第18話
物語の流れ上、一部に残酷な表現があります。不快に思われる方は、閲覧をおやめください。
冒険者による偵察があった翌日の深夜のこと。
厳戒態勢を敷いていた砦内では、突然近くに現れた強力な魔力の気配に、騒然となった。
「エドガルド様!急に物凄い魔力を感知しました!」
周囲を警戒していた中級の魔法師が、思わずといったように声を上げる。
作戦室に詰めていた、エドガルドとジェイラードも顔を上げた。
「くっ。これは!戦闘可能な者はすべて出す。各隊分かれて迎撃しろ!連携させるな!」
当然ながら、元筆頭魔法師であるエドガルドも感知し、すかさず指示を出す。強大な魔力の気配と数に、何故?と背筋が寒くなる。昨日の今日で、これだけ強力な魔法師が揃ってやってくる理由がわからない。
ジェイラードも、思案するように呟いた。
「……皇帝並?しかしその他の魔力の気配が多過ぎますね。今の皇国に転移が使え、かつ、これだけの強力で戦闘可能な魔法師がそう何人もいましたかねえ?しかも、飛び抜けて強大な魔力が一つ……」
そうだ……この魔力には覚えがある。あの前皇帝を廃してのし上がった、ゼルメルのものだ。
そのゼルメルよりも強力な魔法師に、エドガルドはふと思い立った。
「まさか?そんな!……前回の大災害と奇跡からそろそろ100年か?まさか聖女?神国も加勢しているのか?」
「可能性はありますねえ。それにしても、強大な魔力持ちが8?そして、聖女と思しき魔力が1……聖女の噂はとんと聞いていませんが、そろそろ覚醒していてもおかしくない時期です。ぜひお会いしてみたいものですねえ」
ジェイラードは、どこかうっとりと、口許には笑みさえ浮かべて、言った。
「馬鹿な!正気か?禁術の使用がバレれば我々の命は無いぞ!」
エドガルドがジェイラードに食ってかかった。
「いざとなれば転移で撤退は可能でしょうが、エドガルド殿はどれだけ連れて行けそうですか?」
ジェイラードがそんなエドガルドを横目に、落ち着いた様子で尋ねる。
「クソッ……無理だ。一帯が特殊な結界で覆われた。結界外には、術者が死ぬか転移陣が無ければ出られない」
転移の為の詠唱を唱えてみたが、座標が定められない。結界に吸収されてしまう感覚だ。これは、予め組み合わせになった転移陣しか使えない。
戦闘可能な戦力は迎撃に出したが、王族クラスの気配がいくつもあり、聖女までいる状況では、かなり厳しい状況だ。
せっかくこれまで準備してきたキメラも、これだけの戦力に一斉に攻められれば、壊滅的に打撃を受ける。それこそ、ちょっとした小国などでも、相手にならないだろう。
ここは自分とこのジェイラードだけでも連れて共に転移で撤退することも考えたが、それも不可能だった。
「転移も無理ですか。どうせ死ぬなら、一目聖女とお会いして言葉を交わしてみたいですよ。転移陣……もしかして女達に使うつもりでしょうか?」
ジェイラードの疑問にエドガルドが食いついた。
「そうか!転移陣を狙えば!女達を盾にとるぞ!」
女達の命を盾に、転移陣を奪うことが出来れば……と。既にエドガルドは正常な判断が出来ていなかった。
シャルロットの声とともに、彼女を中心に右側をザイディーン王国の2人、左側をダイアンサス皇国の3人が距離を開けて散開。身体強化し、走り出した。
数分後、砦から出てきたキメラの部隊とぶつかる。
半数が、右側のヴィクトール達のもとに向かってきた。
戦場は昨晩のような林の中ではなく、視界も良いひらけた平原である。
昨晩のような枷もなく、物理魔法結界もあり、思う存分力を振るえる。側近のランドルフとの呼吸も合い、言葉を交わさなくても、お互いの死角を補えた。キメラの再生力や、連携した攻撃も、さして問題にはならない。
集中する魔法攻撃を躱しつつ、剣に風魔法を纏わせて、一気に首を刈っていく。昨日の押され具合が嘘のようだった。
ランドルフもヴィクトールの動きを助けるように、敵の魔法を無効化し、ヴィクトールの死角からの攻撃を火炎を纏わせた大剣で、叩き切っていく。確実に首を落とすところが流石だ。
