第17話
キメラ部隊を送り出した数刻後。
エドガルドとジェイラードが話している部屋に、部隊に指示を出している元皇国軍の兵士が駆け込んできた。
「エドガルド様、緊急の報告です! 先程出した部隊ですが、キメラを6体失いました。冒険者とみられる4人との戦闘で、魔力は大したこと無いですが、2人は身体強化と剣術がずば抜けていました。後から合流した魔法師2名が幻術で撹乱し、無詠唱だったのでおそらく転移陣を使って全員姿を消しました」
「なんだと!?」
俄かには信じられず、エドガルドはしばし呆然とする。キメラは、一体で中級の魔法騎士と同程度の戦闘力に加え、驚異的な再生力と魔獣由来の動きが出来る。その辺の人間の冒険者相手なら、一体で10人程度は倒せるはずだった。
女の回収や演習も兼ねて、かなりの過剰戦力で出したはずだった。
それが実質2人の冒険者相手に6体を失い、挙げ句転移陣を使って全員逃げられたなど、とても信じられることではなかった。
エドガルドは、唸るように兵士に尋ねる。
「せめて相手の正体は掴めたのか?」
「それが、どうやら冒険者らしいということしか……ザイディーンの国境の街に滞在しているようです」
「よりによって、王国か。面倒な!」
吐き捨てるように、エドガルドが怒鳴った。国境を越えた先だと、何かと手が出しにくい。
「どうしますか?」
ジェイラードの冷静な声が、エドガルドの頭を冷やす。
「王国国境の街に偵察を出せ。身元を知りたい。それから、今後しばらくは厳戒態勢を敷く。こちらの感知内に入ったものは、残らず殺せ」
「はっ」
エドガルドの命令に兵士は敬礼で返すと、部隊の施設に戻って行った。
部屋に残った2人の間に暫し沈黙が訪れる。
やがてジェイラードが、ポツリと言う。
「どうみます?エドガルド」
「身体強化と剣術のみで6体とは、相当な実力者だ。幻術使いも侮れんが、この砦についてどれだけ知られたかが気になる。行方不明者の捜索なら、もう一度やってくるはずだ。確実に消したほうが良いだろう。ただ、今日の戦闘の様子で、ザイディーンの魔法騎士を連れてくるとなると、ザカリーや皇国との調整も必要だ。国境を超えるとなると時間はかかるだろうが……」
思案するように腕を組んだエドガルドが答えた。
「研究に邪魔な存在は、徹底的に潰してしまいたいですね」
「過剰かもしれんが、しばらくは、いつ攻撃されても全力で反撃できるよう、態勢を整えるしかないな」
そう言って大きくため息をつくと、警備体制を見直すために、エドガルドも部屋を出たのだった。
ザイディーン王国のシャルロットが滞在する客間に戻り、彼女は湯を浴びて、軽い食事を取った後、早々に寝台に横になった。
が、流石にすぐに眠気は訪れない。寝返りを打ちながら、考えるのはヴィクトールのことだ。
「聖女だってわかっちゃったものね。婚約は解消か、側室になるのかな?お父様が心配だわ」
シャルロットに隠すつもりはなかった。ただ、彼が聖女についてどれだけ知っていて、存在を信じているかわからなかった。
シャルロットを最初に見て、聖女に思い当たらなかったのなら、おおかた神話を現実のものとして認識していなかったのだろう。
もし聖女だと最初から明かしていたら、その力だけを目的とした婚約だったかも知れないが、ヴィクトールはそういう権力者ではないことも、今なら良くわかっている。
そして、短命であることも、シャルロットが聖女であることを知ったなら、王の伴侶としては不充分であり、側室として王太子を支えることになるのかも、とも思う。
でも……それがなんとなく寂しい。
多分、伴侶として大切にすると言われたからかな?
