第10話
翌日正午を過ぎた頃、ランドルフに王宮へと案内されたシャルロットは、陽当りの良い部屋の四人掛けのテーブルで、美しい庭園を眺めながらヴィクトールを待っていた。
やがて、「悪い。待たせたな」と言いながら、ヴィクトールが入室してくると、彼はシャルロットの向いに腰掛けた。
そして、侍従に指示すると、軽食と飲み物を一通り運ばせ、テーブルに並べさせて、給仕を断わって全員を退室させ、防音結界を張る。
離れた場所に近衛が立っているが、二人の声は聞こえないだろう。ただ美しい男女二人が、テーブルを囲んで談笑しているように見える。
ヴィクトールは、シャルロットに食事を勧め、自分も品良く軽食を口に運びながら、ニッコリと笑った。
「さて、今日はゆっくり時間を取った。思う存分話し合えるぞ?」
本日も無礼講らしい。
「結界まで、ありがとうございます?で、何がしたいんですか?一体」
シャルロットも表面上は微笑みを浮かべ、上品に果実水を飲みながら、言葉には棘を含ませる。そんな彼女にヴィクトールは何が良いのか?楽しそうに笑った。
「昨日父君には言っただろう? 真摯に愛を乞いますって」
昨晩の別れ際のヴィクトールを思い出し、シャルロットが眉間に皺を寄せた。
「どの口がおっしゃっているのかと、耳を疑いましたが。婚約は無理です」
「なぜ? お前の家柄も知識も語学もその胆力も、他人には言えないが魔力も、問題ないだろう?」
ヴィクトールがシャルロットに求婚した理由を述べていく。当然ながら、そこに愛だの恋だのという甘い言葉は出てこない。容姿に関することも皆無だ。
ただ求めるのは、王太子妃に相応しい資質を備えているかどうか?だ。
「他にも殿下にふさわしい方は、いらっしゃいますよ」
理解しつつも、シャルロットは否定する。それを予想していたヴィクトールは、更に続けた。
「何より、こうやって素で話せる女性はお前ぐらいだろうしな」
「それは、殿下の問題では?」
取り付く島もない。
「一応これでも求婚の申込みは多いし、この容姿を頬を染めて眺める女性も多いんだがな。まあ、その辺お前はどうでもいいらしいから、気が楽だな」
「はあ」
なんとも気の抜けた返事に、ヴィクトールは尋ねる。
「で、お前はなんで嫌なんだ?」
「……殿下と結婚すると、デメリットしかないからですかね。周囲の殿下に見初められたい令嬢方には、やっかまれ、余計なトラブルに巻き込まれそうです。
学業以外に王太子妃としての勉強や仕事、外交や社交などで忙しくなって、時間が取れないのも困りますね。それに多分、私そう長生きしませんよ」
諦めないヴィクトールに、シャルロットは真実を混ぜる。短命であることは、王太子妃として致命的だ。問題は素直に信じてくれるか?だが。
「長生きしない?」
「これは、まあ。占術の結果ですね。良くあたるんですよ。そんなわけで、お断りします」
本当は占術なんかではなく、そういう宿命の元、転生を繰り返している身の上だが、そんなことは今この場で告げるつもりもないし、信じてもくれないだろう。
ヴィクトールは、暫く思案するように黙り込む。
やがて、視線を合わせると、切り口を変えてきた。
「……取引しようか」
「取引?」
何を言い出すのだろう?この王子様は。シャルロットは瞳を瞬かせて、ヴィクトールを見つめた。
「その魔力のこと、俺と俺の側近、あと陛下以外には、知られないよう最大限に配慮しよう。
やっかみ諸々と、トラブルだが、お前学校やめて、王宮に引っ越してこい。こっちで集中的に学べ。家には、まあ偶には戻ってもいい。
王太子妃教育がある程度出来たら、お前の自由になる時間もやろう。
長生きできないと言うが、占術での未来は不確定だ。どうなるか、わからないだろう?あと、3、4年結婚は待ってやってもいい。その間にお前に何かあれば、他を探すさ。だが、そうだなお前が20歳を過ぎても死ぬ気配がなければ、諦めて結婚しろ。