キメラ部隊も、2人に攻撃魔法や幻術なども組み合わせながら、四方から一斉に攻撃を仕掛けたりするが、結界によって防がれて効かず、歯が立たない。
戦闘を放棄し一部の逃げ出した個体も追い、彼らの方に向かってきていた敵は、15分もすると人もキメラも関係なく、全て首を落とされて、絶命していた。周囲の赤色の光点が全て消え、血臭が漂っていた。
一方、左側に向かってきた半数の部隊に、皇国の3人も向かい合っていた。
ディルハムが前に出て、両刃の長めの槍先を振り、キメラの首を狙う。が、意外と腕や足を出され、しかもかなりのスピードで再生されるため、思う程数が減らせない。
自分たちの味方を守るように敵が魔法を展開させているのもある。
「なるほどな。これがキメラか……エドガルドも愚かなことを。ジェイラードの方は喜々としてそうだが。ディルハム下がれ。俺が出る。お前は高さのある個体を頼む。ギルベルト、お前は敵の防御魔法を潰していけ。あと、空を飛ぶ個体を落としていけ。聖女のもとに一匹たりとも通すな!」
「はっ!」
ゼルメルの指示で、それぞれが位置取りを変える。ゼルメルが、ヴィクトールと同様に風魔法を剣に付与して、スピードと切れ味、切れる範囲を伸ばす。
狼型魔獣等の動きの素早い魔獣から、首を刈っていく。
更にギルベルトが落とした鳥型のキメラや、熊型のキメラをディルハムが倒した。
徐々に数を減らす赤色の光点だが、ヴィクトール達の方に逃げ出したものは、彼らが始末してくれたようだ。
「ザイディーンの王太子は、凄まじいですね。本当にあの国を相手にする前に、前皇帝を廃せて良かったです」
敵をほぼ倒し、ヴィクトール達とは反対方向に逃げ出した敵を追いながら、ギルベルトが言った。
「聖女殿も今生はザイディーンに生まれ、しかも婚約者となっていたとは。共に戦うのであればこの上なく頼りになりますが、争うことを考えると少々恐ろしくなりますな」
ディルハムも同意する。
「ふん。敵もこれほどの面子に攻められるとは、考えてもなかっただろうよ。」
ゼルメルがまた、キメラの首を落として言った。
光点の位置と残りの数を確認しながら、ギルベルトが感心したように続ける。
「聖女殿もこの広範囲での特殊結界に、位置投影。転移も無詠唱でやってのけるとは。魔力量もさることながら、魔法式の構成や展開が素晴らしく効率化されている。私にも到底理解できない。本当に素晴らしい」
「戦闘指揮も、この面子に臆することなく、素晴らしい采配です。陛下先程は申し訳ありませんでした」
ディルハムも最初が嘘のように聖女を讃え、ゼルメルに謝罪した。
「聖女殿は気にしておられないだろうよ……(しかもあれだけの美貌だ。婚約さえなければ我が正妃に欲しかった。短命だと言われてはいるが、子の1人や2人は産めただろうに)」
ゼルメルは惜しいと思いながらも、残念ながら手の出しようがない。
最後の個体の首を落とし、シャルロットに戦闘終了の知らせを送ったのだった。
シャルロットとレンが、戦闘終了した地点から、遺骸を土に還すようにして大地に埋めていく。ただの骸となったモノを骨まで潰して、土に埋めていくのだ。さして時間をかけず、血肉で濡れ骸が散在していた大地が、土埃のたつ乾いた荒野に変わっていく。
「シャルロット。外はこれで終わりか?」
ヴィクトールがシャルロットに並び声をかけた。隣にはランドルフもいる。全く疲れも見せない2人の様子に、シャルロットはヴィクトールとランドルフの戦闘力を過小評価していたかも?と反省した。
「皇国組も終わったようですし。砦内に力のある魔法師が2名。シャウエンどうかしら?」
シャルロットは頷いてヴィクトールに答えると、シャウエンに伝達魔法で尋ねる。
皇国組の倒した敵の後始末には、レンが向かった。
シャウエンは、リンと共に砦近くに向かい、魔力を抑え気配を消して、砦内を探っていた。
「外にいるキメラは全滅。内部にいるのは東側に多いな、50程だけど、人の数はそれなりにいるね。主謀者以外には戦闘員と魔法師併せて10名ほどが中にいる。気をつけてくれ。禁術が使われている魔力約30は南側の1箇所に集められているね。シャルロット黄色で頼む」
シャウエンの言葉に、シャルロットが位置投影に光点を加え、写し出す。