シャルロットは、何度も生を繰り返すうちに、家族や友人など自分に想いを寄せてくれる人達と、いつの間にか心の中で距離を置くようになっていた。共に居られる時は短い。繋がりや絆が大きくなれば、自分も相手も別れが辛くなる。死にたくない、生きたいと思うことで、全ての魔力と命を賭して神の生み出す大災害から人々を守るという聖女の役目を果たせなくなりそうで、シャルロットはそれが怖い。
自分とその周りの人だけを助けるために、その他の多くのものを犠牲にする……そんな選択をすれば、もしかしたら神は、シャルロットをこの繰り返しから解放するのかも知れないが。
でも、彼女が生まれ変わって記憶が戻ったとき、人々が何事もなく毎日を生きていることに、とてつもなく安堵するのだ。約100年毎の誕生は、前世で側にあった人はとっくに居なくなっているのだけれど、その子孫達がちゃんと生きていることが、彼女は嬉しい、と同時に寂しさも感じるけれど。
神は、きっと、神自身と神が創造した人々を聖女が愛しているか毎度試しているのだ。そして、聖女の短い一生を愛でている。そうすることで、もうこの大陸に二度とは降りて来られず、聖女と神が二度と直接会うこと出来なくなっても尚、愛している忘れるないでくれ、と聖女に伝え続けているのだ。
ヴィクトールは、そんな彼女の中に遠慮なく入ってこようとする人だ。そして、今はシャルロットもそれが嫌では無いと感じている。
彼に触れられることも、なんとなく安心する。
今生、シャルロットがザイディーンに生を受けたということは、この先5、6年のうちにこの国に未曾有の大災害が起こるのだろう。
その時は、ヴィクトールとそして彼が愛するこの国のために、シャルロットは喜んで命を捧げようと思う。次の生でヴィクトールの子孫が健やかに過ごしていたら、きっとそれだけで嬉しい。
「だから、もう少しだけ……あなたと過ごせたらと思うわ、ヴィクトール。あなたとずっと生きていきたいなんて、そんな執着は持たないから」
そう……そしたら、あなたや皆の幸せを祈って逝けるから。
そんなことを思いながら、シャルロットはやってきた眠気に身を任せた。
深夜、ザカリー自治州の城内で、各国から集まった国王たちとその側近達を目の前にして、シャルロットは立っている。
ザイディーンでランドルフが作戦に加わることを聞かされ、ヴィクトールから簡単に経緯とシャルロットが聖女であることについて説明はされたようだが、彼の態度はさして変わることはなかった。
今、シャルロットは聖女として、そして作戦の指揮官としてこの場に立っている。
1時間ほど前に入城し、拉致された女性たちを保護する部屋の準備をアイザックに指示し、ゼルメルとも罪人たちの扱いについても確認を済ませた。
これから作戦会議となる。部屋には、大き目の円卓に、地図といくつかの資料が置かれていた。
彼女は結界を解き、膨大な魔力をそのままに集まった人々を眺める。
高めながらも落ち着いた声が、その場を支配した。
「全員揃ったようですね。まずは自己紹介からとしましょう。戦場で必要な情報を共有します。
私はザイディーンのシャルロット・ティナ・オル・ディアモンド。この作戦で指揮をとります。魔力はお察しの通り。全属性の使用が可能です」
彼女の言葉に、右側に立ったシャウエンが続く。
「私は、シャウエン・カイ・リー。対魔獣戦には槍を使う」
名乗りは形式的なものだ。各国の中心にいる者達は、国王や王太子の側近程度は把握している。
「私達は、シェンレン・タオ・ワンとメイリン・ルー・ワン。セイレーン神国シャウエン様と聖女様の従者で双子の兄妹です。レン、リンとお呼びください。得物は、双剣。シャウエン様と聖女様との連携では他に引けを取らないと自負しております」
レンとリンが、シャウエンの横で目線を下げ目礼した。
続いて、ザイディーンの二人が並んでいる。シャルロットと向き合う形だ。
「ヴィクトール・レイド・ルイ・ロイスダールだ。得物は剣。」
「ザイディーン王国近衛騎士団長のランドルフ・ルカ・タウンゼントと申します。得物は、大剣。」
そして、シャルロットの左隣に立つ皇国皇帝が、続ける。
「ゼルメル・ダイアンサスだ。得物は、剣。魔獣戦、対人戦共にそれなりに自信がある」
「ダイアンサス皇国筆頭魔法師のギルベルト・ゼクターです。得物は弓ですが、今回はそれほど役には経たないでしょう。ですが、魔法攻撃は、お任せください」
「ダイアンサス皇国軍総司令のディルハム・アイバーンだ。得物は、槍。皇国軍を統括している。失礼ながら、聖女殿良いだろうか?」
ディルハムの言葉に、一同が彼に注目した。
「なんでしょう?アイバーン総司令殿」
シャルロットは静かに促す。
「このようなお若い女性に、指揮官が務まるとは思いませんが。ここは我が皇帝に……」
ディルハムが言い終わらない間に、ゼルメルが厳しく遮る。
「黙れディルハム!……聖女殿失礼した」
ゼルメルはディルハムを睨みつけたが、すぐにシャルロットに向き直り軽く頭を下げた。
シャルロットは何事も無かったように、緩く首を降る。
「いえ……では敵の概要について、情報は共有できていますね?
