「そうだな……昨日は日中1日かけて神国創世記と聖女の記録を読み返す羽目になったぞ? 全ては無理だったから、ここ3代前位までか?」
「そう……」
シャルロットの表情が心なしか曇り、視線が下がる。おそらくヴィクトールとの婚約解消になると思っているのだろう。曇った表情が、ヴィクトールとの婚約を解消したくない、と言っているようで、彼は少し安堵する。
「まあ、これまできちんと読んでいなかったせいもあるが……最初に言っておく。婚約解消は無いからな」
「え?でも」
シャルロットが驚いたように顔を上げ、目を瞠ってヴィクトールを見た。その視線を受け止めて、ヴィクトールが不敵に笑う。
「そして、お前のその繰り返しの運命を変えるべく、俺は足掻くことにした」
「私の?運命を変える?」
よく理解できなくて、シャルロットが反芻する。
「創造神だかなんだか知らないが、俺はお前とこれからもずっと共に在りたいと思う。だから、その方法を探そうと思う」
シャルロットが一瞬泣き出しそうに顔を歪めた。
そんなことは受け入れられない。望んではいけないことだ。
彼女は首を振り、無理に笑って見せる。
「ヴィクトール。私は充分よ。今こうして、ここに在ることに満足してる。だから……」
そんなシャルロットに、ヴィクトールは胸が痛くなった。シャルロットにこんな顔をさせるなんて、神なんて、糞食らえだ。
ヴィクトールは手を伸ばし、シャルロットの手をそっと握る。そして、尋ねた。
「最初のお前の夫、神を今も愛しているのか?」
シャルロットは、ヴィクトールの問いに目を見開いたが、やがて首を振り、ゆっくりと目を伏せる。
「……もう1000年以上昔の話よ。私はもう、よくわからないわ。だけどね、家族や友人、そしてあなた達のことは、ちゃんと好きよ。だから、いいの」
そして、諦めたように笑う。
ヴィクトールが見たいのはそんな笑顔ではないのだ。そんな胸がジリジリとして、苦しくなるような笑顔ではなく、もっと幸せそうに笑って欲しい。
だから、握った手に力を込め、シャルロットに語りかける。
「良くないな。シャルロット、俺を選べ。神ではなく、俺を好きに……いや愛してみろ」
「ヴィクトール、いったい何を?」
シャルロットがヴィクトールを見つめている。ヴィクトールも視線を逸らさず、彼女を見つめた。
「すぐじゃなくてもいい。これから俺の側で過ごして、お前がこの場所で生きていきたいとそう願ってくれるなら、俺はお前を守ってやる。神からだって、お前を奪ってやる。だから、俺を愛して、俺に執着しろ。俺の側で生きていくことに執着しろ」
「いや……だって、そんなこと許されない。私は、あなたも家族もシャウエンや友人達も、誰も失いたくない」
シャルロットが首を振って否定する。
「じゃあ!俺やシャウエンからお前を奪うのは許されるのか?お前の家族がお前を犠牲にすることを許すと思うのか?」
「それは……」
シャルロットがはっとして、言い淀んだ。
ああ、また人の気持ちを蔑ろにしてしまった。
シャルロットは、小さく震えた。心の中がぐちゃぐちゃで、良くわからなかった。
ヴィクトールは、彼女を落ち着けるようにそっと手を撫でる。
「お前は今、女王でも何でもない。王太子の婚約者だ。民を守る責任は俺のほうが大きい。そしてお前は、俺の守るべき民であり大事な婚約者だ。大災害その時まで、俺は可能な限りお前も民も守る為に動く。だから、お前も俺とともに足掻け」
「あなたと一緒に、足掻く?」
「私人としての俺の全てで、お前を愛するから……シャルロット、お前のことを可愛いと思う。守りたいと思う。お前のことが好きだ。だから、俺を選べ」
ヴィクトールの言葉に、シャルロットの心が引き上げられる。真っ直ぐな気持ちが嬉しくて、シャルロットの胸が暖かくなって、心の中の傷が癒やされていくようだった。
このまま、ヴィクトールの手を取れたなら、どんなに幸せだろう。
でも……と背筋が一瞬寒くなる。神は、それを許すだろうか?
この強くて優しい人を、傷つけたりしないだろうか?
「ごめんなさい、ヴィクトール。私はあなたやこの国の為なら、喜んでこの運命を受け入れようと思ってる。だから、今は、その気持ちには答えられない」
シャルロットは、怖かった。ヴィクトールを失うことになるかもしれないことが、怖くなったのだ。
ヴィクトールはシャルロットをじっと見つめていたが、大きく息をつくと声の調子を変えて、微笑んだ。
「そうか……だが、すぐじゃなくても良いと言ったろ?いつか、お前が俺を選ぶなら、それでいい。まあ、そんなに先のことじゃないと思うぞ?」
「ふふっ……自信家ね」
シャルロットも切り替えて、ヴィクトールに答えた。
「そうだな。お前のことはよく見てるからな……さあ、じゃあそろそろ、シャウエンのところに行くか?」
「そうね」
シャルロットは、ヴィクトールに手を取られて立ち上がると、転移用の部屋に向って歩き出した。