まあ、もう婚約発表したようなものだし?他の選択肢もないんじゃないか?」
なんというか、ヴィクトールにしては最大限に譲歩した条件に思える。
シャルロットが20歳になるまで後4年。それまでに彼女が聖女であることを理解し、短命であることを受け入れて、他の女性との結婚を考えてくれるのなら、シャルロットにとっては悪くない条件である。
ただ、彼女は気がついていない。婚約解消が前提のシャルロットと、結婚することが前提のヴィクトールでは、決定的に根本がすれ違っていることに。
「……正気ですか?」
シャルロットがおずおずと尋ねるが、ヴィクトールは笑顔で答える。
「俺も22になったし、周りの声が煩くてな。婚約者の一人でもいれば大分マシになるだろ。
それに、お前はいろいろと面白そうだ。
どうせ家では猫被ってるんだろう? 俺と側近たちの前では必要ないぞ。他の目があるときは配慮してもらうが。
あとお前、執務能力も高そうだし? まあ、結果的には国益にもなりそうだしな」
「……」
黙り込むシャルロットに、自信を持ってニヤリとヴィクトールが畳み掛ける。
「どうだ?」
シャルロットは、上目遣いにヴィクトールを睨みながら、不本意そうに答えた。
「悪くないと思ってるのを、素直に言うのが腹立たしいのは、なぜでしょう?」
「ははっ。本当に面白いなお前」
思わずヴィクトールは破顔した。
あの神国で見た圧倒的で強力な魔法師が、こんな可愛らしい顔をして膨れているなんて、本当に面白い。
まだ16歳ながら、自分は短命だと割り切って、諦めているような感じを受けるのは気になるが。それもこれから立場を理解して、前向きになればいいと思う。もっともその前に、その占術とやらをなんとかして覆してやらなければならないな、と思いながら、シャルロットとなら、なんとかなってしまうとも思うのだ。
「全然、話聞かないし。なんだか俺様だし」
ブツブツ呟いているシャルロットを見ながら、ヴィクトールはこの出会いが僥倖だったと感じていた。国のために尽くしていくことは、生まれながらに定められてはいたものの、隣に置くなら彼女が良い……と。
そんな彼女を見ながら、ふと昨晩の家族会議中に、唯一この婚約に反対意見を述べた弟のことを思い出した。
「そういえば、お前ルーファスとは知り合いか?」
シャルロットはキョトンとして、首を傾げた。
「ルーファス殿下は、学校の後輩ですわね。学内での魔獣討伐演習でご一緒させていただいたことがありまして、以降時々お話する機会もございます」
そういえばこの殿下の弟だった、と思い当たり、シャルロットは時々学内で出会うルーファスを思い浮かべた。兄の持つ色合いと似てはいるものの、大きな瞳に整った綺麗な笑顔は、如何にも王子様という印象で、学内の女生徒にも大人気である。兄であるヴィクトールから受ける印象と違いすぎていて、シャルロットは今ヴィクトールに言われるまで、すっかり兄弟であることを失念していた。
「そうか。弟からは、これまでお前の話を聞いたことがなかったが……昨晩の件を家族に説明したら、お前の意向を無視していないか?と突っ込まれてな」
いつも優しくシャルロットに気を配ってくれるルーファスは、きっと先輩を思いやって兄であるヴィクトールに物申してくれたのだろう。その気遣いが、シャルロットには嬉しかった。
「ルーファス殿下は、お優しいですものね」
素直に喜んでいるシャルロットが、なんとなくヴィクトールは面白くない。
「嫌味に聞こえるのは、気のせいか?」
「あら?こういうことは気付いて下さいますのね?」
あっさりとシャルロットにやり返されて、ヴィクトールは両手を上げて降参した。妹を引き合いに話を逸らす。
「……マリアンヌもお前と話したがっていたぞ?今度会ってやってくれ」