今から皆さんの意識の一部をお借りして、我々の位置関係を投影します。しばらくはこの感覚に慣れてください。」
シャルロットの言葉の後、短い詠唱が終わると同時に、それぞれの視界の左上方にフッとザカリー城の一階部分と現在の部屋、そして光点が浮かび上がる。それは半透明で、その向こうには変わらずそれまで見えていたものが視認できる。各部屋を隔てる壁までは出ないが、城の外壁は確認できた。
神国以外の者たちには、初めての感覚に思わず驚きと戸惑いの声を上げる。
「これは!?」
「一体どうやって?」
空間魔法と幻術、伝達魔法の応用か?とヴィクトールは考える。皇国の筆頭魔法師もなんとなく原理は把握出来たようだった。
騒めく一同を見回し、一旦言葉を止めたシャルロットだが、しばらくして説明を続けた。
「ここに緑色、水色、紫色、紺色で私達の位置を出します。緑が神国、水色が王国、紫が皇国、紺が私です。方角は上が北、右が東、左が西、下が南。これは地図と同様です」
一同が確認するように、向きを変えたり反芻したりするのを見ながら、タイミングを見て説明を続ける。
夜間での戦闘で、他者の攻撃の邪魔になったり誤認したりは、絶対に避けたい。しかもそれぞれ国の重要人物ばかりだ。万が一にも負傷はさせられない。ましてや一撃が高火力の者ばかり。連携が慣れている者同士ならともかく、初めての共闘でそれぞれの位置を把握できることが必要だった。
「敵の魔力は感知次第赤で写します。意識の一部を繋いでいるので、敵の魔力を感知したら赤のイメージを私に向って伝達魔法を飛ばすイメージで念じてください。そして、救助者は黄色です。同様に発見次第黄色をイメージして飛ばす。試しに、ヴィクトール、今シャウエンを黄色でイメージしてみて?」
「こうか?」
シャウエンの位置にあった緑色の光点が黄色に変わる。
「そう。アイバーン総司令殿、ヴィクトールを赤色で」
「うむ」
今度はヴィクトールの水色が赤に変わった。
「そうです。もとに戻しますね。
ここにいる皆さんの魔力はとても強く私も把握できているので色が変わることはありませんが、敵と救助者は皆さんのイメージをもらって私の方で感知し、投影します。もちろん、私の位置から感知できたものも投影出来ますが、敵と救助者の区別がつかないので、白色で出します。
誰も認識が出来なければ投影はされません。これはあくまで皆さんの位置関係の把握と戦闘状況の把握です。魔力の気配を感じなくなった時点で、光点は消失します。戦闘に集中していると投影はされません。今皆さんが私の話に意識を向けているので、このイメージが写されています。つまり、私に意識を向けてくれれば再度投影が可能です。ここまではよろしいでしょうか?」
「ああ、しかし、これは聖女殿の負担が……」
この人数に意識の一部を繋げながら、敵や救助者の魔力を投影するのに、どれだけの負荷がかかるのか?筆頭魔法師であるギルベルトは、想像がつかない程複雑な魔法式を短い詠唱で展開させたシャルロットに、背筋が寒くなる思いで尋ねた。
だが、シャルロットはあっさりと首を振る。
「問題ありませんわ。では、次です。皇国の皆様と王国のヴィクトールとラルフ様は、散開し敵の迎撃、キメラの殲滅です。死体は後ほど消滅させるので、そのままで。神国のシャウエンとリンは遊撃。砦内に入ったら、幻術でのサポートと救助者を転移陣で移動させてください。私は、皆さんの後ろで情報統括と指示を。レンは私のサポートを頼みます。シャウエン、昨晩感知した敵の気配は?」
「キメラがおよそ150。軍人と思しき魔力は50位。魔法師は20位だが、強力な魔力持ちが数名。救助者はおそらく30ほど」
シャウエンの言葉を引き取り、ゼルメルが続ける。
「強力な魔力はおそらく前筆頭魔法師のエドガルドと、魔獣研究では皇国第一人者だったジェイラードだ。前皇帝のお気に入りだな。行方を追っていたが、拠点を見つけてくれて礼を言う。資料はここに。目を通してくれ」
それぞれ資料を手に取り、概要を把握すると、用紙はギルベルトが焼却した。
そして、シャルロットが確認するように、もう一度一同を見回した。