「わかりました……どうです?」
「うん。それでいい。砦の周囲の人間たちは無力化したから、これから中に入る」
確認したシャウエンが答え、シャルロットが指示をする。
「では、私達も合流します。砦の西からは皇国の方々とレン、そのまま南方向へ進んで、シャウエン達に合流して女性の救出と主謀者をおさえて下さい。東からはヴィクトール達と私、砦内のキメラを始末します。シャウエン、転移陣を奪われないよう気をつけて。皇国以外の皆は、魔力をおさえて侵入してください」
全員が了承の意をシャルロットに伝えると、皇国組以外は魔力をおさえて、砦に向かった。
シャルロットとヴィクトール、ランドルフは、砦の東側から内部に入っていく。途中、魔法具による対侵入者用の攻撃魔法が発動したり、敵の魔法師からの攻撃もあったが、ヴィクトールとランドルフが問題なく捌いていく。
「シャルロット大丈夫か?」
しばらく進んだところで、ヴィクトールが振り返った。
「それは私の台詞だわ、ヴィクトール。怪我はない?」
2人の後方を歩いていたシャルロットは、首を傾げて尋ねた。
「お前の結界のお陰で何ともないな。ま、俺たちの後ろから着いてこい。お前1人守りながら進むのは問題ないだろ?」
「シャルロット嬢のお陰で楽させてもらってるからな」
ランドルフも何事もないように笑いながら言った。戦闘経験もそれなりにあるのだろう。動きに全く隙がない。近衛騎士団の団長というが、前線で戦っていたと言われても、信じてしまいそうだ。
「残りのキメラ50、全て息の根を止めて痕跡を消したいわ。汚れ仕事で申し訳ないけど」
残りのキメラが出てこないところをみると、まだ戦いに使えるほどでは無いのだろう。無抵抗の者を攻撃するのは、心苦しく気が引けるが、禁術で産み出されたものを見逃す訳にはいかない。
「気にするな。お前が気に病むことはない」
シャルロットのそんな葛藤に、ヴィクトールも気が付いて、声をかける。
「ん。ありがと」
切なげに笑ったシャルロットを気にしながらも、ヴィクトールは赤の光点が集まる部屋の扉に手をかけた。
「ここだな。入るぞ。……!?これは……」
警戒しながら踏み入れた部屋には、生まれて間もない小さなキメラ達が、寄り添い固まって、精一杯こちらを威嚇していた。
少し大き目の個体が、小さな個体を守るように庇って、こちらに向き合う瞳には、怯えがみえる。
「あ……」
シャルロットの顔が一瞬歪む。唇を噛み瞳が揺れた。しかし、すぐに表情を消すと詠唱を始める。かつて国境の山で見た消滅の魔法式が描かれていく。
が、その視界が突然遮られた。
「え?」
突然のことにシャルロットの詠唱が止まる。
「必要ない。シャルロット」
ヴィクトールの左手だった。そのまま身体を回され、彼の胸に頭を押しつけられ、視界が塞がれる。そして、ヴィクトールの詠唱が小さく紡がれた。
シャルロットが詠唱を止めた魔法式は、そのまま薄くなり消失する。
と、同時に空間と風の魔力が動く。
ヴィクトールは、自身とシャルロットを覆う結界をかけると、風魔法でそこにいるキメラの首を全て刈ったのだった。血臭が辺りに漂うが、結界のお陰でシャルロットには届かない。
そしてランドルフに命じる。
「やれ。ラルフ」
「承知」
ヴィクトールの命令に短く答えたランドルフは、室内に延焼防止のための結界を張ると、火の魔法で全ての個体を焼き尽くしたのだった。
ヴィクトールの結界は、熱も異臭も防いでくれる。後には焼け焦げた跡だけが残った。
キメラ達の骨も残らなかった。
シャルロットは身体から力を抜くとヴィクトールの背に手を回した。そしてそのまま彼の胸に顔をうずめる。
「ありがとう。ヴィクトール」
ヴィクトールは何も言わず、シャルロットの頭を優しく撫でる。気にしなくていいお前はよくやった、と労われているようで、彼女の瞳に思わず涙が溢れた。
一方、皇国ゼルメル皇帝は、女性達の集まる部屋の手前で、主謀者達と対面していた。
「エドガルド。久しいな。まさかこんなところでお前と会えるとはな」
ゼルメルが皮肉げに笑いながら、エドガルドとジェイラードを睥睨する。