昼食が終わると、ヴィクトールは給仕を呼び、お茶の準備をするよう声をかける。
四人分のティーセットが並べられ、ヴィクトールは席を立つと、今度は、シャルロットの隣に腰掛ける。
「ついでだから、俺の側近を紹介しよう。ラルフ、ニール入ってこい!」
準備が整ったところで、部屋の外に向かって呼びかけた。すると先程シャルロットを案内してくれたランドルフと、昨晩も共にいた魔術師団の制服を着た、どちらも20代半ばの青年が入ってきた。
「失礼します。私は、ニールセン・ゼイン・マイヤー 魔法師団で副団長を拝命しております。失礼ながら、お話はお伺いしておりました」
長めのプラチナブロンドを1つに結び、一重の鋭い眼に淡い赤色の瞳を持つ美丈夫が、あまり感情を乗せない薄い笑顔で、軽く頭を下げる。黒の魔術師団のローブの裾がひらりと舞った。
ヴィクトールが手で座るように指示したため、そのまま流れるようにシャルロットの向いに腰掛ける。
そして、もう一人。緋色のウエーブヘアを無造作に後ろに流し、明るい緑色の瞳を持つやや垂れ目の体格のいい青年は、白の近衛の軍服を着ており、肩には団長を示す階級章が付けられていた。
「私は、ランドルフ・ルカ・タウンゼントと申します。近衛騎士団長を勤めています。殿下が本当に申し訳ない」
そう言ってシャルロットに申し訳無さそうに一礼すると、ヴィクトールの向かいに腰掛けた。
「ダーマル山で殿下とご一緒にいらっしゃったお二方ですね。
シャルロット・ティナ・オル・ディアモンドでございます。
タウンゼント団長様には、いつも兄がお世話になっております。それに、ご苦労もお察ししますわ」
シャルロットも姿勢を正し、淑女然として微笑んでみせた。明るい場所で間近に見る少女の美しさに、二人は思わず息を呑む。が、何も言わずに目礼した。
「この二人には、お前の素性も魔力の件も話してある。継承式には同行してたしな。俺一人ではカバーできないからな。協力してくれるだろう。
他に、もう一人ヒューイットという文官がいるが、あいつは魔力が、まあ平均値だ。一応話しておく。執務能力は非常に高いが、魔法に関する事には疎い。理解しておいてくれ。
あと、堅苦しいのもなしだ。公の場でなければ、不敬も許している。三人共、幼い頃からの兄貴分みたいなものだ」
ヴィクトールの紹介を聞いて、婚約者となったシャルロットにも同様の付き合いを求められているものと察する。
「そうですか。タウンゼント様、マイヤー様。どうか私のことは、シャルロットとお呼びください。これからよろしくお願いいたします」
シャルロットの挨拶に、二人も少しばかり言葉を崩した。
「レオンからもシャルロット嬢のことは聞いている。こちらこそラルフと気軽に呼んでくれ」
「シャルロット嬢、こちらこそ、ニールとお呼びください。ぜひ詳しくお伺いしたいことがありまして」
ニールセンに至っては、早速魔法談義を始めそうな勢いだったため、ヴィクトールは容赦なく話を進めた。
「ニール、それは今度にしろ。で、書類は出来ているか?」
ニールセンは、渋々書類をシャルロットの前に置くと、ヴィクトールに答える。
「はい。こちらに。侯爵様宛のものは、国王陛下のサインも済んでおります。後程殿下に渡すので、侯爵様にサインもらって下さいね?」
ヴィクトールが、シャルロットにペンを渡しながら、書類の説明をしていく。
「よし、じゃあシャルロット。これは婚約証明書だ。魔力こめてサインしてくれ。条件は2枚目だ。こっちにも頼む」
要領よく話を纏めていくヴィクトールに、シャルロットは呆れたように物申した。
「用意周到すぎて、怖いくらいですわ。殿下?」
「ホント、俺もちょっと引くくらいだわ」
ランドルフの表情も引きつっている。
「うるさい、ラルフ。それとシャルロット、俺のことはヴィクトールでいい。敬称もなしだ」
ヴィクトールは、二人の台詞を気にすることなく、話を進めていく。