「キメラは、確実に首を落としてください。もしくは、全身燃やし尽くすか消滅させるか、押しつぶす。再生能力が異常です。人間の知性も持ち合わせ、連携や統率も取れています。
出来れば苦しまないよう一瞬で……全ての個体を殺してください。彼らは、本来存在しないもの。生きていれば、いつか歪みを生じます。
そして、研究内容と施設は、作戦後全て抹消します」
跡形もなく、全てを無かったことにする。これがシャルロットの聖女としての判断だった。
ゼルメルが頷きつつ、口を開いた。
「キメラ以外の人間は、皇国で裁くことになるが。ジェイラードはどうする?」
「必要な証言を得たあとは、精神を壊します。あとはそちらで」
迷うことなくシャルロットは答えた。更に続ける。
「おそらく皆様の戦闘力であれば、個々もしくは、それぞれの側近方とで迎撃したほうが動きやすいでしょう。ですが必要であれば、私の方でサポートもしますし、近くにいる方に向かってもらうことも出来ます。伝達魔法を私に向けて飛ばしてください。
以上です。何かありますか?」
「問題ない」
ゼルメルが答えると、他のメンバーも全員がうなづいた。
「では15分後に、こちらの座標に転移します。おそらくすぐに感知されるでしょう。遭遇地点はおそらくこのあたり。各自最終確認を」
表情なく淡々と話すシャルロットを見ながら、ヴィクトールは、彼女と共にこの場に居合わせたことに安堵する。
こんなシャルロットを知らなかったら、きっと彼女の信頼も得られず、寄り添うことも出来ない。ヴィクトールは、人が好きで他者に優しく寛容な彼女を、知っている。しかし彼女は、上に立つものとして、殺せと命じることも戸惑わない。
きっと、自分と同じ目線で肩を並べ、そして互いに想いを共有してこの先を生きていける。
だが今は、彼女が心配でもあった。
昼間彼女を部屋に送った時から、様子がおかしい。
それぞれ装備などの確認をしている中、ヴィクトールはシャルロットの傍に行き、声をかけた。
「シャルロット」
シャルロットが顔を上げヴィクトールを見上げると、申し訳ないように笑う。
「ヴィクトール……驚かせてしまいましたね」
ヴィクトールはいつものように、シャルロットの髪をクシャッとかき混ぜると、頭に手を置いて言った。
「そうだな。だが見事な采配だ。ニールが来ていたら大騒ぎだったろうな」
「ふふ……でも、気をつけてくださいね」
シャルロットが少し首を傾げて、ヴィクトールを気遣った。
「俺のことは心配いらないが、お前も無理するなよ」
そんな彼女に、安心させるように微笑んで見せる。
「ありがとうございます」
シャルロットがそう言ったところで、遠慮がちに声をかけられた。
「あの……聖女殿」
「アイバーン総司令殿?」
立っていたのは、ダイアンサス皇国の軍総司令官だった。
「先程は申し訳なかった。あのような魔法の使い方は初めて見たが、安心して戦いに臨めそうだ。貴女の望む戦果を約束しよう」
冒頭、シャルロットが指揮を取るのに反対したことを謝りに来たようだった。
「こちらこそ。初めてのチームでご不安もありましたよね。ご期待にそえるよう全力を尽くします」
シャルロットがそう言って答えると、ディルハムは表情を緩めて頷いたのだった。
時間となった。
それぞれが武器を持ち、その場に立っている。
「それでは、準備はよろしいですか?」
「ああ」
シャルロットの声に、揃って返事が返ってくる。
シャルロットが何事か短く呟き手を振った。
「皆さんそれぞれに物理、魔法攻撃に耐性のある結界を身体に沿うようにかけました。毒物は対象外ですのでご注意を。座標はここに。転移後、敵の逃亡防止の為、すぐに特殊結界を辺り一面に展開します。結界内部から外部への移動及び転移は、転移陣のみ可能です。
先程も伝えましたが、転移後はおそらくすぐに敵に感知されます。そのまま散開、攻撃を開始してください。では参ります!」
シャルロットの合図に、全員が短く詠唱し、指定座標に転移した。
ザカリー自治州、南方砦跡をおよそ2000デール先に視認したその場所で、シャルロットの声が告げる。
「作戦開始」
そして、転移防止の特殊結界が展開された。