それに怯むことなく、エドガルドも対峙した。
「ゼルメル様。お父上を廃して手に入れた皇帝の椅子、座り心地はいかがですかな?」
「お前たちのお陰で、いらぬ苦労が多いな、エドガルド。ジェイラードも、引き際を弁えないからこういうことになる」
「私は、研究を思う存分出来て、充分満足ですがね。ところで聖女様はどちらでしょう?ぜひお会いしたいのですが、先程から気配を感じられないのですよ」
「さあな。お前たちが生きてお目にかかれることは無いんじゃないか?素直に洗いざらい吐いて、楽に死ぬことをおすすめしよう」
そう言って、ギルベルトに2人を拘束するように、と視線を送った。
が、エドガルドはニヤリと笑い、魔法具を取り出す。捕らえられた女性達を写し出す水晶球だった。
「おや。私達には人質がおりましてね。可愛い子供たちを産んでくれた女性達なのですが、見殺しになさるつもりですかね?王国出身の女性もいますが」
水晶球を掲げ、ゼルメルに見せつけるように差し出した。
「ほう?」
ゼルメルが面白そうに口角を上げる。
「転移陣と引き換えに……というのはいかがでしょう?部屋には毒が用意してあります。転移陣をいただければ、使うことは無いでしょう……!?何?消えた?」
水晶球に写っていた女性達が、突然消えてしまったのだ。焦るエドガルドにゼルメルがクツクツと笑った。
「残念だったな。そもそもお前たちに勝ち目はない。過剰戦力だったからな。見極めができない、戦闘素人だったな。元筆頭魔法師殿?」
ゼルメルの侮蔑的な言葉に、エドガルドが歯噛みする。
すると今度は、エドガルド達の後方の部屋の扉が開き、黒髪の美丈夫が現れた。
「どうやらこちらも、片付いたようですね」
その落ち着いた声色に、思わず振り返ったジェイラードが、神国独特の戦闘服を着て姿勢良く立つ青年に目を瞠った。
「まさか、神国の?室内に転移したのか?」
青年が薄く笑って答える。
「ええ、そうですよ。結界内ならば、転移は可能なのでね。女性達は、部下に安全な場所まで送らせました。
ああ、私は、先日代替わりしまして、神国国王になりましたシャウエンと申します。元皇国筆頭魔法師殿と魔獣研究者殿のお二人ですね?」
その問いには、ゼルメルが答えた。
「そうだ。シャウエン殿頼む」
シャウエンから表情が消え、温度のない視線が2人に向く。
「あなた達は少々やりすぎましたね。我が神国がお護りする聖女様の手を煩わせたこと、後悔していただきましょう」
そして、反論の余地もなく2人は幻術と精神干渉の魔法に落とされた。
シャウエンは後をゼルメル達に任せ、ヴィクトール達と合流した。
その後、エドガルドとジェイラードは、全ての悪行をゼルメルの尋ねるままに吐かされて、そのまま現実世界に意識が戻ることはなかった。
皇国筆頭魔法師のギルベルトは、シャウエンの使ったこの魔法式を理解することが出来なかったが、使われた魔法効果のえげつなさに恐れをなして、神国国王を怒らせないよう皇帝に進言したのだが、これはシャウエンの知らぬ話である。
ザイディーン王国の一行とシャウエンは、ザカリー城に戻ってきていた。リンとレンは、女性達と先に戻っていたので、今は皆揃って、応接室で軽食と茶を出され、もてなされていたところだ。
砦内での尋問と証拠隠滅に皇国の3名は残ったが、これは彼らだけで行うほうが都合が良いだろう。
ランドルフがほっと息をついて、ヴィクトールに声をかけた。
「意外と呆気なかったですね」
「そうなるようにシャルロットが采配したんだろ?」
ヴィクトールが茶を飲みながら、シャルロットに視線を投げた。
「こちら側が一切傷つかず、圧倒的に手早く解決したかったので。皇国の皇帝を探る意図もありましたが、万が一にも禁術使いを逃がすわけにはいかなかったんです。女性たちも一刻も早く解放してあげたくて。この後妊娠中の女性たちの墮胎処置と、シャウエン、記憶操作を頼んで良い?」
シャルロットは頷くと、後処理についてシャウエンに尋ねた。
「もちろん。一通りみておくよ。女性達が精神干渉の影響で記憶がかなり曖昧なことが救いだったね。救済措置は皇国が考えるだろう。ルードヴィッヒ殿も優秀だしね」