シャルロットも反論を諦めて、魔力をこめてサインをした。これで、正式な書類として婚約が整うことになる。
「……努力します。……はい。これでよろしいでしょうか?」
受け取った書類をヴィクトールが改めていく。
「問題ないな。あ、あと婚約もしたことだ。神国の王と二人っきりで会うとかはもうするなよ?」
整った婚約に、ヴィクトールがそんな条件をつけた……が、シャルロットは当然受け入れられない。
「それは、お約束出来ません」
と、はっきり突っぱねた。
「何?」
ヴィクトールの声が低い。明らかに機嫌を損ねたのであろう。だが、シャルロットは怯まない。
「私にとって彼は、もう一人の兄のような存在です。恋とか愛とかそういう感情はありません。ただ、大切な人です。
それに、この婚約は取引であり、契約に近いもの。私も殿下の女性関係に異議を申し上げるつもりはありませんわ」
思ったよりも強く反論され、また少々後ろめたいこともあるヴィクトールは、黙り込む。
「……」
そんなヴィクトールを見て、軽く息をつくとシャルロットは席を立った。
「もちろん醜聞にならないよう充分に配慮いたします。
……では、お話も済んだことですし、今日は失礼しますわね」
そう言って美しい所作で礼をすると、踵を返して部屋を出ていった。
残された三人は暫く黙り込んでいたが、やがて大きく息をつくと、ニールセンが呟いた。
「なんていうか、見た目を裏切るというか、レオンの話と全然違うというか……」
「しかも、ヴィクトールがお忍びで遊んでるのもバレてる?ていうか、嬢ちゃん結構ハッキリ言うねえ。それに全く殿下のそのキレイな顔、生かしきれてないんじゃないですか?」
続いて、ランドルフもヴィクトールを見ながら疲れたように笑った。
ニールセンも隣で頷いている。
「どちらにしろ、16歳の夢見がちなご令嬢ではないですね。なかなか興味深い」
そんな容赦のない二人に、ヴィクトールもため息をつきながら答えた。
「お前ら……まあ、カマかけもあるんじゃないか?
どちらにしろシャルロットの相手でしばらく手一杯になりそうだし、遊んでる暇も無くなりそうだ。
婚約もしたことだし、あいつには余計なトラブルも持ち込まないと約束したしな。遊びもやめるさ」
「でないと、嬢ちゃんに別の男と会うなとも言えないしな?って、うわっ!」
ランドルフの脛に、向かいから足蹴りが入った。足癖の悪い王子様である。
「自業自得ですね、ラルフ。あと、一つ気になるのは」
ニールセンはランドルフを横目で眺めて息をつくと、ヴィクトールに視線を向けた。
「長生きしないっていう、占術のことか?」
その視線に、ヴィクトールも考えるように目を眇める。
「はい。シャルロット嬢は、あまり生に執着がないのか諦めているようにも思えました。何があったのか気になりますね。それに、とても年齢相応に見えないのも」
やはり、ニールセンも同様に感じたらしい。
「……そのうち神国の王にでも会いに行くか。報告も必要だろうしな」
いろいろと情報も欲しいし、シャルロットとの関係も、ヴィクトールとしては気になるところだ。
「あ、牽制する気だ。ワッ!だから、やめろって!」
ランドルフの余計な一言に、今度はペンが飛んできた。
「はあ、懲りてないですね、ラルフ。
殿下、侯爵様にサインもらって来るなら、執務室にいらっしゃいますよ?
あと、彼女の調査も一通り済んでますが、彼女の言うことに矛盾はありませんね」
ニールセンは額に手をやると、話を終わらせるべく、ヴィクトールを動かすことにした。
侯爵宛の書類をヴィクトールに手渡す。
ヴィクトールも立ち上がった。取り敢えず手続きを済ませてしまうのが先決だ。
「わかった。ありがとう。じゃあ、行ってくる」
そう言って去っていくヴィクトールを、近衛であるランドルフも慌てて追いかけた。