シャウエンは快く答える。
リンも笑顔で続けた。
「さすがシャルロット様です。毎回惚れ惚れします〜あと、女性達の処置はお任せ下さい!後遺症出来るだけ残らないようにしておきます!」
「ありがとう、リン。助かるわ」
リンが診てくれるなら、シャルロットも安心して任せられる。彼女は治癒魔法も一流なのだ。
「あれだけ無茶な魔力の使い方したんだから、良く休んだほうがいい。一応婚約者もいるんだし、あんまり無理すんな」
レンもシャルロットを気遣って、声をかけた。
「ん、レンもありがとう」
さすがに負荷のかかる魔法式を並行でいくつも発動させた為、シャルロットも消耗していた。
ヴィクトールが立ち上がって、シャルロットの手を取る。
「もう、夜も明けるな。じゃあ、俺たちはこいつを連れて先に戻る。お前は、今日はしっかり休め。あ、シャウエン。明日時間を作ってくれ。こいつと一緒にそっちに行く」
ヴィクトールの言葉を予測していたのだろう。シャウエンは笑顔で頷いた。
「ええ。午後から空けておきましょう。お待ちしていますよ。
シャルロットもゆっくり休んで?お疲れ。
あ、ヴィクトール、ここに来る前に君に届け物をしておいたから、後で目を通しておいて欲しい」
「? ああ、わかった。じゃあ、また明日」
そう言って、ザイディーン王国の3名は、転移で帰国した。
ザイディーン王国のヴィクトールの執務室に戻ると、ヒューイットとニールセンが3人を出迎えた。
まだ本来の出勤時間にはだいぶん早い時間帯なのだが、こうして揃って出迎えたということは、随分と心配をかけたらしい。
ヒューイットが安心したように微笑んで、頭を下げた。
「ご無事のお帰りで何よりです。お疲れ様でした。皆さんお怪我などありませんか?」
「こいつのお陰で早々に解決した。父上に結果報告だけ、ラルフ頼む。詳細は後ほど俺の方から上げるから、と伝えてくれ。とりあえず俺はこいつを休ませてくるから」
ヴィクトールは、特に問題ないと言うように首を振り、シャルロットに手を伸ばし引き寄せると、緩く笑って答えた。シャルロットを見る視線が、いつになく優しげである。
「かしこまりました、殿下」
ランドルフが礼をして了承すると、部屋から出ていく。
ヴィクトールとシャルロットも続いて、執務室を後にした。
後に残された2人が、どちらからともなく顔を見合わせる。やがてヒューイットがポツリと言った。
「ねえ、ニールさん?ヴィクトールとシャルロット嬢、なんかあったんですかねえ? 2人の距離感近くなってません?」
ニールセンは、やれやれと首を振って答える。
「ヒュー、こういうことは黙って見守るのが良いと思うぞ?」
「ああ、馬に蹴られたくなければ……ってやつですね」
ヒューイットは納得したように頷くと、早朝出勤にも関わらず、早々に執務の準備を始めたのだった。今日も忙しくなりそうである。
ヴィクトールは、シャルロットと並んで彼女の部屋に向かっていた。
「ヴィクトール?私は大丈夫よ。報告書作成のお手伝いとか出来そうよ?」
「寝不足は肌に悪いって、マリアンヌも母上も言ってたぞ?ま、無理すんな。」
シャルロットはヴィクトールの多忙を知っている。今回は、シャルロットが持ち込んだ案件だったので、手伝いを申し出たのだが、却下されてしまった。
「でも……」
「気にするな。ヒューもニールも朝早くから出てきてくれているから、人手は充分だ。今回は結構消耗したんじゃないか? ゆっくり休めよ。食事は部屋に用意してもらえ。」
「ヴィクトールいろいろありがとう」
シャルロットは、素直に礼を言った。今回は、ヴィクトールにだいぶん助けられた。今度何かヴィクトールの役に立つことがあれば、喜んで手伝おうと思う。
婚約は無くなるかもしれないが、彼を手助けするくらいは、許されるだろう。
シャルロットが滞在している部屋の前まで来ると、ヴィクトールは自然な様子でシャルロットを引き寄せ、彼女の額に唇を落とす。
「明日の昼食は一緒に取ろう。じゃあ、おやすみ」
そう言って、部屋付きの侍女にシャルロットを託すと、もと来た廊下を戻っていったのだった。




